お前は遊牧の民、敵国の王子などと恋をしてはいけない

猫洞 文月

第1話 エルシノア人だったら最悪 其の一

第一章 エルシノア人だったら最悪


 愛馬ナジクの息が、相当、上がってきている。さっきから草原をずっと駆けさせているのだから無理もない。


「おいおい、そんなに急がなくてもいいじゃねえか。俺たちは優しい男なんだ。ゆっくり遊んでやるからちょっと止まってみなよ」


 後ろからどっと、からかうような笑い声がわき起こる。 

 追っ手がさっきよりも増えてきていることにラシュヴィーダは気づいていた。


 完全に逃げる方向を間違えた。今、彼女は、家族のいるティトライカの野営地から離れる方へ離れる方へ追い込まれている。この先はもう、敵国の森だ。

  

「このまま行くとエルシノアの魔物の森だぜ。いくらティトライカのお嬢さんでも魔物の餌食になるのは楽しくないんじゃねえか?」


 また後ろの男達が笑い声をあげる。


 わかっている。


 魔物の森は彼女も、もちろん怖かった。

 森からいつ出てくるかもしれない、敵国エルシノア人も。


 でも、もしかしたら、障害物の多い森の中なら、身軽で敏捷な彼女は逃げおおせられるかもしれない。エルシノア人だって、いるかいないかわからないのだし、このままドゥムルカンの男達に捕まるよりましかもしれない。


 そう思って、そのまま森に向かってまっすぐ馬を駆けさせるラシュヴィーダの前に、突然、森の中から更に三騎の騎馬の男達が現れた。


「ようし、よくやった、オグルヌー」


 勝ち誇ったような声と共に、彼女の行く手をひげもじゃのがっちりした男が塞いだ。後ろからの数騎と前からの馬達に、ラシュヴィーダは完全に囲まれる形になった。


 待ち伏せされた。

 さっきからこの方向に追われていたのも、初めから計画されていたことだったのだ。


「ハヌルティムの娘ラシュヴィーダだな」


 一人の男が確かめるように問う。


「ティトライカの金髪美人といえばラシュヴィーダじゃないのか」


 後ろから別の声がする。


「ティトライカには金髪が多いんだ。大族長グルアティムの時代にバルラスからごっそり金髪女をさらってきたから」

「へええ。噂どおり、いい女じゃないか」


 一斉にわき起こった侮蔑的な笑い声に、彼女は、かっと体が熱くなった。


 所詮、女なんて物のようにしか扱わない男達。ドゥムルカン部族はティトライカ部族と昔から仲が悪い。自分を追いつめて何をしようというのだろう。


 彼女を囲む輪を馬上のまま縮めようとする男達に、ラシュヴィーダは鋭く制止の声を上げた。


「近寄らないで!」


 同時に腰に佩(は)いた短剣を抜く。戦いがあると思っていたわけではないので長剣の準備はない。いわば生活道具の短剣ではあるが何もないよりましだ。


 ティトライカの女は誇り高い。このまま抵抗もせず、されるがままになるよりは、せめて一矢報いてやろう。それが騎馬民族の娘の矜持(きょうじ)というものだ。


 ラシュヴィーダのその行いに、男達はまた下卑(げび)た笑い声をあげる。


「面白い。ヘルベベスの女はそのぐらい元気よくなくっちゃな。俺がちょっと遊んでやる」


 正面のがっちりしたひげもじゃ男がすらりと長剣を抜く。

 こちらは短剣、相手は長剣であれば勝ち目があるとは思えない。

 でも。

 

 ラシュヴィーダが、ぐっと短剣を握りしめ、いつ剣撃が来ても受けて立つ覚悟を決めたとき、あらたな蹄の音が聞こえてきた。

 

 また敵が?


 剣を握る手が汗ににじんだ。


「待て! その勝負、私が引き受けよう」


 聞いたことのない声だった。

 振り向いたのはラシュヴィーダだけではない。


 異国人の青年が、見事な黒馬に乗って長剣をかざして近づいてくるのが目に入った。


 どこの国の人だろう。ジェッキオかバルラスかエルシノアか。黒い髪、青い眼でとても背が高そうだ。ジェッキオ人は小柄だと聞くからバルラスかエルシノアか。エルシノア人だったら最悪だ。


「誰だ、おまえは!」


 目の前のドゥムルカンの問いに青年は快活に答えた。


「エルシノアのタキロスだ。この名を知るものもあるだろう。女性一人相手に大勢の男が何をするつもりだ。ヘルベベスではそれが流儀か」


 エルシノアのタキロス。


 周りを取り巻くドゥムルカンの男達に微妙な動揺が走ったのにラシュヴィーダは気づいた。何人かの男達が長剣を抜いて新たな敵に備えようとする。


 ガキン! 


 タキロスの振り下ろす、ずしりと重い一撃を、ひげもじゃの剣がかろうじて受け止めた。ガキン、ガキンとタキロスは容赦なく次々と剣撃を繰り出す。対するドゥムルカンの男の方は受け止めるのが精一杯で攻勢に転じる余裕もないようだ。


 じりじりとひげもじゃ男は追いやられて行き、ついに馬首を翻(ひるがえ)して逃げおおせたのは、剣術というより優れた馬術のおかげだった。


 ヘルベベスは馬の扱いでは異国人には決して負けない。タキロスは深追いせず、すぐに手近な他の者にその矛先を切り替えた。


 ひらり、とドゥムルカンの男は馬でタキロスの鋭い突きを避ける。

 得意な馬上の勝負であるにも関わらず、ドゥムルカンの誰もがタキロスの圧倒的な剣術に対抗できずにいる。


 彼らもこれほどの敵を想定していなかったに違いない。十人ばかりの男達のうち、長剣を持っていたのは半分ほどで、短剣しか持っていない者は初めから勝負にならないと、タキロスから距離を置いていた。


 ガキン、と剣のぶつかる火花が散り、ドゥムルカンの男の長剣が宙を飛んで弧を描き、離れた地面に落ちた。


 一瞬、勝った、と思ったであろうエルシノア人の青年の隙をつくように、別の男が後ろから彼に襲いかかった。


「危ないっ!」


 思わずラシュヴィーダは声を上げた。

 その声に気づいたのか、タキロスは右手の剣を左手に持ち替え、振り向きざま剣を振るって、斜め後ろの男の剣を、一撃で薙ぎ払った。


 すぐ次に、彼の剣を持たない右横から別の男がタキロスに切りかかっ

た。


 はっとラシュヴィーダは思わず目を覆ったが、おそるおそる手を離して見てみると、もうタキロスは攻勢に回っていた。何合か打ち合う剣の音が響いたと思うと、タキロスの幅広い剣はドゥムルカンの帽子をすぱっと切り落としていた。


 ばさり。音ともにフエルトの帽子と髪の束が頭から飛んで散らばった。


「覚えておけ。首を切るのは帽子を切るよりたやすいぞ!」


 脅しと言うにはあまりに楽しげなタキロスの声に追われて、帽子を切られたドゥムルカンの男は顔色を変えて仲間の元に逃げ去った。


 引け、引け、と声が遠ざかる中、ラシュヴィーダは異国人の青年と二人、草原に残された。


「大丈夫か? 怪我はなかったか」

「それ以上近づかないで!」


 二、三歩、馬を進めようとしたタキロスは短剣の切っ先を向けられて馬の足を止めた。

 ――――――――――――――――


読んでくださってありがとうございます<(_ _)>


欄外にこの作品についての余談など入れてみようかと思います。

特に必要のない部分ですので、読み飛ばしていただいても結構です。


ヘルベベスとは、彼らの言葉で「馬に乗るもの」という意味で、国の名前ではありません。なので、「ヘルベベス」「エルシノア人」とは言うけれど、「ヘルベベス人」とは言いません。


領土とか国境とかは、農耕民族の概念なので、遊牧民は、おおまかな縄張り程度の意識はありますが、国境とか、国、という考え方を持たないのです。


地縁がないので、仲間のつながりは部族、血族であるということ。

部族のつながりは強いのですが、ヘルベベス全体が仲間としての自覚は弱いのです。


この世界の設定では、騎馬民族の遊牧民はほかにも幾つかあるのですが(多分、今作品には名前程度しか出てきません)、彼らがヘルベベスと呼ぶのは「半人半馬を祖先に持つもの」だけです。


ご意見ご感想お待ちしております。

これからもよろしくお願いします(^^♪


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