第23話 竜は目覚めて全てを喰らう
スピカがその名を告げるとともに足下の四色の魔法陣が輝きを増す。四つの円がスピカの元に集い、一つになる。放たれた四色の光が螺旋を描き、一つの巨大な光の柱となって彼女の体を包み込む。
「……マジかよ」
「馬鹿な!?」
「……こいつは想像以上だ。まさかそんな奴を抱えていたとは」
魔法使いたちは一様に彼女の言葉に耳を疑った。
魔物を取り込むのは一人一体。しかもそれは生涯に一度のみ。強力な魔物ほど魔法使いに備わる魔法の力は強くなる。しかし、それを取り込むためには一度魔物を倒さねばならない。
故に逆説的に魔法使いとしての力――備わる属性の数や特性の特殊性、魔法の威力など――が高い程、倒した魔物は強力な物と言うことになる。つまり、魔法使いがその身に宿す魔物はその者の強さの証でもあるのだ。
「あり得ねえ……何で、どうしててめえが。お前みたいな小娘が!」
だが、当然魔法の力を使わずにそのような魔物を倒すことは困難である。だからこそ、魔法使いとなる者は己の身の丈に合った魔物を倒し、魂を喰らってその力を高めようとする。スピカの様に人の魂を喰らわない方針の者は、アルトのように総じて力は低めとなるはず。しかし、その常識を逸脱した強大な魔法の力。怪力に頑強さ、回復力を備えた特性。魂喰いをしない彼女にしてはあまりに全てが規格外だ。
「何が化け物だ……」
しかし、こう考えれば納得がいく。彼女は魂を喰らうつもりはない。それは、喰らう必要がないとしたら。魂を喰らうまでもなく、元々その力が極限に至った存在であったのなら――。
「あんたこそ、正真正銘の化け物じゃないか!」
町で平和に暮らしているような、どこからどう見ても普通の少女。戦いの駆け引きも知らず、相手を殺すことを善しとしない。己の力を高めようとする魔法使いから見れば「甘い」と言える存在。しかし、彼女は告げた。己の内に眠る魔物の名を。最も倒すことが困難と言われる魔物の王者たるその御名を。
「スピカ……」
光の中にスピカの姿が溶け込み、その姿を変異させていく。
細い少女の腕は、その怪力に見合った太さと鋭き爪に変化する。
魚のような鱗が全身を覆う。
広げた翼は天空を舞う鳥のごとく。
伸びた尾はあたかも地を這う蛇のように。
「……最後まで、見届けてやるよ」
光が収まり、その巨体が現出する。堂々としたその姿に空気が張り詰める。
その身は高く、天を突くようにそびえ立ち、聞く者全てを畏怖させる咆哮を轟かせる。
裂けた口、伸びた角、人の様に知性を持ち炎の息吹を放つ。四つの属性全てを象徴するものを備え、全ての魔物の頂点に君臨する存在。
――人はその名を、畏敬を込めて
「――ふ」
竜が口を開く。低く、威厳に満ちたその声は少女のそれではない。
「我の意識が表出したと言うことは、あの娘が使ったと言う事か」
目覚めた竜はゆっくりと首を動かし、周囲を見渡す。そして、最初にエニフと目が合った。
「まずは貴様だ、死の臭いのする女よ」
「なっ――!?」
いきなり竜は口を開く。その喉奥から燃え盛る火炎が見えた。
「“大地は鋭き槍となる”」
即座にエニフは身を守るために魔法を放つ。魂喰いで強化され、無数の槍が大地から一斉に竜へとその刃を向ける。
「下らぬ児戯よ」
身じろぎ一つせず、それをその身に受ける。だが、強化された魔法ですら竜の鱗には傷一つつけることはできない。そのいずれもが小枝のごとくあっさりと折れていく。
「そ、そんな馬鹿な……」
「消えよ」
竜が容赦なく炎をエニフ目掛けて吐き出す。
「――――っ!」
何かを唱えるがまるで意味をなさない。竜の
「はは……何だよ、この馬鹿げた威力は」
アルトは目の前の光景に戦慄を覚える。エニフの立っていた場所には何も残っていない。竜の一息で地は抉れ、巨大な穴が穿たれ、そこには地面すら残されていなかった。
続いて竜は、
「その血の臭い……貴様、喰ったな?」
「ひっ……」
それはジュバの、あるいは取り込んだ
「生きるために喰らうは生物としての常。だが、貴様は己の欲得で人を喰らった。その精神はもはや人に非ず」
「あり得ない……あり得ないあり得ないあり得ないっ!」
半狂乱となってジュバが叫ぶ。目の前にいる存在は規格外の存在。それ以上に、あり得ない事実に身の震えが止まらない。
「どうして、意識がある! 取り込まれた魔物は死んでるはずじゃないのか!」
「人が竜に問いを投げるか……まあいいだろう」
そして、竜は衝撃の一言を放った。
「我は生きてあの娘の中にいたということだ」
「な……」
「生きている……だと。生きたままの竜を取り込んだって言うのか!?」
「然り。死に瀕したあの娘を、我は自らを封印することによって生き永らえさせた。我こそがあの娘の命そのものなのだ」
――私は魔法使いになった過程が人と違うの。
スピカの言葉をアルトは思い出す。魔法使いは通常、魔物の命を奪い、その肉体を取り込むことで魔法の力を得る。だが、スピカはその逆だ。
スピカはかつて死にかけ、その命は、その身に取り込まれた竜の生命力で生かされているというのだ。
「馬鹿な……竜が、人間を認めたとでも言うのか。誇り高い竜が、人間の中に封じられることを自分から選んだって言うのか!?」
驚愕するジュバに向けてドラゴンの足が一歩前へと踏み込む。それは大地に轟き、山は震えて動物たちが騒ぎ立つ。
「然り、故に我が死ねば、あの娘が死ぬ。我はそれを望まぬ、故に貴様を倒す。理解したか、人間よ」
「よ、よせ……お前は人を殺せないんじゃなかったのか!」
「それはあの娘の信念。我には関係のないことだ。」
「あの小娘……いったい何者なんだ!?」
「語る必要はない……だが、これだけは言えよう。あの娘が我をあえて呼んだ。あの心優しき娘が破壊の化身ともいえる我をだ」
竜の語気が強くなる。その眼に怒りと、そして憐みをたたえて咆哮する。
「その意味と、その覚悟を思い知るがよい! 獣と成り果てた人間よ!」
「うわああああ!」
「どうだ、いくらドラゴンでも魂喰いした俺の炎なら……」
「愚か」
竜が翼を広げる。一つ目の羽ばたきで突風が巻き起こり、二つ目の羽ばたきで炎を吹き飛ばす。空中に舞いあがった炎は風に煽られながらその勢いを小さく消してゆく。
「多少、火を扱える程度の蜥蜴の力が竜に通じると思ったか」
「く、くそっ!」
「力とはこう使うのだ」
竜の体が青い光を放つ。その身に秘めた魔力が放出され、大地から無数の氷の槍がジュバ目掛けて飛び出す。
「ぐぇああああ!?」
あまりにもあっさりと、その鱗を突き破る。全身を貫かれ、悶絶する。
「ま、魔物が……魔法をだと」
「愚かな。
「この化け物が!」
力を振り絞り、刺し貫く氷を砕きながらジュバが走り出す。全身から血を噴きながら猛進するジュバの牙がその体をとらえる――否、そうではない。竜はそれを避けようともしていない。
「どうした。その程度の顎の力では竜の鱗は貫けぬぞ」
「あ……あが……」
鱗に遮られ、牙が通らない。口の中を通して伝わる感触は鋼鉄を遙かに上回る。
「蜥蜴ごときが、身の程を弁えよ!」
「ぐえっ!?」
頭上から振り下ろされた前足が一撃でジュバを叩き落とす。地面に押さえつけられ、必死に抵抗するがそのあまりの力の前になす術がない。
「……いつ見ても不快だ。圧倒的な力で敵を虐げるというのは」
「た、たすけ……」
「では、竜からの問いだ。貴様はそう言った相手に何と返した?」
「ひっ!?」
竜の顎が開く。その奥に見える紅い輝きにジュバの目が見開かれる。
「己の成したことをその身で受けよ!」
「うわああああ!?」
紅蓮の炎が吹き出す。猛烈な勢いと文字通り圧倒的な火力に、押し潰されるようにしながら全身に炎が回る。
「ぎゃあああああ! 熱い熱い熱い熱い熱い熱い!」
「何故だ、どうして俺が! 俺はジュバ様だぞ! 大金を手に入れて、魔法使いになって。全部これからだったはずだ。何であんな小娘に!」
断末魔を叫びながらジュバの姿が炎の中に消えていく。火蜥蜴の姿は影も形も残らずにその全てが吹き飛ばされる。
「あ……ご……はっ……」
そのあとには人間の姿に戻ったジュバが倒れていた。その右手の紋章は黒ずみ、光をもう放つことはない。棲獣化した状態でその身が滅ぼされると、元の姿に戻る。その際、表に出ていた魔物の部分が滅びを迎えたために、二度と魔物になることはできなくなり、魔法の力も完全に失うことになるのだ。
「――さて」
遂にその目がアルトに向けられる。竜の視線を真正面から受け止めた。スピカは確かに言った。「何も覚えていない」と。当然だ。目の前にいるのはスピカではないのだから。
「あの娘と、我が存在の関係を知った者を生かしておくわけにはいかん」
「――っ!」
アルトの身が業火に包まれる。火の魔法を発動するがその支配権を得られない。竜の方が明らかに格が上だ。
「ふん……跡形もなく消えたか」
アルトのその身を燃やし尽くしたのを見届け、竜が翼を広げる。そして飛び去ろうと羽ばたき始める。
「……ここはバルム王国か。まだ先は遠いようだ」
「――待てよ!」
炎の中からアルトが飛び出す。再生したその身は五体満足で蘇るものの、あまりに強大な存在に勝ち目はまるでない。
「スピカを返せ……この化け物!」
だが、それでもアルトは怯まない。炎に乗って竜の頭上から現れ、その拳を額に叩きつける。
「……なるほど、不死鳥の特性か」
「うわっ!」
頭を激しく振ってアルトを振り落とす。そして地面に叩きつけられた彼の脚を容赦なく踏み潰す。
「ぐああああああっ!」
「不思議な奴よ。
脚が不自然に曲がる。骨が粉々に砕かれ、立ち上がれない。いかにアルトが蘇る時に全快しているとは言え、一度死ななければ回復することができない。竜は瞬時にそれを見抜いていたのだ。
「不死鳥の特性を持つ者は我としても面倒だ。さて、どうするか……」
「……やってみろよ」
「む?」
「殺せるもんなら殺してみろ。全部耐えて蘇ってやる! あいつのためにもてめえに殺されてたまるか!」
それでも、アルトは必死に立ち上がろうとする。あまりに危険な存在を前に体は震え、本能は逃げろと叫んでいる。だが、それでも背を向けることだけはしない。
「……問おう。なぜ、そこまであの娘に執着する」
「……決めたんだ。あいつにもう一度会った時には笑顔にしてやるって」
「なんだと?」
激痛で今にも倒れてしまいたい。それでも、似た者同士の魔法使いとして、男として、どうしても退けなかった。
「自分を化け物って言って、寂しそうにしている女の子を一人にしたくないって。笑顔にしてやりたいって……ああ、上手く言えねえ! 惚れた女を守りたい気持ちに理屈なんか要るか!」
「……ククク。はっはっはっは!」
突然、竜が笑い始めた。何が愉快なのか。アルトは呆気にとられるばかりだった。
「まさか、あの娘に惚れる輩がいようとはな。いや、これは興味深い」
「……あいつのことを自分だけが知ったような口ぶりで語るんじゃねえよ」
「魔物の王者に対してのその不敬。だが、根性は認めてやろう。小僧、お前はあの娘のことを知りたいというのか?」
「ああ、知りたいよ。どんな食べ物が好きで、趣味が何で……白馬の王子様に憧れてるくらいしか俺は知らないものでね」
竜の口角が上がる。その言葉にどこか満足のいくものがあったというのか。
「良かろう。その答えに免じて今は娘を返そう」
竜の身が黄色い光を放つ。アルトの身に魔力が注がれ、折れた骨が修復されていく。
「……治ってる」
「餞別だ。だが忘れるな。あの娘を知るということは、その宿命を共に背負う事。逃れることは決してできない――それでも貴様は、あの娘と共にいられるかな?」
「……上等だ。受けて立つぜ」
竜の体が光に包まれていく。そして、その体が徐々に大きさを減じていく。
「我が名はドゥバン。貴様の名を聞いておこう」
「……アルト=アンカーだ」
「アルト=アンカーよ。次に会う時、貴様が娘の隣にいることを願おう」
光が収まる。破壊の権化はもはやそこになく、一人の心優しい少女が意識を失って残されるのだった。
「舐めるなよ化け物。ずっといてやるさ。いつまでも……な」
そして、静まり返った山の中でアルトはそう一人呟くのだった。
◆ ◆ ◆
身体が動かせない。苦しい、声が出せない、息ができない。目の前が真っ暗になっていく。自分が死に向かっているのが分かる。
「……いや……だ」
まだ恋もしていない。大切な人が隣にいて、小さな教会で純白のドレスを着て、みんなに祝福されて。そんな未来を夢見ていたのに。
まだ見たいものがある。まだ知りたいことがある。心残りがいっぱいある。
「死に、たく……な、い」
私の上に影が落ちた。竜が私を見下ろしている。ああ、私、食べられちゃうんだな――そう思った瞬間に、私の意識は一度切れた。
――お前を死なせはしない。
何かが私を暗い闇の底から引っ張り上げる感じがした。少しずつ目の前に光が溢れてくる。
――私がお前の命となろう。
痛みが引いていく。少しずつ、死が遠ざかっていく。それと同時に自分の中に異質なものが満たされていくのがわかった。そして、それがみんなの命を奪ったものと同質のものであることも。
嫌だ、こんな力欲しくない。私は普通の女の子でいたいのに……!
――これ以外に方法がない。
心臓を抉り出されたはずの左胸から痛みが消えた。同時に右手に熱を感じる。意識がはっきりした瞬間に飛び込んできたのは、私の右手の甲で光る魔法使いの証。
――いつか、全てから解き放たれる日が来る。その日まで、我が命がお前を生かそう。
竜の姿は消えていた。左胸の穴は塞がっている。失ったはずの心臓は鼓動を痛いほどに強く打っている。
「……う、そ」
心臓から魔力が全身に満たされていく。それは世界中の魔法使いが求めるであろう全ての属性を司る力。
恐る恐る私は近くにあった瓦礫を手に取った。力を込めるとそれは粉々に砕け散った。
「ひっ……」
体に負った傷も火傷も癒えている。竜の備えた怪力と頑強さ、そして尋常ならざる回復力。それが意味することは一つ。
私は死ぬところだった。そして、私は竜に助けられ、その竜は今私の中にいる。
「いや……」
村の人を、営みを。私から全てを奪い去った
「いやああああああ!!」
――その日、私は全てを失い。
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