33rd try:Anywhere but Here

 俺はひとり、城内を歩いていた。


 魔王の城は迷宮になっている。いくつも階段があり、回廊は不規則に右へ左へと入り組んでいて、壁に偽装した隠し扉がいたるところにあった。城自体もとんでもなく広大だ。探索するとなれば、下手なジャングルに迷い込むより大変だろう。


 ……かつての侵入者は、まさか思いもしなかったに違いない。

 


 巧妙に隠された通路や、普段は魔王によって封印されている転移魔方陣によって秘密にされてきた、いわば女神の勇者専用ルートというわけだ。


 歩いていると、ときおり視界にモンスターが入ってくる。迷いの森の洞窟で戦ったドラゴンはもちろん、鎧に身をつつんだ骸骨の戦士だの、獅子と山羊の頭を持つキマイラだの、棘だらけの触手を持った不定形の生物だのがぞろぞろ出てくる。どのモンスターも、軽く撫でるだけで俺をあっさり殺せるレベルだろう。


 だが、首から下げたペンダントを見るなり、奴らは道を開けてくれた。どうやらこれが魔王の仲間であることを示してくれているらしい。だが、たまに出会う人型モンスターは、口を聞くどころか、俺と目を合わせようともしない。いまのところ例外はビスキィだけだ。それはそれで、なんだか寂しい。


 ――つくづく、妙なことになったものだと思う。


 俺は2017年の日本から異世界に召喚されてやってきた――そう信じていた記憶が、すべて嘘っぱちで。

 俺はただの人形で。この世界のことも、なんにも知らなくて。

 普通の人生を送ろうにも、この体は触れるだけで崩れ去ってしまう。


 女神の指令どおり、この世界を救ったとしても。

 俺に帰る場所なんて、どこにもない。


 胸を吹き抜けてゆくこの感情を、なんて表せばいいのかわからなかった。

 悲しみでも、怒りでも、後悔でもない。

 ぽっかりと空いた穴を無限に落ちていくような、ふわふわとした感覚。


 三つめの転移魔方陣を抜けたところで、俺はふと足を止める。

 そこは塔の外縁部だ。壁に開かれた窓から、外の風景が見えた。


 瘴気のせいで、外は時刻に関係なく、常に薄闇だった。天高くにのぼっている太陽はまるで夕陽のように赤く、よわよわしい光を地面に投げかけている。


 永遠の夕暮れ……それを見つめているうちに、なんとなく自分の心の中の感情が、わかったような気がした。


 それは……。


「虚無感……か?」


「うおわっ!?」


 突然背後から話しかけられ、俺は弾かれたように距離をとる。


「くひっ。くひひひひひひひひひひひひ」


 ハイネだった。

 毎度のことだが、神出鬼没過ぎる……。心臓に悪い。

 身構える俺を見て彼女は仮面を揺らしながら笑い、するりと俺の隣に並ぶ。 


「自分が創られた存在であることを知り、いままでの記憶も人生も借り物であると知り、自分のアイデンティティが揺らいでいる……そんなところか」


 痛いところを突かれ、俺は目を伏せる。


「……試べてみたんだ。自分の体を」


 あの日から数日。

 俺は自分のからだをあちこち触ってみたり、鏡にじぶんの体を映して、確かめてみたりした。


「外見は普通の人間だったけど、よく触ってみると、関節の皮膚の下に、人工的なパーツがあった。皮膚の感じも人間の肌と違う気がした。それに……あんたのところで飯を食ったとき、ナイフでちょっとだけ指先を切ったんだ。そしたら、


 なんとなく話し始めたはずなのに、声が少しずつ荒くなっていくのがわかった。


「あの話を聞いても、俺はまだ心のどこかで、自分が本物の西村秀星なのかもしれないって期待してた。だけど、俺は本当に人形で。創られた存在で……。なあ、ハイネ。俺は信じられないんだ。自分自身が。いまこうしてと思っている自分の感情さえ、借り物のニシムラシュウセイの人格から引き起こされた、単なる反射かもしれない。だとしたら……本当の俺はどこにいるんだ? そもそもそんなもの存在するのか?」


 体が震えた。


「ハイネ……俺は生きているって、言えるのか?」


 返事は帰ってこなかった。

 ハイネは何を言うでもなく、石像のように、じっと固まっていた。

 俺はため息をついて、窓を離れようとする。


「ごめん……変なことを言って。忘れてくれ」 

 

「お前自身は、私をどう見ている?」


 唐突に、ハイネが言った。


「えっ?」


「人形に見えるか?」


 魔王は顔をこちらに向け、俺を覗き込む。

 いや近い近い。その仮面近づけないで。悪い意味でドキドキするから。


 でも、まあ、うーん。まあ怖いし、人間離れはしてるけど。

 少なくともここ数日の彼女を見ている限りは……。


「人間……だと、思う」


「……その歯切れの悪さが気になるが、まぁいいだろう。だが実のところ、私も貴様と同じ、女神に作られた人形だ。お前と接してきたその会話も、実はプログラムの反射なのかもしれないぞ」


「い、いやいや、そんなことは」


「ところで、私から見れば、


「んなっ!?」


 くひひひひひ、と魔王は笑った。


「ショックを受けるのか?」


「あっ、当たり前だろ! さっきまでの俺の話聞いてただろうが」


「くひひひひ。私はと言っただけだぞ」


 そのひとことに、俺はハッとする。

 指先を俺の胸に向けて、彼女は続ける。


「お前の感情がホンモノなのかニセモノなのか。作られたものなのかそうでないのか。そんなものはな、シュウ。他人には判断のしようがないのだ。いま、この世界にお前は立っている。さまざまなことを見て、感じて、考えている。その感覚の真偽は、貴様自身が決めるしかない」


 ハイネは仮面を外した。


「さて、どっちだ?」


 黒い双眸が――俺を見据える。

 

「それは、その……」


「……もうすこし、別の言い方をしてやろう」


 ハイネは口元をゆがめ、窓の外を見る。


「この【黄昏の沼】を抜けて、北へまっすぐ行ったところに、【アララット山脈】がある。ここには旧世界の人々が作ったと言われる天空都市の遺跡が眠っていて、さらにそのはるか上空には【蒼穹都市バベル】が浮かんでいる。古代都市の転送魔方陣が唯一の経路だが、その起動キーは失われたままだ」


 ……いきなり何を言い出してんだ?

 困惑する俺をよそに、魔王は続けた。


「逆に城から南に行くと、そこはラケシュの大森林だ。アマゾンなんて目じゃないくらいの原生林。その奥地のどこかにある【忘却の書庫】は、この世界のはじまりから今までの記録をいまなお保存し続けているという」


「巨鳥ニジオビナガシは一生のうち3度しか地上に足をつけないと言われている。生まれた時、産卵の時、そして死ぬ時だ。かの鳥の産卵地は【虹の果て】と呼ばれ、そこに200年に一度産みつけられる卵を食べたものは、自身の望む理想の姿になることができるという」

 

「かつてお前と戦い、そしてこの城を徘徊しているドラゴンたちは平均して200歳を生きているが、実のところまだまだ赤子レベルにすぎない。彼らは1000歳を超えると姿を変え、この世界とは別次元に存在する【龍源郷】にて暮らす。そこには女神をすら上回る超々古代の魔法が存在し、次元や時系列の書き換えが当たり前のように起きるという。もはや我々の想像すら及ばない概念世界だ」


 ――天空から底の見えない大穴へと無限に水が落ちてゆく【輪廻瀑布】。


 ――完全な真水のはずなのに、水面を歩けるほど浮力の高い【拒絶の海】。


 ――極地の氷原のなか、春のように暖かい日が降り注ぐ【とこしえの花園】。


 彼女の口から語られる神秘の土地と噂話に、いつのまにか俺は聞き入っていた。魔王の作る晩飯の話を聞くビスキィのように。



 魔王は言う。


「なるほど、確かにお前は作られた存在かもしれない。西村秀星の記憶と人格を引き継いだコピーなのかもしれない。だがその代わりに、お前はこの世界を手に入れた。剣と魔法の世界。物理法則を無視した神秘の数々。誰も見たことのない景色。


異世界ここではないどこか”。


 オリジナルの西村秀星にしむらしゅうせい夕凪俳音ゆうなぎはいねが、空想の中で憧れるしかなかった世界に――私たちはこうして立っている」


 赤い夕陽に照らされた口元が、いかにも楽しそうに吊り上がった。


「その幸運と引き換えならば、多少自己の在り方が不安定な程度、お釣りが来る。そうは思わないか?」


 くひひひひひ、という笑い声が、あとに続いた。


 はじめて気がついた。

 自分がいま、励まされているのだ、ということに。


 っていうか、ひょっとして。

 ここ数日の手料理やらなんやらも――


「ハイネ……!」


 名を呼んだ時にはもう、彼女の姿は笑い声の残響だけを残して、消えていた。


 窓から吹き込んでくる生ぬるい風が、俺の髪を揺らす。


 俺は差し込んでくる夕陽をにぎりしめながら、彼女のくれたペンダントを握りしめた。


 自分の感情がホンモノかニセモノかは、自分自身で決めるしかない……か。


 思い出していた。


 初めてアルメキアを出たときの感動を。


 はじめて彗星の一踏メテオリック・スタンプを使った時の高揚を。


 ミミとナナと一緒に戦った時の、心強さを。


 ドラゴン相手に何度も試行錯誤を繰り返した、あの熱中を。


 剣と魔法の世界。異世界。


 過ごした時間は、まだ短いけれど。

 出会った人だって多くないけれど。


 そこで味わった、さまざまな気持ちは――

 ――偽物として捨て去ってしまうには、あまりに惜しい。


 ぽっかりと空いた胸の穴に、また感情が満ちていくのを感じる。


 やってやるさ。


 たとえ165人目のニシムラシュウセイだろうが。

 触れたら一発アウトの虚弱体質だろうが。


 俺はこの世界で、生きてやる!

 そのためにも――


「この呪い、絶対解いてやるからな、クソ女神ィィィィィィィィ!」


 



 









「――どうやら持ち直したようだな」


「うぉわぁあッ!? まだいたのかよ!?」


「くひひひひひ。ちょうどよいタイミングだ。さあ、始めるぞ」


「……何を?」


「決まってるさ。軍略会議だ。


 ……


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