第7話 黄金の襲撃

 零れ落ちた屋根が砂利の混じった煙をあげる。

 すっかり爽快な有様になった天井から吹き込む風が、速やかに煙のカーテンを晴らす。

 陽光が、分厚い鉛の空を抜けて襲撃の正体を照らし出した。


 途端、イデは息をのむ。

 頭上に顔があった。

 巨大な顔だ。目・鼻・口はない。すっと通った鼻梁とへこみだけが、顔立ちを形作っている。

 異貌は怜悧な美を備え、二人の人間を見下す。その線の細さとたおやかな曲線に、何故かイデは少女人形を想起した。


(巨大な、黄金の女――機械の鎧人形?)


 排煙で姿の見えぬ陽光を背に、影を纏ってなお、眩い黄金の色を惜しげもなく纏う。

 草臥れた屋敷に現れた巨狼と同じくして、狭い空間に巨体を押し込んでいた。

 しかし、感情のままに荒れ狂っていた化け物とは、明らかに性質が異なる。

 巨大な女形の機械人形は、どうやって全身を支えているのか疑わしくなるほど異様に細い足首で。串刺しの刑の遺産のように鋭い踵で立つ。


 鎧人形はイデ達に向かって、優雅に腰を折って見せた。一連の動作は洗練されている。薄汚れ、煩雑とした下層に見合わぬものだ。

 金属の物々しさと華美が共存していた。

 本能的リビドーとは程遠い。むしろ貴族の優雅の類だ。気障なまでの美意識だった。


(なんだこいつは?)


 逃げ場を確保しようと四方に目を向けたが、鎧人形とは一歩の大きさが違い過ぎる。

 

(だが。何故だ、コイツ、どこかで見覚えがあるような気が――)


 イデは子どもの頃からどうでもいいことまでよく覚えてしまうたちである。

 完全ではないとはいえ、覚えていると思って間違っていたことは多くない。

 しかし、何に見覚えを感じたのかわからない。ひどくもどかしい。

 そうする間にも黄金の爪先が、湖面に白鳥が潜る可憐さでそろり・・・と室内に差し込まれた。


 鎧人形の全貌があらわになる。

 最初の印象よりは巨大ではない。第一印象が強烈過ぎた。

 おおよそ平均的なニンゲン三人分ほどの身長、五メートル前後である。

 ネヴが尾を踏まれた猫めいて叫ぶ。


駆動装甲ニスデール・ドライブ!?」

「ニス、なんだって?」


 ドライブ。駆動するもの――

 その単語から、なんとなく蒸気機関に由来するモノだと予想がつく。

 ネヴは異貌の鎧人形の正体を知っているらしかった。

 頼りにはならない。

 現状に理解がおいついていないという点についてはイデと同じで、目を白黒させて慌てふためいたからだ。

 イデの問いも耳に入らぬ様子である。


「馬鹿な、下層民が手に入れられるようなシロモノではありませんよ!」


 ネヴの手が何かを求めて宙を彷徨う。

 先程までのんびりと捜索に勤しんでいた手元は、無暗に空を掴む。

 ネヴの目は鎧人形にくぎ付けだ。見上げたまま、彼女の白い頬に冷たい汗が伝うのがわかる。

 息をのむネヴの前で、鎧人形が動く。緩慢にあがった踵は、明確に彼女めがけておろされようとしていた。蟻の如く「ぷちり」と潰れる嫌な想像が広がる。

 

「!」


 イデははっとして、床の上にほうられていたトランクを手に取る。

 中を開けて、以前ネヴが持っていたものを探す。長く、トランクに見合わない意匠のものがひとつだけ見つかった。

 中身を確かめている暇はない。

 薄い紫の袋を掴みとる。


「ネヴ!」



 名を呼ばれたネヴは振り返らないまま、袋を受け取った。

 目にも留まらぬ速さで袋の口を開き、中に納まっていたものを引き抜く。

 それはイデの予想通りのものだ。黒い刀の鞘。あの廃屋敷で奮っていた武器だった。

 

「――フンッ」


 乙女らしからぬ気合いの入った呼気が響く。そしてなんと、ネヴは両手で鞘を構えて足を受け止めた。


「ォアあ゛あぁッ!」


 名状しがたい咆哮があがる。

 ほんのまたたきの間、黄金の踵を受けた彼女は、そのまま気合一閃に振り払う。

 鎧人形は姿勢を直すだけで転びもしない。それでもネヴのような小柄な女性が見せたわざは信じがたいものだった。


「腹のどこからでたんだよ、その奇声と馬鹿力は……」

「気合いです! そんなことよりイデさんありがとうございます、グレイトです、ナイスでーす! よく私がこれを持ってきたとわかりましたね! というか動けましたね!」

「巨大狼に刀女とくりゃあ、いまさら動く鎧程度じゃそこまで驚かねえよ」

「そこは驚きましょう! 変に柔軟なやつだ……」


 異形に呑まれることはあっても、足を止めるほどではない。

 だからすぐに頭も動いた。

 街のどこに化け物が現れるかわからない状態であれば、武器を形態していても不自然ではないと思い当たる。

 間一髪助かったネヴはやれやれと首を振った。鞘は抜かないまま、直立状態で見つめている人形に向き直る。


「それで。単刀直入にお聞きしますが、貴女はなんです?」


 鎧人形は質問に答えない。

 眼窩アイホールのない目で、ネヴを頭のてっぺんからつま先まで観察した。


《――沈金銀の鞘、黒髪の混血の少女。嗚呼、間違いではない。重畳です。ネヴィー・ゾルズィ。遥か彼方、向こう側の海を垣間見たアナタ――》

「……貴女、私を探して……? いえ、何故、そんなことを知って……」


 イデには、こもった金属音声エコーボイスの言うことは、鎧人形の存在以上にわからない。

 刀を携えたネヴは先程より随分落ち着いている。

 鎧人形と静かに目を合わせた。


「そうですか。なにものかは存じませんが、貴女は私を探していたと。いまこうして襲ったように、私を狙ってのことですか」


 カチリという音がした。


(何かのスイッチが入った音?)


 そうではない。ネヴが柄を握りなおした音だ。

 やたらめたらと騒がしかったネヴの声音がひどく平坦であるのに気付いて、視線がそちらを追う。


「『狼』に関連していると思われるイデさんの家で、私を探していた貴女が待ち伏せをしていたとは。『狼』の件も貴女が関わっていると思っていいんでしょうか」


 柔らかに柄を握って、緩やかに表情が消えていく。

 煉瓦道に落ちた白雪が溶けるように、朗らかな愛らしさがそぎおとされていく。


「博士と薬も貴女の手にありますか」

《さあ》

「私をどうなさりたいのです?」

《経緯を省いて要求だけ述べれば、消えて頂きたい》

「そうですか」


 ネヴは鎧人形が答える気がないと知るなり、それ以上問い詰める気を無くしたようだった。

 ただ眉を八の字にして、握る手のひらを緩めない。


「いや……困りました。どうしたものか。アルフもいませんし。頭つかうの苦手で。話し合いとか、そりゃあもう不器用でして」


 濃口が鳴る。悩みの独り言めいた台詞は、そのくせやけに弾んでいる。

 ゆっくりとかがめられていく腰に、イデは毛を逆立てた獣の姿を見る。


「特に機械とは致ッ命的に相性が悪いんですよねぇ。参ったなあ。貴女、私をどうしたいのかなあ。怖いなあ」


 明らかな害意を示すものを前にして。恐れるべきもの、異形なるものを前にして。

 ネヴは歯をのぞかせて笑う。


「ああ、いけない。いけないことなのだけれど――」

――ああ、こいつ。


 彼女は悦んでいた。

 手は刀の柄へ。

 どう猛に歪んだ唇が、狼と相対した時とは異なる迷いない殺意に満ちる。


「貴方が私を殺すのならば、私が貴方に刃を向けてもよろしいでしょう。話はそのあと聞けばいい――」


 それは上流階級の子女というより、一寸先の闇に目がけて自暴自棄に身を投げるすれた下層民めいていた。

 そう思い至った途端、無意識にイデは腕を伸ばしていた。

 今にも殺し合いを始まろうかというネヴと鎧人形の間に躍りでそうになる。

 鎧人形を見つめあって、飛び掛からんとしていたネヴが目を剥く。


「な、あぶなッ」


 イデがネヴを庇うように立つ格好になり。更にネヴがその前に立ってイデを守ろうと構えを崩す。

 緊迫が再び、鎧人形の有利へと傾く。


――やっちまった。


 己の不可解な衝動に舌打ちをした。

 圧倒的質量を持った脅威に、鳥肌が立ちすぎてひっくり返りそうになる。

 恐怖を覚えた。

 そしてイデの恐怖に呼応するかのように、《それ》はやってくる。


 昼下がりの下層地区に、狼の遠吠えが響く。

 太く、激しく。怒り狂った獣の声が。


「マジかよ」


 イデが口癖をこぼし終えるよりも先に、ぼさついた毛並の巨狼が現れる。

 イデの家の壁をボロのおもちゃ箱のようにあっけなく踏み倒す。砂塵が舞う。

 思わぬ乱入者に時が凍るなか、狼は家中に鼻先を向けて臭いを嗅ぐ。

 鼻先がイデのいる方角をさして、止まる。

 イデの顔の間近まで鼻づらが近づけられた。

 獣のおぞましく血なまぐさい息をいっぱいに吸い込んでしまう。

 吐き気を催すなかで、かろうじてイデはネヴを後ろでに庇った。


――別にこいつを助けたいんじゃない。ただ、今は、敵が多いから。死んでもらっては困るんだ。


 こんな時でも自分に言い訳をする自分が呪わしい。


――ああせめて、鎧人形だけでもいなければ!


 そう願う。

 すると。まるでイデの願いを感じ取ったかのように、獣はイデから鼻を逸らし、鎧人形の方へ振り返った。

 そして威嚇の唸りをあげると、鎧人形に飛び掛かった!


《キサマ、何のつもりだ!》


 鎧人形のエコーがささくれる。

 非難のこもった怒りの言葉を、狼は意にかえさない。

 黄金の鎧にまとわりつき、牙を突き立てる。

 生憎、その牙は鎧を突き抜けはせず、耳に痛い金属音がうるわしくかき鳴らされるだけだ。

 しかしながら、狼のしなやかな巨体は鎧人形の歩みを絡め取り、まともに歩かせない。

 鎧人形は立ちつくして、ヒステリックな苛立ちの悲鳴をあげた。


「イデさん! 今です!」


 目の前の巨大生物同士の争いに巻き込まれそうになったイデの手を、ネヴがむんずと握りしめる。


「お、おう!」

「そこらへんの家具を盾にして、早く! 低く走って!」


 膠着状態に陥った二体の影響は凄まじく、辺りのいたんだ家財は次々粉砕されていく。

 さながら嵐のような様の中を、二人は野鼠のように駆け抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る