第6話 信長

 永禄2年(1559年)2月、室町幕府・第13代将軍・足利義輝は室町中御門にある斯波武衛家旧邸に室町幕府の拠点を移していた。そこにひとりの若武者が訪れ、義輝に謁見していた。若武者は頭に侍烏帽子、絹素材の大紋直垂を身にまとい、全身黒ずくめである。しかし、大紋の背には金糸で刺繍された家紋・織田木瓜おだもっこうが鮮やかに輝いていた。2人は年が近いこともあり、すぐに打ち解けることができた。一通りの挨拶の後、尾張をまとめるのに苦労した話やこの謁見に先立って堺や奈良見物をした折りの話などを信長は義輝に語って聞かせた。話の合間に信長がふと床の間に目をやると、そこに置かれている木箱からゆっくりとうねるように光が漏れ出ている。しばらく見とれていたが、はっと我に返り義輝を見るとにやりと笑っている。お前はあの木箱が気になるようだがなにが見えるのか、と問うてきた。信長が返答に困っていると、正直に答えればよい、と言ってきた。信長は、気のせいかもしれませんが、うねる光が見えます、と答えた。今まで幾人もの武将と会ったが、あれから光が見えると言ったのはお前だけだ、と義輝は目を輝かせて言う。上様にも光が見えるのですか、と聞くと、いや、自分には見えないと言う。そこで義輝は小姓に木箱を持ってこさせて信長の前に置いた。中を開けてみよ、と言う。信長が開いてみると年季の入った小柄が一口あった。義輝は古代の呪術師・役小角に関する伝説を信長に語って聞かせた。小柄に関して義輝の知りうる歴史は尊氏が伝えた弘安の役と湊川の戦いのみである。それ以前については知る由もない。役小角の小柄に関する話はただの伝説だと思っていたが信長にその光が見えるのであれば強ち嘘でもないのかもしれないな、と義輝は言い、何かを期待する視線を信長に送って寄越した。前年の暮れに畿内の実力者・三好長慶と和睦し帰京できた義輝ではあったが、長慶との確執は依然として根強く残っている。名実共に足利政権を復活させるために長慶は義輝にとって邪魔な存在でしかない。弱冠26歳という若さで尾張を制した信長に長慶の排除を望んでいるのだ。そこで信長は社交辞令として、まず尾張周辺の国々を制した後に畿内における将軍の敵を排除して将軍の復権を確立する旨を述べた。これを喜んだ義輝は小柄を信長に与えると言い出した。信長にしてみれば、妖しげな小柄で恩を売られても困るというところだ。将軍家の家宝を頂くわけには参りません、と信長は断ったが義輝はなおも聞かない。結局、押し問答の末、足利政権が復活するまでの間、小柄をお預かりする、ということで収まった。

 明けて永禄3年(1560年)、5月19日。夜の明けきらぬ暁のなか、信長は「敦盛」を独り舞っている。ひとしきり舞うと身なりを整え、熱田神宮に向かい戦勝祈願を行った。その後、軍勢を整えるべく善照寺砦に入った。その頃、伊勢湾の東側、敵方大高城と鳴海城の間に築かれた織田方の丸根砦と鷲津砦は敵の先鋒隊の猛攻に晒されていた。両砦が落ちるのは時間の問題だが、ある程度、時間稼ぎをしてもらわねばならない。織田方の集めた手勢は1000人を超えた。まだ足りない。丸根砦の大将・佐久間重盛、討死の報が信長のもとに入る。一方、鷲津砦では籠城戦で敵と対峙していた。信長にとってたった今問題なのは、今川義元が東海道(旧東海道、鎌倉街道)を通って信長のいる善照寺砦に向かっているのか、その南側の街道を通って中嶋砦に向かっているのか判然としないことだった。斥候を出してあるが、義元が沓掛城を出た後の情報はまだない。善照寺砦の手勢は2000を超えた。まだ足りない。ついに鷲津砦が落ちたという報告が届く。信長は砦から東の空を睨みつける。どっちから来る? 善照寺砦の手勢は2500を超えたと伝えてきた。斥候からも情報が入る。沓掛城を出た義元は東海道ではなく、さらに南下し、桶狭間山の北側に通じる道を西進しているという。信長は計算を始める。あの辺りは兵が移動するには狭い道だ。桶狭間山を通過するには隊が縦に伸びきった状態になる。今川軍は総勢2万5000くらいだが、大高城を囲む4つの砦に多くの兵を割いてしまっている。斥候によれば、沓掛城を出た義元本隊は約5000。縦に伸びきった状態なら2000で十分だろう。義元を狙うならこの機をおいて他に無い。兵2500のうちの500を砦に残し、信長は善照寺砦から出撃した。

 信長は馬を駆って南下し中嶋砦を駆け抜けた。右に見える大高城を無視し桶狭間山に向かって直走る。信長にとって懸念があった。義元が桶狭間山を抜ける前にそこに到達せねばならない。前もって策は講じてある。義元本隊が通りそうな村々に触れを出し、義元軍に酒、餅、煮物などを提供して足止めをさせるものだ。義元軍が足を止めるかどうかはなんとも言えない。なにか確実な足止め策は無いものか……それに織田軍本隊が近づくのをぎりぎりまで義元軍に気取られたくない。馬を駆るごとに胸になにかが当たる。手で探ってみると、義輝から預かった小柄だ。この未曾有の危機を乗り切るためには、どんな可能性も無視するべきではない。8代執権・時宗の弟・宗政は嵐を起こして蒙古軍を駆逐した。同じことが自分にもできないことか。疾駆する馬上で信長は念じ始めた。桶狭間山が見えてきた。まだ義元軍は見えてこない。足止めが功を奏しているようだ。辺りが暗くなり始めた。俄に雷雲が沸き起こり、雷とともに激しい豪雨が地をたたき始める。この豪雨で自分たちの近づく音はかき消されるはずだ。いいいだろう、舞台は出来上がった。あとは突撃あるのみ。

 豪雨に煙るなか、義元軍の前衛部隊が見えてきた。一瞬にして織田の先鋒隊が前衛部隊を蹴散らしていく。まるで生木を縦に割くように鋭い刃が今川軍を引き裂いていく。左右に分断された今川軍は後続の織田軍の餌食になった。豪雨だけでも辟易しているところに、突然の織田軍本隊の出現で今川軍は浮き足立って逃げ惑うばかりであった。織田軍先鋒隊が今川軍の中程まで突き進むとようやく事態を理解した今川軍が反撃に移る。しかし、畳み掛けるように縦一直線に突っ込んでくる織田軍を止める手だては見つからない。今川軍が奮戦するも狭い間道に膨れ上った織田軍の圧力に抗しきれない。ついに織田軍が今川軍の堰を切って本陣に向かって弾けた。間近に近づいてくる鬨の声を聞いた義元は退却を命令する。だが、時既に遅し。退却を始めた今川義元に織田軍が襲いかかった。義元は親衛隊に守られていたが、信長の馬廻衆のひとりが義元に追いつき斬り掛かる。そこへ信長の小姓も加わり乱戦となった。信長自身も義元に追いつき、食い下がってくる義元の親衛隊を切り崩していく。ようやく信長の親衛隊が追いつき信長を中心に円陣を組む。信長の円陣が義元の円陣をさらに切り崩し呑み込んでゆく。ついに信長の小姓が義元を組み伏せ首を掻き切った。小姓はその手中に収められた義元の首を信長に向ける。満足して頷く信長。そして、もはやなにも見ていない義元の目はただ雨に洗われるのみであった。

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