第7話 秀吉
天正10年(1582年)、5月。羽柴秀吉は中国攻めのさなか、備中・高松城の清水宗治と対峙していた。4年前から始まった中国攻めは紆余曲折を経ており、なかなか思うように進行していない。3万の軍勢で高松城を囲んでひと月ほどになる。2度ほど攻撃したが逆襲されてしまい、高松城攻めは難航を極めていた。また、毛利軍4万が高松城に接近しているという情報もある。いま、毛利軍に出てこられるのはまずい、どうすべきか、秀吉は考えあぐねていた。そこへ黒田官兵衛が水攻めの奇策を進言してきた。高松城周辺に堤防を築いて水を引き込み、城を湖に浮かぶ孤島と化して完全に孤立させようというものだ。高松城は低地かつ湿地帯にあり時節柄そろそろ梅雨入りするということから、大いに勝機があると秀吉は膝を打って喜び、この策を採用した。
出来上がりつつある堤に腰掛けた秀吉の手には信長から預かった小柄がある。この春、詳しい戦況報告のために安土城に戻り更なる増援を懇願したところ、役に立つ、の一言のみで信長から由縁のわからぬ小柄を渡された。増援できない、ということをその小柄で暗に示したのであろうか。無理も無い。今、織田軍は北陸、関東、四国、中国と各方面に軍勢を差し向けている。最近、徳川家康が中心となって武田を滅ぼしたので少しは余裕ができたであろうと思ったが甘かった。小柄を眺めながら溜め息をつく。なんの役にも立たないとはいえ、預かり物を粗末にするわけにもいかない。小柄を懐にしまおうとしたところ、小柄から妖しい光が発せられていることに気づいた。これは……光を眺めていると信長の姿が間近に見えた。上様、と声をかけようとしてやめた。これが現実であるはずもない。しかし、なにか黒い想念が信長の周辺を擦過した気がした。ものすごく嫌な予感がする。秀吉の額から冷たい汗が吹き出て滴り落ちる。黒い想念を追って行くと光秀に出くわした。まさか、光秀殿が邪心を? 光秀がある僧侶から情報を得て邪な野心を抱き始めている。光秀は役小角の小柄が天下を握る鍵だと思っているようだ。はっと我に返ると、手にした小柄からはいまだ妖しげな光が発せられている。役小角の小柄とはまさかこれのことか? 光秀とは幾つもの戦場をともに戦った盟友であり、年は光秀のほうが上であるが出自の卑しい秀吉を特に差別することなく優しく接してくれた数少ない同僚のうちのひとりである。このままでは光秀は黒い渦に取り込まれ、主君である信長もそして光秀自身の身も滅ぼしてしまうだろう。主君の身の安全を保障しなければならないが、光秀の邪心も断ってやらねばならない。どうしたらいいのか……そうだ…こうなったら恥も外聞もない応援要請を乞うて、さりげなく光秀を中国攻めの増援に送り込むように仕向けるしかない。とにかく、主と光秀を引き離すことが最優先事項だ。
十日余りという極めて短期間で堤を完成させ、秀吉軍は高松城周辺を水没させた。毛利軍が来るのが先か、清水宗治が降伏するのが先か。蓮の花のように水面に漂う高松城を秀吉は堤の上に腰をかけて眺めていた。主君・信長からは光秀を援軍に向かわせるとの連絡がきた。これで一安心である。だが、光秀の顔をこの地で見るまでは全く安心できない。万が一の場合に備えて官兵衛と三成を呼び、策を講じた。いずれ毛利輝元率いる軍勢が現れる。その際、即座に和睦に取りかかれるよう準備することを官兵衛に命じた。三成には信長の動向・安否を探らせるべく間諜をばらまき、変事が起きた際、数里ごとに飛脚を配置して可能な限り情報が迅速に伝わるよう、また即刻、畿内に取って返すことができるよう準備を進めることを指示した。官兵衛と三成は目を見合わせて訝っている。援軍が来るというのに和睦の準備とはどういうことなのか?、或いは、畿内にもはや敵がいないのに何故そこまでして主君の安否を気にかけねばならないのか?、というところであろう。この不安は理屈で説明できるものでもない。秀吉は、ただ嫌な予感がしてならないのだ、と言うのが精一杯であった。秀吉の尋常ならざる不安が官兵衛と三成に伝わっていく。表情の固くなった2人に急ぎ和睦と撤退の準備に取りかかるよう秀吉は念を押した。
5月21日。毛利輝元、吉川元春、小早川隆景らが現れた。しかし、すでに孤立した高松城は如何ともしがたい状況にある。毛利方は和睦を決意した。毛利方は安国寺恵瓊を送って寄越し、五国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲と城兵の生命を保障することを和睦の条件として提示してきた。これに対して秀吉は、五国割譲と清水宗治の首を要求し和睦には至らなかった。
間諜からの情報によれば、17日に光秀は坂本城に戻り秀吉援護の準備を始めた。26日には丹波亀山城に移り出陣の準備を始めている。28、29日には連歌の会を催し、「時は今 天が下知る 五月哉」の発句を詠んだという。まずい……、秀吉の顔が曇る。さらにまずいことに、同29日に信長自ら秀吉を援護するため安土を発ち京に向かったという。
6月2日、明け方。秀吉は寝床から跳ね起きた。燃え盛る炎のなかで信長が「敦盛」を舞っている姿を見たのである。懐の小柄の発する光は落ち着きを失くし激しく揺らいでいる。主人を失ったことに反応しているのだろうか。急ぎ善後策を講じるべく、官兵衛と三成を呼んだ。秀吉は寝所にやってきた2人に縋りつき、上様が…上様が……和睦じゃ…今すぐ和睦じゃ!、と
ちょうどその頃、秀吉方の間諜の目をすり抜けた間者が信長落命の報を毛利方に伝えていた。これを知った吉川元春は急ぎ秀吉を追撃するよう輝元に進言した。輝元は小早川隆景にも意見を乞う。そもそも信長落命を知らず和睦したのは我々の落ち度であり、しかも和睦が成ったばかりでそれを破れば毛利は不義の徒として世間から笑われましょう、そして主君を失ったばかりの者に追い討ちを掛けるのは武士としてあるまじき行為である、従ってこの追撃に義はありません、と論理的に主張して頑に追撃を許さなかった。
6月6日、納得しない元春は抜け駆けを謀った。しかし、彼を待っていたのは溢れる泥水の海であった。元春の追撃を察知した官兵衛が高松城を囲んでいた堤を決壊させ、元春の行く手を阻んだのである。憎しみに
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