第27話 開口

和室兼リビング。この同じ部屋の少し遠くで、馬鹿共が人生ゲームをしている。モミジは机の上に漢字ドリルを開いたまま、わいわいルーレットを回す。『魚』という字。下に点が四つあるが、その点を二つ書いたところで、鉛筆が投げ捨てられている。せめて、この魚のためにも、完成させてほしいところだ。

 モミジの隣、プエラが、目にかかった黒髪を耳の上に撫で上げながら、「子供つくろっかなぁ?」と言っている。不覚にもドキリとする。すぐにぶんぶん首を横に振り、俺は手の中のスマホに目を落とす。

 いやだいやだと嫌がりながら、それでも俺は『感想』のリンクを指先でたたく。

 まあひどいもんだ。


良い点――文章的には読みやすい

 気になる点――作者が主人公の女の子を好きすぎている

 一言――もう少ししたら面白くなってくるか?


 最初のこの一人だけで、俺はさっさと画面を閉じ、スマホを机の上に投げ置いた。イライラしながらも、視線の行き場を無くしてしまったので、馬鹿共のバカ騒ぎをぼんやり眺める。ラルスが月を買って五百万円支払うことになったらしい。泣きながら大量の約束手形を受け取っている。

 俺は少し落ち着いてから、いま見た感想を反芻する。


 まったく、本当に。人をイラつかせるのがうまい奴らだ。

 文章的に「は」読みやすい「は」、はこいつにとって絶対に必要で、それだけが言いたいといっても過言じゃないんだろう。何が良い点だ。作者が主人公の女の子を好きすぎている? 違う、自分の理想の、好きな要素を詰め込んだ女の子を、作者は主人公にしたんだ。その辺をもっと味わえ。もう少ししたら面白くなってくるか?

 期待しとけ。だからそんな、今のところ面白くはないが、みたいなニュアンスを出すな。気付くだろう、これまでのなんてことない会話の一つ一つが伏線だったことに。いいから、黙ってついてこい――




 黙ってついていって、空高く上がって、雲を突き抜けた先に待っていたのは、真っ暗闇の夜だった。

 最初、目を閉じているものだと思った。視界の端から端まで真っ暗だから。視界の中心で黄色い満月が光っていなければ、手に持つスマホを離してでも、自分の目をこすっただろう。

 風が唸り、冷気の渦中。

眼下に広がる黒い雲の上、俺たちは浮いている。


「……は?」


 ようやく声が追いついた。しかし意識が追いついていない。ただ、目の前にいるのは赤髪の、八重歯をとがらせたプエラ。こちらに顔を向け、にやりと笑うプエラだ。

 俺はやっと、思いついた。ぽつりぽつりと、言葉が漏れる。


「お前……まさか、ここまで来たのは、ラル――」


「やだやだやだやだやだやだやだやだぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!」


 突然、モミジが騒ぎ始めた。

 俺の声は止まり、そちらに向くと、炎の波の魔法の中で、両手両足をじたばたさせ、尋常じゃなく喚いている、あまり見たことがない妹がいる。


「……モミジ?」


「いやいやいやいや! プエラさんおろして! はやく! やだはやくっ!」

 

かなりの剣幕で訴えかけている。

 対してプエラが、どこか満足げに、試すように聞き返した。


「「ん。どうしたモミジ。何かあったか?」」

 

モミジは食い気味に、イラつきを隠さずに叫ぶ。


「プエラさんならわかるやろ!? 速くおろして! 意地悪しないでぇぇえええっ!」


「「なんだよ、なんかあるなら言ってくれ」」


 俺は二人の会話を聞き、理解しようと試みるのだが、どうにもわからない。どうしてモミジが騒ぎだすのか。どうしてプエラが笑うのか。


「あああああああああ! プエラさんっ! どうして!? 分かるやろ! なんでなんでなんで!! お兄ちゃんも言ってやってよ!?」


「いや……、俺は分かんねぇよ。どうした? 真っ暗なのが怖いんか?」


「そう! そうだよ! 暗いの怖いぃぃ! 速くッッ! もうやだっ、やだぁっ!」


 分からない。寝るとき電気真っ暗にする派のモミジが、暗いの怖いなんて言うとは思わなかった。雲の上にいるということよりも、光量の無さが怖い? ……。

 違う、そうか。

 急に夜になったのが怖いんだ。こいつはただの平凡な小学二年生。急に夜になった理由を、なにも知らないはずだ。

 俺はプエラに目を向けた。


「悪い、プエラ。おろしてやってくれねーか。願い事は一旦いいからよ」


「「えー? ここまで来たのに? これからモミジのお願いを叶えて上げれるところだぜ?」」

 

腰に手を置き、首を傾げて言うプエラに、ハルヒはゆっくり頷いた。

 プエラはちょっと黙って、俺とモミジを交互に見てから、ふーと長い息を吐いた。


「「分かったよ。願いがどうこう以前に、モミジが困ってちゃ意味がないよな」」


 観念したように呟いて、モミジの方に右腕を伸ばす。呟いて、モミジの方に右腕を伸ばす。手のひらを広げ、手前をひょいとはたくように、手首を曲げた。すると、炎の渦に包まれているモミジの体が、徐に降下を開始した。


「あ……」

 

喚き散らしていたモミジが止まる。身体は真っ直ぐに、ゆっくり静かに下がっていく。足先、膝、腰と、黒い雲の中へ、モミジは沈んでいく。


「「ジッとしてれば地上につくぞ。まあ、弱い魔法だからな。抜け出そうと思えば、途中でも抜け出せる」」

 

いやいや、抜け出そうとするわけねーだろ死ぬ気か、と俺は思うのだが、肩まで雲の中に沈み、首から上だけになったモミジは、最後にこう言い残した。


「……もう! 最初っからそれでいいんやよ!」

 

そして消えた。よく分からない。「抜け出そうとするわけないじゃん死ぬ気か!」という、加賀家の血筋なら生まれただろうツッコミをどうしてしてくれないのか。突然の夜に怖がりまくっていた奴が、まだ夜のままだというのに、地上に降りれると分かったでスッと落ち着きを取り戻すものか。……よく分からない。

とにかくモミジが消えた。喋れることの自由度が増す。俺はプエラに問いただす。


「お前、大魔王ディアボルスの力で、モミジの願いを叶えようとしとるやろ」


「「当たり前だろ。俺はただの炎の魔法使いだ。できることなんか知れてるよ」」

 

あっさりと言ってくれる。あっさりついでに俺は詰め寄る。


「んで、ラルスとロロに頼んだわけか。夜が来たってことは、ちょうどディアボルスを呼び出したんだな」


「「そーなるな」」


 俺の中でどんどん合点がいく。満月を背に、目を閉じ、精神を集中させ始めるプエラへ、言葉を繋げていく。


「こんな空高くまで来た理由も分かったけど……さすがに雲の上ってのは、慎重を期しすぎじゃねーか。まあ、そんだけモミジの願いを叶えてやりたいってことなんやな」


「「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス……」」


 前置きも無しにプエラは始める。落ち着いた声で呪文を唱える。俺はじっと見つめながら、口を動かし続けた。


「地上にはラルスの出現させたディアボルスがいるだろう。突然夜が来て、早朝の金沢は混乱するだろう」


「「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス」」


「まぁ、魔法少女メープルが、見逃す訳ないよな。見逃して来ればありがたいんだけどな。俺が一番よく知っとる。そんな希望は諦めた」



「「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス」」


「そんで、メープルが地上の大魔王を相手してるうちに、こっちはこっちで呼んでやろうって魂胆だ。地上の方を倒しても夜のまま。いずれメープルはこっちの存在にも気づくだろう。だからこんな所まできて、せめてメープルの到着を遅らせようって腹なんやな」


「「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス」」


「でもお前、忘れてないか? 呪文を唱えてもディアボルスはどこに現れるかわからない。空中で呼び出したって、あいつは地上にいるんじゃないか? ったく、目の前に現れてくれれば、俺も苦労しないで済むのに……」


 俺は目を伏せ、小さく笑った。本当に、メープルさえいなければ。ディアボルスが目の前に現れてくれれば。運動部でもない俺が全力疾走して、寝るときに足をつって門前津することもなかったろうに……。

 顔を上げる。


 円状で、真っ黒の、巨大な黒色のゲートが、俺とプエラの間にあった。


 それは地学の教科書で見た、ブラックホールに酷似していた。それ本体と宇宙との境界線が不明確なように、このゲートと闇夜に判然たる仕切りはない。一層濃くなった黒色が、ごおおと渦を巻きながら、中心に向かって沈んでいる。言われるまでもない。これは、あいつの色だった。


「「ベニオ・ベニオ・アドベニオ・ヴィヴォ・ジャム・マグヌス・ディアボルス――」」


 プエラが丁寧に唱え切った、その瞬間。闇の渦の中で、パッと開いた赤色の目玉が、ぎろりと鋭く俺を捉えた。

 そのゲートは人間が歩いて入れる程度……直径2メートルほどのものだが、奴にはあまりにも小さすぎる。漆黒の腕を、こちらの世界にねじ込んで、青白い巨大な顔を入れようとして、どうしても入らず、とがった鼻と、紫色の舌が出てくるだけだ。腕に力を込め、外側に押しやるよう無理矢理に、ブラックホールを押し広げ、押し広げ、十分に押し広げ、首を突っ込み、奴は静かに、潜り出て来る。


大魔王ディアボルスが召喚された。


「「ほら、やっぱり!!」」


 ディアボルスの後ろで、プエラが嬉しそうに言った。


「「この状態で唱えたら、ディアボルスもちゃんと近くに来てくれる!」」

 

ハルヒは、眼前にゆっくりと召喚された大魔王の、その大きな顔を見上げながら、呆然と聞き返す。


「この状態ってなんや……」


「「シュカクミブン、って言うんだぜ! メープルが教えてくれた。人間に妖精が入れば誰でも魔法使いにはなれるが、それは真の姿じゃない。真の魔法使いってのは、人間と妖精の性格がそっくりで、初めて生まれるものなんだ。んで、この私が、その真の魔法使いってことだな」」


「はいはい……プエラとフラーマは似とるもんな」


「「そんなに納得されるのも嫌だが、まあそういうことだな。そんでもって、大魔王ディアボルスは魔法使いが呪文を唱えることで召喚される。でもこれまでは真の魔法使いじゃない状態で呼んでたから、不完全に、訳の分からねえところに出て来たんだよ。それが矯正されたんだ」」

 

なるほど、と思う反面、少し呆れてしまう。何がメープルが教えてくれた、だ。あいつは西田幾多郎の名前も知らねえ似非地元戦士だったよ


「「さ、ディアボルス!」」


 プエラはディアボルスの背中を駆けのぼって、頭の上に飛び乗った。ディアボルスの巨大な目玉だけが、ぐぐぐと上に動いたが、全身は静止したまま、若干俯き、俺を見下ろす態勢である。


「「願いを叶えてもらうぜ。モミジのお願いなんだから、きっちり頼むな!!」」


「…………」


 もう当然と言うべきなのか、返事はない。ただ口の端をひくひく震わせている。上に向いた充血する目玉は、またゆっくりと降下して、眠たそうな表情になる。落ちたたまれた両翼が、夜風になびいて揺れている。

 プエラは気にせずに続けた。


「「3つあるからよろしくな? じゃあ一つ目だ。炎上――」」


「ムリ」


「「――ん? なんか言ったか?」」


「…………」


「「ほんと頼むぜ? まず一つ目。炎上した――」」


 ディアボルスはバッと天を仰ぎ、巨大な両翼を勢いよく広げ、


「む~~~~~~~~~~~~~~り~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 低く重たく冷たい声を、大きく震わせ、響かせた。

 俺もプエラも耳を塞いだ。その声は決して大きなものではなかったが、周囲の大気を巻き込むような、背筋を揺れ動かすような、何とも言えない迫力があったのだ。

 たっぷりと余韻を持たせ、ようやく黙ったディアボルスは、音もたてずに顔を下ろして、十数メートルに広げた羽を、何もなかったかのように、ゆっくりと折り畳みだした。

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