お茶漬け疑惑

長束直弥

お茶漬け疑惑

 海外出張から二週間ぶりに自宅に帰ってきたアキオを、妻のミカが出迎える。


「お帰り! 疲れたでしょう。何か食べたいものある?」

「ああ、しいて言えば、お茶漬けかな?」


「お茶漬け? いろいろ考えて食材買ってきてたのに……」

「ああ、ごめんごめん。海外むこうにいるとき、ずっと日本の味が恋しくて……、その中でもお茶漬けが一番食べたかったんだ」

 そう言って両手を合わせる。


「そうなんだ……」

 外国に一度も行ったことがないミカは、そう言いながら台所へと向かう。


「インスタントで、いいけど……」

 アキオは幼い頃から、お茶漬けといったらインスタントで育ってきた。


「でも、インスタントは買ってないから、今ある食材で作るわ」

 台所から返事が返ってくる。

 彼女が作ったお茶漬けをアキオは、今まで一度も食べたことはない。


「じゃあ、ちょっと着替えてくるよ」

 そう言うと、アキオは旅行に持って行ったキャリーケースとバッグを持って、一旦自分の部屋へと向かった。

 アキオは自室に入ると、荷物を置いて大きく溜息をひとつついた。

 帰宅時のスーツ姿からTシャツとジャージのパンツスタイルに着替えながらアキオは、気になっていることに思いを巡らせた。


 最近妻は、益々綺麗になってきた。

 普通だと素直に喜んでいいのだが、アキオの疑惑は高まる一方だ。


 半年ほど前からミカが浮気をしているのではないかと、アキオは密かに思っている。

 自分が出張していたこの二週間のうちに、この家の中にきっと奴を連れ込んでいたに違いないと、アキオは勘ぐってさえいるのだ。

 

 部屋を出て、リビングから台所に行き冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルトップを開けながらミカの様子を窺う。


 横ではミカが食事の支度の真っ最中だ。


「オレがいないときに変わったことはなかったかい?」

 アキオが何気なく探りを入れる。


「ええ、別にこれといって……、あっ、そうそう、私の実家からミカンが送られてきたの。食卓の上に置いてあるけど」

 ミカは、調理の手を休めることなく言う。彼女の実家は静岡県だ。


「そうか……」

 出張に出る前と変わらないミカの挙動に、アキオは少しだけ安心感を覚える。

 といって、ミカに対する疑惑が晴れたと言うワケではない。


「ただ、あなたがいなかったから、とても心細かったけど……」

 少し間を開けて、ミカが照れくさそうに付け足した。



      ◇


 ――オレの思い過ごしだったのか?


 アキオはリビングに戻り、定位置の椅子に腰掛けてビールを口にする。

 不図見ると、言っていたとおり食卓の上にはかごに盛られたミカンがある。

 そのミカンを一個手に取り、しばらく眺めたあと籠に戻す。


 アキオは、会社の後輩の錦野にしきのと妻ができているのではないかと勘ぐっていた。

 錦野は京都生まれの呉服屋のぼんぼんで、大学卒業までは京都にいたらしいが、一年前の春にアキオが勤める会社に入社してきた新入社員だ。

 その年の忘年会で彼が、飲み過ぎたアキオを看病しながら家まで送ってきたことがあった。

 その時、一度だけ家の中まで上がってきて、そこで妻のミカとも会っている。

 そこでアキオは、寝室のベットまで運ばれた。

 そのあと、寝室を出て行った織部とミカの二人は、このリビングで朝方近くまで楽しそうに飲み明かしていた。

 ミカはアキオより七歳年下だ。錦野と然程変わらない年齢なのだ。

 それをアキオは、酔いが回っている状態で、聞き耳を立ててベットに横たわっていた。

 明け方には錦野は帰っていったようだが、その日以来、自分に対するミカの態度がよそよそしくなったようにアキオには感じていた。


 ――やはり、思い過ごしか……。


 アキオは思い過ごしだったとはいえ、愛する妻を疑ったことに対して後悔の念に駆られていた。

 愛する人を疑うなんて、何と自分は愚かなのだろう。

 自分に疾しい心があるから、人を疑うのかも知れないと思える。

 よく考えてみると、何故妻を疑っていたのかさえ、アキオにはわからなくなっていた。

 今更だが、アキオは自分が妻を愛していることを再確認した。


 台所からは、小刻みに包丁の音が聞こえてくる。

 自分のために料理を作ってくれている。

 愛する自分のために――。

 そう思ったときアキオは、自分はなんて幸福者なんだろうと感じた。



      ◇


 ミカがリビングに戻ってきて、アキオの前に食膳に乗せたお茶漬けを置く。

 目の前に置かれたお茶漬けは、アキオの思いえがいていたものとは何か違う。

 何がどう違うのかハッキリとは判別できなかったが、アキオは、それをゆっくりと味わうように口へと運んだ。

 ミカはアキオの向かいに座り、幸福そうな目をしてその様子を見つめる。


「――どう美味しい? 今回の〝ぶぶ漬け〟」

 ミカがアキオに合格点なのかを問う。


 アキオは点頭うなずきながらも、ミカの言葉に少し引っ掛かるものを感じたが、これも思い過ごしだと打ち消した。


「やっぱり君の作る料理が一番美味しいよ」

 アキオは幸福を感じながら、愛妻が作ったお茶漬けを頬張った。



この時アキオは知らなかった。

茶漬けのことを、京都弁では〝ぶぶ漬け〟と呼ばれていることを――。




          <了>


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お茶漬け疑惑 長束直弥 @nagatsuka708

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