第22話 目覚める獣
「くそ、やっぱり駄目か……」
「おいおい坊主、さっきまでの勢いはどうした。それともこれが幻の魔物とやらの力か?」
「そりゃあそうだよ。アルト、あんた喰ってないだろ?」
エニフの見透かした言葉にアルトが歯ぎしりする。確かに彼の魔法の力は見事なものだ。だが、魔物で言えば格下の
「魂喰いをせず、自力で鍛えているとはまた効率が悪いねえ。
「ハッハッハ、宝の持ち腐れとはこのことだな!」
「……うるせえよ!」
アルトが地に拳を叩きつけて立ち上がる。その眼には自分の行動への後悔は微塵もない。
「魂喰いはしない。それをしちまったら
「詭弁だね。魔物をその身に取り込んだ時点であたしたちは人間をやめたも同然なんだ」
「違う、体は化け物でも心は人間だ!」
拳を固く握る彼のその声はスピカには悲鳴にも聞こえた。
あの日、町で彼に問われた言葉。魂喰いを嫌悪する言動。それは自分自身が魔法使いだから、そしてその力を嫌っているから。それでもその力を使わなくてはいけないから。為さねばならないことがあるから――それは、スピカの境遇にもよく似ていた。
「しかし、死んでも蘇るなんて世の権力者が欲してやまない力だよ。うまく使えば一儲けすることだって……待てよ」
エニフは何かを思い出す。彼女が旅をしている中で聞いた覚えのある話だったのだ。
「ははぁ……アルト。あんた例の一族の者だね?」
「……っ!?」
「何だエニフ。知ってるのか?」
目を見開いたアルトの表情が険しくなる。いつもお気楽だった表情は消え、その真剣な眼は怖さすら覚える。
「ある筋から聞いたことがあるんだ、不死の秘密を知っている一族がどこかにいるって。なるほど、
「なりたくてなった訳じゃねえよ……こんな力、捨てられるもんなら捨ててえよ!」
「アルト……」
スピカが町で彼に尋ねられた言葉を思い出す。それは彼の旅の目的。“不死の研究をしている魔法使い”だったはずだ。だが、その力を持っているのはアルト自身だ。そして、彼自身その力を疎んでいるような言葉を発し続けている。
「……この不死の力は呪いだ。親から子へ、
「ハッハッハ、そうかい。坊主の家系はみんな死なないのか。羨ましい話だぜ」
「死ぬことのできない苦しみが、あんたらにわかるのかよ!」
そう言って二人を睨みつける。スピカはようやくアルトの真意を理解する。彼にとってその不死こそが最も忌み嫌う力なのだ。不死の研究をしている魔法使いを探す。それは、不死になることではなく、不死の力そのものである不死鳥を取り除くことのできる魔法使いを探しているということなのだ。
「病魔に蝕まれても、息ができなくなっても、狂っても死ぬことができない。大切な人を失い続ける人生なんてどこが良いって言うんだ。軽々しく羨ましいなんて口にするんじゃねえ!」
アルトが膝をつく。
「ははっ、強がりはよしな。満足に立っていることもできないじゃないか。まだ何かできるとでも思っているのかい?」
「諦められるかよ……俺は、人間として死にてえんだ。化け物のまま終わってたまるか!」
「ジュバ、あの子生け捕りにするよ。ははっ、研究材料としていい値で売れそうだ」
「おうよ。それにたっぷりコケにされた借りを返さねえとな。足を折って、腕を折って、抵抗できない状態で存分にいたぶってやるよ。殺しても死なねえなら何だってできるぜ!」
「……ふざけるな、命を何だと思ってやがる!」
「知ったことじゃないね。せっかく得た力をどう使うかは人の自由だろ……と、ここにそうじゃない子がもう一人いたね」
エニフがスピカに目を向ける。ジュバも高揚して炎を更に燃やす。
「さあ、頼みのナイト様がやられたよ。次はあんたの番だ。
だが、スピカはその魔力を開放せず、手に持った竜殺しの短刀を構えた。
「……何のつもりだい?」
「……私は、使わない」
「は?」
「なんだと?」
意を決したようなスピカだが、その手は微かに震えていた。
「私は、
「……使わなきゃ殺されるかもしれないんだよ?」
「それでも……あれを使えば、たくさんの人が巻き込まれる。だから私は使わない」
エニフは失望したようにため息をついた。
「はぁ……ほんと、強情だこと。まあいい、使いたくなきゃ使いたくなるようにしてやるまでさ」
「……え?」
「巻き添えになる奴がいなけりゃいいんだろう?」
エニフが悪意に満ちた笑みを浮かべる。そしてその紋章が輝く。
「“大地は
スピカとアルトが身構える。だが、その魔法は意外な場所で発現した。
「ぐえっ!」
「あぎゃあ!」
「ぎぃっ!?」
土が槍のように尖り、足下から飛び出す。そして獲物を貫いた――ジュバの手下を。
「ひ、ひいっ!?」
距離を取り、状況の
「な、何してんだ姐さん。なんで俺たちを!?」
「おめでたい奴らだね。あんたら、まさか自分たちだけ生き残れるとでも思っていたのかい?」
冷ややかな目が盗賊たちに向けられる。その眼には協力した相手を手にかけたという哀れみの感情はまるでない。
「魔法使いは自分の正体を隠す。それが鉄則だ。あんたらを生かしておいたらどこに情報を流されるかわかったもんじゃない」
「そ、そんな。俺たちそんなつもりは!」
「人間なんてどう心変わりするかわからないさ。それに、こんなにたくさんの魂を集められる絶好の狩場を無駄にできないよ。ちょっと予定は早まったけど、まあそれは良しとするさ」
再びエニフの紋章が輝き、生き残った者を次々と串刺しにしていく。その度に魂は取り込まれ、エニフの力は増していく。
「お、お頭。助けてくれ! あの女どうかしてる!」
慌てて
「お……お頭?」
「ああ、言い忘れていたよ――ジュバ」
「おう」
「へ――?」
男は何が起きたのかわからなかった。一瞬の後には、彼の上半身は消えて物言わぬ肉塊と化していたからだった。
「お……お頭まで。何やってんだ!?」
「悪いが、ジュバも承知済みだよ」
その言葉でようやく自分たちの置かれた状況を悟り、盗賊たちが慌てて逃げ出す。だが、中には腰が抜けて立てないものもいた。そういった者から次々とジュバは喰らって行く。
「や、やめろお頭! あの女、さっきはお頭を見捨てようとしてただろ!」
「ああ、あれかい?」
「ぎゃあ!」
ジュバが男を喰らう。その返り血が少し顔にはねたが、それを拭いもせずエニフは髪をかき上げる。
「獲物を欺くためなら嘘でも芝居でも何でもやるさ。いい演技だっただろう? アハハハハハハ!!」
ジュバも殺した手下の魂を喰らっていく。その身は更に強靭に、炎は更に燃え上がる。
「ガハハハ! 死ね死ね死ね死ね死ね!」
それは、目を覆いたくなる光景だった。圧倒的な力による一方的な虐殺。敵も味方も関係ない、二人の目に映るのは己の力を高めるための“餌”だった。
「やめて!」
「やめろ、自分の仲間じゃねえか!」
スピカとアルトが飛び出す。だが、エニフは魔法の矛先を二人に変える。
「“大地は盛りて壁となる”」
魂喰いで強化されたエニフの力により、無数の土壁が二人を囲む。
「邪魔するんじゃないよ!」
「くそっ!」
アルトが風の魔法を発動する。だが、分厚い土壁はそう簡単には砕けない。
「はあああっ!」
スピカが拳を叩き込む。だが、砕けたそばからエニフが修復してしまう。
「あんた達はそこで見ているんだね。この力は誰かを守る力なんかじゃない。殺す力だってことを思い知りな!」
土壁の隙間から悪夢が見えた。逃げ惑う盗賊たち。その逃げ道をエニフが塞ぎ、ジュバが喰らう。敵とは言え、泣き叫んで助けを求める者たちに助けの手を伸ばすことができない。
「やめて……」
震える声がスピカの口から洩れた。その光景を前に、スピカの脳裏に地獄が蘇っていた。それは、消そうにも消せない紅蓮の記憶。
「くそっ、やめろオッサンたち!」
二人の前で背を向けて逃げる男が後ろからジュバの爪に貫かれる。
――背を向けた者は後ろから爪で貫かれて殺された。
「ほら、逃げろ逃げろ! 喰われちまうよ!」
炎を吐き、岩影に隠れていた男が岩ごと焼き殺される。
――家に隠れていた者は家ごと焼き殺された。
「そんな……俺たち、仲間じゃなかったのかよ!?」
最後に残ったバーダンが土壁を背にジュバへと懇願する。足下に転がる肉塊と血の海の光景はこの世に顕現した地獄を彼に見せていた。
「仲間ぁ……? ああ、仲間ってのは、誰かの役に立つもんだろ?」
「そ、そうだ。俺はお頭のために役に立つから――」
恐怖に慄き、命乞いをするバーダンにジュバは容赦なく喰らい付く。
「じゃあ魂よこせよ、役立たず」
味覚すら魔物のものになっているのか。咀嚼して美味そうにジュバは喉を鳴らした。
「ははあ……いいなあ、仲間ってのは。仲間のお陰で力が
――命乞いをする者は容赦なく喰らわれた。
僅か五分にも満たない間のことだった。気付けばそこに立っているのは血に濡れた魔法使いと獣だけとなっていた。
――目の前に転がる肉塊と血みどろの魔法使い、そして巨獣。
「――っ!」
「ははは……ははははははは!」
「あっはっはっはっはっは!」
口を血で濡らし、
スピカの鼓動が高鳴る。荒れた息で歯を鳴らし、震えの止まらない体を抱く。
「……さあスピカちゃんの望み通り、これで残ったのは
エニフが手を上げた。立ちはだかった土壁が崩れ、四人の魔法使いが向かい合う。そして、震える唇からスピカが言葉を紡ぎ出す。
「……許さない」
「許さない……か。それじゃあどうしてくれるって言うんだい?」
エニフが嘲笑う。否定し続けた魔法使いの在り方。拒否してきた人殺しと魂喰い。だが、それが招いた虐殺を前に、今スピカの中で何かが弾けた。
「あなたたちは……絶対にやっちゃいけないことをしたわ」
かつて見た悪夢。今でも消えない光景。それが全て呼び起こされた。
力を得た。守ろうとした。その全てを無にされた。
一つの家族を守りたかった――だがそれは、無残に引き裂かれた。
スピカの信念を形作る全ての要素。それら全てを嘲笑い、踏みにじったエニフとジュバは気付いていなかった。
――彼女の逆鱗に触れたことに。
「うわああああーっ!」
悲鳴に近い絶叫と共に、スピカの紋章が一際強く輝いた。放たれた光の色は黄、青、赤、緑。この世に存在する地水火風全ての魔法の属性を司る色。
「うわっ!?」
魔力の放出にアルトが吹き飛ばされる。彼女を中心に展開されているのは全ての属性の魔力が暴れる魔力の嵐だった。
「なんて魔力だ!?」
「アハハハハ、やっとその気になったかい! 四元全てを司る魔物……さあ、見せてもらおうか!」
炎が燃え盛り、大気は冷気を纏う、風が吹き荒れ、地がひび割れ、彼女を取り囲むように周囲には四つの魔法陣が出現する。
「アルト、ここから離れて。これから恐ろしいことが起こるから」
「……スピカ?」
「それと……山から下りたらポーラちゃんと遊んであげて。私は……約束守れないかもしれないから」
「何言ってんだよ……山を下りるなら一緒に決まってるだろ」
アルトもスピカの異変に気が付いた。別れを覚悟したような、悲壮な覚悟。スピカが震える右手を支えるように左手で手首を握る。その心臓の鼓動が早鐘を打つ。強大過ぎる力を振るう恐怖と戦いながら、スピカは言う。
「……どうなるのか私にはわからないの。だって、
「……なんだって?」
それはあり得ない言葉だった。人は魔物を殺し、己の身に取り込むことで魔法使いとなる。「
「私は魔法使いになった過程が人と違うの。だけどこれだけは言える……全てが終わるわ」
「言うじゃねえか……ははっ! だが何が来ようが今の俺に敵う訳がねえ!」
増長したその力を誇示するようにジュバが笑う。もしかしたら、始めから使っていればこの惨劇は防げたのかもしれない。破壊の権化の力を振るうことに躊躇い続けていたからこそ起きた過ち。未熟ゆえに判断を誤った。
「絶対に使いたくなかった……この力だけは。私が忌み嫌う力そのものだから」
だが、エニフとジュバは仲間すら喰らった。身内ですら何の感情も持たずに平然と喰らう。それはもはや人の所業ではない。獣と変わらない。
「あの二人は私が倒す。だからお願い、
魔力の嵐の中で振り向いたスピカは微笑んでいた。だがそれは、とても儚く、悲しい笑顔だった。アルトには相棒として支えてもらった。同じ魔法使いとして、化け物でなく人間として生きたいという彼の思いに、自分もそう生きたい。そう思えた。
「嬉しかった。こんな私を守ろうとしてくれる人がいたことに。魔法使いでも、幸せになっていいのかもって思えた。だからこそ、あなたには見せたくないの」
だからこそ、彼には否定されたくない。この力があまりにも異常な存在であることを、魔法使いですら恐れさせるものであることを見せたくなかった。
「……馬鹿言うな。どんな化け物になっても、お前を嫌ったりしない。何かあってもまた、俺が助けてやるよ」
「……ありがとう、アルト」
紋章の光が強くなる。たとえ、自分がどうなるのかわからないとしても。スピカはそれをもう迷わない。
エニフとジュバを放置すればその力を使って犠牲者はまだ出るに違いない。二度とこんな犠牲を出さないためにも、この魔法使いはここで倒さなくてはならない。
「
そして、スピカは右手を掲げる。己の内に眠る最強の魔物を呼び出すために最後の言葉を紡ぐ。それは、あの日少女から全てを奪ったものと同じ言葉――。
「‶竜は目覚めて全てを喰らう″」
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