第1回深海調査

 僕は胸にナイフが刺さったまま立ち上がり、そして見下ろしてこう言った。


 「人口減少に伴う人手不足を補うために、ライジンガ社が6年前に開発、5年前に製造した個体の1つさ。ハジメってのはここで購入された時に会長が付けてくれた名前でね」


 ナイフを引き抜き、新人くんの頬をかすめる位置に投げ、見事壁に突き刺した。


 「僕はアンドロイド―――ロボットさ」

 「聞いてねえぞ、俺を引き取った相手がロボットなんて!」

 「おや、自分が問題児である自覚はあるんだね」

 「…………」

 「学校では優秀だったそうだけどここでは君は新人だ。ロボットよりも下だ。お勉強は終わったけど今からは実戦の教育をさせていただく。まず第一に」

 ゼットの頭のすぐ上の壁に拳が埋まる。

 「いっ……」

 「賢いなら自分が敵う相手敵わない相手の区別は可能だね?」

 「お前なんか……」

 埋まった拳が下にシフトしゼットの頭に軽く当たる。

 「以後敬語でのみ発声を許可する」

 「はい……」

 「いい子だね」

 拳を引き抜くと隣の自室が見えた。

 「話は聞いてると思うけど、明日から1週間の訓練を経て深海調査班に配属される。油断即死。この言葉を頭に留めて行動するようにね」

 「そんなの分かってる」

 ハジメの視線がゼットの目を突き刺す。

 「分かってる……ます……」

 「よし」

 ハジメは砂埃を払い、足の裏の吸引器でできる限りの破片を回収すると、隣の自室に戻っていった。


 「あの……」

 ハジメが休眠を取っていると、壁の穴からゼットが話しかけてきた。

 「どうしたの?」

 「この穴、塞いでもいいですか? いくらあんたが……あ、えっと、あなた? あなたがロボットでも、生活音を聞かれるのは」

 そういえば穴開けっぱなしで帰っちゃったな。

 「塞いで大丈夫。塞ぐものある?」

 「ガムテでダンボール貼るんで」

 「分かった」

 おそらくダンボールぐらいじゃ音は簡単に拾えてしまうが、視覚的に見られている環境よりはストレスを感じにくいだろう。


 初日の暴君っぷりはどこに行ったのか、1週間の訓練は難なく終わった。

 成績トップと言われただけあってさすがの動きで、まだ不慣れな部分は見受けられるが実戦に出しても申し分ないレベルだった。

 「すごいね!」

 訓練最終日の夕方、ハジメは瓶ラムネをゼットに手渡した。

 「ありがとうございます」

 ゼットは受け取った瓶ラムネを飲まずにまじまじと見つめている。

 「飲んだことない?」

 「いや、昔一度だけ。これと全く同じものを」

 「そっか、サイダーアウト区出身なんだっけ」

 「は!? 何すか急に!?」

 「いやデータベース読みこんでるから知ってる。この瓶ラムネは少し前までサイダーアウト区でしか製造・販売されてなかったからね。最近都内に進出したばかりで僕にとっては新製品。そのおすそ分け」

 ゼットは「やっぱりパートナーがロボット(しかも威圧的)なのは嫌だ」と思ったが、それは口に出さずに心の中に留めておいた。彼は学習した。

 ゼットは瓶ラムネを一気に半分飲んだが、隣のハジメはちびちび飲んでいた。

 「ていうかあなたも飲むんすか」

 「電力でも燃料は蓄えられるけど味の学習もしたいから」

 「はあ……」

 「冗談だよ。おいしいものが食べたいだけだよ」

 何が冗談なのかはよくわからなかったが、

 「はあ……」

 とゼットは返答した。


 ついにハジメとゼットの初の深海調査の日が訪れた。2人の乗った調査艇は輸送船からゆっくりと海上に降ろされ、静かに海の底を目指して沈み続けていた。

 「散々学校で聞いてきたと思うけど、この深水中の時間暇だし改めて説明するね。僕たち深海調査班は、宇宙移住で犠牲になった人たちの遺物を深海から回収して、しかるべき団体や遺族にお渡しするのが主な目的ね。宇宙と深海、全く真逆の場所なのにどうして空の遺物が海の底から見つかると思う?」

 「……まだ解明されてないけど、宇宙のどこかにブラックホールのような大きな歪みがあって、それが宇宙の物質を飲み込んで地球の奥深くに転送させている……説が有効だと聞きました」

 「そうだね。それが最有力。それは置いといて君はどう思う?」

 「俺? 俺ですか? 俺もそう思う……思いますし、他に立証できそうな説がなさそう……だと思います」

 「だよねー」

 「あん……あなたは、あなたはどう思います?」

 「僕もそう思う。でも、100パーセントじゃない。ブラックホールみたいなものの転送説だとしたら、もっと多くの宇宙ゴミとかが深海で見つからなきゃおかしいから。僕たちが見落としているだけなのかもしれないけど、5年やっててほとんど機体以外は見つかってない。他の起因があるはずだけど、残念ながらロボットにもわからないや」

 「そうすか」

 「着いた。水深6700メートルだ」

 気が付くと目標地点に到着していた。辺りは闇で、すぐ先でさえ何があるのは確認できない。

 「マジで何の光もねぇ……」

 「怖いよね。僕とは通信で会話できるからこちらからできる限りナビゲートするから」

 「いや別に怖くはないっすけど」

 「肝が据わってるね」

 「……はあ、まあ」

 ゼットは潜水服の準備を終えると、完全なる闇の世界に泳ぎ出した。

 深海調査班は2人1組となって、一人が深海潜水、一人が潜水艇の操縦および深海潜水する人のナビゲートを行う。重要な調査時などはその個人の得意な方の担当で調査を行うが、普段は調査ごとに交代している。

 今日の調査は、海上に自国マフォローテの04年製の機体が上がってきたので、04年出発組の遺物が上がり始めたと仮定してその遺物の場所の特定をするのが目的だ。

 《あ、あー、あーあー。聴こえますか》

 「はい」

 《ライトの加減は大丈夫?》

 「大丈夫っす。現在、全方角何も見えません」

 《了解。レーダーによるとそのまま前方に何らかの物体反応あり。前進してください》

 「了解です」

 ゼットは自身の呼吸が早まっていることに気づいていた。怖気づかないわけがないだろ、こんな闇で。水を掻いているはずなのに全然進んで気がしない。ハジメロボットが何メートル進んでる、と都度言ってくれるからまだいいが、こんなところにもし一人で投げ出されたら恐怖以外の何物でもない。水深6500メートルを超えると親指の爪ほどの広さに自動車1台分の水圧がかかると学校で習った。なんで今そんなことを思い出してるんだろめっちゃ怖い。そんなこと考えてる場合じゃないのに。

 《ゼット!》

 「は、はいぃ!?」

 思考の海から呼び戻される。

 《まだ何も見つけてないよね? 深海生物すら?》

 「え、え……」

 慌ててライトで周りを照らすが、視界には変わらず何も映らない。

 「何も。クラゲもイカも、何も見てないです」

 潜水艇にいるハジメはあらゆるパターンを計算した。レーダーに物体反応はあるが、こんなに長い時間深海生物を見ないことは今までの経験にない。部隊の全データから該当しそうなものを探しているが……。

 「あっ!」

 一つ思い当たるものがあった。慌てて通信をオンにする。

 《ゼット! 今すぐ引き返して。潜水艇への帰還を要請する》

 「何かあったんすか?」

 《まだ確定じゃないけど、生身の君が行くと危険かもしれない。物体が機体だとして、生物に有害な物質が付着したまま深海に来た可能性が否めない。過去のデータに1件似たものがあった》

 「戻った方がいいんすね?」

 《ゆっくりでいいから、酸素コードの絡まりに気を付けて戻ってきて》

 「了解です」

 初の潜水なのにこれで終わりか、という気持ちと、これで帰れる、という気持ちと。

 いやいやいや。

 あれだけ望んでた潜水なんだ。ずっとやりたかった潜水なんだ。怖気づいてる場合じゃないだろ。怖かったのは、もっと怖い思いをしたのは俺じゃなくて。

 ライトの前を何かが横切った。

 目だった。

 こっちをしっかり見ていた。

 「あ、あ―――ああ、お、ロボットさん」

 《こちらロボットだけど、どうした?》

 「ろ、あ、うっ、ハジメ……ハジメさん……ハジメさん! これってダイオウイカじゃないすか!?」

 《ダイオウイカ!?》

 レーダーに反応はなかった。

 《本当に? 見間違えじゃなくて?》

 「俺の周りをゆっくり回ってます……うわ!?」

 《酸素コードを掴まれたね!? 変動確認! ゆっくり息をするんだ、酸素は確実に届いているからね》

 とにかく今は新人をパニックにさせてはいけない。彼の行動を見るにイカを怒らせるようなことはしていない。捕食中だったらエサと見間違えられた可能性はあるけど、周りに生物反応はない。現に、今彼を襲っているダイオウイカもレーダーには表示されていない。

 「新生物……?」

 としか今は考えつかない。宇宙の新物質を吸収した……?

 「今はそれよりもゼットをこちらに戻さなきゃ」

 ハジメは潜水艇を最大限までスピードを上げてゼットの方へ向かった。

 《今向かってるからね。学校で習った緊急時の行動をゆっくり一つずつやってみて。うまくいかなくてもいい、行動することが大切だからね》

 「は、はいぃ」

 ゼットはまず酸素コードを自身の身体に手繰り寄せた。これ以上の被害を防ぐための第一の行動だ。思わず叫ぶ。

 「成績なんて役に立たねえ!」

 《それが現実! 今回はそれに気づけただけ良し!》

 間髪入れずに返事が返ってくる。そういえば言葉は筒抜けだった。全然よくない。今回は、とか言ってるけど今回すら無事に帰れる保証はあるのか。

 「ハジメさん早く助けてぇえ」

 もうプライドとかメンツとか捨て去った。自分がこんな情けない声上げるとか全く想像してなかった。

 《おうよ~》

 返事はお気楽だ。ロボットのくせに。ロボットのくせに!!


 数分後、潜水艇はダイオウイカに巻き付かれているゼットを照らしていた。

 ダイオウイカに特に異変はない。いつも見る姿だ。ただ、何か小さな差異を見落としてはいけないので目のカメラで撮影した。

 潜水艇からダミーロケットを発射、そして激しい連続フラッシュを焚いた。下手するとゼットが失神するかもしれないが、手はこれぐらいしかない。イカはダミーロケットの派手な爆発(空気を派手に出すだけ)に驚いてすぐに逃げていった。

 《生きてる?》

 「はい……」

 《こっち帰ってこれるね?》

 「はい……」

 《連続フラッシュで失神しなかったのはすごいよ。大体みんな失神しちゃうから》

 「励ましですか……」

 《うん》

 「ありがたいです……」

 《どういたしましてー》


 ゼットの初深海調査はこのように散々な結果に終わったが、レーダーに反応しないダイオウイカの件は上層部まで話が通され、何が原因だったのか議論を重ねることになった。


 その夜、ゼットはすぐに自室に帰ったが、隣接しているハジメの部屋にはゼットのすすり泣きが聴こえていたとか聴こえなかったとか。なお、ハジメは感情を学習しているので誰にも言いふらしたりはしなかった。

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地下の天空 ヒコーキガエル @hikoki_frog

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