第5話 消える尻尾

 二人が「セーフハウス」と呼んだ場所は、なんてことはないアパートメントの一室だった。


 比較的に下層区と近い場所で、年季を経たベージュの壁がガスライトに照らされた闇夜の中で並んでいる。似たり寄ったりの細長い建物が並ぶなか、林檎の皮色の屋根がよく目立つ。


 ネヴは軽い足取りで玄関をまたぐ。

 室内に入るなり上着を脱ぎ、後ろに控えていたアルフがすかさず受け取った。


「ふう。憩いのマイハウスー、衆目なき安全地帯ー! これでようやく色々聞けます。なんだかんだいっても、警察なんてどこでも監視の目が光っているから、緊張してやりづらいったらありませんでしたよ」


 完全な自分のスペースに入ったネヴの口数は、いっそう増えた気がする。


 分厚い白の制服はいかにも重そうで、彼女はぐるんぐるんと肩を回す。そうしていると顔立ちのあどけなさが際立つ。

 警察であんなふるまいをするからには働く大人なのだろうが、見目は成人女性らしくない。


「着替えてくるので少し待っていてくださいね。自分の家だと思って、適当な席に座ってくつろいでください」

「当分、君の家には戻れないしね」


 どういうことだ、という間もなく、彼らはそれぞれ別の部屋に移動してしまった。


「スラム出身のよそ者をひとり、家に放置なんかしていいのかよ……」


 イデはあきれ果てる。

 手荷物もろくにないので、ほぼ手ぶらで呆然と立ち尽くす格好になった。


 しかし、なにしろ事情がさっぱりわからない。

 止むを得ず、イデは小さな長方形のテーブルに並んだ四つの椅子のうち、一つを選んで座った。

 こじんまりとして、シンプルな造りをした家具は、乱暴に扱うと壊れてしまう気がした。そうっと腰をおろす。


 室内の広さに反し、家具は少なく、ひとつひとつが小さい。

 やたらスペースが余っている。

 開放感があるといえたが、イデにとっては洗練されすぎて落ち着かない。

 ポケットに手を突っ込んでそわそわ待つ。先に出てきたのはアルフだった。


「待たせたねえ!」

「待ってねえよ」

「手持無沙汰そうにしてたじゃあないか」


 シャツにベストというラフで高級感のある恰好で現れたアルフは、イデをあしらってからテーブルにマグカップと小皿を置いた。

 注がれたミルクから、揺れる湯気が優しくたちのぼっている。小皿には一センチほどの四角いチョコレートが盛りつけられている。


「なんだこれ」

「ホットミルク。疲れてるだろうから、お嬢と一緒にどうぞ? 夜はまだ続くんだからさ。夕飯は話が終わってからね」

「……」

「黙っていても構わないよ。疑うのは当然だ」

「殊勝だな」

「これはオレの勝手だからね。お客ゲストをもてなさないのはオレのポリシーに反するの。あの時の君はただの一般人だったんだから、対応が違うのは当たり前」


 嫌味を言っても、アルフにとっては一貫した理屈があるようだった。

 イデはマグカップを手に取ってみる。指先からじんわりと熱が広がっていく。そうして初めて、自分の手足がかじかんでいたことに気づく。

 渋々、イデはホットミルクに口をつける。脳が止まるように甘い。

 ちびちびとマグカップを傾けているうちに、ネヴが入っていった扉もバタンと開かれた。


「はい! お待たせしました! ネヴです!」

「待ってねえよ」

「言われてみれば一息ついてますね、そんなところに申し訳ないのですが事情聴取のお時間です。実を言うとこ、こちらが大本命だったりします」


 グレーのタートルネックと黒いパンツは、いまどきの若者にしては地味なファッションだ。

 制服と正反対なラフな姿だった。手袋は黒いものにかえられて、変わらずその手を覆い隠しているものの、若干砕けた態度と友人の前のような恰好に、イデはネヴからの不器用な歩み寄りを感じ取る。


「へえ。警察の前では話せない話とは、物騒だな」

「表向きには扱えないというだけで、犯罪のお誘いではないので安心してください」

「胡散臭さまで加えてくるかよ」

「まあまあ。とりあえず、貴方のおかれた状況についてご説明しましょう。こちらの写真をご覧ください」


 ネヴの言動から推測される彼女らの職務は、時間とともに怪しさを増していく。

 片眉をあげていぶかしむイデの前に、ネヴは数枚の写真を並べる。


「こちらのお写真の方、見覚えがありませんか? ちょーっとグロテスクなんですけれど、イデさん、血の類は割と見慣れていらっしゃいますよね?」

「……下層民スラム?」


 寸分もたがわず時間を写す時代の利器で写し取られていたのは、どれも精一杯に洒落た服や上流階級のお古を着ている下層民の住民だった。


 上層区では、布をふんだんに使った品のいいクラシックが好まれるのに対し、下層区では体のラインを際立たせる刺激的で斬新な服が流行っているから、すぐわかる。


 写真の下層民は、同じような顔をしていた。顔立ちではなく、顔つきと服の話だ。

 身軽で攻撃的な装飾の服とアクセサリー。日頃は目をかっと開き、拾える物は全て拾ってやろうという浅ましい図太さに満ち溢れていたと察しがつく。

 どぶねずみの如く生き汚いはずの彼らの一張羅は、いずれも真っ赤に染まっていたが。カラー写真を撮れてしまう豊かな階層を、今ほど憐れんだことはない。


 その遺体たちは全て、手ひどく弄ばれていた。

 五体満足なものは稀だ。元の持ち主からそう離れていない場所に打ち捨てられている。

 気に入らない不細工の玩具を引きちぎって並べたような衝動的な残忍さがにおい立つ。

 イデによく似た目をした下層民たちは、日の射し込まない、腐ったゴミのにおいが漂うモノトーンの路地裏で、惨めに死んでいた。


「貴方が拘留されている間、何人かが貴方が住まいとしていた住居に侵入。窃盗を行いました」

「ああ、家主がいなけりゃ盗みでもするだろうよ。だがこの死体と何の関係が――」

「あるのです。この被害者全員から貴方の指紋がついた物品が発見されています」


 絶句する。

 新しく得た情報は、イデの脳内で奇妙な化学反応を起しかけた。しかしイデに起こったことはどれも荒唐無稽な有様で、理性がショートして火花を散らす。

 マグカップを持ったまま固まるイデの顔を、ネヴが覗いこむ。

 ほころんだ花のつぼみを思わせる唇が、ためらいがちに動く。


「混乱しているみたいですね。慰めの言葉でもあればいいのですが、残念ながら、私あんまり貴方を知らないので……」

「平気だ。変なことに変なことが重なってちょっと驚いただけだ」

「あっ、いっておきますけれど、イデさんがライターだのなんだのつまらぬ物品を多少とられたぐらいで人を殺すような人間だとは思いませんよ?

人は不明の恐怖に手に収まる程度の形を与え、安心を得ようとするもの。そこにたまたま人間の貴方が収まってしまったという話です。全くもって御愁傷様。同情を禁じ得ません」

「驚いただけだっていってんだろ! アンタにいらん心配される必要はねえって言ってるんだぜ!」

「アッハイ」


 つらつらと「できない」といったはずの慰めを垂れ流される身にもなれ、といったものだ。思わず怒鳴るようになる。

 おかげで若干、脳から緊張が抜けたが。

 頭を弱く左右に振って、荒れた感情を落とす。


「俺は、犯人じゃない」


 一言一句、相手にも、何より自分に言い聞かせる。

 何の証拠も示せないイデの主張に、ネヴは迷いなく首肯した。


「知っています。ですが、爆弾をばらまく野良犬が、首輪もなしにうろついているとしたら? たとえ犯人そのものでなく、害意すらなくとも捕まえておきたいのは心理です」


 下層民というのは、縄張り意識が強い。

 誰がイデを賞金首のように扱いだしたのかは知らないが、危険分子は手元で抑え込みたい、あるいは排除しようと考えるのは、無理からぬことなのかもしれなかった。



「ご不満でいっぱいいっぱいであろうところ、大変恐縮なのですけれど。もしご都合がよろしければ、明日はイデさんのご自宅へ案内していただきます。よろしいですか? というか、よろしいですね?」

「決定事項かよ。アンタ見た目に寄らず押しが強いよな」

「見目は関係ないでしょう」


 むっとネヴは口を尖らせる。眉間にしわを寄せた顔も子犬めいて可愛いが、黒い瞳には僅かに真剣な怒りの色が浮かんでいる。つくった表情ではなさそうだった。

お互い何か言いたげに見合ってしまう。


「ちょっとお嬢。近いですよ」

「!」


 不満を浮かべていた彼女は、アルフに指摘されるなりハッとして飛び退く。

 

「ふふ。まあ、いいんだけどね。ひとまず、ちょっとコッチ来てもらっていいですか」

「なんですか、アルフ」

「いいから、いいから」


 ネヴは頬を赤く染め、そっぽを向く。イデの方を見ないようにしているのが丸わかりだった。

 微笑ましいものを見る目と苦い思いがない交ぜになった苦笑いをしたアルフは、ネヴの肩を押して別室に消えていく。


――忙しい女だな。


 イデといえば、止める理由もないので、呆れ半分に見送った。


** *


「お嬢。どういうつもりなんです?」

「どうする、とは」


 イデのいない部屋に入るなり、アルフはネヴを詰問した。両腕を組むアルフを前に、ネヴはうつむく。威勢がいいフリができるのは口だけだった。


「とぼけるんじゃあない。あの青年を連れまわすことですよ」

「あら。獣と彼に関連性があるのは間違いではないではありませんか。どこに問題があるというのです?」

「関連があるからだ。イーデン・カリストラトフは安全ではない。保護すべきであっても、危険にさらすのはどうなのか。そういいたいのです、お嬢」

「出会いがしらに彼を殴った貴方がいいますか」

「あれは、彼はたまたま事件に巻き込まれただけだと思っていたからだ」


 すねたふりをした指摘も、アルフには通じない。

 彼には彼の断固とした理由があった。


「深入りしないうちにとっとと突き飛ばしてやって、事件から追い出してやった方がいい。余計なやりとりが増えるほど、事件との因縁も深まりかねない。多少の精神ケアの為に、そんなコトになるのは不本意だ」

「貴方のいいたいこともわかります。私だって、勿論不本意ですとも。ですが事件を早く解決しないことには被害が出続けます」


 自分を育てたお目付け役の顔で忠告するアルフの視線から逃げつつ、ネヴも負けじと反論する。


「私たちはもうずっとあの巨狼の獣を捜索し続けていますが、一向に尻尾もつかめていません。彼、ルーカスが現れるのは唯一。イーデン・カリストラトフに害をなす・・・・人物が現れた時だけです」

「だからといって、一般人を囮にしてよい・・・・・・のか? うちの組織やら、獣やら。知るべきではない世界に触れることになります」


うっ、と。痛いところをつかれたとばかりに胸を抑える。


「そこは……ホラ、最低限に? だいたい、蒸気機関の叡智と恩恵溢れるご時世です、知ったところでどうなるということはないはずです」

「そりゃあ、そうですが。ルーカスがイーデン自身を狙わないとは限りません」

「私と貴方で彼を守ればいいでしょう? できますよ」


 ネヴは譲ろうとしない。

 曇りのない黒い瞳がアルフに向き合う。

 その色はあくまで純粋だ。彼女には彼女なりの決断があった。

 それでもなお。ちらりと目が揺れる。捨てられかけの小動物の目だった。

 しばらくネヴより高い位置から見下ろしていたアルフは、軽い溜め息をつく。根負けだ。彼はネヴに甘かった。


「はいはい。わかりました。不安に思わずとも、オレはお嬢をお助けします」

「よかった! アルフがいれば百人力です」

「仕事ですからね、気分でフッたりしません。死者が出続けているのも事実ですから。なんにせよ、強硬手段に出るからには早期解決を目指します」

「了解、承知、おっけーです!」


 嬉しそうに目を輝かせるネヴの頭を乱暴に撫でて、また苦笑した。


「本当に、心配ですよ。オレは」

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