第2話 エルシノア人だったら最悪 其の二
「人助けのつもりだったが、余計なお世話だったようだな」
少し寂しそうなその口調に、急にラシュヴィーダは申し訳ない気持ちがわいてきた。
「ごめんなさい。その……助けてもらったことにはお礼を言います。でも……」
「私がエルシノア人だからか。嫌われるのは仕方ない。でも、一人で帰すのは少し心配だ。せめて危険のないところまで護衛しよう」
「いえ、結構です。もう私に構わないで」
エルシノア人は野蛮で恐ろしい殺戮者。
そう教えられて育ってきた。祖父も叔父もエルシノアに殺された。
この青年は今は自分を助けてくれたけれど、心底では何を企んでいるのかわからない。
決してて簡単に気を許してはいけないと、ラシュヴィーダは身を引き締めた。
「見知らぬ者に用心するのはいい心がけだが、またさっきの男達が戻ってくるといけない。このまま帰して君に何か悪いことがあったら私はひどく後悔すると思う」
あくまで穏やかな口調で、タキロスは馬上のまま言った。
優しい、と、心がほだされそうになる。
でも、こんな態度で騙されてはいけないに違いない。
まだ短剣を鞘には納めず、ラシュヴィーダは少し馬を離した。
「彼らは知り合いか? 襲われているように見えたが何か理由があるのか」
タキロスの声はしっかりしてよく通り、広い草原でも耳に心地よく響く。
「いいえ。何人かの顔は知っているけど口をきいたことは……。どうして襲われたのか私にもわからないわ」
聞くとタキロスはゆっくりと馬首をめぐらせ、ラシュヴィーダの馬と向きを揃えた。
「男によくある理由だろうな。気をつけた方がいい。君はヘルベベスにしては目立つ」
「金髪だから?」
いつのまにかラシュヴィーダは短剣を下ろしていた。
「そう。ヘルベベスにはいろんな顔の人間がいるんだな。様々な国の女性を略奪して妻にするから、と聞いたことがある」
「私のお婆さんはバルラス人だわ」
ラシュヴィーダはゆっくりと馬をティトライカの方へ進ませ始めた。
タキロスも、ラシュヴィーダが危険を感じない十分な距離を保ってそれに続く。
「君はバルラス語を話せるのか?」
「いいえ。あなたはどうして私たちの言葉をそんなに上手に話せるの?」
「ヘルベベスはエルシノアの言葉を覚えようとしないから、こちらが覚えなければ名乗ることもできない。さっき名乗ったが、私の名はタキロスという。君は?」
「ラシュヴィーダ」
「美しい名前だな」
何故だか妙に、どきりとした。
どうしてこの人はこんなことを言うのだろう、とラシュヴィーダは思いをめぐらせた。
何か企んでいるのだろうか、エルシノア人の考えることはわからない。
彼女は一生懸命考えて話題を変えようとした。
「あなたはどうしてここにいたの? 私が来たことが何故わかったの?」
タキロスはラシュヴィーダに合わせて常歩なみあしで馬を進めながら答えた。
「ここは私の森だ。エルシノアの領土にヘルベベスが入ってきたら誰でも追い出す。出てみたら君が追われていた」
その言葉に嘘はないように思えた。
少なくとも困っているところを助けてくれた。
ただ送ってくれると言うだけでこちらに何か要求する様子もない。
いったい何故、助けてくれたのだろう。
この人にとってヘルベベスが敵ならば彼女も敵と見なされても不思議ではないのに。
あまりタキロスは饒舌じょうぜつではない。
ラシュヴィーダが最初に拒絶した距離をきちんと守って静かに馬を進めるその態度に、彼女はなんとなく安心感を覚えてきた。
薄く霞んだ春の大気の向こうに野営地がぼんやりと見えてくるとタキロスは尋ねた。
「君はどこの部族だ。あそこに見えるのは?」
「そう、あそこが私たちの夏の野営地よ。部族はティトライカ」
「大族長ハヌルティムがいるところだな」
「よく知ってるわね」
「ヘルベベス戦には十五才ぐらいの時からも何度も出ているから。私が戦に出た次の年に大族長がグルアティムからハヌルティムに変わった」
「グルアティムは私の祖父よ。エルシノアの魔王、邪眼のアルトリスに殺されたわ」
「そうか」
タキロスは少し黙った。
お互いに気持ちのいい話ではない。
そもそも敵国であるエルシノア人相手に楽しい話ができるわけはない。
「私の叔父もヘルベベス戦で死んだ。そう言う話は山ほどあるだろう。お互いに言い出せば恨みはつきない」
彼の言うとおりだった。
またエルシノアと戦いになれば誰かが怪我をするか命を落とす。
今、タキロスと静かに馬を進めている時間は少なくとも平和だ。お互いの恨みを数え上げてことさらに争いたくなかった。
春の柔らかい日差しの中、ティトライカのテントと幌馬車が形をもって見えてきた頃、ラシュヴィーダは一度、馬を止めた。
遠くには緩やかな丘の斜面に羊の群。
ここからは見えないが仲間たちが羊番をしているのだろう。
「もう大丈夫。ここからは一人で帰れるわ。ドゥムルカンも近くにはいないようだし、危険があったら部族の誰かに助けを呼べる。ここまで送ってくれてありがとう」
「わかった。今後はくれぐれも気をつけて」
ひとつ、うなずいてラシュヴィーダは馬を進めようとした。
敵を助けてくれた奇特な異国の青年。どういうつもりだったのかわからないが、エルシノア人にもこういう人物もいるのだ。
「ラシュヴィーダ」
三馬身ほど馬を進めたとき、穏やかに呼びかけるタキロスの声にラシュヴィーダは馬を止めて振り向いた。
離れた距離の分だけ馬を進めて近づくタキロスを、ラシュヴィーダは少し待った。何故だか名残惜しいような気持ちだった。
今までよりも少しだけ、タキロスは彼女の馬に近づいた。そのためにもう少し小さい声でも会話がなりたつ。
「こんなことを言っていいのかどうかわからない。でも……もし、できれば、もう一度会いたい」
「えっ……」
耳を疑ってラシュヴィーダは思わず尋ね返した。
タキロスはわずかに視線を大地に向けながら、訥訥とつとつと言葉を続けた。
「会いたいんだ。難しいのはわかっている。でも、今、言わなければ二度と君には会えないだろう。危険かもしれない。こんなことを頼んでいいのかわからないが、できるだけのことはする。この場所か、もう少し森に近いところで、君の指定した日に、私はここに来よう」
先ほど、いとも軽々とドゥムルカンの男達を翻弄ほんろうした勇姿からは想像もつかないほど静かに、ためらいがちな少年のようにタキロスは望みを口にしている。
どう受け取ったらいいのかわからなかった。
何かの罠ではないだろうか。彼の望みを聞いてしまったら、とんでもない危険に巻き込まれる恐れはないだろうか?
ためらって答えかねているラシュヴィーダの返事を、タキロスは馬を止めたまま待っている。
「あの……」
「いや、無理ならいい。こんなことを言って悪かった。気にしないでくれ。どうか無事で。君が安全だと思えば、私も安心してエルシノアに帰れる」
強く求めない彼の態度が、かえって用心深いラシュヴィーダを信頼させた。
「あの、じゃあ、次の満月を迎える日の正午より一刻前」
聞くとタキロスはほっとしたように、ゆっくりと笑みを浮かべた。
初めて彼の顔をしっかり見た。
異国人は見慣れないけれど、きっと美しいと言われているに違いない。
艶やかな黒い髪。整った顔に青い目が優しげに微笑んでいる。
「よかった……。君たちの言う一刻とはどのぐらいのことか」
その言葉に、時刻の数え方も異国とヘルベベスでは違うということを初めて知った。
「昼と夜の長さが同じになる日の、日の出から正午までの長さを三で割ったものを私たちは一刻と呼んでいるわ」
「わかった。ありがとう。もし難しければ、無理しなくてもいい。君に負担をかけたくない」
タキロスの、あくまで彼女を大切にするものの頼み方、穏やかな表情で静かに話す態度がだんだんとラシュヴィーダの不安を解きほぐしてきていた。
「雨で会えなければ、その次の満月に」
追ってそう話すラシュヴィーダの言葉にタキロスは嬉しそうにうなずいた。
「さようなら。もうここでね。あまりティトライカに近づくとあなたが危険になるわ。剣では強そうだったけど、もし弓で追われたら鎧を着ていないと危ないでしょ?」
名残惜しそうに、隣に馬を進めていたタキロスは微笑んだままうなずいた。
「そうだな。ヘルベベスの毒矢はとても危険だと聞いている。追われそうになったらここから逃げよう。私も命はまだ大切にしたい」
しばらく馬を進めて振り向くと、タキロスの黒馬はまだそのままの姿勢で彼女の方を向いて立っていた。
それ以上何度も振り向くのも、はしたない気がして、ラシュヴィーダはもう振り返らずにまっすぐに部族の元へ馬を駆けさせた。
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読んでくださってありがとうございます<(_ _)>
ラシュヴィーダの部族ティトライカの意味は、彼らの言葉で「絹の支配者」。
ヘルベベスの生計は主に放牧と狩猟ですが、交易も少しします。
ティトライカは、ヘルベベスの中では、やや商人としての性質が強く、そのため、後に出てくる隊商との親交も深いのです。
大族長になったのも交易で得た財産で家畜や武器などを集められた背景もあるのです。
ドゥムルカンの意味は「敵を殺すもの」。
戦士としての性質が強く、戦い、狩猟、略奪を自分たちの誇りと感じる部族です。
騎馬民族自体、戦い、略奪を罪とは考えず、むしろ、強いものが豊かになるのが当然、という意識があります。
そのため、略奪される側のエルシノア、バルラス、ジェッキオなど近隣の国々はヘルベベスを忌み嫌っています。
これからもよろしくお願いいたします(^^♪
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