第14話 明日への思い

「うわあ……きれい」


 目の前に広がる光の世界にポーラは目を輝かせた。人喰い火蜥蜴サラマンダーが倒されたことにより、その内の魂が解放され湖全体を覆いつくすほどの光が放たれていた。棲み付いてから数年、これまで襲われた旅人や討伐に向かい、打ち倒された騎士たちの魂もようやく解放されて天に昇っていく。


「お疲れさん」


 崖の先端に座ってその光景を眺めていたスピカにアルトが声をかける。服は焼け焦げ、砂と泥で大いに汚れていた。その姿に思わずスピカは笑ってしまう。


「酷い格好」

「お互い様だろ」


 汚れ具合で言ったら一緒に行動していたスピカも似たようなものだ。アルトも苦笑しながら短刀をスピカに手渡す。


「これ、返すな。まったく、まさか竜殺しドラゴンスレイヤーとは思わなかったぜ」

「竜の牙を素材にして作った物って聞いていたから、大概の魔物は貫けると思ってた」

「お前の親父さん、どこでそんなもの手に入れたんだか」

「……ごめん、それは言えない」

「それもそうか。そんな代物が取れるところ、人には言えないわな」


 “知らない”ではなく“言えない”と言うスピカ。その意味の違いに果たしてアルトは気付いているのか。飄々とした物言いに、その真意は知れない。


「……何も聞かないんだね」

「魔法使いに過去を聞くのは野暮ってもんだ。それに女の子は秘密の一つや二つあるもんだろ?」


 アルトがスピカの隣に腰を下ろす。多くの魂を放つその光景は朝日よりも眩しく輝いていた。


「……ありがとう、アルト」


 何も聞かない。それでもそばにいる。そんなアルトにスピカは素直な言葉をかけていた。


「惚れた?」

「ごめん、タイプじゃないの」

「ちぇー」

「……でも、相棒にしていいくらいには信用してる」

「ははっ、そりゃ光栄だ」


 共に駆け、共に戦い、そしてともに同じ光景を見ている少女。魂の光に照らされた彼女の横顔は、強大な魔法を使い世間から恐れ忌み嫌われる存在であっても、とても奇麗だとアルトには見えていた。


「……俺は、本気になりそうだけどな」

「……え? 今、何か言った?」

「いや、何も」


 アルトが立ち上がる。解放された魂もそろそろ底を尽き始め、その光が弱まり始めていた。


「これからどうするんだ?」

「まずは山を越えないとね……ここからだと丸一日から二日はかかるかなあ」


 ここから先は下り道だ。ようやく半分まで来たことになるが、まだまだ険しい道は続く。


「俺も行くよ」

「駄目だよ。アルトはポーラちゃんの護衛があるんだから」

「でもよ……お前ひとりで行かせるのは」

「――その通りだ。依頼人を置いて抜ける気か小僧」


 突然かけられた声にアルトは振り向く。そこにはイザールが立っていた。


「お前は依頼人の娘の護衛だ。勝手にいなくなられては困る」

「勝手はどっちだよ。ここまでして皆を守ったスピカを追い出そうとして――」

「……何ならその娘に手伝ってもらってもいい」

「は?」

「え?」


 思わず二人は顔を見合わせた。イザールは踵を返して歩き出す。


「二度も助けてもらって追い出すことなどできるか。これじゃどっちが人でなしだかわからん」

「……イザールさん、ありがとうございます」

「礼などいらん。むしろこっちが言いたいくらいだ。お前のお陰で報酬も上乗せしてもらえそうだからな」


 スピカは首をひねる。イザールは湖面の火蜥蜴サラマンダーを指して言った。


「あいつの鱗も皮も、肉も高く売れるからな」



 ◆     ◆     ◆



「……しかし、とんでもねえ力だな。湖ごと凍らせるなんて」


 目の前に広がる氷の世界にジュバは嘆息した。その中心では氷漬けになった火蜥蜴サラマンダーの引き上げ作業が行われている。盗賊と火蜥蜴サラマンダーの襲撃で積み荷にも被害は出たが、これだけの大きさの火蜥蜴サラマンダーがまるまる一匹手に入ったその利益で帳消しどころかお釣りが来るほどだ。


「俺がこの剣の腕を得るのに二十数年。だが、嬢ちゃんはあの年齢で俺たちが倒しきれなかった火蜥蜴サラマンダーを仕留めちまった」

「だから化け物って呼ばれるのさ。戦場に投入されれば一人で戦局を覆しかねない力を魔法使いは持ってる。喰うか喰われるかの野生の魔物と違って感情と欲得で動く分、魔物よりも厄介な存在になっちまってるのさ」

「そんな“化け物”があんな嬢ちゃんとはねえ……」


 ジュバが視線を向けた先にはポーラと一緒に商隊の食事を作っているスピカがいる。ああしている姿を見ると髪の色を除けば仲睦まじい姉妹のようだ。


「見た目によらないもんだ」

「ハハッ、見た目でわかっちゃ魔法使いはそこら中で殺されてるよ」

「それもそうだ」


 エニフもスピカの方を見る。腹を空かせたアルトがつまみ食いをして追い回されていた。


「あの子は世の魔法使いと少し違うみたいだね。力に溺れず、その魔法を誰かのために使おうとしている。魂喰いもしないと来た」

「優しい魔法使いか……そんな奴がいるんだな」

「……ほんとだよ。優しいったらありゃしない」


 スピカに追われてアルトが二人の下へと逃げて来るのが見えた。


「オッサン、姐さん、助けてくれ! 湖に沈められる!」

「待ちなさい、アルトー!」

「……こいつはこいつで珍しいな」

「……ほんとだよ。懲りないったらありゃしない」


 ジュバとエニフを中心にアルトはグルグルと回ってスピカから逃げ回る。そんな彼の首根っこをジュバは掴み、ジタバタと暴れるアルトをスピカに引き渡すのだった。



 ◆     ◆     ◆



 夜も更け、スピカはポーラを寝かしつけるため馬車の中にいた。毛布を掛けたポーラは傍らで寄り添う彼女を見上げている。


「ねえお姉ちゃん」

「どうしたの、眠れない?」

「うん、ちょっとだけお話してもいい?」


 昼間はポーラも危機にさらされた。だから眠るのに不安があるのに違いない。そう感じたスピカも外の様子を伺いながら頷く。


「わかった。ちょっとだけだよ」

「うん」


 馬車の外では商人や傭兵らが焚火を囲んでいる。ただでさえ険しい山道に加えて盗賊や火蜥蜴サラマンダーの襲撃と立て続けだ。さすがに傭兵たちにも疲労の色が見える。今は順番に見張りを立てて仮眠を交代でとっているが、ハマルは時々うつらうつらとしては首を振って目を覚まそうとしていた。


「お姉ちゃんのお父さんとお母さん、遠くにいるんだよね……寂しい?」

「うん、寂しいな」


 悲しげに俯く姿に、ポーラはその言葉に何か秘められた気持ちを感じていた。ただ離れ離れになっているのではなく、何かまだスピカは背負っているものがある。だが、幼いポーラにはそこまで複雑な部分までは読み取れない。


「家族がバラバラなのって、寂しいよね。私もお母さんが遠くにいるんだって、お父さんが言ってた」

「そっか……いつか会いたいね」


 ポーラの母親が亡くなっていることはスピカもハマルから聞いていた。ポーラはまだそのことを理解していない。いつかまた会えると思っているのだ。


「でも私、お姉ちゃんとアルトお兄ちゃんが一緒だったから嬉しかった」

「私も、妹ができたみたいで楽しかったよ」

「えへへ……お姉ちゃんとお兄ちゃんがいっぺんにできたみたい」


 この過酷な山の戦いの中で、ポーラの明るさにスピカは何度も癒された。ハマルも人柄がよく、アルトもずっと味方になって支えてくれた。性格は軽いがどこか芯が通っていて、最初の印象は悪かったものの今では好感が持てる。ジュバとエニフ、傭兵らも、一時は疎まれたが、イザールのお陰で火蜥蜴サラマンダーの討伐後からは少しずつ歩み寄ってくれている。


「は……ふ」

「眠くなってきた?」

「うん……」


 ポーラが大きくあくびをした。話をしている内に安心したのかもしれない。段々と目も閉じ始めていた。


「ねえ、町に着いたらね、お父さんお仕事でしばらく忙しいんだって。だからちょっとでいいから……」

「いいよ。お姉ちゃん、お父さんのお仕事が終わるまで一緒にいてあげる」

「ほんと?」

「何ならアルトも連れて行くから」

「えへへ……じゃあ、一緒に手を……繋いで…遊んで」

「……うん、約束」


 眠りに落ちるポーラの小指に自分の小指を絡めて約束を交わす。幸せそうに眠るポーラを起こさないよう、静かにスピカは馬車の外へ出た。


「おや、スピカさん。ポーラは寝ましたか?」

「はい。ぐっすりです」

「ありがとうございます。本当によくスピカさんに懐いていて、ありがたいです」

「……さて、俺はこれで失礼する」


 イザールが立ち上がる。少し歩いてからスピカに振り向いて一言告げていく。


「一応言っておくが、見張りの交代の時間だからだ」

「はい、わかっています」

「……ちっ」


 自分があからさまに彼女を拒絶しているという意思表示をしてしまったのではないかと、そう思ったのだろうか。イザールは自分が取り繕っていることに気付いて舌打ちをした。そんな姿を見て笑いそうなのを堪えながらエニフがスピカに温めたミルクの入ったカップを手渡す。


「はい、スピカも飲みな」

「ありがとうございます」

「私もいただけますかな。さすがに夜が冷えて堪えます」


 ハマルもカップを受け取り、程よい熱さになっていたミルクで喉を潤す。夜の山は冷える。だから温かい飲み物はとてもありがたい。一息ついたところでスピカはアルトがいないことに気付いた。


「そう言えば、アルトは?」

「あいつは見張りだ。傭兵たちの負担を減らしてやりたいんだと。用があるなら場所を教えるが?」


 ポーラと町で遊ぶ約束のことを話そうと思ったのだが、急いで伝える話でもない。このことは夜が明けてから話すことにした。


「いえ、明日の朝に話をします」

「そうか」

「……しかし、今回は本当に助かりました。傭兵団には犠牲が出てしまいましたが、商隊は皆無事でいられました。これも皆さんのお陰です」


 ハマルはスピカ達に深々と頭を下げる。


「気にすることはねえさ。奴らも傭兵だ。仕事の途中で命を落とすのだって覚悟の上だ」

「そうそう。それに一番活躍したのはそこのスピカちゃんなんだし」

「や、やめてください。全部、皆さんがいたからですって」


 向けられた称賛の言葉にスピカは慌てる。盗賊を撃退したのも、火蜥蜴サラマンダーを討伐したのも、彼女一人ではできなかったことだ。

 盗賊団との戦いではジュバやエニフ、イザールの傭兵団が。火蜥蜴サラマンダー戦ではアルトが。それぞれいたからこそ今がある。


「それに、まだ山を越えていません。まだ感謝するのは早いですよ」

「それもそうですな。まだ盗賊団の襲撃があるはずです。町に着くまで気を抜けませんな」

「……あの、ハマルさん。町に着いたら少しでもいいからポーラちゃんと……その」


 だが、彼女にとって唯一の気がかりはポーラの事だった。町で出会った時からポーラは一人で遊んでいた。先程話した時もハマルの仕事があることに文句も言わなかったが、スピカと遊ぶ約束をした時には年相応の反応を見せていた。

 ハマルも気づいていたのだろう。スピカの言葉に目を伏せた。


「あの子には寂しい思いをさせて来て申し訳ないと思っています……ですが、この山越えで終わりです」

「そうなんですか?」


 ハマルは優しい笑みを浮かべて頷く。


「ええ。実は今回の件が片付いたら店をたたもうと思っているんです」

「おや、それは娘さんのためかい?」

「はい。やはりこの仕事は危険が大きい。これから娘を育てていくにも、もっと安全な環境を整えてやらねばと思いまして。誰かに店を譲って娘と二人、落ち着いて暮らして行くつもりです」

「……ポーラちゃん。喜ぶと思います」


 念願だった父娘が共にいられる時間。スピカはそんな二人のこれからの幸せを心から願うのだった。


「さて、そろそろ遅い。二人も今のうちに寝ておけ」

「そうそう。イザールたちの番が終われば次はジュバと私が見張りだ」

「そうですな、明日も早い。眠くなってきましたし、私もそろそろ眠るとしましょう」


 ハマルはポーラの眠る馬車の中へと入っていく。スピカもカップを片付けて眠ろうと思ったが、思いの外眠気が強い。


「あら、いいよ。私が片付けておくから」

「すいません……先に休ませて……いただき……ま…す」

「ああ、お休み」


 焚火の温かさが余計に眠気を誘う。エニフにカップを渡した時にはもう半分寝ていた。スピカも毛布を被ってその場で眠りにつくのだった。

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