第13話 もう一つの光(後)

「怪我の軽い者は重い者に手を貸してやれ」

「おい、傷薬と包帯が足りねえぞ。持ってきた分、全部引っ張り出せ!」


 火蜥蜴サラマンダーがスピカたちを追って去った後は、さながら野戦病院だった。イザールが走り回り、ひっきりなしに部下へ指示を飛ばしていた。


「ポーラ!」

「お父さん!」


 そんな中、愛娘の無事な姿を見つけたハマルは思わず駆け寄った。煙に巻かれて汚れてはいたが、どこにも怪我はしていなかった。


「……ああ、よかった無事で」

「おじさんたちが守ってくれたの」


 ポーラがジュバを見上げる。山越えの前は傷だらけのその風貌に少し怖がる素振りを見せていたが、ようやく慣れてきたようだ。


「ジュバさん、エニフさん。ありがとうございます」

「気にすることはない。仕事の内だ」

「まあ、こっちとしても疑われたままじゃ癪だしね」


 エニフがイザールたちの方を見る。傭兵団は火蜥蜴サラマンダーの襲撃で半壊状態だ。だが、傭兵団とジュバたちの活躍で商隊の人員に被害が出なかったのは不幸中の幸いと言えた。


「……ねえ、お父さん。足、痛くないの?」


 不意にポーラが尋ねた。ハマルは昨日の襲撃の時に足を負傷して歩くのに支障が出ていたはずだ。しかし、ポーラの下に駆け寄った時にはいつもと変わらない足取りだった。


「治ったのか」

「いったいどうやって?」

「……もしかして、スピカお姉ちゃん?」


 ポーラの指摘にハマルは押し黙る。とはいえ、昨日の今日で治っている事実を誤魔化すことも難しい。スピカには内緒と言われたがジュバたちになら。そうハマルは思い頷いた。


「……マジかよ」

「え、どうしたのおじさん?」


 驚くジュバの姿にポーラは首を傾げる。彼女は魔法使いについて知らないことがあまりにも多かった。


「ポーラちゃん、スピカちゃんが使っていた魔法の属性、覚えているかい?」

「うん、『水』でしょ? とっても奇麗な魔法だったから覚えてるよ」


 そして、ジュバは顎髭をいじりながらポーラの疑問に答えた。


「だけどな、体の怪我を治す魔法は『水』の属性の魔法には無いんだよ」


 腕力増強などの身体強化の魔法。そこから派生した体の機能を取り戻すために外傷を治療する魔法。その力は――。



 ◆     ◆     ◆



「アルト、もっと飛ばして!」


 後ろを振り向き、追ってくる火蜥蜴サラマンダーとの距離を見てスピカがアルトへと叫んだ。二人を乗せた馬はアルトの手によって更に加速する。


「ははっ、こんな状況じゃなきゃ女の子にしがみついてもらえるなんて役得味わえなかったな!」

「軽口叩いてる場合じゃないでしょ!」

「大丈夫、任せろ!」


 火蜥蜴サラマンダーの尻尾が跳ね上がる。体に帯びた炎を先端に乗せ、前方へと火球を打ち出す。


「来た!」

「スピカ、迎撃頼む!」

「わかった――Aqua水よ!」


 スピカの右手に青い紋章が輝く。霧は徐々に消えつつある。故に大気中の水分だけのみならず地面の水たまり、さらには魔力を周囲に放って水に変換していく。


「おお、そんなこともできるのか。凄えな、水の魔法!」

「かなり魔力使うからあんまり連発できないけどね!」


 魔力の保有量は魔法使いごとに違う。そのために可能な限り節約して魔法を使う。大半は周囲に既に存在しているものを利用する。火属性や水属性は強力な魔法が多い分その傾向は強い。


「“水は集いてつぶてとなる”」


 水分が集って周囲に水球を次々に展開していく。生成したそばから飛来する火球に向けて撃ち出し、いくつかの火球を相殺した。だが、残った分が二人目掛けて落ちていく。


「ごめん、残った!」

「上出来!」


 手綱を操り、右へ左へと馬を動かす。残りの火球はいずれも直撃を避け、地に落ちていく。


「どんなもんだ!」

「凄い……」

「へへっ、惚れたか?」


 少しだけ後ろを見てアルトは歯を見せる。だが、そんな仕草に対しムッとしてスピカは言う。


「理想と髪の色が違う」

「手厳しいな!?」

「乙女としてそこは譲らないから!」

「へいへい! そんじゃもうひと働きだ!」


 火蜥蜴サラマンダーが次々と放つ火球をかいくぐる。スピカも魔法で弾幕を張り、少しでも被弾する可能性を減らす。少しずつ、下に湖が広がる崖の尖端へと近づいていく。


「もうすぐだ。でも、あいつをどうやって突き落とす?」

「……隙さえ作れればなんとかできると思う」

「隙って、そんなこと言ってもあいつに剣は通じないぞ」


 火蜥蜴サラマンダーの皮膚は鱗で覆われている。魂喰いでその硬さも強化されていることは想像に難くない。スピカは魔法である程度は対処できるかもしれないが、このままではアルトだけ対抗手段がない。隙を作るどころか戦力にすらならない。


「……アルト、これ使って」


 手綱を持つアルトの体の前にスピカが手を回す。その手には一振りの短刀が握られていた。


「おい、こんな短刀一本じゃあいつには……」

「大丈夫、威力は保証するから……竜の鱗だって貫ける」

「……は?」


 アルトは一瞬、聞き間違えたかと思った。


「それ、無くさないでよ。お父さんから貰った大切なお守りなんだから」

「お、おいスピカ!?」

「アルト、また来た!」


 言葉を交わしている暇はなかった。再び火蜥蜴サラマンダーが火球を放つ。


「なっ!?」


 だが、今回はその一部の向かった方向が違う。二人の進行方向の右手にそびえる絶壁に向けて火蜥蜴サラマンダーは攻撃を行う。火球が炸裂して壁が抉れ、その破片が落石となって降り注いでくる。


「くそっ、避けきれねえ!」


 上からの火球と、右からの落石。二方向からの攻撃にはさすがに対処しきれない。馬が巻き込まれて足を折り、二人も地面に投げ出される。


「走るぞスピカ!」

「うん!」


 叩きつけられた痛みを堪え、それでも起き上がって二人は走り出す。走る火蜥蜴サラマンダーとの距離はどんどん詰まって行く。だが、追い付かれるよりも先に二人がついに崖の先端に遂にたどり着いた。


「あとはこいつを突き落とせば――」

「アルト、危ない!」


 振り向こうとしたアルトを突き飛ばしてスピカが躍り出る。とうとう追いついた火蜥蜴サラマンダーが猛烈な勢いで噛みつこうと後ろにまで迫っていた。


「はあっ!」


 その巨体をスピカが受け止める。だが、その勢いを止められずに崖の先端へと押されていく。


「スピカ!」


 アルトが短刀を抜く。その短い刃は剣に比べていかにも頼りなく見えた。それでもスピカの言葉を信じ、火蜥蜴サラマンダーの横顔目掛けて斬りかかる。


「ギャアアアアアア!」


 まるでゼリーを切るように、あっさりと火蜥蜴サラマンダーの皮膚を断つ。予期していなかった攻撃に火蜥蜴サラマンダーは身をよじりながら悲鳴を上げた。


「この短刀……まさか」


 スピカの言葉。そしてそれを裏付ける威力。竜の皮膚をも切り裂くと言う世界でも稀にしか見ることのできない武器の一つ。


「『竜殺しドラゴンスレイヤー』かよ!?」

「シャアアアアア!」


 激昂した火蜥蜴サラマンダーが火を放つ。だがアルトはそれをかいくぐり、その顔面を蹴って飛び上がる。


「食らいやがれ!」


 そして、その右目に短刀を突き立てる。いかに硬い鱗を持つとはいえ、竜の皮膚をも断つ短刀の前には咄嗟に閉じたまぶたも何の意味も持たなかった。


「ギャアアアアア!」


 再び火蜥蜴サラマンダーが咆哮する。顎を上げ、身をのけぞらせてアルトを振り落とそうと暴れる。


「今だスピカ!」


 目を潰されて火蜥蜴サラマンダーはアルトの姿を見失っていた。故に、彼が既に離脱していたことにも気づいていない。

 スピカから注意がそれたその瞬間、彼女は火蜥蜴サラマンダーの懐に潜り込む。


「おい、まさか!?」


 アルトがその意図に気付く。いかに彼女の怪力と言えどさすがにその巨体を動かすことはできない。それは今しがた証明されたばかりだ。


「よせ、潰されるぞ!」


 スピカが火蜥蜴サラマンダーの腹と地面の間に立つ。そして両手を頭上に掲げ、迫り来る火蜥蜴サラマンダーの巨体を受け止める。


「スピカ!」

「大丈夫。私の力と……魔法があれば!」


 その全身に魔力がみなぎり、彼女の右手の甲に輝く紋章が浮かび上がる。だが、


「マジかよ!?」

「――Terra地よ!」


 怪我を癒し、己の身体能力を向上させる。近接戦闘に最も特化したその属性は『黄』の光を放つ。スピカが発動させたのは地属性の魔法だった。


「“大地は猛りて我が身に宿る”」


 魔力がスピカの身体に作用し、その力を数倍に引き上げる。元々超重量を持ち上げることのできるスピカが用いれば、彼女が持ち上げられる物の範囲は一気に広がる。それは魂喰いで肥大化した火蜥蜴サラマンダーとて例外ではない。


「はああああっ!」


 その巨体が持ち上がる。必死に火蜥蜴サラマンダーはもがくが、牙も尾も炎でさえも自分の真下への攻撃は届かない。


「やあああーっ!」


 スピカが渾身の力を込めて火蜥蜴サラマンダーを投げる。崖から放り出され、真っ逆さまに湖へと落ちていく。


「ゴァアアアアア!」


 朝の冷気で凍てつくような温度の湖に叩き落される。体温が下がり、全身から蒸気を立ち上らせながらその炎はその勢いを弱めていく。


「――Aqua水よ


 そして、スピカの紋章が放つ色が黄色から青へと変わる。その右手を高々と掲げ、眼下でもがく火蜥蜴サラマンダー目掛けて魔法を唱える。


「――“水は”」


 右手をゆっくりと振り下ろす。紋章から放たれた光が軌跡となり、鮮やかな青い光の線が引かれる。


「――“凍てつく”」


 その手がさらなる軌跡を紡ぐ。鋭角を描いて右下から左方へと。


「――“ひつぎとなりて”」


 光の行く先は右方へと。スピカの言葉が魔法に次々と命令を埋め込んでいく。

 魔法はその告げる属性と、後半部の小節によって成立する。術者の魔力が豊富であればあるほど一度に命じることのできる術式の数は増えていく。

 そして、光は左下へと紡がれていく。


「――“永遠とわの”」


“人喰い火蜥蜴サラマンダー

 元々は人を襲うことなどない、大人しい魔物だった。だが、その皮膚や鱗は燃えない素材として商人の間で重宝され、高額で取引がされていた。それ故に乱獲が続き、火蜥蜴サラマンダーは己の身を守るために外敵を排除した。

 その中で、たまたま倒した人間の魂を捕食した個体が現れた。全身にみなぎる力。禁断の果実を口にしたその個体は、外敵を圧倒的な力で排除できるその力にあっさりと溺れた。そして、狩る者と狩られる者の立場は入れ替わる。山に棲み付き、旅人を襲い、その魂を喰らってさらなる成長を遂げた。


「――“眠りに”」


 上方へと光は向かう。そして起点に結び付く。

 彼女は殺生を好まない。だが、人を捕食し、殺戮に興じて魂を喰らう魔物だけは例外だ。

 どんな原因があろうと――たとえその原因が人間にあるとしても――放置すれば多くの犠牲者がこれからも出る。それだけは許されない。魔物の虐殺から生き延びた者として。


「――“その身を封ず”」


 五つの頂点が光で結ばれ、光の輪の中で五芒星が完成する。紡いだ魔法が最大級の力を放ち。湖全体を包み込む冷気となって立ち込める。


「……ごめんね」


 吐く息も凍りそうな冷たい空気の中で、スピカはひとり火蜥蜴サラマンダーへと謝罪の言葉を口にする。そして、五芒星の魔法陣が湖へと放たれた。


「ギャアアアアア!」


 火蜥蜴サラマンダーの絶叫の中、湖面に氷が走る。その範囲を広げ、火蜥蜴サラマンダーの身体を取り囲む。

 着水していた脚と尻尾が凍結した。氷は体を登って背、首と白く染め上げていく。


「グ……オオ……」


 そして、力なく鳴いた――あるいは泣いたのかもしれないが――その直後に、火蜥蜴サラマンダーの全身が凍結する。炎は消え、その巨体は二度と動き出すことはなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る