ガラクタみたいな金曜日

強化合成用戦士

第1話

毎日が退屈で、死ぬことばかりを考えていた。

別に本当に死ぬつもりではない。ただ、生きていくことより死ぬことを考えることの方が面白いなと思っていただけだ。

最近の学校はさらにつまらない。

校内でも有名な不良グループが解散したせいで、このつまらない毎日に、唯一異端を生み出す存在がいなくなってしまった。

なんでも、グループのリーダーが飽きただとかなんとかって理由で匙を投げたらしい。なんとも子供っぽい理由だ。


その日の朝、携帯で動画を見ながら、ああ明日から休みだななんて思い付いて山中の道路を下っていると、ふと道が凍っているのに気がついた。

確かに今日はずいぶんと冷え込んでいた。これは気をつけて下らなきゃなあとぼんやりと考える。

慎重に下っていると、後ろから大型車のクラクションが聞こえてきた。


驚いて振り返ると、凍った道でブレーキの効かなくなった車が目に入る。


ふ、と体が宙に浮いたような気がした。



*



目を覚ました。

「ああ目を覚ましたんだな」と漠然と生きていることを認識してから辺りを見渡す。特に何も目立つものはない。

山の中だ、木や小さな川が流れるばかりである。

上の方に先程の道路が見える。あんなところから落ちてよくこの程度ですんだな。


「あ、起きた?救急箱持ってきたけど使う?」


顔を前に向けると、同じ制服を着た少年が心配そうな表情でこちらを見ていた。

黒髪で、前髪の一部は白のメッシュが入っている。

黒に近い色のマフラーは、光に当てるとキラリと緑色の光沢を放った。

俺の返事を待たずに、少年は救急箱をパカッと開ける。


「大変だったねえ、落ちてなかったら轢かれてたね 。」

「あんまり痛くない」

「良かった。怪我がなくて 。」

「・・・ところで、君は誰なんだ?」


少年は少し不思議そうな顔をしたが、次の瞬間にはパッと顔を上げて答える。


「あぁ、ごめんごめん。俺は“K氏”って言うんだ!君は?」

「楓人。古舘楓人。」

「そっか、宜しくね楓人くん!」



一体どうして本名を言わないんだ、なんて聞くのも面倒くさいので、俺はただそこに座っている。

K氏はケラケラと笑って見せた。



*



「ところで今は9:00なわけだけれど」

「う、わ。もう完全に遅刻じゃん・・・最悪・・・」

「えっこの後に及んで登校意欲アリ?真面目だなあ楓人くんは」


傷口を丁寧に洗いながら、K氏はうなづいた。


「そんなことないよ」


無意識に、言葉が出ていた。

普段は人に反論することなんてないのだけれど、自分が褒められた時は心がどうも痛くなって、何か言わずにはいられなくなる。


「俺はいつも死ぬことばかりを考えているんだ」

「へえ、そりゃどうして」

「その方が面白いと思ったから」


数秒間手を止めて、K氏は微笑む


「でも、これからはやめてね。そういうの。」

「へ?」

「俺が君を助けたのが、馬鹿みたいじゃない 。」

「そう・・・そっかあ。」


丁寧に貼られたガーゼを見て 、俺はなんとなくわかったような気になっていた。

俺の様子を見てK氏はヒョイと立ち上がる。

クルクルと楽しそうに話す彼に、なんだか踊ってるみたいな奴だなあなんて感想を持った。


「ねえ楓人くん!学校サボって遊びに行っちゃおうよ!」

「学校いけよ・・・」

「いーからいーから、どうせ最終日だし」

「金曜日に夢見すぎだろ。それに俺、金なんか無いから」

「ふふん、今こそ僕のバイト貯金を使う時が・・・」

「いや、それはとっとけよ」

「いいよ別に、もう使う機会とかないし」


K氏はスッと俺の目を見つめる。

綺麗な目だなあとなんとなく思った。


「グチグチ考えてたってしょうがない、今使わなくたっていつか使うし、なくなったらまた足せばいいじゃない!使いたいと思った時に使わなかったら、それは人生をサボっているとしか思えないよ」

「学校サボったやつが何を」

「いや、いまそれはいいでしょ・・・」


都合の良い奴だなあと呟くと、K氏はムッとした顔をする。それから、未だに座っている俺の手を取った。


「さあ行こう楓人くん!俺がきっと最高の一日にしてやるからさあっ!」


この世界が一つの舞台だったら、君はスポットライトの中心にいるヒーローで、俺は・・・なんだろうなあ。

でも、君が光の中から、影の中にいる俺を見つけてくれるなら。

まだこの暗闇でも生きていけそうな気がした。


マフラーの鈍い緑色の輝きでさえ、俺には眩しいように感じた。



*



「・・・って勢いで出てきちゃったところがあるけど、大丈夫だろうか」


ガタゴトと電車が走ってゆく。

飛ぶように後ろへ進む風景を眺めながら、K氏が元気なく笑った。


「さっきまであんなに自信満々だったのに、頼りねえなあ」

「だってよく考えてみたら、俺達初対面だよ。一体君は何をしたら喜ぶんだろうなって」

「よく考えなくても初対面だろ」


隣でウンウン唸りながら考えるK氏に少し呆れながら、俺は先ほど森で考えたことを恥じた。何がK氏はヒーローだ、コイツはセリフ長めのモブか、序盤で死ぬキャラクターあたりだろう。


「ねー、楓人くんはなにかしたいこととか、行きたいところとかないの?」

「別に、特にこれといって・・・」

「はぁ・・・あのさあ、人生楽しくないって、そういうところだとおもうよ」


K氏は俺の目をじっと見て、今までより少し真剣な顔で言った。


「やりたいことは誰にだってあるものだけれど、君はそれを正直に言ったりしなければ、あえて目をそらしたりするでしょう」

「・・・」

「この世界で生きる人は目的や真実で溢れている。君は、自分でも気づかないうちにそれに劣等感を抱いているんだよ」

「そう、というかなんでわかるんだよ」

「君がそんな顔をしていたから。」


彼があまりに切なく笑ったので、俺はその先が聞けなかった。

初対面なのに、初対面のくせに、随分と核心をついてくるな、なんて自己嫌悪に陥ろうとして、それじゃあいつもと変わらないなと思い直す。

気持ちを切り替えてK氏を見れば、悩んでいるような顔ですっかり眠り込んでいるのがわかった。


なんだか、甘いものが食べたいなあ。



*



「く、クレープ?」

「そう、やりたいこと。クレープ食べたい。」

「そんな安上がりな真実と目標があってたまるか。遊園地とかあるでしょ。」

「初対面でそれはハードル高いかなー」

「そっかあ〜」


K氏は笑顔を引きつらせながら歩き出す。

俺は方向音痴とまでは行かないが、ナビを使わなければ目的地までたどり着けないくらいには土地勘がないので、黙ってついていくことにした。

そういえば、と手を打って、気になっていたことを聞いてみる。


「K氏、俺と同じ高校だろ?何組?」

「ウ゛ン!?ンー・・・、覚えてないかなー」

「いや覚えてるだろ、じゃあ本名は?自分で調べるから」

「僕はK氏。それ以上のことは知らなくたっていいんだよー」

「なんだよ僕って、胡散臭い・・・」


つーん

K氏は俺の方を見ずにてくてくと歩いていく。

聞かれたくないことか?そんなの。

俺が少し悶々としていると、K氏は一つため息をついて、こちらに向き直った。


「・・・さっき人に素直じゃないなんて言っておいて、俺もかっこ悪いなあ」

「気にしてないけど」

「うん、じゃあ、まあそのうち言うから、気にしないでいて欲しいな」

「へんなの」


まあ、人には知られたくないことの一つや二つ、あって当たり前か。そうだよな。

気まずい空気を誤魔化すようにマフラーを巻き直すK氏に、少し人間味を感じて楽しくなった。


そうこうしているうちに目的地につく。

プレハブみたいな箱型の建物に、可愛らしい飾り付けがしてある、ちょっとレトロな雰囲気の店だ。

結構並ぶのかと思っていたが、平日の朝でかなり空いていたため、すぐに注文の順番が回ってくる。

K氏ははしゃいだ様子で声を掛けてきた。


「俺の奢りだから!俺の奢りだからね!」

「善意が押し付けがましい」

「バナナスペシャルとストロベリースペシャルください」

「奢ってくれても選択権はないのか」

「富を持つものと持たざるものの宿命」


コロコロと表情を変えながら話すK氏に、無意識に表情を緩ませながら答える。

学校をサボることは悪い事だと思うが、まあこの時間を失ってまで行くようなことではないような気がした。

五分くらいして、店員がクレープを持ってくる。


「クレープっていつもサンプルが詐欺だなあって思ってたけど」

「あー、ここのは美味しいよねえ」

「人の金で食ってるからかも」

「クレープ持ってゲス発動する楓人くん、嫌いじゃないよ」


クレープを頬張って嬉しそうにするK氏を見て少し安心した。


自分のやりたいことを伝えた結果、相手がつまらなく思っていたらどうしようと不安になることが頻繁にある。

それが本心じゃなかったとしても、目の前で嬉しそうな人を見るのがなんだか幸せだった。

そんな気持ちを察してか、K氏はにへらと人懐こそうな笑顔を向けた。


「俺はね、どこで何をしようとすごく楽しいと思えるよ」

「へえ」

「隣には君がいるからねえ」


よくそんなことを平気で言えるよな。

心の中でそう悪態をつきつつも、やっぱり嬉しく思ってしまう、変な所で素直な俺だった。



「さーてつぎはどこへ行こうか」

「俺の目的は完全に達成したし、次はK氏が決めてよ」

「え・・・マジでクレープ一筋だったの・・・?第一希望とかではなく・・・?」

「え、うん。そもそも俺遊びに行くこと自体ないから」

「いやまあそれに関しては俺もそうなんだけどさ、だからこそ困ってるんだけど・・・」


K氏はキョロキョロと街を見渡す。

一つの看板をじっと見て、それから、凄い勢いで振り返った


「カラオケ!!男子高校生と言ったら!!カラオケ!!」

「・・・・・・え、マジで言ってる?」



*



【速報】マジで言ってた


初対面でカラオケってなかなかないだろーと思いながら、通された部屋に入る。なんてことない普通の小さな部屋だ。

K氏はまあなんとなくわかる気はするが、歌うのが好きなようで意気揚々となんかの機械を操作している。


「俺はね、歌はそこまでうまくないけど、歌うのは大好きなんだよ」


K氏は嬉しそうに語る。

実際彼の言う通り物凄く上手というわけではないが、心から楽しそうに歌うのが伝わってくるので、いつまでも聞いていたいなあと思えるようなそんな歌だった。

間奏の度に俺に意見を求めてくるところなんか、本当に素直な奴だなあと微笑ましくなった。


次の曲はなんだろうかとK氏に尋ねると、少し食い気味の反論が帰ってきた


「まって、まって楓人くん。俺もう三曲連続で歌ったよ。」

「楽しそうでなにより」

「君も歌えよ、人のを聞いて批評するのもカラオケなんだからね。ほら、マイク」

「えぇ・・・っ」


向けられたマイクを通じて、弱々しい俺の声が部屋に響いた。

因みに俺はクラス合唱の時は口パクだし音楽の実技テストは仮病を使うので、人前で歌うことなんか滅多にない。


「楓人くんって歌うまいの?」

「わかんない。評価されたことないから」

「ふーん、じゃあ俺が審査だねえ」


ニコニコと嬉しそうに笑ってK氏は頬杖をついた。

マイクって苦手なんだよなあ、飽きるほど聞いてる自分の声が、いろんな方向から反響するなんて、なんだか拷問みたいだ。

なんとなく、いつも登下校中に聞く曲の一つをいれてみた。

好きなわけじゃないけど、これだけは飽きずに何度も何度も聞いている。

歌が下手でも、K氏なら笑って聞いてくれそうだし、別にいいか。

そう思って大きく息を吸い込んだ。





「・・・」

「え、な、なに・・・?K氏・・・?」


歌い終わってもK氏が画面を向いたまま動かないので、俺は不安になって声を掛けた。

K氏は実に真剣な顔で言った


「楓人くん・・・凄い歌うまいんだね・・・びっくりしちゃった・・・」

「え?本当に?どのぐらい?」

「今までで一番」

「ええ・・・気づかなかった・・・」

「そんなことないよ〜とかの謙遜を言わないんだね、まあ本当のことなんだけどさあ」


K氏が遠い目でジュースを飲み始めたのをぼーっと眺めた。

歌なんてそこまで好きじゃなかったけど、初めてなにかで褒められた気がする。

K氏は嘘をつかなそうだから、なんか、ああ、素直に嬉しいなあ。褒められるのは嬉しい。うん。


「嬉しそうだね、楓人くん」

「そうかな、まあ、そうだね」

「へー、じゃあなんかほかにも入れて!意外すぎるからもうちょい聞きたい!」

「いや、俺言うほどたくさん曲知らない」

「じゃあ俺が今からいろんな曲教えるから聞いて!!」


妙にやる気を出したK氏に半分呆れて、半分嬉しくて、とりあえず二人でドリンクバーに向かった。




「楓人くん、俺思うんだけどね、君が人生つまらない理由は自分を知らないのに知った気でいるからなんだと思うよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。だって君は歌を歌うのが得意だってことを知らなかったでしょ」

「うん」

「君は君のことをまだ全然知らない。なのに、命を終わらせることばかり考えるのはおかしいよねえ。まるで入学式中に卒業式のことを考えてるみたいだ」


コップの中で氷がカランと崩れた。


「君が思ってるより世界は美しくないし、君が思ってるより君は素敵なことで溢れているよ」


俺は、その言葉が単純に美しく感じた。

K氏はそっと笑った。

それから、K氏ばかりが美しい言葉を吐き出すのを、ちょっとだけ悔しく思う。


「ねえK氏」

「なあに」

「俺の方からも一曲紹介してあげよう」


K氏はキョトンした顔で俺の目を見る。

歌ってやろう、俺が一番得意な歌。

カラオケには登録されていない曲だから、必然的にアカペラだけど


「らららら、ららら、らららららら・・・」


K氏は前のめり気味に俺の歌を聴いていた。

手持ちの携帯で調べたって出てきやしないよ

だってこれは、



*



「なあ、これからどうする?」


混んできたカラオケから延長を拒否され、俺達は再び街を歩いていた。

K氏はさっきから妙に悩むような顔をして歩いている。体調でも悪いのだろうか。


「ねえ楓人くん、少しだけ待っててもらえないかな、ちょっと用事を思い出して」

「うん?別に構わないけど、大事なこと?」

「・・・まあ、そう。大事なこと。」

「ふーん、別に急がなくていいよ、まだ14:00だし」


照れたように頬をかいて、K氏は走り出した。

俺は一つ欠伸をしてから近くの公園のベンチに腰掛ける。

思い出したように携帯を開くと、クラス委員から今週の課題のお知らせが来ていた。

そして、実に5時間ぶりに俺は寒さを感じたのである。


「らららら、ららら・・・」


半分無意識で歌を歌っていると、慌てた様子でK氏がやって来た。


「ちょっと、勝手に公園とか行かないでよ、探したじゃん・・・」

「連絡手段なかったし・・・」

「あ、あぁ。そっか。そういえば、俺達初対面だったねえ」


K氏は俺の隣に座ると、深めのため息をついた。

と、ここで俺は気づく。


「K氏、マフラーどこやったの」

「ん?ああ、なんか子供が俺を指さしてマフラーが欲しいって泣きわめくもんだから、あげてきちゃった。」

「勿体ないな」

「俺があげたいと思う人にあげたからいいんだよ。そういう意味ではあのマフラーは二人の人物に望まれて彼のものになったんだ。」


実に何でもないことのようにK氏は話す。

やっぱり、彼の言葉はひとつひとつが宝石のように美しいなあ。


「そっか、なら、そういう意味ではK氏は少年にもマフラーにも価値を見出したってことなんだね」


そんな彼の口調を真似ると、彼はびっくりした顔で固まった。

数秒後、妙に悟ったような顔でへにゃりと笑う。


「へへ、褒めてるの?」

「褒めてるさ」

「照れるなあ・・・」


そう言ってマフラーをあげて顔を隠そうとして、マフラーがないのに気づいて、少し顔を赤くするK氏が、ほんの少しだけ悲しそうに見えた。



*



「写真が欲しいな」

「写真?」

「うん、俺達が出会った証が欲しい。どっかに写真屋とかないのかな」


K氏は初めて困惑したような表情を見せる。

写真屋なんて、いきなり言われても見つからないか。

しかし、K氏が悩んでいるのはそういうことでもなさそうだった。


「俺、写真写り悪いんだ・・・ 。」

「気にすんなよ、撮ってみなくちゃわかんないだろ」

「でもさあ、完成品見て落ち込みたくないし」

「それはそれで思い出だろ、いいから写真屋探そうぜ」


無茶いうようになってきたなあ、とボヤくK氏を無視し、周辺を調べる。

案外近くに、一件の写真屋を見つけた。


「ほら、歩いて30分くらいだって。行こうよ」

「気乗りしない・・・」

「無理矢理でも連れていくよ」

「なんでさ」

「君と出会ったことを、記憶だけの出来事にしたくないんだ」


K氏は嬉しそうに、寂しそうに笑って

走り出した俺を追いかける。

今朝とは逆だなあなんて自らの成長を感じて

すぐに追いつかれてちょっと笑われる。

それが、このうえない幸せだった。


毎日が退屈だ、なんて思っていた昨日までの俺を、今なら下らないと鼻で笑ってやれるような気がした。そんなとある金曜の昼下がりだった。



「し、失礼します」


古ぼけた扉をカランコロンと開けると、中はもっと古びていて、壁中が四角い額縁だらけだった。

K氏はちょっと感心したように声を上げ、俺は思っていたより威厳ある雰囲気に萎縮していた。


「おや、随分と若いお客さんだねえ」


中からいたずらっぽい笑顔の老人がスタスタと歩いてきて、受付らしき机の前に座った。


「今日はそろそろ閉めようと思っていたところなんだが、さて、何の記念に写真を取りに来たのかだけでも聞かせてもらおうかね」


K氏と俺はお互いの顔を見た。

記念というほどの理由はない。一体なんと答えるべきなんだろう。

俺が固まっていると、K氏は意味ありげに微笑んで答えた


「なんでもない今日という記念に」

「ほほう、なかなか品のある回答だね。宜しい、格安で撮ってやるとしよう。今日が、この写真屋に訪れた記念日として君たちの思い出に刻まれるように。それから・・・」


老人はやはり意味ありげにニコリとウインクをして、俺達を奥の部屋に招き入れた。

K氏は満足そうにうなづく


「あのおじさん、なかなかやるじゃない・・・」

「K氏と気が合いそうだな、あのじいさん。変に哲学っぽいところとか、いちいち決め台詞っぽいところとか」

「楓人くんは俺のことをそういうふうに見てたんだね」


一切弁解はせず、ささっと奥の部屋に向かった。

K氏はケラケラと笑ってあとに続く。


暖かい木の部屋で三人、談笑しながら外を眺める。

時間はゆっくりと流れてゆき、時折シャッター音が部屋を切り取った。



「それじゃあ、明日の夕方に来てくれればこの写真を渡すことが出来るだろう。」

「ありがとうございます」

「いやいや、私も久しぶりに楽しかった。予約は古館楓人くん、君の名前で入れておくからね」


もう一度二人で丁寧にお礼を言って写真屋を出た。

辺りは既に薄暗くなり始めている。


「そろそろ、帰らなくちゃ」

「そうだねえ、駅に戻ろう」


K氏は控えめに微笑む。



*



電車の間、二人の間に会話はない。

あまりに短く、長すぎる1日だった。

隣でK氏がスヤスヤと眠っているのを見て、一日のことを思い出していた。

K氏もああみえて疲れきっていたのだろうか。


電車が目的地に着く。K氏は自然と目を覚ました。


先程の賑やかさとは違うものの、見慣れた少し大人しめの駅を出て歩く。


「ねえ、K氏。家ってどこらへん?もしよければ、明日写真を・・・」


歩きながらそう言おうとして、K氏が立ち止まっているのに気付いた。


「K氏?」

「・・・ねえ、楓人くん。」


K氏は俯いて言葉を落とす。

今までで一番落ち着いていて、一番震えている声だった。


「あの写真を、一緒に受け取りにはいけないんだよ」

「どうしたんだよK氏、別に明日じゃなくても・・・」

「聞いて、今度こそ目を逸らさないで、俺の言葉を聞いてくれよ、楓人くん」


K氏は、もう笑ってはいなかった。



「俺達、もう二度と会えないんだ」


妙に真実味のある彼の言葉で、体の力が一瞬で抜けた気がした。

俺は無知な子供のような口調で問う


「なっ、ど、どうして・・・?なんでそんな事が言えるんだよ、」


K氏は、困ったような顔で俺を見つめて、答える


「そんなの、君は最初からわかっていたはずだ。だって、ねえ?」



そう言ってK氏は消えた。

ただ、何も残さず、消えた。




*




違和感はあった。

K氏と過ごしている間、俺は彼の言葉にそれを幾度も感じた。

何故その時気づかなかったのだろうか。


あぁ、俺は、俺を問わなくてはならない。


まずは、彼との出会いから。




*


その時、道路が凍っていた。

携帯で動画を見ていた一人ぼっちの俺が、どうして何の前触れもなくそのことに気がついたのだろうか。

本当にそこにいたのは俺一人だった?

気付いたのは俺の力だった?


その時、辺りには何も無かった。

道路から俺が吹き飛ばされたのだとしたら、どうして辺りには何もないんだろうか。

本当にそこにはなにもなかった?

どうして俺は無傷でいられた?


その時、彼は俺に声を掛けた。

あんな山奥、学校の通り道じゃない。どうして彼はあんな所にいた俺を助けたのだろうか。

本当にアレは彼の言葉だった?

彼の言葉に違和感はなかった?


その時、彼は初めて困惑した。

何をしても楽しいと言っていた彼が、どうしてあの時ばかりはあんなに嫌がったのだろうか。

彼が嫌がった本当の理由は何だった?

なにかおかしいんじゃないか?



帰り道、うるさいサイレンの音がする。

二人が出会った山の方だ。

事故があった、山の方だ。



俺は、


俺は・・・







*



俺は、思い出さなくてはいけない


例えば


“携帯で動画を見ながら、ああ明日から休みだななんて思い付いて山中の道路を下っていると、ふと道が凍っているのに気がついた。”

“携帯で動画を見ながら、ああ明日から休みだななんて思い付いて山中の道路を下っていると、ふとすぐそばを歩いていた少年が言った。「そこの君、道路が凍っているから危ないよ」そこで俺は、道が凍っているのに気がついた。”


“驚いて振り返ると、凍った道でブレーキの効かなくなった車が目に入る。

ふ、と体が宙に浮いたような気がした。”

“驚いて振り返ると、凍った道でブレーキの効かなくなった車が目に入る。

そばにいた少年が、咄嗟に俺の手を引いて、道路から飛び降りて、

ふ、と体が宙に浮いたような気がした。”


都合のいいように一部分を削ったこと



或いは


“「ああ目を覚ましたんだな」と漠然と生きていることを認識してから辺りを見渡す。特に何も目立つものはない。”

“「ああ目を覚ましたんだな」と漠然と生きていることを認識してから辺りを見渡す。すると、事故現場からちょうど真下にあたる位置、そこに、俺とよく似た制服と、真っ赤に染められた何かが転がっていた。”


見えていたものを、見なかったことにしてしまったこと



或いは


“「大変だったねえ、落ちてなかったら轢かれてたね 。」

「あんまり痛くない」

「良かった。怪我がなくて 。」”

“「俺が君の腕を引いてなかったら、今頃大変だったんだから。」

「あんまり痛くない」

「良かった。君には怪我がなくて。」”


“「でも、これからはやめてね。そういうの。」

「へ?」

「俺が君を助けたのが、馬鹿みたいじゃない 。」

「そう・・・そっかあ。」”

“「でも、これからはやめてね。そういうの。」

「へ?」

「俺が命を捨てて君を助けたのが、馬鹿みたいじゃない。」

「そう・・・そっかあ。」”


彼の言葉を、嘘にしてしまったこと



そして


“「俺、写真写り悪いんだ・・・ 。」

「気にすんなよ、撮ってみなくちゃわかんないだろ」”

“「俺、写真に映らないかもしれない。」

「気にすんなよ、撮ってみなくちゃわかんないだろ」”


彼が抱えてた不安ですら、俺の心に届いてはいなかったこと



俺は

俺はまだ

彼に一度もお礼を言っていない。

俺を退屈から救い出してくれたヒーローに

俺はまだ、お礼すら言えていない。


そして、今気づいても、もう遅い。

いや、もう彼と出会った時点で手遅れだったんだ。

俺達は、出会った瞬間に永遠の別れをした。

わかっていたはずだ

それでも、認めたくなかったんだ

彼の隣でこれからも生きていけるんだと思っていたかった。


次は、俺の好きな味のクレープを選ばせろよと

次は、君の教えてくれた曲を一緒に歌いたいと

次もまた、あの老人に写真を撮って欲しいねと

次は、

次はもっと最高の一日にしてくれよと


言いたかった。


肝心な所で、俺は素直だった。

次がないことを、どこかでちゃんと理解していた。


それなのに

お礼の一つも言えなかっただなんて。


もう俺に、生きている価値なんてあるんだろうか。



*



どうやって家に帰ったのかは覚えていないが、家に着くと俺宛の小包が速達で届いていた。

差出人は、


「・・・深島、啓示。」


はは、と乾いた笑いが零れた。

そっか、K氏って、本名に似せて付けたあだ名なんだ。

それに、深島って、あれか、不良グループのリーダーのあいつ。

どうりで俺にクラスと名前を言わなかったわけだ。不名誉だもんな。

というか、それでよく俺に説教できたな。

気づかない俺も、俺か。


小包を開けた。

中には、深い緑色に輝くマフラーが丁寧に詰められていた。


「あげたいと思った人にあげた、ねえ」


今日の会話を思い出して、俺は小さく笑った。

笑っているのか、そうでないのか、わからなかった。

マフラーを広げると、中から小さな封筒が出てくる。

4つ折りの便箋を開くと、彼らしい、スラスラと流れるような文字が並んでいた。


“皮肉屋の古館楓人くんへ


どうせ君のことだからお礼も言えないんだろうと思ったよ。

だからK氏からの素敵なプレゼントです

でも、外すと案外寒いので、そのうち返しに来てね

今日のお礼はその時でいいよ


P.S. さっきカラオケで教えてもらった曲、

一生懸命探したけどやっぱり題名がわからないので

そのときこそ素直に教えてください


深島啓示より 友情とちょっとだけ怨念を込めて”


俺はその場に仰向けに倒れて笑う。

やっぱ無理だ、K氏には絶対かなわないや。

過呼吸みたいに笑いながら、俺はマフラーを握りしめる。

こうなったら意地悪だ、お前が返せって怒鳴り込みに来るまで返してやるもんか。借りパクに徹してやる。


・・・それに、あの曲は調べてもわかるはずない。

あれは、去年虚しさに追われながら一年掛けて作った曲に、あの場で歌詞をつけた完全オリジナルなんだから。

って言ったら、K氏は驚くかなあ





次の日、一人で写真を受け取りに行った俺を、老人は笑顔で迎えた。

出された一枚の写真には、頬杖をついて意地悪そうに笑う俺と

――窓の外を眺める、ケラケラと笑った少年の横顔が写っていた


「・・・写ってる」

「あぁ、何枚も撮ったがこの写真だけだったよ」

「でも、写ってる・・・っ!!」


それは確かに、なんでもない一日を切り取った、最高の一枚だった。


「二枚あるから、一枚はこの写真屋に飾ってもいいかい」

「勿論です。ありがとうございます」

「はは。じゃあ飾らせてもらうよ。

・・・そうだな、じゃあ飾る題名は、君が決めてくれ」


老人が微笑む。

俺は、もうとっくに題名を思いついていた。

それを言うと老人は満足そうにうなづいて、その日のうちに写真はカウンターに飾られた。

額縁には、丁寧に題名が掘られている。







「ガラクタみたいな金曜日」





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