27th try:Nightmare
――女神は、ひとりたたずんでいた。
『復活の間』――呪いによって死亡した勇者が、復活するまでの束の間滞在する、四方が闇に覆われた空間の中で。
彼女の顔に、いつものしまりのない表情はなかった。
無感情。
光をなくした、ガラス細工のような青い眼球が、暗闇を見据えていた。
注がれる視線の先には、一人の少年が横たわっている。
ニシムラシュウセイ。
通称、シュウ。
女神によって異世界――2017年の日本から呼び出された、16歳の高校生。
『どこにでもいる』と言う表現がぴったりとあてはまる、ごく普通の、中肉中背のその少年が、目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
女神は、彼の体に手を伸ばす。
だが、その手が触れるか触れないかの距離にまで近づいた瞬間、シュウの体から突然、青黒い炎が湧き出した。
「――ッ!」
ダイアログは素早く手を引き、その舌先から逃れる。
炎はまるで威嚇するかのように、一際強く女神の方へと火勢を向け――それから、するすると再びシュウの体へと回収されていった。
女神の表情が、ゆっくりと変化する。
口角が上がり、まぶたは細められ、その奥の青い眼球に、光がともる。
笑顔、だった。
それは、毎回死に戻ってきたシュウを見たときの。
迷い悩むシュウを見守り、時に最低限のアドバイスをするときの。
そしてシュウ自身は知らないことであるが――目の前の困難に四苦八苦するシュウを、遠く離れた空間から眺めているときの、笑顔だった。
「んふふふふ……面白いこと考えるにゃあ、ハイネちゃんは♪」
満足げにささやく女神。
そのかたわらで、眠るシュウが、小さく呻きを漏らした。
※※※
――俺は今回もまた、やぶれかぶれの勝負に出るしかない。
そしてやはり、今回も同じように、結果が徒労に終わるのだと思い知らされる。
「なははははー! かかったな勇者め! そうやって飛び込んでくるのを待っていたッス!」
ビスキィが得意げに叫び、蹴りを打ち込もうと目掛けたドラゴンの口が、ぱっくりと開かれる。剣山のような牙。赤くうごめく舌。その喉の奥から、紅蓮の炎がせりあがってくる。
放たれた炎の息。
壁となって押し寄せる灼熱を、空中で避ける術はどこにもなく――
――えっ?
違和感は、その炎に触れた瞬間からやってきた。
普段なら視界が暗転するタイミング。
そして、あの気の抜けたBGMがなるはずのタイミング。
それなのに――
なんで、熱い?
無防備に開いていた眼球の水分が蒸発し、視界が赤黒い色に覆われた。
吸い込んだ空気が焼け付くように喉から降りて体の中を、中を、
熱ッ。
あぇ?
嘘
死に戻りは?
ちょ
待っ
あ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
※※※
「おねえちゃんから離れろっ! この変態ッ!」
唐突にぶつけられる罵声。と同時に、小さな影が背後から俺に襲いかかる。
虚をついた、完全な死角からの不意打ち――
「ぐほうッ!?」
を、俺は腹にしたたかにもらい、吹っ飛んで背中から商品棚に突っ込む。どんがらがっしゃんという盛大な物音と共に店内が揺れ、積もったほこりがあたりにもうもうと立ち込める。
「っててて……」
「ナナ!」
ミミが叫び、突然俺に一撃をくらわせたその影に駆け寄る。
「知らない人に暴力はやめなさいって、いつも言ってるでしょ!」
その少女は、どうやらミミの妹らしい。なるほど、確かによく似ている。栗色の髪に、黒目がちの大きな目。ただその肌は小麦色に日焼けしていて、硬い表情で俺を見下ろすその顔立ちは、ミミよりもだいぶ幼い。
ミミが近づいてくる。
「すみません、うちの妹が……大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。別にこのくらい大したことじゃ……」
突然、胃の奥からせりあがってきた何かが言葉を中断する。
「うぐっ……うおぇっ」
吐き出したそれは。
赤黒い、血だった。
「……え……?」
俺は、腹を抑えていた手を、こわごわと離す。
「う……あ……」
服の腹はボロボロに破れ。
その奥にあるはずの俺の腹が。
真っ黒に腐ってただれ落ちはじめていた。
「あ……がッ……? ぐあああああああああッ」
再び腹を抑えようとした掌から、青黒く変色した指がぐじゃりと落ちていく。
「シュ……シュウさん!? ちょっとナナ! あんた何したの!?」
「えっ、違っ……そんなに全力で殴ってなんか……」
「だったらなんでこんなことになってるのよ!」
大丈夫。
これはたぶん、女神の呪いで。
だから、君たちのせいじゃ――
言おうとするが、声が出なかった。
漏れるのは、ひゅーひゅーという息ばかり。
痛みは消えていた。
代わりに、ひどく寒い。
※※※
祭りの日、夕金色の草原を見下ろすやぐらの上でタイムアップを迎えた俺は、全身が腐り落ちて死んだ。ミミの悲鳴がBGMのかわりだった。
※※※
※※※
森でミミを助けたとき、うっかり彼女の方へと倒れこんだ俺は、彼女の服にどす黒い染みを残して、全身を泡だたせながら森の土へと還っていった。
※※※
スライムに輪切りにされた時の痛みは言葉に尽くしがたいほどだった。どういう理屈か、切断された箇所は瞬時に止血され、出血多量でショック死することも許されなかった。意識を保ったまま切り刻まれ、時にはそのままゆっくりと消化されたりもした。全身を無数の針で突かれるような酸の痛みに晒されながら、俺はひたすら死の訪れを願い続けた。
※※※
王様に詰め寄った俺は、護衛兵に阻まれた。肩口に触れた手から灼け付くような痛みを覚えたとき、広がる腐敗が俺の全身を包み込み、疑問に思う間もなく俺の意識を消し飛ばした。
※※※
俺は死んだ。
何度も死んだ。
確かに死んでいた。
あの音なんて、一度も聞こえなかった。
苦痛のない死なんて、一度もなかった。
※※※
「いっ……いい加減にするにゃーーーーッ!」
ダイアログの身体をまさぐっていた俺の視界が、真っ白に染まる。
焼け付くような全身の痛み。
声も出すこともできないまま、俺はごろりと闇に横たわる。
自分の肉が煮えたぎるぶすぶすという男と、焦げ臭いにおいを感じながら、自分でも制御できない痙攣を繰り返す。
意識を失う間際。
俺を見つめる女神の目は。
まるで踏みつぶした虫けらでも眺めるように、無感動だった。
※※※
「おお、異界の勇者よ! よくぞ我らが呼びかけに応え――」
唐突に頭上から降ってきた声に、俺は意識を取り戻す。
――冷たい石の畳。高い天井。血のような塗料で描かれた魔法陣。
そこは、アルメキア城の地下だった。
耳の奥で、心臓の音が強く全身を叩いている。
「いかがなさった?」
ひげを蓄えたアルメキア王が、怪訝そうな顔をしていた。
「どうも顔色が、ずいぶんと悪いようだが」
「いえ……なんでもありません」
「いや、気にせずともよい。唐突にこんなところへと呼び出されれば、気分のひとつも悪くなるのが普通というもの。まずは落ち着いて、我の話を聞いてほしい――」
続けられる、もはや何度繰り返されたかわからない口上を聞き流しながら、俺は先ほどまでの光景に思いをめぐらせていた。
呼びかけても、変わらず女神は答えない。
それ自体は珍しくもないことだが、きょうは気配が違った。
今までは、返答はなくとも、どこかで女神に『見られている』『意識が接続している』感覚がどこかにあったのだけれど――いまは、それがない。
思い当たる原因といえば、ひとつだ。
死ぬ直前に魔王に流し込まれた、あの黒い炎。
先ほどまでの悪夢も、その効果に違いない。
あまりにリアルだった死の感触を思い出し、俺の背筋に冷や汗が流れる。
いま改めて記憶をたどってみても、悪夢が見せた情景に覚えはなかった。
だから、俺はあんな体験などしていない、はずだった。
だから、あれはきっと幻覚だ。
女神との通信を遮断し、疑心暗鬼に陥らせる。
つまりは一種の精神攻撃。
そう。
そうに違いない。
なんども、俺は自分に言い聞かせる。
だけど。
魔王が最後に放った一言が、なぜだか頭にこびりついて離れない。
『記憶を知れ。真実を知れ。答えはすでに在る』
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