地下の天空

ヒコーキガエル

ハジメまして

 自分の手がどこにあるかわからないほどの暗闇。

 目を開いているはずなのに眠りの中にいるような錯覚。

 チャカッ。

 微かな物音の直後、いきなり手元を眩しい光が照らす。

 「ライト異常ありません、どうぞ」

 《了解しました。14時の方角に向かって進んでください》

 指示に従って暗闇をかき分けて進む。

 赤茶色のレースのようなものが視界を横切る。見上げるとクラゲがゆうゆうと揺蕩っている。こちらを気にしている様子はない。下を見下ろすと大量のエビが行列になってどこかへ向かっている。光すら届かないここからどこに向かっているのだろう。

 《前方、一応警戒をお願いします》

 ノイズ交じりの通信にハッとなって前を見ると、巨大なイカがこちらへ向かってきている。酸素コードをずらしてこちらが道を譲る。

 「無事通過しました。あちらに敵意はないと推測」

 《了解です。引き続き進んでください》

 自分の身体よりも遥かに大きなイカを見送って、あんなのに襲われたらひとたまりもないんだろうなと他人事のように考える。

 《そろそろ目標地点ですが、何か見えますか?》

 「ライトを強めてください」

 《了解です。これでどうでしょうか》

 「……機体ですね。逆さになっていますが、Mマークが確認できます」

 《他には何か見えますか?》

 「この機体のみ確認できます。半径20メートルには他に何も確認できません」

 《機体の中の確認お願いします》

 「了解しました」

 背中の機械からアームを伸ばして機体を動かす。操縦席だった場所はがらんどうで、微生物たちの住み家になっているようだった。

 「搭乗者および物質の確認はできません。大量の微生物のみです」

 《了解しました。そのままこちらへ帰還お願いします》

 「了解です」

 目を見開いてMマークを瞳に焼き付ける。

 来た道をゆっくりかき分けながら戻る。何度来ても感じるが、なんて静かなところだろう。静かすぎて、こらえ切れず寂しいと声を上げてしまいそうなくらい。


 「お疲れ様です」

 潜水艇に戻ると、パートナーが迎えた。

 「そちらもお疲れ様です。最後のMマークが見つかって何より」

 「これでご遺族の方もやっと安心できますね」

 潜水服を脱いで座席に座ると、潜水艇はゆっくりと上昇し始めた。


 西暦2700年代。地球はもはや死の星となり、人々は新たな星を求めて宇宙へ旅立った。はじめ人類は地球を出て広い宇宙を旅することに喜んだが、技術の急速すぎる発展と宇宙の急激な構成変化によって、旅立った人々の9割が宇宙の塵となる結末を辿り、地球の人口は全盛期の90億人から半分以下に減少し40億人となった。

 無論、人々を宇宙へ駆り立てた時の権利者たちはもろとも極刑にかけられ、残された人々は死にゆく星とあまりにも多すぎる犠牲に胸を痛め絶望に沈んでいた。

 ある日、海上を漂う塊をある国が発見した。調査した結果、それは宇宙へ旅立った機体の一部だった。地球に落下してきたとは考えられず、発射する際に欠けたのではという仮説も成り立たず、一体これはどこから来たのか? と世界中が注目した。その2週間後、別の場所で他国の機体の一部が発見。その1か月後再びある国の機体の一部が発見。数週間おきに様々な国の宇宙へ旅立ったはずの機体が海上で発見された。

 そして最初の発見から1年、ついに人々は突き止めた。機体の一部がどこから来たのかを。


 それは、深海だった。


 突飛すぎる仮説に多くの人が批判の声を上げたが、深海調査を各国が開始し少しずつ証拠が確固なものになると、やがて批判の声を上げる人は少なくなっていた。


 人々は空に夢を抱くことをやめ、海へ潜るようになった。

 旅立った先人たちの遺物を少しでもかき集めて抱きしめられるように。



 突如響くアラーム音。

 深海調査を終え自室で眠っていた彼は飛び起きた。同時に部屋のドアが開かれる。

 「勝手に開けてすまない」

 第1部隊のリーダーが立っていた。

 「何事ですか!?」

 「君はミシューのパートナーだな?」

 「まさしく、ミシューと僕はパートナー、相棒です! もう5年も……」

 「パートナーと確認できればいいんだ」

 「彼に何か?」

 「いいか、落ち着いて聞くんだ」


 彼の部屋に駆け付けると、たくさんの白衣を着た人たちがいた。ミシューの近くにいた人ほど白衣が真っ赤に染まっていた。みんながミシューのことを大きな声で呼んでいた。人々の隙間から見えた彼の左手には、いつもの潜水艇のレバーじゃなくて、血に染まったハサミが握られていた。


 「最後のMマーク、すなわち我が国マファローテの02年製の機体の一部を全機回収できたのが今日の調査だったんだな?」

 「はい。24機分の機体の一部を全て僕とミシューで4年かけて見つけ、今日が最後の1つでした」

 「ミシューの婚約者が宇宙で散ったことは知ってたか?」

 「もちろん。データベースにありましたので。そのことについて時々話もしましたし、彼自身、彼女の死を乗り越えているように感じていました。精神力の強さを感じました。彼女の乗っていた機体は去年見つけていますが、落ち込んでこそいても、乗り越えたように……僕には……」

 「もういい。無駄な感情を使わなくていい。……まさかお前の目を騙すとは、こちらとしても完全に想定外だった」

 「僕の責任です。彼の精神状態を理解できていなかった」

 「自分を責めるな。高性能のお前の目をくぐり抜ける奴なんて千年に一人いるかいないかぐらいだ」

 「彼は助かりますか……?」

 「ハサミで喉を掻っ切ったそうだ。状態異常ですぐに通知が行ったが、あれじゃあ……」

 「リーダー」

 補佐が小走りで現れた。

 「……どうなった?」

 「……医療チームが全力で手を尽くしましたが……、意識が戻らず……」

 「花を用意してくれ」

 「……はい」

 「あいつは誰よりも元気な奴だったから、ひまわりにしてやってくれ。金は経費で落とす」

 「……はい」

 補佐の食いしばる顎に大粒の涙が伝っていた。

 僕は感情を消費しないように心を極限まで冷やしていた。生まれた時みたいに。

 屋上から見下ろす街はいつものように澱んでいて、明かりも賑わいも土色のもやの中にあった。彼方に見える大通りが一瞬風に吹かれて光を放ち、また土もやの中に紛れた。


 去年作られた婚約者の墓の隣に彼の墓が作られた。真新しい墓が並んでいる光景は誰もが涙した。一人ずつひまわりを手向けた。

 「さよならぐらい言ってほしかったよ」

 僕の置いたひまわりは風に吹かれてゆらゆらと揺れた。

 彼が笑う時はいつも肩を揺らしていたことを思い出していた。



 パートナーを失った僕は2週間の休暇が与えられ、ぼんやりと過ごした。

 元気なのに、僕の身体から僕たらしめる全てが抜けてしまったようだった。



 「新しいパートナーが決まった」

 「本当ですか!」

 2週間後、僕は会議室に呼ばれお偉方と話していた。

 「お前の相棒は本当に優秀だった。人としても、技能でも。それで、今回のパートナーなんだが、彼、訓練学校成績トップなんだが人としてはちょっとな……」

 「難ありな感じですか?」

 「優秀だからみんな欲しがって入るんだが、人柄で決定打を出せない感じなんだ。そんな奴でも大丈夫か?」

 「僕は大丈夫ですし、僕だから大丈夫だと思います」

 「心強いよ。じゃあ、組んでもいいか?」

 「はい。断る理由はありません」

 「ははは。お前はいつもそれだな。全く揺らがない」

 「へへ」

 どう返せばいいのかわからず苦笑いをする。僕は僕らしくいるだけなのに、決まってリーダーは僕をいじる。別に不快じゃないからいいけど。


 次の日、彼は僕の自室の隣に引っ越してきた。荷物のダンボールはたった1個だった。みんな3つ4つは持って入ってくるから驚いた。

 「どうも。僕は君のパートナーのハジメです」

 彼は不機嫌そうに見えた。慣れない環境ならヒトはこうなるのもありえる。

 「……ゼット・エンダー。お前は?」

 「え、だからハジメだって」

 「苗字」

 「ああ、えっと、苗字かあ、僕……言うなればハジメ・ライジンガかな? よろしく」

 手を伸ばした。握手のつもりだった。

 その手を急に掴まれて引き込まれた。体勢が崩れる。ゼットはそのまま僕の上に馬乗りになるとどこからともなくナイフを僕の胸に突き立てた。

 「新入りくん、どういうつもり?」

 「お前を教育してやるんだよ」

 「優秀だったんだっけ? それは頼もしい。レッスン1からご指導お願い」

 ナイフがぐりっと胸に抉りこんだのが分かった。おいおいこれ死ぬじゃん。

 「どっせーい」

 生意気な新入りくんを弾き飛ばすと、彼は脱ぎ捨てられた靴下みたいに壁に打ち付けられた。

 「な、なんだお前……!?」

 せき込みながら、困惑しながら僕を見つめている。さっきまでの威勢はどこにやら。

 僕は胸にナイフが刺さったまま立ち上がり、そして見下ろしてこう言った。

 「人口減少に伴う人手不足を補うために、ライジンガ社が6年前に開発、5年前に製造した個体の1つさ。ハジメってのはここで購入された時に会長が付けてくれた名前でね」

 ナイフを引き抜き、新人くんの頬をかすめる位置に投げ、見事壁に突き刺した。


 「僕はアンドロイド―――ロボットさ」

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