第3話 政子・泰時

 平治の乱において源氏方の有力武将の多くが滅亡し、清盛の政治的地位は急速に浮上した。武士の頂点に立った清盛は朝廷の軍事、警察権を押さえることにより、平家全盛を導いた。しかし、その隆盛はわずか20年で潰えることになる。清盛の晩年、治承4年(1180年)、後白河法皇の第3皇子・以仁王の挙兵に端を発する平家打倒の狼煙が上がった。「以仁王の令旨」は源氏に平家打倒の挙兵を促し、各地に飛び火していくことになる。翌年2月、後白河法皇や源頼朝に対する激しい憎悪を抱いたまま、清盛はこの世を去る。それからわずか4年後の元暦2年(1185年)、壇ノ浦の戦いにおいて平家は滅亡した。

 源義朝の六男・範頼は頼朝の命で壇ノ浦の戦いの戦後処理を行っていた。この戦いで安徳天皇とその母・建礼門院は入水自殺を図った。入水とともに消失した3種の神器のうちの2つ、八咫鏡と八尺瓊勾玉を回収したが、天叢雲剣は未だ行方知れずとなっていた。範頼はその捜索に当たっていたのである。建礼門院は入水直後、源氏方によって助けだされ京に送られた。安徳天皇の亡骸は入水の翌日に壇ノ浦付近の漁師の網に引っかかり引き上げられた。一時的に安置されていた御旅所で範頼は天皇の亡骸の検分を行ったところ、懐から小柄が見つかった。

 京に戻った範頼は大原にある寂光院を訪ねた。九死に一生を得た建礼門院はここで安徳天皇と平家一門の菩提を弔っていたのである。安徳天皇の亡骸から見つかった小柄は銘が打ってあるわけでもなく、その価値を範頼は計りかねていた。京に戻ったついでに小柄の由縁を問い質そうと大原に足を運んだのである。彼女の語るところによれば、父・清盛が藤原信西からその由縁とともに役小角の小柄を譲り受け、小柄のご利益により六波羅の合戦に勝利することができたということだった。小柄は清盛の形見として生前に譲り受けたという。合戦勝利に導いた小柄を棟梁となった宗盛ではなく清盛はなぜ建礼門院に譲ったのか、と問うたところ、宗盛は小柄の発する光を感知できなかったということだった。範頼の目にも小柄の発する光は感知できない。試しに建礼門院には光が見えるのかと尋ねてみると、ただの伝説だと一笑に付された。

 その年の10月、鎌倉に戻った範頼は父・義朝の供養のための勝長寿院落慶供養で源氏一門の列に並び出席した。その際、範頼の懐から妖しげな光が発せられているのを見咎めた頼朝の妻・政子が範頼に問い質した。範頼は大いに驚き、小柄を懐から取り出し、小柄の由縁を政子に語って聞かせた。平氏の遺品を忌み嫌うどころか、妖しくもまばゆい光を放つ小柄に魅せられた政子は小柄を所望した。光を感知できない範頼には無用の長物であり、こんなもので恩を売れるのであればと小柄を政子に譲った。

 頼朝亡き後、嫡男・頼家は振る舞い粗暴にして暗愚であった。ゆえに頼家は政子により将軍職を剥奪され伊豆に幽閉され、後に暗殺された。頼家の弟・実朝が次の将軍職についたがおよそ政治向きの質では無く、むしろ文人だった。この頃、政子の父・時政は執権として鎌倉幕府の実権を握るようになっていた。父の専横を恐れた政子は弟・義時の力を借りて時政を伊豆へ追放することに成功した。だが、実朝は頼家の子・公暁に殺されてしまう。実朝亡き後、藤原摂関家から2歳足らずの幼児を将軍として迎えた。その後見人として政子は将軍職代行となり、尼将軍と呼ばれるようになった。

 承久3年(1221年)5月、朝廷の政治的復権を目論む後鳥羽上皇と幕府との対立が激化し、承久の乱が起こる。源氏による武家政権が興ってすでに30年程経つとはいえ、まだまだ武士たちの朝廷に対する畏れの念は根強く、上皇の挙兵に畏れを為す御家人たちは多かった。動揺する御家人たちを相手に政子は大演説を打ち、啖呵を切って御家人たちの心をひとつにまとめ上げることに成功した。その際、政子の懐から妖しげな光が発せられていることに気づいた義時の嫡男・泰時が演説の後、政子に問うた。その懐に何を忍ばせているのか、と。政子は懐から役小角の小柄を取り出し、そなたにもこの光が見えるのか、と逆に問い返した。政子は未曾有の危機を乗り切るのに役に立つと思い、小柄の由縁を語って聞かせ、泰時に譲り渡した。

 北条泰時を総大将とする幕府軍は北陸道、東山道、東海道の三方から京に向けて進軍した。6月に入り、要所要所を攻め落とした幕府軍は京近くまで兵を進めた。一方、上皇軍は宇治川に布陣し決戦に備えていた。6月13日、上皇軍と幕府軍が宇治川を挟んで激突した。上皇軍は宇治川に架かる橋を悉く落とし、雨あられの如く幕府軍に矢を射かけてきた。この日、折悪しくも豪雨による増水で幕府軍は渡河することができず攻めあぐねた。

 翌日、水量は僅かに減ったがまだまだ渡河できる状況ではなかった。増水を味方に上皇軍は油断しているのだろう。泰時率いる幕府軍が川岸に姿を見せても矢を射かけてもこない。この機会を逃す手はない。泰時はこの状況を打破できないかと馬上から宇治川を睨みつけた。しばらくすると懐の内でなにかが振動している。懐を探ってみると、政子から譲り受けた小柄だった。理由は判らないが小柄から漏れ出る光が激しく揺らいでいる。何かの知らせなのだろうか。再び宇治川に目を遣ると、激しい流れのなかに庭の飛び石の如く所々白っぽく水が浮いたように見える箇所が向こう岸まで続いている。従者に同じものが見えるかどうか問い質してみたが、川の流れに特に変わりは無いという。泰時は川に馬を寄せ、従者の制止も聞かず思い切って白っぽく見える箇所に馬を乗り入れてみた。浅瀬だった。流れは速いが足を取られるほどではない。泰時は従者にのぼりを持ってこさせ、次々と浅瀬に立てていった。これを見た幕府軍の兵は泰時に続いた。泰時を先頭に幕府軍は宇治川を渡りきり、ときの声を上げながら上皇軍に襲いかかった。不意を突かれた上皇軍は散々に蹴散らされ打ち負かされ大敗を喫することとなる。この戦いを制した幕府は朝廷と西国を従属させ、鎌倉幕府の体制を盤石のものにした。

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