第05話 スピカの覚悟

 スピカはこの町一番の宿の露天風呂にいた。元々お風呂に入るのは好きだが、長旅でなかなか利用できる機会も少ない。だからこうやってゆったりとできることは久しぶりだった。本来なら彼女の手持ちでは泊まれるような場所ではないのだが、助けた少女の父親の厚意で用意してもらったのだ。


「……ふう」


 頭から熱い湯を被り、お湯が体を伝って汚れを落とす。火の中に飛び込んで煙に巻かれ、すすで全身あちこちが黒くなってしまっていたが、スピカはようやくさっぱりできた。


「……アルト」


 だが心は晴れない。自分と少女を助けるために命を落とした彼の事が頭から離れないのだ。倉庫の焼け跡ではまだ火がくすぶっており、彼の遺体を探すのも明日以降になるという話だ。


「やあ、スピカちゃん」

「エニフさん」


 ゆっくり露天風呂に浸かって気持ちの整理をしていると、エニフが現れた。


「隣、いいかい?」


 断る理由は無かった。スピカが頷くとエニフはゆっくりと湯に体を沈めて行く。


「アルトの事は残念だったね」

「……はい」


 付き合いは少しの間だったが、いざ居なくなってみると寂しさを感じる。魔物がはびこる世界でああやって明るく旅をできる者は珍しい。行倒れている所を助けただけと言うジュバとエニフも、彼の言動に呆れながらも同行を許していた辺り、人を引き付ける何かを持っていたのかもしれない。


「でもあんたが抱え込む必要はないよ。あいつも旅の者だ。いつかどこかで命を落とすのも覚悟の上だったはずだよ」

「そうですね、わかってはいるんですけど」


 彼の旅の目的は何だったのだろう。魔物がはびこる世の中で同行者がいないというのも珍しい方だ。同様に一人で旅をしているスピカもそうだが、そう言う時は大概、何かしら抱えている事情があるはずなのだ。


「……でも私は、自分を守ってくれた人たちの命を背負って行くって決めているんです。そして、いつか報いるためにも止まるつもりはありません」

「ただの無鉄砲な女の子ってわけでもないみたいだね……でも忠告だ。その在り方はいつか潰れるよ、割り切りな」

「失礼します」


 スピカは話を打ち切って立ち上がり、露天風呂から出て行く。肩をすくめてその背を見送るエニフはひとり呟く。


「命を背負う……ね」


 スピカの左胸と背中には大きな傷痕があった。これまでのエニフの経験から推察するに、後ろから心臓を貫かれたものではないかとエニフは思う。あれが果たしてどのような経緯でつけられたものなのか。そして、なぜ致命傷とも言えるそんな怪我を負って彼女が生きているのか。考えることは尽きない。


「だが、ただの綺麗ごとを言っているだけじゃなさそうだね」


 どこにでもいるような普通の女の子が、果たして何故過酷な旅を一人でしているのか。だが、それらの答えを知る者は彼女だけなのだから。



 ◆     ◆     ◆



 それから、風呂から上がったスピカは食事をとるために酒場へとやって来た。


「よう、お嬢さん」


 一足先に食事を始めていたジュバは酒を飲んで上機嫌でスピカに手を振っていた。


「お嬢さんには礼を言わないとな。ハマル氏の御厚意で傭兵団に参加させてもらえそうだ」

「驚きましたよね。助けた女の子の父親がまさか依頼主のハマルさんだったなんて」

「まったくだ。どこに縁があるかわからないものだな」


 自分の娘を助けてくれたお礼と、そのために一人の若者が命を落とした償いということなのだろう。ジュバとエニフも同じ宿を用意してもらえていた。


「……まあ、アルトには俺からも礼を言っておかねえとな。全部終わったら墓に花でも供えてやるか」


 酒も入り、少し浮かれていたことにジュバも気づく。アルトが犠牲になったばかりでさすがに不謹慎だったと自らを戒めた。


「私も、旅が終わったらこの町へ来るつもりです」

「そうそう。ハマル氏が嬢ちゃんに話があるみたいだ。行ってきな」


 ジュバが酒場のカウンターを指す。父と娘が仲睦まじく食事をとっていた。スピカが近付いて行くとポーラがいち早く気づいて笑顔を向けた。


「あ、お姉ちゃんだ」


 ポーラも風呂に入って真っ黒になっていた体を綺麗にして来たらしい。さっぱりとした様子で料理に舌鼓を打っている。


「おお、スピカさん」

「ハマルさん。色々とありがとうございます」

「いえいえ。娘の命を助けていただいた恩人にせめてもの恩返しですよ」


 その言葉にスピカは複雑な表情を見せる。確かにポーラを助けることはできたが、その代償は大きいものだった。


「聞けば、あなたは山を越えたいとか。急ぎの旅ですかな?」

「はい。ただ、山止めの影響で……」

「ではよかったら、明日からの山越えに同行いたしませんか?」


 思わぬ申し出にスピカは思わずぽかんとしてしまう。


「いいんですか?」

「ええ、娘の命を助けてくれた恩を返すにはまだ足りないくらいです。あの炎の中へ躊躇なく飛び込んでいくなんてそう簡単にできることじゃありません」

「単に夢中だっただけです。ハマルさんが大切な家族を失うのを見ていられなかったから……」

「だからこそです。損得の感情無しで誰かを守ることのできる人が私は欲しかったんです。身を挺してポーラを守ってくれたあなたなら信用できます」

「でも……」


 スピカは酒を飲んでいる傭兵たちとその長のイザールを見る。自分が同行するということは彼らの負担を増やすことだ。


「……ここだけの話ですが、彼らは少々信用ができないのです。私に黙って傭兵募集の窓口になっていたようですし、勝手に募集も打ち切っていました」

「そうだったんですか」

「それと、もう一つ。ポーラはあの倉庫街で遊んでいる最中に意識を失い、気が付いたら火の中にいたと言うんです」


 それはつまり、何者かによって運ばれたと言う事を意味する。話によれば、あの倉庫では火の元になりそうなものもなく、放火の可能性もうわさされていると言う。


「誰かがポーラちゃんをさらって、倉庫に火を付けたという事ですか?」

「そんなことをする目的はわかりませんが、恐らくは。それに……」

「それに?」

「これはあなただけにお伝えしておきますが、魔法使いの存在を疑っています」

「……魔法使いですか」


 自分の事ではないとわかってはいても、魔法使いと言う言葉に二人の間に流れる空気が張り詰める。スピカは平静を装いながら返事をした。


「ポーラは気を失う前に誰に襲われたのかは見ていません。ですが、“地面から手が生えて来た”と言っているんです」

「地面から?」


 確かに魔法ならば、子供に気取られることなく遠距離から昏倒させることは十分に可能だ。つまり、この町にはスピカ以外にもう一人魔法使いがいることになる。それも子供を襲う事に躊躇ためらいがない相手が。その事実にスピカも自然と拳を固く握る。


「私は立場上、商隊を率いなければなりません、ポーラを見てやることができなくなる時もあるやもしれません。そこで、もしもの時はスピカさんにお願いしたいのです。この子のそばで、何としても守り抜いて頂きたい」

「……わかりました。できる限りの事をさせていただきます」

「ありがとうございます」


 ハマルは深々と頭を下げる。ポーラも話の深い所まではわかっていなかったが、スピカが同行すると言う事だけはわかったらしく、笑顔を見せていた。

 報酬も出すと言っていたが、さすがにこれ以上の厚意に甘えると他の傭兵たちから反発が出ることも考えられるので丁重にスピカは断ることにした。


「でも、道中で何事も無ければいいですね」

「そうですね、ではその時もスピカさんに重大なお願いをさせていただきます」


 ハマルがポーラをちらりと見る。そして右目をぱちりとつむり、真剣な面持ちで言葉を待つスピカに向けていたずらを思いついた子供のような顔で言う。


「山道でポーラが退屈しないように、遊び相手になってやっていただけませんか?」

「……ぷっ」


 思わずスピカは噴き出してしまう。確かに、一人で倉庫街へ飛び込んで行ってしまうような行動的な女の子の面倒を見るのは傭兵たちでは大変だ。


「話は私が通しておきます。明日は早いですし、そろそろ休むことにしましょう」

「じゃあ、私もこれで」

「また明日ね、おねえちゃーん」


 手を振ってスピカは一足先に二階へと上がって行った。思いがけず一行に同行させてもらえることになった。だが、山路には盗賊や火蜥蜴サラマンダーが出る。油断はできない。いざとなれば自分も親子を守るために戦う必要だってあるかもしれない。魔法だって使うことになるかもしれない。


「一応、覚悟だけはしておかなくちゃ」


 この日は色々とあってスピカは心身ともに疲れていた。ジュバ、エニフ、アルトとの出会い。魂喰いをした魔物との戦い。町で起こった火事からのポーラの救出。そして山越えへの同行だ。一日でここまで目まぐるしく状況が動いたことはあまりなかった。あるとすれば――。


「……いけない、思い出しちゃった」


 明日は早い。スピカは記憶と共に湧きあがって来た不快感を押さえつけ、あてがわれた個室へと入った。


「――お、やっと帰って来たか」


 しかし、部屋の扉を開けたスピカの眼に飛び込んで来た光景は、想像もしていないものだった。


「……え?」

「よう、スピカ」


 火の海の中に消えたはずのアルトがそこにいたのだ。

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