無人街

ダルどら

第1話


「何だ……ここは……?」


 目を覚ますと私は見知らぬ部屋の中にいた。

 天井、壁、床……その全てが白色に塗り潰されており、見ているだけで何故か猛烈に不安な気持ちに駆られていく。


 部屋の広さは小さな物置や倉庫程度。

 部屋内にめぼしい物は何も無かった。


 机も無ければ椅子もない。

 それどころか時計や電灯すらもない。


 唯一、あるのは扉と鉄格子付きの小窓だけ。

 だというのに部屋の中はぼんやりと明るい光で満ちており、不思議な空間だった。



 まず最初に思い浮かべた事は誘拐、監禁の類いだった。

 しかしすぐに私の様な、一般人を誘拐したところで旨味はないし、誘拐される様な心当たりもない事に気付く。


 そうなると恋愛関係か?

 近年、心を病んだ人が交際相手や好きな人を監禁する、なんて話があるが……。


「そんなわけないか」


 そう言って、自分でもアホな事を言ってるなと頭をく。


 それもそのハズだ。

 何故なら私には現在、交際相手も居なければ、好いてくれてる様な女性もいない。


 自分で言ってて悲しくなるが。


 そうなると何故だ?

 再び思考は最初に戻る。

 しかしいくら考えたところで原因は分からなかった。


「拉致されて変なテロにでも巻き込まれた、とか?」


 まさかな、と続けようとして何故か言葉に詰まった。

 それは最近見た、あるニュースを思い出したからだ。


『海外の危険な思想を持つ者達に拉致された日本人、遺体で発見される』


「!」


 ドクン、と一瞬にして鼓動が高まるのが分かった。

 汗が吹き出し、緊張で口の中がカラカラに渇いていく。

 いやいや、そんな訳ないじゃないか……この平和な日本で拉致なんて。


「……ふう」


 少し落ち着くんだ。

 深呼吸をしよう。

 その結論を出すには早いハズだ。

 まだ慌てる時間じゃない。


 一種の自己暗示の様に言い聞かせ、緊張する気持ちを落ち着かせる。


「とりあえず、まずは現状を理解しよう」


 ここはどこなのか。

 まず、それだけでも把握しなければ……。

 そうでなくては誰かに助けを呼ぶ事も、居場所を知らせる事も……。


「!」


 助けを呼ぶ?

 そうだ……! 何故、私はそんな簡単な事に気付かなかったのか。

 今の時代、自分の居場所を知らせる方法などいくらでも……!

 だが直後、その期待は敢え無く散った。スーツの懐に入れておいたスマホがいつの間にか無くなっていたからだ。寝ている間に奪われたのか?


 これでは助けも呼べなければ、自分の居場所を知る事も、知らせる事も出来ない。


「なんという事だ」


 ますます私の中で、ある事実が疑惑から確信に変わっていく。


 ゴクリと息を飲んだ。

 こうなると、もう自分を誤魔化していても仕方ない。


 間違いない。拉致だ。

 理由は不明だが、私は何らかの凶悪犯罪に巻き込まれたのだ。


 普段の私ならそれが飛躍した考えだと、今一度冷静になれと指摘していたかもしれない。

 だが極度の緊張に思考が乱された私にとって冷静な判断など下せる訳もなく、もはやそれしか答えが出せなくなっていた。


「そうなると私みたいな一般人を何故……?」


 いや、人を拉致する様な奴等に常識や理由なんて求めても無駄な話だ。


 たまたま、そこに、偶然に、狙いやすい奴がいたから、狙っただけ。

 特に意味はない。

 バスジャックや銀行強盗と同じだ。

 運が悪かった。

 ただそれだけの話だ。


 しかし運が悪かったと言っても、このまま何もせずに運命に身を任せるつもりもない。

 私は焦る気持ちを押さえ、必死に考える。

 何とかして逃げる方法、もしくは外にSOSを知らせる方法だけでもないだろうか?

 しかも誘拐犯にバレないように。


 だが良い案は何も思い付かなかった。


 そりゃそうか……。

 そんな簡単に逃げられたり、助けを求める事が出来るのなら監禁している意味なんかない。


 くそ……! こうやってもたもたしている間にも、外はどうなっているのか分からないのに。

 奴等がいつここに戻って来るかもしれない恐怖で焦りばかりが募ってしまう。

 もしかしたら、既に何かの交渉が始まっている可能性も……。


 逃げたい。

 だが恐怖にすくんでしまった足は言うことを聞いてくれず、まるで腰が抜けたように床を這いずる。


 我ながら情けない姿だ。

 これが映画の主人公なら格好良く脱出でも決めて、誘拐犯達をあざむくのだろうが、生憎と私はただのサラリーマン。

 そんなジョン・マクレーンの様な活躍は私には出来ない。

 結局、私はここで大人しく震えている事くらいしか出来ないのだ。


 もし下手な蛮勇でも起こせば、犯人に殺されてしまうかもしれない。

 嫌だ。死にたくない。

 その事実に心が打ちのめされる。外に逃げようという気持ちさえも削っていく。

 まさか私がという気持ちと、何で私がという気持ちがゴチャゴチャになって、恐怖と不安に押し潰されそうになる。

 私はうずくまる様に座り込むと頭を抱えた。


 恐らく、逃げ場はない。

 抵抗も無駄だ。

 SOSも届くか分からないし、そもそも送る手段が無い。

 だがこのままここに居ても、用が終わったら消されてしまう。


 ゴミ屑の様に、あっさりと。


 八方塞がりじゃないか。


「…………ちくしょう」


 私は悔しさをにじませつつも観念した声を上げた。


 思えば短い人生だったな……。


 『平々平凡』


 その言葉の1つで片付けられるつまらない人生だった。


 でも……それでも……平凡なりに生きてきた。

 それなりの人生とはいえ、私なりに頑張って生きてきたのだ。


 だと言うのに、なんで……こんな……!

 目が覚めたら、訳の分からない場所に連れてこられていて、命の危険に晒されている。


「冗談でも笑えない……」


 そう思ったら悔しくて、悔しくて涙が出てきた。

 27にもなって泣くなんて情けないと思うかもしれない。

 でも仕方ないじゃないか。

 つい、先日まで普通のサラリーマンをしていたのにいきなり訳の分からない拉致事件の被害者になってしまったのだ。


 これで平然としていられるとしたら……それは私みたいな平凡とは違う何かだろう。

 それがどういう存在なのか、想像する事も難しかったが1つだけ私にも分かった事は……。


 私の命のカウントはもう残り少ないという事だ。



 ※※※※※※



 目覚めてから3日が経過した。


 何故、時計も無いこの部屋で時間の感覚が分かるのか……その答えは至って簡単だ。

 私の右手首に付けられている腕時計がその時刻を知らせてくれていた。


 そして、3日経って2つほど気付いた事がある。


 1つ目は、この部屋では何故か腹が減らなかった。


 理由は分からない。

 何かこの部屋にそういう工夫や仕掛けがあるのか……。

 考えたところで分からないので考えるのを止めた。


 まあ、それはそれで大変ありがたい事なのだが、逆に普通では考えられない現象に不安が増した。


 もう1つは私を誘拐した犯人についてだ。


 始め私は凶悪犯による何かの事件に拉致、誘拐、監禁の線を疑っていた。

 だから状況が好転する事を願い、少しでも奴等を刺激しない様に部屋で大人しくしていた。

 しかし3日も経ったのに私を拉致したと思える者達が一向に姿を現さないのだ。


 最初は意味が分からなかった。

 普通、誘拐や拉致というのは交渉相手に対する手段の1つとして使われる。

 簡単に言えば脅し利用などだが……その為に用があるうちは生かしておく必要があるハズだ。

 殺してしまえば人質に価値等、無くなるからだ。

 そして、人質に対しても脅しを掛ける。

 無駄な抵抗をさせない為に。


 それが世間一般が知る普通の誘拐、拉致の流れ。

 あくまでドラマや漫画の知識なんで実際は分からない。


 たが、少なくても私はそうだと思っている。

 しかし時間が経つに連れて、それが段々とおかしい事に気付き始めた。


 そして私の中で1つの疑惑が生まれた。

 もしかしたら誘拐、拉致、監禁されたと思い込んでいるのは私だけで、実際は違うのではないかと。


 ただそうなると再び、最初の思考に戻る訳だが……。


「……ふう」


 私は大きく息を吐いた。

 ちょっとクールダウンしよう。

 とりあえず、その疑問は置いておこう。

 今、重要なのはここがどこなのかを知り、この場所から脱出する事だ。


 時間が私に冷静さを取り戻させた。

 諦めた心が甦ってくる。

 泣くのは助かってからにしよう。

 まだ私は生きたいのだ。

 平々凡々だが、平和な日々に帰りたいのだ。



 私は唯一の手掛かりである小窓と扉をまず調べる事にした。


 扉はこの部屋の出入り口。

 小窓は換気用と言ったところだろうか。

 特に変わった様子は無さそうだが逆にその無機質さが不気味だ

った。



 ※※※※※※



「ここは……どこだ?」


 小窓から外を覗きこむ。

 意外にも簡単に開いた。

 開かないくらいの工夫は施してあると思ったが、拍子抜けだ。


 生憎、鉄格子のせいで顔を出す事は出来なかったが……。


 それでも何とか外の様子は伺えた。

 しかしそこに広がる光景は私が求める物では無かった。


 確かに外の様子を知る事は出来た。

 ここがホテルの一室を利用した倉庫? だという事も分かった。

 ビルがたくさん見えた事から、どこかの街の都心部だという事も分かった。


 たがそれだけだ。

 残念ながらここは私の知る東京の街ではなかった。

 それどころか、全く見覚えのない街だった。

 妙に近代的で、スタイリッシュで、日本でもこんな街あっただろうか?


 少なくとも私は知らない。

 私は静かに小窓を締めると力が抜けた様に座り込んだ。


「まさか日本じゃない、なんて事はないよな……?」


 自分でそう呟き、後悔した。

 ヤバイ、また不安な気持ちが甦ってくる。


 拉致の可能性という気持ちが再び強くなる。


 だが今度は違う。

 ただうずくまるだけではない。

 まだ私は諦めたくなかった。



 引き続き、調べを進める。次は扉だ。

 ホテルの外については理解したが……なら部屋の外はどうなんだろう?


 そう思い、私は扉の前に立った。

 そして扉のノブを握る。

 手に汗がにじみ、緊張する。

 果たしてこの先に待っているのは未来か、地獄か。


 もしかしたらやっぱりこれは拉致で犯人がこの扉の向こう側にいるかもしれない。

 念のために扉に耳を当てて、その様子を伺ってみるも扉が分厚いのか、その様子は分からなかった。

 せめて物音でも聴こえてくればタイミングとかはかれるのに。


 しかし、無い物ねだりをしても仕方ない。


「行くか?」


 私は意を決してノブを回そうとする。

 だがその瞬間、私の中の臆病な心の声が自分自身に問い掛ける。

 本当にいいのか? お前の行動は大丈夫なのか? と。

 外に出ようとしたその勇気は蛮勇ではないか? と問いかける。


 こんな時まで保身的な自分に、改めて自分は平凡な人間なんだと少し自虐的な気持ちになった。


 私は心の声を振り去った。

 このまま固まっていても何かが進む訳でもない。

 結局は自分自身で選択しなければ、変化は起こらない。

 再び勇気(蛮勇)を振り絞り、扉のノブを握る手に力を込めると、私はゆっくりとノブを回した。


 ガチャリという小さな音が響く。


「ひ、開いた……!?」


 こんなにもあっさり……?

 私は困惑しながらもゆっくりと扉を開け、部屋の外へ出た。


「これは……?」


 その通路は部屋と同じく白色に塗り潰されていた。

 見張りらしき者の姿が無いのは行幸だったが、不思議な感覚が私の中を貫いた気がした。


「誰も居ない……。結局、拉致や誘拐などは……私の杞憂だったというのか……?」


 通路を一人、ゆっくりと進む。

 どこまで行っても変わらない白に言い様のない不気味さが付きまとう。


「一体、このホテルは何なんだ……?」



 ※※※※※※



 通路を歩いていると出入り口はあっさりと見つかった。


 全てが白色に塗り潰された不思議な空間だったが、建物の構造は普通のホテルだった。


 何とも拍子抜けな話だ。

 まさかこんなにもあっさりと出られるのなら、先ほどまでの勇気や覚悟などいらなかった。

 自分で勝手に拉致、監禁されたと思い込んで、絶望して、泣き出して……恥ずかしい限りに顔が赤くなる。


 誰にも見られなくて良かった。


  だが、まだ安心は出来ない。

 何とかホテルの出入り口にまで到着した私だが、代わりに新たな疑問が生まれていたからだ。


 それはこのホテルには私以外の人間が居ない様だった。

 それこそ誘拐犯も居なければ、ホテルのスタッフすら居ない。

 それどころか……人、一人居なかった。


 私はここに来るまで誰とも会わなかった。


 その瞬間、三度みたび、私の脳裏に最初の疑問が甦った。


 無人のホテル?

 そこに連れて来られた私。

 何故?

 誰が?

 目的は?

 要求は?


 どうして人が居ない。



 結局のところ、私はまだ何も分かっていなかった。



 ※※※※※※



 出入り口を前にして私は少し考えていた。

 小窓から得た情報だと、この街は私の知る東京ではない。

 それどころか、日本では見覚えすらない街だった。

 一応、このホテルを含め、ビルがたくさんあったところを見ると、どこかの街の都心部なのは間違いない様だが……。


 そんな街を何の情報も無しに練り歩くのは危険では無かろうか?

 まだここが日本国内なら何とでもなる。

 しかし海外だったら手放しでは喜べない。

 国によっては危険な街もあるからな。

 まだ無人のこのホテルに居た方が安全の可能性はあるかもしれない。


 だが、ここで立ち止まっていても仕方ないのも事実。

 助けを呼ぶ手段が無い現状、進むしかないだろう。

 でも何が起こるか分からない。これくらいの気持ちで挑んだ方がいいかもしれない。


「よし、行こう」


 私はホテルの外へと飛び出した。



 ※※※※※※



 外に出て、暫く街を歩く。

 流石に街は、あのビルと違って様々な色彩いろどりに溢れていた。

 一瞬、ビルの外も白色だったらどうしようかと思ったが杞憂だった様だ。


 しかし先ほどからやけに静かだ。

 物音はどころか人の気配すら感じないのはどういう事だ?


 まさか私以外、誰も居ないなんて事はないよな?

 思わずそんな思考が頭をよぎる。

 だがすぐにその考えは否定した。

 流石にそれは荒唐無稽こうけいむとうも良いところだろうし、現実的に無理がある。

 誘拐犯の件についてはまだ納得出来なくもない理由があったが流石にそれは無いだろう。

 いや、無いと思いたい。

 それくらいに街は静かで不気味だった。


 いつもは東京の人混みに多少のウザったさを感じていたが、孤独になればなるで人が恋しくなる。


「自分で言ってて何とも勝手な言い分だ」


 そんな時、不意に街角に人影が見えた気がした。


「!」


 誰か居る! やっぱり私以外に人は居たのだ。


 私は危険性があるかもしれない事も忘れて駆け寄った。


 結果、危険は無かった。


「あ、ああ……ああ……!」


 だが、その代わり私に別の恐怖が襲いかかる。


 絶望が甦る。それはあの部屋で目覚めた時、以上の衝撃だった。


「ああああああああああ!」


 私は問答無用で逃げ出した。

 これ以上、この場にいる事を身体が否定した。脳が拒否した。


 そこに居たのは人ではなく。


















 等身大の大量の人形達だった。



 ※※※※※※



 見知らぬ街をひた走る。

 ひたすら、ひたすら走る抜く。

 時折、何かにぶつかる。

 つい普段の習慣で「すいません!」と謝ってしまうが倒れた相手を見て、驚愕する。


 それはまたもや人形だった。

 恐怖と疑問が脳を支配する。


 何だ?

 なんだ!?

 なんなんだ!!

 この街は!


 走れど、走れど人は無く。

 そこに居るのは命を持たぬ人形達。


 人形!

 人形!!

 人形!!!


 ここは人形達の街なのか!?


 生きているのは私だけ?

 命あるのは……私だけ!?


 分からない!

 分からない!!

 分からない!!!


 私はどこに連れて来られたというのか?

 誰かに誘拐された訳ではないのか?

 拉致された訳ではないのか?


 だとしたらこの街は何なんだ!


 何故、人が居ない!

 居るのは人形達ばかり!

 人形達の世界にでも迷い込んだとでもいうのか!?


 凶悪犯罪に巻き込まれたというのではないのなら……。


「私は一体、何に巻き込まれたというんだっ!」


 至るところに人形が立つ。

 まるでお前も仲間だと言わんばかりに立ち塞がる。


 誰でもいい!

 私の前に姿を現してくれ!

 私は人間だと言ってくれ!


 誰かが見ている。

 私を見ている。

 見るな! 人形達!

 私を見るな!

 私は人間だ!

 お前達の仲間じゃない!


 それが誰の視線だったか、この時の私には分からなかった。

 私は人間を求めて、走り続けた。


「うわぁあああああああああああああ!」



 ※※※※※※



 それから何日が過ぎただろうか?

 私は未だに一人、この人形の街を歩いていた。


 人間だという証明して欲しくて、人の温もりを求めて歩いていた。

 しかし返ってくるのは人形達の視線と冷たい身体。


 気が狂いそうだった。

 人は本当に孤独になった時、無性に心が痛くなるのを知った。


 未だ、誰にも会えていない。



 ※※※※※※



 更に数日が過ぎた。

 ただ、人を探してさ迷った。

 だが、誰も居なかった。


 何故か、お腹は空かなかった。

 私の身体もおかしくなってしまったのだろうか?


 だが今はそんな事はどうでもいい。


 誰かに会いたい。

 家族に会いたい。



 ※※※※※※



 街をさ迷い続けて1ヶ月が過ぎた。

 もちろん、ここに居るのは私一人だ。


 相変わらず街は人形達であふれていた。

 しかし彼等は動く事もなく、ただ立ち尽くしていた。

 当然だ。

 相手は人形なのだから動く訳がない。


 私は何を言っているんだろう。



 ※※※※※※



 半年が過ぎた。

 もう都心部の大半は探し尽くした気がする。


 毎日、毎日、ホテルから出発して人探し。

 しかし出てくるのは命を持たぬ人形達。

 もう心は疲れ果てていた。

 きっとこの街にいるのは私だけなのかもしれない。


 いつしか私は人を探す事を諦めていた。

 いや、探すのに疲れていたというのが正しいか。


 幸い、腹は減らなかったから生きる事だけなら問題なかった。


 何故、この街では腹が減らないのだろう?

 その理由を考える事も面倒だった。


 孤独は知能も低下するのか?


 私は最初の白のホテルに戻り、適当にベッドに寝転んだ。

 壁や床同様、白いベッドはただ固く、寝心地は最悪だったが寝れた。



 ※※※※※※



「!?」


 次の日、気が付くと私は東京の居酒屋の一室に居た。


 どういう事だ?

 私はさっきまで人形達の住む街に居たハズだ。


 それとも帰って来れたのか?

 だったら何故だ?

 私は帰ってきた記憶など無いというのに。

 だが、あの街に行ったのも唐突だったし、帰る時も唐突……あり得る話かもしれない。


「なに突っ立てるんだよ! 早くこっちに来て座れよ!」


 座敷には会社の同僚達が座っていた。

 皆、ビールを持ち、今にも始まる乾杯の音頭。

 食事も並び、あとは楽しく騒ぐだけ。


 私が席に着くのを待っていた。

 その光景に「あの不思議な出来事は夢だったのか?」と思い、頬をつねるがきちんと痛かった。


「夢じゃ……ない?」


 そんな私の呟きに同僚が茶化す。

 何だお前? 可愛い女の子の夢でも見ていたのか、と。


 私は「そんな夢だったらどんなに幸せだったか」と言って笑った。

 何だか久し振りに笑った気がする。


 席に着き、同僚達とビールで乾杯する。

 久し振りのビールが喉に染みた。

 つまみやおかずも堪能した。


 美味い!

 ただのビールや焼き鳥がこんなに美味しい物だったとは……。

 そういえば誰かと食事するのも久し振りじゃないか。

 あの街に連れて行かれる前は、当たり前だと思っていた。

 こんな光景など。

 だが、こんなにも大切に事だったんだな。誰かとの会話や食事という物は……。


 以前、私は一生独り身でも構わないなんて言っていたが今では無理だ。

 あの孤独を味わってしまった今、私はもう戻りたくはない。

 そんな事を考えていると同僚達から「折角の酒の席で染みっ垂れた顔してんな」と言われ、ビールを飲まされた。


 そうだ。もう忘れよう。

 あの出来事は一夜の悪夢だと思えばいいじゃないか。

 だって、私は帰って来たのだ。

 平凡だが平和な日常に。


 それからは同僚達と今日の仕事は大変だったとか上司の愚痴とか言い合った。

 合コンの計画も聞かされた。

 相手は○○病院の看護婦達と聞いて心が踊った。

 同僚にムッツリと言われ、また茶化された。


 再び私達は笑った。

 それは最高に楽しい時間だった。

 やはり孤独は人を腐らせる。

 改めて私はそれを確認した。


















 と、いう夢を見た。


 そして現実の私はまだこの人形達の街にいる事に気付き……泣いた。


 帰りたい。



 ※※※※※※



 次の日、白のホテルにて私は再び、決意する。

 ただし、それは人を探す決意ではない。

 あれだけ探したんだ。

 少なくともこの都心部には私以外の人間は居ないのだろう。


 だとしたら考えを逆転させる。

 ここに人が居ないと言うのなら、私が人の居るところまで行けばいい。


 この街を出ればいい。


 私はこの街を出る決意をした。



 ※※※※※※



 立ち尽くしている人形達に目もくれず、私は歩き続ける。


 目指すはこの街の出口だ。

 幸い、邪魔をする者もいない。

 空腹もない。

 危険もない。

 つまりは歩き続けていけば、いつかは街を出られるハズだ。


 ここが街である以上、必ず終わりはある。

 そう信じて歩き続けた。


 また、夢の中の出来事とはいえ、私は同僚達かれらに勇気を貰った。笑顔を貰った。

 あの日々を取り戻したいと、本物にしたいと思った。

 今はあの普通の日常がたまらなく、いとおしかった。



 ※※※※※※



 再びホテルを出発して、数日が過ぎた。

 未だ、街の最果ては見えない。


 歩けど、歩けど、幾度となくビルの森を抜けどその姿は現さない。

 だが、それでも私は諦めなかった。

 一歩、一歩だが確実に進んだ。


 なに、時間だけならたっぷりあるんだ。

 ゆっくりでもいい。


 私は街の最果てを目指し、歩いた。



 ※※※※※※



 段々と時間の感覚が無くなっている気がする。


 同じ様な街並み。

 同じ様な人形達。

 変わらない景色に時間の感覚が狂わされているのだろうか。


 しかし大きな街だ。

 これだけ歩き続けているというのに未だ、果ては見えない。

 もしかしたら東京より広いのか? そんな錯覚さえ起こしてしまいそうで心が揺らぐ。


 そんな時だった。

 突如、遠くの方で何かが光った。


「あれは……!」


 そこだけザックリと景色を入れ替えられた様な、不思議な場所だった。

 私の背後に広がる景色は何回も見せられ続けたビル群の森。

 私の眼前に広がる景色は白色に練り潰された空間だった。


 あれからどれだけ進んだだろうか。

 何度、心がくじけそうになっただろう。

 泣きたくなっただろう。


 だけど……。

 だけど……!

 だけど……!!


 ついに私は街の最果てへと到着したのだ。


「ぐぅううううう……!」


 涙があふれだす。

 その涙は歓喜の涙か。

 もしくは安堵の涙か。


 私自身分からなかったが、とにかく涙があふれて仕方なかった。


「ついに……ついに……!」


 終わるんだ!

 この地獄の日々から!

 退屈な孤独から!


 ついに解放されるんだ!


 暫くの間、私はその場にうずくまり、ひたすら涙を流した。



 ※※※※※※



「この光を抜ければ帰れるのか? 私の日常へ……」


 その壁は白く輝いていた。

 最初の白いホテルの、あの倉庫部屋の様に淡い光を放っていた。


 光の壁に軽く触れる。

 おかしなところは特にない。

 それどころか、不思議に暖かい風を感じた。

 私の中で、不思議と疑惑から確信に変わった。


 間違いない。

 これこそが私を閉じ込めていた街の最果てだ。

 この先にこそ、私の求める日常が待っていると直感で悟る。



 私は街を振り返った。


 結局、この街は何だったのか?

 その秘密を知る事は叶わなかったが、それも私にとっては過去の話。

 これからこの街を出る私にとってはどうでもいい事だった。

 日常に戻れば、ここの出来事も不思議な夢として、ただの思い出に変わってゆくだろう。


 もう一度、来たいとは思わないけど。


「ともかく、これで終わりだ」


 そう言うと、光の壁に向かって一歩を踏み出す。

 私はまばゆい光に包まれながら、吸い込まれていく。


 遠ざかる街を見ながら、私は一言呟いた。


「さようなら、無人街」


 光に飲み込まれた瞬間、私の意識は光と共に消えていった。






















とあるビルの一室にて、巨大なミニチュアの街を複数人の男達が眺めている。

 そこには『◯◯町、ベッドタウン計画』と書かれていたプレートが掲げられており、これが街の未来を想像した大きな模型だと分かる。

 まだ2割ほど、塗装が済んでいない部分も見えるが、これだけ大きなミニチュアだと中々壮観だった。


 男達は模型を前にこれからするべき計画や夢を語る。

 いずれ、この計画が成功したあかつきには街に取っても自分達に取っても輝かしい未来が待っているだろうと。


 そんな未来を想像し、男達は街を見下ろす。

 こうしていると、この街の神様にでもなった様で気分が良かった。


「これは?」


 不意に、男の1人が足元に1つの人形が落ちている事に気付く。


「……何故、こんなところに人形が?」


 それは、特にこれと言った特徴も感じない人形だった。

 強いて特徴? を言えばサラリーマン風の服装をしている事くらいか。


 確かに街の未来を想像しやすくする為、ミニチュア街には何百体かの人形を設置した。

 だが、それがミニチュア街の外に出る事などあり得ない。

 模型には外に落ちない様にカバーを被せていたし、そもそも模型台から落ちる様な位置に人形を配置した覚えもなかった。


 人形を広い上げた男は怪訝に思いながらも、その人形を街に戻す。

 その際、他の者達から「案外、人形ばかりの街が嫌になって、街から逃げ出したんじゃないか?」と茶化されたが、妙な気味の悪さを感じた男は他の者達を急かすと、そそくさと部屋を後にした。



 ※※※※※※



「!」


 再び、私は目を覚ました。

 光に飲み込まれ、消えてしまう様な感覚を味わったがそうではなかった様だ。


 一瞬、安堵する私だったが、その直後、辺りを見渡して絶望した。


「ど、どういう事だ!?」


 そこは私が必死に抜け出そうとした人形達の街だった。

 私は再び、この無人の街へと戻ってしまったと言うのか!?

 それを知り、絶望が心をむしばむ。


「あ……ああ……!」


 思考する心も、街を出る勇気も何もかもが折れていくのが分かる。


「あ、ああ……あああ……!」


 あの光の先に待っていたのは出口でもなければ、希望でもなかった。

 ガックリと膝を付き、私の中で心が失われていくのが分かった。


 そして、それらが心を支配した時…………。


「ああああああああああ!!」


 …………私はこの箱庭の住人に成れ果てた。























「何だ……ここは……?」


 目を覚ますと「俺」は見知らぬ街の中にいた。

 目の前には等身大の人形達が大量に立ち尽くしていた。


「な、なんだよ……これ!?」


 俺はその光景に思わず恐怖を感じて一歩後ろに引き下がる。


 コツン。


 その時、俺の足に何かが当たった。


「な、なんだ……?」


 それはサラリーマン風の若い男の等身大の人形だった。

 男の絶望に満ちた表情をしており、それだけで俺はここが普通じゃない事を悟った。


「ひぃいい……!」


 俺は情けない悲鳴を上げると、その場から逃げ出した。

 そして、自分以外の人間を求めて街を走り出した。

 それが、無意味な事になるとも知らずに。


 どこまでも。

 どこまでも。

 走り続けた。



 ※※※※※※




 『無人街』


 いつしか誰かがそう言った。

 それは何を持ってそうなのか。

 果たして人は誰だったのか。

 果たして人形は誰だったのか。


 それとも誰もが人間で、誰もが人形だったのか。


 それは誰にも分からない。


 だが、1つ考えて欲しい。

 いつから私達は、この世界を人間達の世界だと定義したのか?

 誰が……私達を操り人形ではないと断言出来るのか?


 もしかしたら…………。


 私達が生きるこの世界も街の外に住む誰かが作った箱庭の世界で、私達もそこに住む人形。




 …………なのかもしれない。

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無人街 ダルどら @dall-1129

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