第09話 たとえ、化け物と呼ばれても

 昨晩から降り続いていた雨はハマル一行の動きを鈍らせていた。水を吸った地面はぬかるみ、思うようにスピードが出せない。無理に動けば左手に広がる湖に転落してしまう可能性があるだけに慎重に進まなければならなかった。


「来たぞ!」


 だがそんな中、イザールの声で全員に緊張が走った。予想通り、商隊の行く先に盗賊団が現れた。右は絶壁、左側は断崖、そして下には湖が広がる。逃げ場は前か後ろにしかない。


「ちっ……後方からも来たか」

「そちらは任せろ、イザール」

「アルト、スピカちゃん。ハマル氏とポーラちゃんを頼んだよ!」


 ジュバが剣を、エニフが槍を掴み、馬車から飛び出していく。後方から現れた一団の前に立ちはだかり、声を張り上げる。


「さあ、ここは通さないよ!」

「追いたきゃ殺していくんだな!」


 一斉に襲い掛かって来る盗賊団に微塵も臆さず、二人は刃を振るう。ある時は力で、ある時は技で。数的な不利をものともせずに盗賊たちを押し留めて行く。


「よし、前方の奴らは俺たちで蹴散らすぞ!」

「了解!」


 昨日のような失態は繰り返さない。傭兵団も数人で組を作り、連携して対処する。


「お姉ちゃん……怖い」


 馬車の外から聞こえる打ち合う音や怒号がポーラを怯えさせる。スピカはそんな少女を抱きしめて宥め続けた。


「ふんっ!」

「ぎゃあ!」


 イザールの剣が一人の男を仕留める。いかに連携をしているとはいえ、練度は傭兵団の方が上だ。次々と打ち倒し、突破口が開いて行く。

 後方のジュバたちの様子は気にかかるが、追手が迫って来ない所を見ると防ぐことはできているようだ。


「先に行け、中継地で会おう!」

「わかりました!」


 ハマルが合図をかけ、手綱を振るう。馬車が次々と走り出し、盗賊団の囲みを抜け出す。ぐんぐんスピードを上げて離脱していく。


「――かかった!」


 だが、傭兵団と馬車の距離が開いたその時こそがバーダンの狙っていた瞬間だった。合図とともに崖の上から現れた盗賊団は一斉に岩を落としにかかる。


「皆、急いでください!」


 それでも馬車は次々に通り抜けていく。そして攻撃は残された馬車へと集中していく。


「むうっ!?」


 残されたスピカたちの乗る馬車はハマルが手綱をさばき、雨に混じって振って来る落石を必死に回避していく。馬車の中ではスピカたちがその動きで振られ、固定されている荷物に何度も打ち付けられる。だが、それでもスピカはポーラだけは抱えて絶対に離さなかった。


「――何だ、馬車が!?」


 しかし突如、馬車のスピードが落ちた。馬を走らせようとするが何かが引っ掛かったように馬車が動かない。この辺りは昨日の雨でぬかるんでいる。もしや車輪がはまったのか、そう思ったハマルが後方のスピカたちに声をかけた。


「すいません、どなたか車輪を見てください!」

「俺が見て来る!」


 アルトが急いで馬車から飛び降り、車輪を確かめ――その前に、振り向こうとしたアルトの足を何かが掴んだ。


「何だこいつ!?」

「アルト!」


 悲鳴が聞こえて外を見たスピカも目撃した――地面から腕が生えていた。

 アルトのズボンを掴み、その動きを封じている。よく見れば車輪にまとわりついているのも地面から何本も生えた土で作られた腕だ。


「……魔法!」


 そして、こんな異常な事態を引き起こす手段がたった一つだけあった。魔力で土を成形して遠隔操作することだ。


「あ、あれ。町で私を襲ったのと同じの!」

「何ですって!?」


 それはつまり、ポーラを襲った魔法使いの仕業だと言う事。この場所にそれがいる。盗賊団の中に――。


「よし、俺たちも行くぜ。あの馬車を狙え!」


 バーダンたちがロープを使い、崖から降りて来る。考えている場合ではない、今すぐに馬車を解放しないと馬車が取り囲まれる。


「ポーラちゃん、ここでじっとしてて!」


 スピカも馬車を飛び出した。地面に降り立つそばから土の腕が寄って来る。


「邪魔よ!」


 掴まれる前に蹴り飛ばす。スピカの力で腕が粉砕され、元の土塊に戻って行く。車輪の回りにいる手も次々に破壊し、戒めを解いていく。


「もう大丈夫です、動きます!」

「アルト!」

「構うな、早く行け!」


 アルトが後方を指し示す。遠くで馬車が攻撃されているのを目撃したイザールがジュバとエニフを伴ってこちらへと向かっていた。


「……わかった!」

「乗って下さい、スピカさん!」


 馬車が走り出すと同時にスピカが飛び乗る。土の腕を振り切って馬車が進んで行く――。


「うわっ!?」

「きゃあっ!?」

「わあーっ!?」


 速度を上げた直後、いきなり地面が沈み込む。片方の車輪が窪みに落ち、馬車が傾く。


「くっ……駄目だ、このままでは!」


 ぬかるんだ地面、バランスを崩した馬車。いかに操作に慣れたハマルと言えどここまでの悪条件が重なった上にイレギュラーな地殻変動にまで対応はできない。


「うわあああ!」

「ハマルさん、ポーラちゃん、スピカーっ!」


 馬車が横転する。地面を滑りながら断崖へと向かって行く。その先は巨大な湖だ。


「――させない!」


 滑る馬車の中から必死にスピカが飛び出す。荷台を掴み、足を踏ん張り、全力で制動をかける。


「止まって……止まって!」


 だが、地面が滑る。いかにスピカの力と言えど、踏ん張りがきかない地面で勢いを殺すことは困難だ。


「くううっ……わああああーっ!」


 渾身の力を込めて馬車を引っ張る。馬が崖から落ちる。車輪が砕けて落ちる――車体の三分の二ほどが宙吊りになった状態で、何とかスピカは馬車全体が落ちるのを止めることに成功していた。


「た……助かりました」


 横転する瞬間、咄嗟に馬車の中に飛び込んだハマルが大きく息を吐いた。もう少し遅ければ湖へ真っ逆さまだったに違いない。だが、まだ安心はできない。少しでも均衡が崩れれば馬車はスピカごと落ちかねない、そんな危うい位置にいるのだ。


「よかった……守れた――」

「逃げろスピカ!」


 安堵しかけたスピカの後方に、崖から降りた盗賊たちが迫っていた。アルトはようやくまとわりついていた手を引き剥がしたばかりで間に合わない。


「まずはあの厄介な女から殺せええええ!」

「逃げてください、スピカさん!」

「お姉ちゃん!」


 バーダンの指示で盗賊たちがスピカに狙いを定める。剣を抜き、ダガーを構え、斧を振りかぶってスピカの背後に立つ。だが今、手を離せば父娘は崖下へと真っ逆さまだ。それだけはできない。


「――っ!」


 スピカが歯を食いしばる。来るべき痛みに覚悟を決める。


「スピカーっ!」


 アルトが絶叫する。無防備なスピカの背に、刃が突き立てられた――。




「……っ」

「……な、何だ。どうなってるんだ」


 盗賊たちが動揺する。確かにスピカの背には刃が突き立てられた。彼女の表情が苦痛に歪んでいることからも確かにダメージはある。


「斬れねえ!?」

「何で、刺さらない!?」


 だが、刃は


「こ、この女いったい……」

「うわあああああーっ!!」


 戸惑う盗賊たちの前でスピカが絶叫する。馬車を握る手に渾身の力を込め、足を踏ん張る。


「お姉ちゃん!?」


 車体が持ち上がって行く。荷物を満載し、その重量は大岩をも超える馬車を少女の細腕が持ち上げて行く。


「ひ……ひいっ……」


 その光景に、盗賊たちが腰を抜かすほどの恐怖を覚えた。これまで怪力で木を振り回す姿は見ていた。それ自体も驚くべき光景だが、剣を突き立てて貫かれず、超重量の馬車を持ち上げるその姿はあまりに怪物じみたものだった。


「はぁ……はぁ……」

「助…かっ……た……のですか?」


 スピカが車体を安全な場所へと置く。中にいたハマルもポーラも這い出ながら唖然とした様子だった。


「……」


 雨が激しさを増して行く。雷鳴が轟き、スピカの遥か後方、湖の対岸の木に雷が落ちる。雨に打たれ、鮮やかな金色の髪の毛が肌に張り付くのを気にも留めずにスピカはゆっくりと盗賊たちをその青い眼でとらえた。


「ば……化け物だ」

「化け物だ、この女!」


 あれほど余裕を見せていた盗賊たちが慌てふためく。彼らはいかに優位に戦っていたとはいえ、それはあくまで人間相手と言う前提があってこそのものだ。


「こ、この化け物!」


 恐怖のまま、盗賊の一人が斧を振りかぶる。スピカはもう避けるつもりも見せず、ただ左腕を上げてそれを


「なっ……!?」


 その腕には衣服越しに斧の刃が食い込んでいる。だが、一切血が流れる気配がない。手甲を仕込んでいる様子もない。ただ純粋に、その肌が刃物を通さないのだ。


「……そうよ、化け物よ」


 右の拳を固める。左腕に乗っている斧めがけて思い切り振りきって――。


「ひ、ひいいいい!?」


 今度こそ相手が腰を抜かした。スピカの一撃で斧の刃が粉々に砕けていた。鉄をも粉砕するその力、その硬さは明らかに人間という範疇から逸脱している。


「化け物になってでも……私は進むしかないのよ」


 唇を噛み締める。その慟哭は誰にも届かない。本当ならこんな危険な旅をする必要などなかった。のどかな小さい村で、ささやかでも幸せに暮らしていくはずだった。


「両親にもう一度会うために……


 脳裏に浮かぶのは全てが始まった日。日常が壊れて全てを失った日。両親とも別れ、故郷を失い。一人で生きて行かなければならなくなった元凶――ドラゴン


「それ以外、もう何も残っていないんだから……」


 だからこの道を選んだ。いや、選ばざるを得なかった。忌み嫌われる存在になっても、望まぬ力を得ても。彼女には普通の人として生きる道は残されていなかった。


「スピカ……」


 この短い間にアルトが知っていたのはスピカが普通の女の子らしくあろうとしていたこと。女の子らしからぬ怪力を持ち、それでも花冠を作ったり、自分を「か弱い女の子」と呼んだりして普通の女の子らしさを示そうとしていた。

 それが彼女にとってどれほど切なる願いだったのか。明るく振る舞い、ちょっとした軽口に怒る。そんな彼女が秘めた闇の部分。「竜を殺す」という彼女の言葉にいったいどれだけの思いが込められているというのか。


「あの娘、まさか……」

「嬢ちゃん……お前さんは」

「――ジュバ、イザール。まずい、あれを見な!」


 エニフが崖の上を見上げる。激しい雨の中、もやに隠れて何かがいる。


「……違う」


 ジュバがその正体を看破する。もやではない。だと。


「シャアアアアアアアア!」


 体から発する高温の火炎が触れる雨粒を蒸発させていた。全身から蒸気を立ち上らせ、巨大な火蜥蜴サラマンダーが雷鳴の中、山中に轟くような咆哮を発して現れた。

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