第04話 業火の救出劇

「おい、火事だ!」


 突然広場に響いた叫びにスピカは思考を中断して顔を上げた。街の外れから煙が立ち上っている。自分の経験から間違いなく火災が発生していると直感したスピカはすぐさま現場へと向かった。


「おい、早く水を持ってこい!」

「無理だ。こんなになっちまったら消えねえ!」


 付近の建物からも次々と人が慌てて飛び出して来る。幸い燃えている倉庫は他の建物と棟繫がりになっておらず、燃え移る心配はないが誰もがその光景に慄いていた。


「よう嬢ちゃん。ここにいたのか」


 スピカ同様にジュバたちも現場に駆け付けていた。


「こりゃあ凄いな」


 見上げたジュバも驚いていた。倉庫から上がった火の手は勢いを増し、建物全体に早くも火が回っていた。窓から業火が噴き出す。その凄まじい様は見ているだけで息をのんでしまう。


「ポーラ、ポーラ!」


 右往左往する人たちの中で一人の男性が辺りを見回しながら誰かの名を呼んでいた。焦燥感に満ちたその表情に胸騒ぎを覚えたスピカは声をかけた。


「どうかしたんですか?」

「すいません、うちの娘を見ませんでしたか?」

「娘さんですか?」

「ええ、このくらいの背丈で。赤いワンピースを着ています。私が仕事をしている間、町で遊んでいると言っていたのにどこにも見当たらないのです」


 男性が示した人物像はスピカが噴水で会った少女に酷似している。考えてみれば冒険と言って倉庫街の方へと向かって行ったことは彼女も覚えている。


「この辺りへ向かっていったのを見ました」

「ああ、やはりそうでしたか。しかし、いったいどこに……」


 これだけの騒ぎになっていれば気になって近くに来ていてもおかしくないはずだ。だが、小さな女の子の姿はどこにもなかった。


「一体どこにいるんだ、ポーラ!」

「……?」


 野次馬たちの喧騒と、倉庫の火事の音に紛れてスピカは何かが聞こえたような気がした。


「……うさん」

「この声、まさか」


 すぐに意識を集中する。その耳に弱々しく言葉が聞こえた。


「おとう…さん。たす……け……て」


 その声は建物の方から聞こえた。パチパチと火が弾ける音に交じり、微かに少女の声が聞こえてくる。


「まさか、この中に!?」

「何だと!?」


 スピカの言葉に男性の顔色が変わる。この燃え盛る火の中に幼子がいるのかもしれない。そのことがわかり野次馬たちにも動揺が走る。


「ポーラ!」

「駄目だ。気持ちはわかるが火が激しすぎる」

「行かせてください!」


 飛び込もうとする男性をジュバは羽交い絞めにして止める。しかし屈強なジュバ一人ですら引きずって行きそうな勢いに駆け付けて来たエニフも手を貸して押し留める。


「駄目だよ、危険すぎる!」

「お願いです。あの子は……あの子は私の唯一の“家族”なんです!」


 叫ぶ男性の悲痛な思いに誰もが沈痛な面持ちで建物を見上げる。だが勢いを増す火を前に誰もが踏み出せずにいた。徐々に女の子の声が小さくなっていく。父親はその場にへたり込み、祈るように地に伏せる。


「……家族」


 そして、彼が発した「家族」という言葉に一人だけ反応していたのがスピカだった。


「おい、嬢ちゃん!」

「何をする気!?」


 無言でスピカが飛び出していた。燃え盛る炎の中へとその姿が消えて行く。


「ちっ、仕方ねえ!」

「お、おいあんた!?」


 そして、続いて野次馬の中からも誰かが飛び出す。額に青いバンダナを巻いた、紅い文様の入った黒いジャケットを着た若い男。アルトだった。彼もわき目も降らずに建物に向かうと、炎の中へ飛び込んでいった。


「くそ、無謀な真似を!」


 ジュバも追いかけようとするがその前に入口が崩れ出し、道を塞いでしまった。これでは中に入れない。舌打ちするジュバにエニフは声をかけた。


「ここはあの二人に任せるしかなさそうだね」

「そうみたいだな」


 エニフの言葉に父親が拳を握り締める。飛び込んでいった二人の若者に全てを託すしかなかった。



 ◆     ◆     ◆



「かーっ、勢いで入って来ちまったけどなんつー熱さだ!」


 煙を吸わないよう右手で鼻と口を覆い、燃え盛る倉庫の中を見渡す。一階は荷が詰まれていたために燃え広がるのが早い。このままでは上の階まであっと言う間に燃え広がってしまう。


「おいスピカ! 駄目だ……見失った」


 アルトは舌打ちする。建物の中は火の海と化していて身を低くしないと何も見えない。


「早くしないと焼け死ぬぞこりゃ。おーい、どこにいるんだ!」

「たすけ……て」


 その声はアルトの耳にも微かに届いた。


「上か!」


 すぐ近くの階段の上から聞こえた声に、アルトは階段を駆け上がる。煙はさらに濃さを増し、二階はほとんど何も見えない。彼は身を低くして目を凝らす――床に伏した小さな手が、かすかに見えた。


「おい、しっかりしろ!」

「ごほっ……ごほっ…助けて」


 抱き起こすと少女がせき込む。先程父親が言っていた服装と特徴は一致する。彼女がポーラに違いない。意識ははっきりとしているが、このまま煙に巻かれてしまえば危険なことになるのは間違いない。


「ああ、任せな。早く外へ……げ」


 その時、耳障りな音が頭上から聞こえた。


「おいおいおいおい、待て待て!?」


 火が回り、耐えきれなくなった屋根の一部が遂に崩れ出していた。その場所はちょうど彼らの真上。このままでは崩れ落ちて来た梁と屋根に圧し潰される。


「くそっ!」


 少女を抱きかかえるようにして守ろうとする。それがどれだけ効果があるかはわからない。それでも、無いよりはマシだ。

 轟音を立てて遂に梁が燃え落ちる。燃える木の塊が二人目掛けて落ちて来る――。


「見つけたーっ!」


 その時、煙を突っ切ってスピカが飛び込む。梁が直撃する前に二人の間に割り込み、その手で受け止める。


「あ……つっ!」

「お姉ちゃん!?」

「お、おいあんた。なんて無茶――」


 高温に熱された梁が手の平を焼き、スピカの表情が苦悶に歪む。


「てやあああーっ!」

「嘘だろ!?」


 だが、圧し潰されることなく足を踏ん張り、掛け声とともに投げ飛ばす。見るからに重量のある木の塊が少女の細腕で軽々と放り投げられる様にアルトは目を丸くした。


「大丈夫!?」

「お、おう……でも、あんたその手」

「だ、大丈夫。私のことはいいから」


 手の平が焼けた痛みを堪えて無理に笑顔を作っているのが痛々しい。だが、その傷口がすぐに塞がっていくのをアルトは見た。


「お前、まさか」

「話している暇は無いわ。早く逃げましょ」

「お、おう……やべっ!?」


 少女を抱えるアルトにスピカが手を差し出す。だが、彼は何かに気付いてそれを振り払い、彼女を階段の近くへ突き飛ばす。


「な、何するのよ!?」

「悪い、この子頼んだ!」


 声に続いて放り投げられた少女が飛んでくる。スピカはそれを受け止めるとアルトの方に目を向ける。


「ちいっ、やっぱりか!」


 アルトの足元が突如陥没する。二階を支える柱も床下も既に燃え、梁を受け止めた衝撃か、それとも投げ飛ばした衝撃で限界を迎えたのだ。


「アルト!?」

「お兄ちゃん!?」

「うわああーっ!?」


 手を伸ばすが届かない。スピカの目の前で身を躍らせたアルトが火の海になっている階下へと真っ逆さまに落ちて行った。


「……くっ」


 もう助けられない。それがわかっているからこそスピカは悔しさで歯噛みする。せめて彼から託された少女の命だけは守らなくてはならない。


「ポーラちゃん。しっかり掴まって」

「……うん」


 力いっぱいしがみ付くポーラを抱えて、スピカは煙の中を突っ切る。足場が崩れ始めている。階段を下りている暇はない。一か八か窓から外へと飛び出した。


「おい、何が出て来たぞ!」

「飛び込んでいった女の子だ!」


 煙と炎から全身でポーラを守り、空中に身を躍らせる。下は石畳だ。ポーラに傷一つ付けないためにスピカは空中で体を強引に入れ替える。


「――あぐっ!」


 背中から地面に落下する。少女にだけは怪我を負わせないようスピカは必死に腕の中で彼女を守っていた。

 すぐに彼女の下へ人が集まる。ぐったりして動かない様子に最悪の状況を想像するが、直後に腕の中にいたポーラがもぞもぞと動き出す。


「ポーラ!」

「お父さん!」


 すぐに走り出すと父親と抱き合う。煙とすすで汚れてはいたが、どこも怪我は無い。


「おい、嬢ちゃん。しっかりしろ!」


 だが、心配なのはスピカの方だった。彼女はポーラを守って背中から石畳に叩きつけられた。命の危険があってもおかしくない。ジュバとエニフがスピカに駆け寄り、声をかけた。


「大丈夫……です」

「……こいつは驚いた」


 ゆっくりとスピカが体を起こした。地面に叩きつけられたダメージはあるようだが外傷は一つも見当たらない。


「あはは……運がよかったです」

「それでもあんな落ち方したんだよ。ちょっと見せな」

「だ、大丈夫です。昔から頑丈なので。ほら!」


 エニフが確かめようとするが、スピカはそれを断るように立ち上がり、軽く飛び跳ねて五体満足であることを示す。


「そ、そうかい……? でも、何かあったら言いなよ」


 訝るエニフだが、スピカが大丈夫と言っている以上、無理に追及することはできない。


「おい、崩れるぞ!」


 そして、野次馬から上がった声に皆の思考も中断される。建物が音を立てて崩れ出す。炎と煙を噴き上げ、柱が折れて屋根が落ちて行く。


「アルト……」


 その光景をスピカは見ていられず目を逸らす。まだあの中にはアルトがいる。下階の火の海に落ち、その後脱出できたとは到底思えない。悲痛なその表情にジュバ達も言葉を失っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る