Interlude

Boredom of The Goddess

 ――がいつ自我に目覚めたのか、知る者はいない。


 ただ、数多くの文献は、はるかな太古からその存在を伝えていた。


 いわく。


 災害あれば、これを逸らし。


 魔物あれば、これと戦い。 


 悪政あれば、これを滅ぼし。


 長い長い歴史の中、迷える人々を常に導き、最良の未来へと運んできたのだと。


 だからこそ、人々は畏敬を込めてをこう呼んだのだ。

 

 因果と運命の女神、と。



 ※※※



 定義をするならば、は世界の意思の集合体だった。


 その姿がヒトの女性であるのも、人々がそう願った結果かもしれなかった。


 彼女は求められるがまま、世界を正し続けた。


 木の剪定をするように、伸びすぎた枝を落とし、慈愛の日光を注ぎ、訪れる病魔を駆逐した。


 それが彼女の在り方だったから。


 それが彼女の存在理由だったから。


 ――幾千、幾万もの年月が過ぎた。


 人が、生き物が、自然が、女神の采配に従い、幾度も滅びては再生した。



 ※※※

 


 とうとう世界は、美しく成熟した。


 安寧と平和が訪れた。


 ある種の、平衡状態に入ったと言ってもよい。


 世界に隠れている無数のパラメータ――風のそよぎ、水の揺らぎ、それらひとつひとつが引き起こす影響、つまり原子ひとつひとつの動きまでを、女神は完全に支配した。すべてを完璧に予測し、すべてを完璧に制御し、いかなる不測の事態が起きようと滅びない、完全なる世界。


 全知全能の女神は、ついにその仕事を成し遂げたのだ。


 そこでは、生きとし生けるものすべてが、幸福を約束されていた。


 書き上げられた小説の結末が、もはや変わることがないように。


 世界は完結した。


 永久に続く理想郷として。


 ――そこに潜んだ致命的な毒に、誰が気付くだろう?



 ※※※



 それは、“退屈”と呼ばれた。


 

 ※※※



 女神ははじめ、その感情を理解できなかった。


 自らが育て見守り続けた世界が、もはや維持するためには指先ひとつでこと足りるほど成熟したと知ったとき――彼女は、全身がなにか重たい泥のようなもので覆われたような感覚に満たされた。


 ここから先に“未知”はない。


 という、事実。

 

 それは喜ばしいことのはずだった。

 それは望んできたことのはずだった。


 世界を滅ぼし得る不測の事態を、不幸を生むあらゆる可能性をこそ、彼女は憎み、打ち滅ぼしてきたのだから。


 だが――不快感は消えなかった。


 それは女神の中で正体不明のまま肥大し続け、およそ二千年を経てのち、とうとう、耐えきれずに爆発した。


 退屈だった。


 つまらなかった。


 刺激が欲しかった。


 だから彼女は邪神を世界に放った。


 だから彼女は天変地異を巻き起こした。


 だから彼女は悪辣な人間を王に名指した。


 ――しかし、ああ、なんということだろう! 


 その混乱すら、すでに女神にとっては予測可能なことだった。


 自らがそうした行動をとり得ることさえ、かつての彼女は予見していた。


 起こした災厄がどう帰結するのか、彼女は既に知っていた。

 それらはやがて駆逐されるだろう。

 人々はどんな苦難も乗り越え、したたかに生き延びるだろう。

 そして希望を失わず、明日を夢見て、前へ進み続けるだろう。


 事実、そうなった。


 あらゆる危機も混乱も、彼女の退屈を癒してくれはしなかった。


 女神は求めた。


 どこか知らないところを。


 見たこともない場所を。


 観測できない事象を。


 新たな“未知”を。


 新たな“道”を。



 

 そして、彼女はふいに垣間見た。


 2017年、日本。


 それは、女神の前に初めて姿を現した――


 異世界、だった。



 ※※※



 こうして、女神はひとりあそびを始める。



 異世界から複製した魂。


 彼女にとってのイレギュラー。


 それらはいつだって、新鮮な楽しみを与えてくれた。


 欲望のままに殺しあうもの。


 悲観のあまり世界を恨むもの。


 英雄として名を馳せるもの。


 ごく見慣れた、ありふれた光景が、という一点だけでここまで面白くなるのだということを、女神は初めて知った。


 凪いだ水面に石を投げるようなものだ。


 予測できない因子は、世界に予測のできない影響を与え、予測のできない結果を及ぼす。それを観察するのが、楽しくてたまらなかった。


 それがたとえ、世界の修正力に呑まれていずれ消える、小さな波だとしても。


 

 ※※※



 あるとき目を付けた魂は、実によかった。


 おとなしく目立たない少女だった。


 人の輪に入るのが苦手で、いつも本を読んでいた。


 好きな内容は、男の子が読むようなファンタジー。


 自己主張の苦手な彼女は――そこで活躍する主人公たちに、憧れを重ねていた。



 ※※※



 女神は彼女を『聖女』にすると決めた。


 いくつもの課題を設定し、世界の危機を演出しては、彼女をけしかけた。


 弱弱しく臆病だった彼女は、それでも、自らが選ばれた存在だと信じ、使命を果たし続けた。


 村を襲うゴブリンに、犯されて殺された。


 巨大なゴーレムに踏みつぶされた。


 ドラゴンには生きたまま腹を食われた。

 

 太古の邪神に、何度も精神を破壊された。


 



 民衆の人気に危機を覚えた王族に裏切られ、さらし者にされた。


 かつての仲間に、化け物とののしられ、殺害された。


 救いに来たはずの村人に、化け物への供物として捧げられた。


 ありもしない醜聞を書きたてられ、責められ続けた。





 それでも彼女は、健気に戦い続けた。


「自らが選ばれし聖女である」という、女神の言葉を信じて。


 百年も年齢が変わらない自らの容姿に、疑いを抱くこともなく。




 ――ああ。



 

 



 ※※※



 そして今。


 女神は闇の中で、愉悦にその口をゆがめている。


【黄昏の魔王】ハイネ。


 聖女として作られ、のちに女神と敵対した、人形のひとつ。


 かつての、遊び相手。


 女神の力を奪うまでに成長した彼女との殺し合いは、実に愉快だった。


 廃棄せずにとっておいたのは正解だった。


 目覚めさせたのは正解だった。


 ニシムラシュウセイと戦わせたのは正解だった。


 

 

 女神は笑う。


 いつまでも笑う。


 自らを殺しに来ることさえ――彼女にとっては興味のひとつにしかすぎない。


 女神が死ねばどうなるのだろう?


 やってみてほしい。


 もしできるのならば。



 ※※※



 女神は、世界の意思の総体である。


 その仮定が正しいとするならば――




 この世界はいま、死にたがっていた。


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