2章_2




 手元の明かりを頼りにじゆき、それが終わると本を読む。

 元々古城で一人で暮らしていたのだ、馬車に変われど一人の時間が手持ちになるわけでもなく、苦になるわけでもない。当然だがどくも感じない。むしろ快適とさえ言える。

 定期的にどくが入り込もうとするのでそれを追いはらうのはめんどうではあるが。

「また窓にファッショナブルなトカゲが……」

「こんばんは毒持ちです!」と言わんばかりのカラフルな色合いをろうするトカゲを眺め、モアネットが溜息をつく。次いで窓をコンと軽く叩いてトカゲにはお帰りいただき、再び本を読もうとし……ふわりと窓から入り込んだ毒蛾を追い払った。

 これで何ひき目だろうか、蛾に始まりトカゲにかえるに……と、様々な生き物が馬車に入り込もうとしてくるのだ。もちろんどれもファッショナブルで、きっと毒があるにちがいない。

 それをちくいち追い払う。一回きりならば楽な作業なのだが、り返すとなると骨が折れる。

 ちなみにこの作業、決してアレクシスのあんみんを守るためではない。

 彼が何かしらの不運にわれた場合、パーシヴァルが起きてしまう可能性があるからだ。再びあの状態できつかれるのはごめんである。

「でも結果的にアレクシス様を守ることになるんだよなぁ。そう考えると不服だなぁ」

 そうつぶやきつつ、砂糖菓子を一つ取って口に放り込んだ。

 口の中で一瞬にしてけ落ち、ほのかなかおりと甘さが広がる。なんて美味おいしいのだろうか。寝ぼけのこうに走ったパーシヴァルをおどして得た戦利品だと考えれば、より味わい深く感じる。

 そうして時に砂糖菓子を味わいつつ、時に毒蛾や毒トカゲを追い払い、手元の本を読み進めて時間をつぶす。魔女と魔女殺しの争いを記述した歴史書、時間潰しに読むには中々におそろしく、血なまぐさい記述も多い。

 そんなものを一人で読みふける。それもうすぐらい中。

 ぶつそうだの根暗だのとは言ってくれるな、読み物とは時に過激なくらいがそそられるものだ。あと根暗なのは自覚している。

「魔女同士で本の貸し借りとか出来るのかな」

 ふと、そんなことを考えてみる。

 魔女や魔術に関する書物は、当人である魔女だけが所有し次代に受けがせるものだ。どれだけ大きな本屋でも取りあつかっていない。言わずもがな、取り寄せも不可能だ。

 アイディラ家にある魔術書はモアネットが古城にこもる際に持ってきている。そして古城での長い時間を掛けて読み解いて過ごしてきた。

 つまり何が言いたいのかといえば、読みきてきたのだ。

 知識として得るためには二度三度と読み返す必要があるのは分かっているが、それでも新しい魔術書を読みたいと思ってしまう。きっと隣国の魔女はモアネットが見たことのない魔術書を持っているだろう、もしかしたら魔女殺しについての本も持っているかもしれない。代々続く魔女の家系ならなおの事、蔵書数はモアネットの比ではないだろう。

 貸して、と言ったら貸してくれるものなのだろうか?

 それとも何かこうかん条件を出すものなのだろうか?

 あいにくとモアネットには魔女の友人はおろか普通の友人すららず──残念ながらロバートソンは『友人』ではない『友蜘蛛くも』である──そういった当然の事が今一つピンとこないのだ。

 もしかしたら初めての友人が出来るかもしれない。そんな期待をいだきつつ過ごしていると、ガタンと大きく馬車がれてまった。

 しんどうを受けて手元に置いていたコップが揺れ、無色とうめいの水が揺れる。そのとなりにあるネックレスがコップにれてカチンと軽い音がした。

 いったいどうしたのかとモアネットが外を見れば、ぎよしやが車輪をのぞき込んでいる。

「どうしました?」

「申し訳ない。車輪が泥濘ぬかるみにはまってしまって……。今外して出発しますので、少しお待ちください」

「手伝いますか?」

「いえ、だいじようですよ」

 中で待っていてくれと告げ、馭者があれこれと道具を取り出し車輪に板をます。その動きはぎわよく、なるほどこれなら素人しろうとの手助けは不要だとモアネットは顔を引っ込めた。

 次いでとびらを開けて足元を見ればひどくぬかるんでおり、みずまりもあちこちにある。馭者いわく、ここいら一帯は数日激しい雨が続き地面がゆるんでいるのだという。そんな道を馬車で走り、まんまと車輪を取られたわけだ。

 なんて不運、まるでこの旅がひとすじなわではいかないと訴えているみたいではないか。

 思わずためいきをつきながらモアネットが暗雲を眺めていると、開けた扉の隙間から一匹の蛙がヒョコと入り込んできた。それを追ってきたのか、続いてへびがスルリと入ってくる。

「出発前に出ていかないと、遠くに連れていっちゃうよ」

 そう二匹に話し掛けながら馬車の中を我が物顔で進む彼等を視線で追いかけ……そして兜の中で目を丸くした。

 いつの間に入り込んできたのか、てんじように隙間でもあって落ちてきたのか、そこそこ大きなナメクジが居る。デップリヌラヌラとしたそれはアレクシスの顔に乗り、次いで蛙と蛇までもが彼のもとにつどう。しよくしよくの三角関係、三匹からただよきんぱくかんと言ったらない。

 それを感じ取ったか、たんに重いのか、もしくはどろくさいのか、アレクシスがうなり声をあげた。

 そんな唸りを聞きつつ、モアネットがチラと時計を見る。もう交代の時間だ。

「うぅ……う……なんで、なんで僕の顔の上でさんすくみが……」

「あ、起きた。アレクシス様、交代です。私もう寝ますから、あと馬車が」

「待って、普通に話を進めないで……うぅ、すべてがヌルヌルする……」

 気持ち悪い、とアレクシスがうめきつつ三匹を追い払おうとし……そしてその動きをきっかけに、三竦み状態だった三匹の決戦のぶたが切られた。蛇が蛙におそかり、それをけた蛙がナメクジに飛びつく。……アレクシスの顔の上で。

「うわっ、やめ……なんかどれかベトベトしてる!」

「どれというか全体的にベトベトしてるでしょうね。よし、そこだ! いけ!」

「モアネット、あおらないで!」

 アレクシスが声をあららげつつ三匹を追い払おうともがく。その様はなんとも言えずこつけいではないか。

 これは馬車が停まっている間の良い時間潰しだ。そんなことをモアネットが考えつつ見守っていると、アレクシスの悲鳴を聞いたのか眠っていたパーシヴァルがもぞと動き、「うぅん……」と小さく声をあげた。

 それを聞いたしゆんかん、モアネットがあわてて三匹に制止の声を掛ける。

「解散、解散! めいわくな人が起きそうだから解散!」

 はたはたと手をって、どろぬまの戦いを見せていた三匹を馬車から追い出す。

 危なかった、今ここでパーシヴァルが起きたらどうなっていたことか。蛇と蛙とナメクジが争い、アレクシスがそれを追い払おうともがく。モアネットはパーシヴァルのひざまくら、そして馬車内にひびく彼の子守唄……こんとんとしか言いようがない。ごくだ。

 そんなづらを想像し、額にかぶ冷やあせぬぐう……ことは出来ず、鉄の手でかぶとをゴリゴリと拭う。そうして改めてアレクシスに視線をやれば、タオルでぬめりをきとっていた彼が顔を上げた。

「モアネット、どうして馬車が停まってるんだい?」

「泥濘に車輪がはまったみたいです。でもすぐに出発出来そうですよ」

「そっか。ほかに何か問題は?」

「『私達三人に問題は無かったか』という意味なら、何も問題はありませんでした。ただ、『私達三人の中で問題は無かったか』という意味なら、あったと答えます」

「どういう意味?」

だれかさんがぼけてくれました」

「あぁ……」

 そうか……とアレクシスがパーシヴァルに視線を向ける。

 さきほど一瞬起きかけたものの、どうやら再びねむりについてくれたらしく、彼が視線に気付く様子はない。うでを組んで窓辺にもたれかかりゆっくりとかたを上下させているあたり、会話程度では起きはしないだろう。

 迷惑な人、そうモアネットが心の中で呟く。だがもちろん寝ぼけた彼が口にした言葉はアレクシスには伝えない。やさしく良い子なモアネットは、数時間前に彼に言われた言葉を忘れてしまったのだから。

ずいぶんやつかいな寝ぼけ方ですけど、あれって昔からなんですか?」

 寝ぼけて誰かれ構わず抱きついてで回すなど、相手が相手であれば厄介どころでは済まされない。生身の、それこそよろいまとっていない女性に抱きつきでもしたら事件である。──鎧だから良いというわけでもないが──

 そんなモアネットの問い掛けに、アレクシスが肩を竦めて返した。

 曰く、今までパーシヴァルは男だらけのりようで生活し、あの寝ぼけ方の被害もどうりようの男のみ。抱きついたところでなぐられるかみずほうり込まれる程度だったらしい。

 それを話し、そして最後にアレクシスがポツリと「それも一年前までだけど」とつぶやいた。

 アレクシスの不運が始まって以降は二人共ろくに眠ることが出来ず、気が休まらない日々が続いて彼が寝ぼけることも無くなったのだという。

 そんな話を聞き、モアネットが兜の中で溜息をつきパーシヴァルへと視線を向けた。

 気の休まらない日々で寝ぼけることも出来なくなったというのなら、なぜ今それが再発しているのか……。理由は簡単、自分がのろけのじゆを作ったからだ。呪いがはじかれるとあんし、そして彼は迷惑で厄介に寝ぼけている。

 なんてじんだ。そうモアネットが心の中で呟き、次いで「もう寝ます」とだけ告げてその場に横になった。



 しばらくすると馬車が一度大きく揺れ、馭者が再出発を告げると共に再び走り出した。

 車輪が道を走るかすかな振動と音が続く。コップの中で水が揺れるのをながめつつ、モアネットが手っこうの中のネックレスを軽くにぎった。これが生身の手であれば少しぐらいは冷たく感じただろうか。だがあいにくと鉄しでは分からず、れているかも分からない。

 そんなネックレスを傷付けない程度に握り、モアネットが兜の中でゆっくりとひとみを閉じようとし……、

「なんだかし暑いな……。モアネット、この水もらうね」

 というアレクシスの言葉にはっと瞳を開いた。

「待ってアレクシス様、それだめっ……」

 慌てて起き上がり制止の声を掛ける。

 ……が、それも間に合わず、一口水を飲んだアレクシスが一瞬にして表情を青ざめさせ、窓辺へと近付いて顔を外に出すや水をき出しき込みだした。その姿は一国の王子にしては何とも落ち着きがなく情けないが、飲んだ水が苦かったのだから仕方あるまい。

 次いで彼はおのれを落ち着かせると、きようがくと言わんばかりの表情でモアネットに視線を向けてきた。よく見れば小さくふるえ、そのうえきよを取るようにあと退ずさる。

「モ、モアネット……まさか僕が三びきに襲われて、この水を飲むことを想定して……」

「それはもはやじよの領域をえてますね」

 そうあきれつつモアネットが返せば、アレクシスがあっさりと「そうだよね」としようらす。

 もちろん今の「この水を……」という言葉はじようだんでしかなく、その大根役者ぶりと言ったらない。思わずモアネットが茶番に付き合わせないでくれと彼をにらみ付けることでうつたえた。

 それでも砂糖を一つわたすのは、勝手に水を飲んだのは彼だが、その水を苦くさせたのは自分だからだ。もっとも、彼以外が飲めば苦いと感じることはなかっただろうけれど。

 そんなモアネットに対し、アレクシスは礼を告げて砂糖菓子を受け取ると口内で数度転がし、ようやく落ち着いたと言わんばかりにホッと安堵の息をついた。

「ごめんよモアネット、寝ようとしてたところじやして」

「べつに良いですよ、もう寝ますし。あと呪い除けの呪符も用意しておきましたから」

「何から何までモアネットにたよってばかりだ。……ごめんね」

 ポツリと呟くアレクシスに、モアネットはさして返事もせずに横になった。

 迷惑をかけられているのは事実だ。古城から引きずり出され、そのうえ国をえようとしている。これは迷惑と言っても申し分ないだろう。

 だが今のアレクシスの声はひどしずんでおり、さすがにこれに追い打ちを掛ける気にはなれない。かといって「おやすみなさい」等と親しげな言葉を掛ける気も起きず、ただちんもくで返すだけだ。

 ガタガタと微かなしんどうと共に響く車輪の音と「ごめん」とり返される言葉はもりうたには適していない。

 護衛も護衛だがあるじも主で湿しめっぽい。そんなことを考え、モアネットは罪悪感の海におぼれているアレクシスをなだめようと半身を起こし……、



「ごめんよモアネット、僕は君の顔を覚えていないんだ」



 という震える声に兜の中で小さく息をんだ。

 アレクシスが背を丸め、両手で顔をおおっている。モアネットより背の高いはずの彼は、どうしてか今だけは随分と小さく見えた。

 だが今はそれを気にしている場合ではない。モアネットの思考の中で先程聞いたアレクシスの声と、そして幼いころに聞いた彼の言葉がこうよみがえる。

「……私の顔を、覚えていない?」

「あぁ、どうしても思い出せない。あんな酷いことを言ったのに、その理由さえも思い出せないんだ……」

「ま、まぁ、でも、初対面だったし。あの一瞬だけだし……」

 だから仕方ない、そうモアネットが声をけようとし、ヒュッとかすれた音だけを漏らした。のどが震えて声が出ない、息を吸っていいのか吐いていいのか分からない。

 かろうじてしぼり出した自分の声は酷く掠れていて、みような息苦しさが胸をめる。



 アレクシスは自分の顔を覚えていない、あの言葉の真意も覚えていないという。

 いや、覚えていないのは本当に彼だけか?

 だけどもしもそうならば、このあわれな重装れいじようは何だというのか。

 顔をかくし姿を隠し、つめの形さえも知られることをおそれて纏ったこの鎧は何のためだ。



 そんなことを考えればモアネットのどうが速まり、だいに呼吸が浅くなる。湿しつを帯びた風が鎧のすきから入り込み、どろくささが体に纏わりつく。アレクシスの声が頭の中で繰り返され、あの日の光景がのうに浮かぶ。

 何一つ思い出せないと震える声で告げるアレクシスとちがい、モアネットはせんめいにあの時の事を覚えていた。もちろん、当時の彼の姿も、形良いくちびるから発せられたざんこくな言葉も。なげき顔を覆って部屋にこもるモアネットをよそに、彼のこんやくしやにエミリアをあてがった両親のぎわの良ささえも、今でも鮮明に思い出せる。

 足元がいつしゆんにしてくずれ落ちていく、底冷えするようなそうしつかん

 それがき上がると同時に息苦しさが増し、かぶとの中でねばついたいやあせが伝う。

「……モアネット……モアネット!」

 グイと肩をつかんでさぶられ、モアネットがはたとわれに返った。

 目の前で深い茶色のかみが揺れ、同色の瞳がジッとこちらを見つめてくる。アレクシスはあの時よりもずっと大人になった、それでも髪や瞳の色合いは変わらない。どことなくおもかげも残っている。

 そんな彼の唇が、まるであの時のようにゆっくりと開き……、

「モアネット、ごめんよ」

 と、苦しそうなこわいろで謝罪し、ゆっくりと手をはなした。

「嫌なことを思い出させてごめん」

「アレクシス様……」

「悪かった。もう話さないから、ゆっくりねむって」

 そう宥めるように告げ、アレクシスがそっと肩を押してくる。

 横になれとうながしているのだろう。ていこうする理由も無いとそれに従い、兜の中で深く息を吐いた。

 一定のリズムで続く車輪の音がはやがね状態だった鼓動を落ち着かせる。不快でしかない感情が、そのまま心地ごこちの悪い眠気へと変わっていく。

 あまり良い夢を見られそうにない……そう考えながらゆっくりと瞳を閉じれば、うなれるアレクシスの姿が細まっていく視界に最後まで映った。





 それから数時間後。

「モアネット嬢、貴女あなたは良い子だ。ぐっすり眠ると良い」

「うわぁ、うざったいよぉ……」

 という会話が馬車の中でわされた。

 言わずもがな、パーシヴァルがぼけたのだ。哀れモアネットは再び彼のひざまくらで兜をでられながら目を覚ました。おまけに今回は鼻歌交じりである。これは子守唄なのだろうか、そうならばなおの事腹立たしい。

 思わずモアネットがアレクシスに視線を向ければ、彼は申し訳なさそうにこちらを見つめていた。……さきほどの痛々しいほどの申し訳なさとはまた違っているが、こちらもこちらでろうかんただよわせている。

「あの重苦しい空気から、なぜこんなじようきように……。この人ずっと寝てたじゃないですか……」

「うん。でも窓に寄りかかって寝てたから……それで」

「それで?」

「さっき大きく馬車が揺れて、窓に頭をぶつけて起きたんだ」

 アレクシスいわく、馬車の揺れによりパーシヴァルは勢いよくゴッ! と音をたてて頭をぶつけ、そのしようげきで目を覚ましたらしい。そうしてゆっくりと周囲を見回し眠るモアネットに視線を留めると、おもむろに近付き兜を膝に乗せて撫で始めた……と。

 そんな話を聞き、モアネットがためいきをつくと共にいまだ兜を撫でてくる手をはらった。それでも彼はおだやかに笑い、離れようとするモアネットに手をばしてくるのだから呆れしかかない。

「起こしてごめんねモアネット、パーシヴァルもあと五分で元にもどるはずだから」

「あと五分ですか……え、それってつまり十分くらいあの状態だったってことですか!?」

 ずいぶん長いこと彼の膝枕で眠っていたことを察し、モアネットが嘆く。

 もっとも、大人しく嘆いてもいられない。なにせ今この瞬間にもパーシヴァルがきしめようとうでを伸ばしてくるのだ。それをはたいてけて、合間に嘆いてとせわしない。

「これ、起こす方法ないんですか?」

「んー、どうだろ」

 分からないとしようかべて答えるアレクシスに、モアネットがらくたんしつつパーシヴァルの腕にらわれた。さすがは王子の護衛、一瞬の隙をついて放たれる一撃の速さはさすがである。いかに魔女といえど反射神経はつうの令嬢並みのモアネットが避けられるわけがない。

 油断していた……そう思った矢先にギュウと強く抱きしめられ、彼の大きな手がごうかいに兜を撫でてくる。

 そんなこうぼうの果てに、パーシヴァルがそっとモアネットから離れ徐に顔を覆ってもだえ始めた。どうやら十五分経過して冷静さを取り戻したようだ。

「……穴があったら入りたい。むしろ自分でってでも入りたい」

「穴なんてあったら真っ先にアレクシス様が落ちますよ」

「そうだな」

 せいだいに溜息をつき、パーシヴァルが再び眠るために窓辺へと頭を預ける。モアネットもまた彼に続くように再び横になりクッションに兜を預けた。見張りのアレクシスが苦笑を浮かべ、しゆうしんの言葉を告げてくる。



 そうして再び馬車が静まり返った頃には、すでに窓の外は明るくなり始めていた。

 一人起きていたアレクシスが窓の外をながめ、日がのぼり始める光景の美しさにひとみを細める。そうしてチラとモアネットに視線をやり、耳をましてあんする。今度はうめき声もすすり泣きも聞こえてこないからだ。

 良かった、と、そう内心でひとりごちる。

 今の自分に良いことなど何一つないのに。






 馬車の中で朝食と昼食をとり、揺られ続けること数時間。なんとか日が落ちきる前には街に着くことが出来た。

 ためしにと窓から様子をうかがえば、屋根が密集したいかにもといった光景が目と鼻の先に見える。

 ちゆう、相変わらずどくい込んできたりファッショナブルなかえるが入り込んできたり、馬車をひく馬がすれ違う馬にひとれをしてやりに進路を変えて横転しかけたりとアクシデントは多々あったが、まぁ想定内と言えるだろう。

 ちなみに想定外とはアレクシスの不運死であり、それ以外はすべて想定内で押し通すつもりだ。

 そんなことを考えていると馬車が一度揺れると共にまり、ぎよしやとうちやくを告げてとびらを開けた。

 パーシヴァルとアレクシスがここまでの料金を払いつつ街の情報を聞き、モアネットはそれを横目にググッと背を伸ばす。ギチギチと音がするのはよろいが擦れる音か、それとも長い時間馬車に揺られていた体の悲鳴か。

「まずは宿を決めて、そのあとに夕食。明日は朝から出発したいから、今日のうちに次の馬車を手配して……」

 街の地図を片手に、あれこれとパーシヴァルが予定をたてる。

 それを聞き、モアネットがパッと表情を明るくさせた。「宿」と思わずれるおのれの声は、兜の中でさえ明るくはずんで聞こえる。

 だが興奮するのも仕方あるまい。なにせ宿だ。今日の宿しゆくはく先は宿なのだ。せまい馬車の中とは違い、ベッドで手足を伸ばすことが出来る。男女別々の部屋なのだから、寝ぼけたパーシヴァルのこうに付き合わされることもない。

 そのうえ自分は我がままが許される。これにはモアネットが兜の中でニンマリと笑った。

「さぁ宿に行きましょう! 一番良い部屋が取られちゃう!」

 そうようようと二人を促して歩き出せば、アレクシスは文句も言えないのだろう大人しく歩き出し、パーシヴァルに至ってはさいのぞきながらまゆひそめているではないか。

 なんて気分が良いのだろうか。思わずモアネットの足取りも軽くなり、カシャンカシャンとひびく音も普段より軽快だ。



 そうしておとずれたのは、この街で一番の宿。そのカウンターにパーシヴァルがひじを乗せ、しぶしぶといった様子で、

「二部屋たのむ。……片方は一番良い部屋を」

 と受付の者に告げる。どことなく渋るような気配を見せているのは、きっと財布に大打撃だからだろう。

 それに対してモアネットはこれ以上ないほどに気分が良くなり、思わず「最上階の部屋で!」と口をはさんだ。

 といっても三階建ての宿。おまけに一階はカウンターと食堂しかないので最上階も何も無いのだが、そこできようせず我が儘を通すことに意義があるのだ。受付をしていた女性がうなずき、パーシヴァルのけんに寄ったしわがより深まる。

 それが分かっているからこそ、モアネットはこれみよがしにカウンターに置かれていたルームサービスのメニューを開いた。もちろん見せつけるためだ。初日は大人しく馬車で寝てやったが──おまけにパーシヴァルの膝枕と散々だ──じよを連れ出すとどうなるか彼等に分からせてやらねばなるまい。

「……最上階か」

「そうです。最上階の一番良い部屋。もちろんルームサービス付きで」

「そうか、この建物を見るに最上階はけいしやがきついから気を付けろよ」

「屋根にはまりません」

 くやまぎれか明後日あさつてな事を言ってくるパーシヴァルに、モアネットがきっぱりと返した。そうしてルームサービスのメニューから夜食をいくつか選ぶ。

 この際だ、受付の女性はもちろんカウンターに立つ者達や、それどころか居合わせた客達までもちらと視線を向けてくるのは気にするまい。きっとこの全身鎧がめずらしいのだろう。

 馬車で一晩といえど国内、きっと『王子にみにくいとののしられたあわれな重装れいじよう』の話はこの地まで届いているはずだ。

 だがそれが分かっていてもがたく、モアネットがかぶとの中で深く息をいた。好奇の視線は気分が悪く、見られていると考えれば冷やあせが伝う。

 鉄でおおわれていると知ってなお、つめの先すらも見せていないと分かっていてもなお、この身が彼等に醜く映っているのではないかとこわくなる。ひそひそと聞こえてくる声の中に『醜い』という言葉を探し、いつ投げつけられるのかとおびえが胸に湧く。

 鉄の鎧でかくしても、自分の何かが醜いのかもしれない。

 だけど何かとは何なのか。それが分からない。分からないからこうなった。

「……モアネット、どうしたの? だいじよう?」

 そうアレクシスに声をけられ、モアネットがはたとわれに返った。深い茶色の瞳が案じるようにこちらを見つめてくる……が、その視線がわずかに外れているのは鉄しだからだ。

 こちらからアレクシスの瞳は見えるが、彼からはモアネットの瞳は見えない。いくら彼が目をらそうとも、鉄と魔術がさえぎってくれる。

 そう考えれば安堵が湧き、モアネットが深く息を吐いて好奇の視線をしてくる周囲を見やった。小さな声で聞こえてくるのは重装令嬢とていの王子へのかげぐち

 構うものか、どうせだれも私のことなんて見えないんだから。そう自分に言い聞かせる。

「モアネット、もし良ければのろけを用意してくれないかな」

「呪い除けですか?」

「うん。僕は部屋に残るから」

 大人しく本でも読んでいる。そう話すアレクシスの表情はどこかこわっており、せられた瞳がげ場を求めている。

 何からの逃げ場かなど聞くまでもない。鎧をまとったモアネットが『重装令嬢』として好奇の視線にさらされるように、いわれの無いうわさを纏わされた彼もまた『不貞の王子』としてべつの視線に晒されているのだ。とりわけ、彼への視線にはぞうけんが混じっている。

 これは確かに部屋にこもるに限る。そう考え、モアネットがポシェットからペンと羊皮紙を一枚取り出し可愛かわいねこき込んだ。今回の猫はハチワレ、そのうえぺろりと舌を出している。なんて愛らしい。

「とりあえずこれをどうぞ。夜までは持たないけど、まぁ効果が切れたら切れたでがんってください」

「ありがとうモアネット、わざわざ顔面がまっぷたつに割れた生き物のしよくシーンを描いてくれたんだね」

「可愛いにゃんこ!」

 失礼な! とモアネットがうつたえれば、アレクシスがしようしつつ宿の使いに案内されて去っていく。その背はどこか不安げで、それでも最後に一度り返り「部屋でてるから、ゆっくり買い物してきなよ」と告げるのだから痛々しい。

 きっと、不運まみれの自分が同行すれば買い物どころではないと考えたのだろう。

 そんな彼のづかいにモアネットは軽くかたすくめ、羊皮紙を買いに行くとパーシヴァルに告げて宿を後にした。この際だ、パーシヴァルがじゆを見たしゆんかんに「バッカルコーン」とつぶやいたのは無視しておく。



 品ぞろえの良い雑貨屋で羊皮紙とインクを買い、ついでに街頭に並ぶワゴンを眺める。全身鎧の姿で店の中に入るには勇気がるが、ワゴンを覗くぐらいならまだ出来る。

 そこでうすいピンクのマニキュアを一つ買い、辺りが暗くなり街灯がともりだすと宿にもどった。

 そうして宿の食堂で食事をとる。どうやら季節的に旅客が多いらしく食堂はにぎわっており、ひそひそと風に乗って聞こえてくる陰口もいの笑い声とけんそうほとんき消してくれた。うるさい場所での食事など初めてで──そもそも、誰かとしよくたくを囲むこと自体が数年ぶりだ──最初こそ落ち着かないと渋っていたモアネットもほんの少し気分を良くしていた。

 そんな食事を終え、明日も早いと部屋に戻る……のだが、そこでモアネットはアレクシスとパーシヴァルの部屋に行きたいと告げた。もちろん、アレクシスの不運がどのようなものかを知るためだ。

「……男が寝る部屋を訪れたいなんて、はしたないぞモアネット嬢。不運を笑いたいのか?」

「九分九りん加えて一厘それが理由ですが、呪いの程度も知りたいんです」

 呪いけの効果を強めるために、そうモアネットが告げればアレクシスとパーシヴァルが断れるわけがない。なにせモアネットは彼等があんみんするためのゆいいつすべなのだ。

 それが分かっているからこそモアネットが部屋に入れろと食い下がれば、アレクシスが小さく息をいて頷いた。じやつかんろうの色が見え額に薄いきずがあるのは、きっとけにわたした呪い除けが予想以上に早く切れ、から転げ落ちたか何かしたのだろう。

「まぁ結局モアネットが呪符を作ってくれないと不運にわれるんだし……。良いよモアネット、存分に楽しんで」

「……アレクシス王子」

「宿の不運にはもう慣れたから」

 そう力なく笑い、部屋に戻ろうとアレクシスが歩き出す。その背はやはりが無く、対してにらんでくるパーシヴァルの眼光のするどさと言ったらない。不用心なあるじに代わってけいかいをしているのだろう。

 足して二で割ればちょうど良いのに、そんな事を思う。そうなった場合、パーシヴァルの寝ぼけが余る気もするが。

「王子が良いとおつしやっているから部屋に入れるが、不運を楽しんだら自分の部屋に戻れよ。それに……」

「分かってます、呪い除けでしょ。一晩ばっちり呪いをはじく呪符をお作りしますよ」

「約束だからな。……もしたがえたら」

「違えたら?」

「これでもかと寝ぼけてやる」

「いまだかつてないおどし文句」

 本気だと言わんばかりの鋭い視線で情けない脅しを掛けてくるパーシヴァルに、モアネットがあしらうように「分かってますよ」とカシャンカシャンと手っこうを振った。だが胸中はおだやかではない、兜で隠しこそしているが彼の脅し文句にきようすらいだいていた。

 なにせほかの誰でもないパーシヴァル。彼が寝ぼけたらどうなるか……傾斜のきつい屋根の上で「モアネット嬢の手はれいだなぁ」と手っ甲にマニキュアをられかねない。

 これは本気で呪符を作らねば……そう考え、前を歩くアレクシスを追う。

「モアネットが期待してるのも分かるけど、すぐに何か起こるってわけでもないよ」

「そうなんですか?」

「寝ようとしたらゆかけたり、寝て少ししたら見知らぬ女性がどろぼうねこってさけびながらとびらたたいてきたり、時間がってからって事も多いんだ。ねぇパーシヴァル」

「そうですね。今夜は無事に過ごせると思った事も何度かありましたね。過ごせませんでしたけど」

 そう話しながら歩く二人を、モアネットがうなずきながら後を付いてろうを歩く。

 呪い自体はけいぞく的ではあるものの、そこからくる不運にはいつかんせいは無いようだ。もちろんどくたかられたりどくへびまれたりと定番化しているものもあるらしいが、それだって結局アレクシスを死に至らしめるどころかこうしようすら残せていない。

 じよの呪いにしてはみようで、なんだかあやふやだ。目的が分からない。

 そう考え、モアネットがギギィと兜をかしげた。だが次の瞬間ギッと兜を所定の位置に戻すのは、彼等の部屋に着いたからだ。

 モアネットが今夜泊まる最上階の一番良い部屋とはちがう、何とも簡素な扉。聞けば中もまた簡素な造りで、ベッドが二つにせまい浴室のみだという。

「モアネット、明日あしたは早いから不運を待つのもほどほどにね」

「分かってます。ごろな時間には戻りますよ」

 わざとらしくモアネットが「ルームサービスも来るし」と告げれば、アレクシスが肩を竦めつつ扉のかぎを開けノブに手を掛けた。

 そうしてギィときしむ音をあげ、扉がゆっくりと開き……、

「サプラァーイズ!!」

 という複数の陽気な声と共に、クリームのったパイが飛んできた。

 アレクシスが見事なまでに顔面にパイを受け、そのままこうちよくする。

 さつそくの不運ではないか。待つどころではない予想外の早さに、これにはモアネットも思わずビクリならぬギシリと体をねさせてしまう。

 そうしてただよう冷え切った空気と言ったらない。先程の陽気なサプライズの掛け声もどこへやら、重苦しい静けさだけが周囲を包む。階下から食堂の賑やかさが聞こえてくるが、それだってどこか別次元のように思える。それほどまでなのだ。

 おまけに投げられたパイは絶妙なバランスでアレクシスの顔に張り付いたままである。これがなんともいえずこつけいで、より空気を悪化させている。

 そんなちんもくが破られるや一転して騒々しくなったのは、パイを投げた者達が人違いに気付いたからである。一瞬にして顔を青ざめさせ、アレクシスの顔からパイを取り除くとタオルやハンカチでいて謝罪する。

 うるわしくそうめいさを見せる彼の顔にはべったりと生クリームがつき、見ればかみにも飛び散っているではないか。そんな状態でも「気にしないで」だの「君達が悪いわけじゃないから」だのと彼等を落ち着かせるアレクシスのなんとおもしろ……やさしいことか。

「アレクシス様、大丈夫ざまあみろですか?」

「モアネット、本音がかくしきれてないよ」

「アレクシス王子、大丈夫ですか? おは?」

「心配しないで、どこも痛めてないから」

「アレクシス様、美味おいしかったですか?」

きようしんしんだねモアネット。あえて言うなら、甘さをひかえめにしてほしかったかな。食後にあの甘さは少しくどいね」

 そう顔面の生クリームをぬぐいながらアレクシスが答える。このじようきようでなかなかのゆうではないか。人違いでパイを投げつけられたのだから、呪いにかっていようがいまいがだれだってりたくなるだろうに。

 元々のうつわの大きさか、もしくは不運に見舞われすぎて達観したか。この程度ではもはや彼の心は傷一つ付かないのかもしれない。

 たくましくなっている……とモアネットが心の中で彼をあわれみ、仕方ないとポシェットからハンカチを取り出して髪についているクリームを拭ってやった。



 そうしてパーティー集団が謝罪の言葉と共に立ち去るのを見送り、アレクシスとパーシヴァルにうながされるまま部屋へと入った。

 中はさして広くもない、いかにも簡素な宿の一室という造りをしている。

 二つのベッドに、一応置かれている程度の小さなテーブル。浴室はあるにはあるようだが、部屋の造りを見るに期待は出来ないだろう。

 そんな浴室に、いまだ服のあちこちに生クリームをつけたアレクシスが向かう。その表情には若干の疲労が見え、そしてこめかみには拭いそこねた生クリームが見える。あれは確かに早く洗い落としたいだろう、そんなことを考えつつモアネットが見送れば、パーシヴァルがベッドのかくにんをし出した。

 あしは折れないか底は抜けないかと強度を確かめ、とんをバサバサとあおぐ。次いできっとベッドの下をのぞくのだろう。そのしんちようさに、簡素な椅子に座ってモアネットがかたすくめた。

「心配しようですね。そんなしょっちゅう人が隠れてたりしませんよ」

「念には念をだな…………。そうか、お前もサプライズねらいだったんだな。だが聞いてただろ、残念ながらパーティーはとなりの部屋だ」

「居るの!?」

 ひゃっ! とモアネットが悲鳴をあげれば、ベッドの下からピエロがゆっくりとい出てきた。これはこわい。どんなサプライズを考えていたのかは知らないが、ちょっとしたトラウマになりかねない光景だ。

 だがそんなピエロは申し訳なさそうに身を竦め、数度頭を下げるとそそくさと部屋を出て行ってしまった。そうして数秒すると隣の部屋から「サプラーイズ!」の声と共にかんせいがあがる。どうやら今度は成功したようだ。

 良かった良かった……とはさすがに思えない。

 不運を甘く見ていたとモアネットが改めてアレクシスののろいのたちの悪さを実感していると、手早く入浴を済ませたアレクシスがタオルを首から下げながらもどってきた。

 髪がれてすいてきを垂らし、よりその色味をくさせている。まとっているのは宿に用意されていた安っぽいだというのに、彼が着ているだけで一等の部屋着のように見える。

 そんなアレクシスはおのれの髪を拭きつつ椅子に腰掛けると、不思議そうに首を傾げた。

「何かあった?」

「いえ、ちょっとピエロが」

「あぁ、そっか」

 パーシヴァルの「ちょっとピエロが」という搔いつまんだ説明に、それだけで察したのかアレクシスがしようと共に肩を竦めた。

 どうやら「ちょっとピエロが」だけで通じているようだ。動じるでもなくくわしく聞くわけでもないその落ち着きはらった態度に、過去どれだけベッドの下にしのび込まれていたかがうかがえる。

 そんな二人をながめつつ、モアネットがそういえばと立ち上がった。入浴を済ませたアレクシスは特に異変も無く、ふるえている様子も無ければ青ざめてもいない。

 古城でシャワーを浴びた時は水しか浴びれなかった──というより水しか出ないようにしてくれた──。だからこそ今回の宿でもてっきり水しか出ない……なんて不運にわれているのかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。

 モアネットがそれを確かめに浴室へと向かう。

 そして……、

「あの、水しか出ませんでしたけど」

 と戻ってきた。

 本当に水しか出なかったのだ。「見た感じは古いけど造りはしっかりしてるんだなぁ」なんて油断していたモアネットが、手っこうすきからおそう冷たさに身を震わせてしまったほどだ。

 だというのにモアネットのうつたえに対し、髪をかわかしていたアレクシスは平然と、

「うん、水しか出なかったけど?」

 と返してきた。

 震えもせず、青ざめもせず。とうてい水を浴びた直後とは思えない。

「あの……水ですよ? 寒くないんですか?」

「寒いも何も、ここ一年水しか浴びてないから」

 あっさりアレクシスが返す。

 どうやら水しか出ない状況に慣れきり、それどころか元より水しか出ないものと考えるようになってしまったらしい。これには思わずモアネットもどう答えて良いか分からず「お強いんですね」とだけ告げた。

 考えを改める必要があるかもしれない。アレクシスは確かに不運に見舞われているが、それに比例して化け物じみた適応力がある。この旅の結末として『アレクシスの不運死』はかなり可能性が低そうだ。

「まぁ、風邪かぜをひかないならそれで良いんじゃないですかね」

「それでモアネット、僕の不運は満足しっ……」

 満足した? と聞きかけ、アレクシスの言葉が止まる。座っていたの脚後ろ二本がせいだいな音をたてて折れたのだ。哀れ彼は悲鳴をあげることもかなわず後方にたおれ込み、パーシヴァルがあわてて助けにけ寄る。

 そうして改めて話を始めようとし、ワァッとあがった歓声に三人そろっていつせいに視線をやった。声がしたのはかべから……正確にはりんしつ。パーティー会場である。

 どうやら相当盛り上がっているようで、歓声に続いて歌う声が聞こえ、果てにはおどりだしたのかドタバタと足音が続く。なんとも楽しそうで、そしてなんともめいわくではないか。

「これは一晩ですね」

「明け方には少しくらい収まるかな……。一時間寝られれば良い方かも」

 アレクシスとパーシヴァルがろうかんいっぱいに壁を見つめる。

 そのあいしゆうただよう姿と言ったらなく、モアネットが仕方ないとためいきをついてポシェットから羊皮紙を取り出した。サラサラっとえがくのは今夜も可愛かわいねこねむりながら魚の夢を見る、なんとも夜に適した絵だ。

 それを見せれば、呪いけと察したか二人の表情にあんかんだ。

 次いでじゆまくらもとに置けば、さきほどまでさわいでいた隣室の集団がやれ酒が切れた酒場に行こうと部屋から出て行く。たんに静かになるのだから呪符の効果はばつぐんだ。

「モアネット……」

じよは気まぐれですが約束をたがえたりはしませんからね。それに、もうそろそろルームサービスが来ちゃうし」

「ありがとう、モアネット。可愛いにゃん……ウミウシ?」

「可愛いにゃんこ!」

「お、これなら俺は分かるぞ。猫が三びきねてるんだな」

「可愛いにゃんこが一匹!!」

 なんて失礼な! とモアネットがいかりをあらわに席を立つ。

 去りぎわけられた「おやすみ」という言葉はなんとも親しげで、仲間意識を持たれたらたまったもんじゃないとツンとそっぽを向いて少し強めにとびらを閉めて部屋を後にした。





 大きくふかふかとやわらかなベッドに、シンプルながらに質の良いテーブルセット。

 運ばれてきたルームサービスのチーズはれいに盛られており、いろどりにえられた花まで実はチーズで出来ているというのだからおどろきだ。見た目から食欲をさそうそのごうさは、食堂で出されたな盛り合わせとは比べものにならない。

 種類も当然だが食堂の通常メニューとはちがい、チーズ独特のかおりと味が濃いものやペースト状のものはクラッカーによく合い、軽めの口当たりのものは単独で味わえる。

 味は深く、香り良く、種類も豊富。一言でいうなら「さすがあのお値段」といったところか。

 これは高価なワインによく合う……と、そんなことを紅茶を飲みながらモアネットが思う。ワインを飲めないことがやまれる。

 そんなルームサービスをたんのうし、ゆっくりと入浴を済ませる。長い時間馬車でられていただけあってか体もこわっており、湯を張った中で手足をばせば疲労が湯にけ落ちていくような心地ここちよささえあった。

 もちろん一番良い部屋だけあって浴室は広く、お湯も出る。いや、宿の浴室でお湯が出るのは当然のことなのだが、水をかぶったアレクシスの平然とした態度がのうに焼き付いているのか、もしかしてお湯が出ることは幸運なのかもしれないと考え始めていたのだ。

 そうして入浴を終わらせ、買っておいたマニキュアを手のつめる。

 店員が──じやつかんげんそうだったが──話してくれたとおり、発色の良いピンクが爪をおおっていく。左手を終えて右手へ、自分の手がかざられていく様は見ていて心がはずみ、最後にフゥと軽く息を掛けてわれながら器用に塗れたと表情をほころばせた。

 この後はどうしようか、と手が動かせず何も出来ない時間に考える。

 明日は早いというから寝ようか。それとも買った羊皮紙にためし書きでもするか……。

 そうして時折はパタパタと手をり、ちょいとっついてマニキュアが乾いているかをかくにんし、手持ちな時間を何度も欠伸あくびをしながら過ごす。そうしてようやく乾いたのを見計らい、部屋のすみに置いておいたポシェットに手を伸ばした。



 カシャンカシャンと夜中のろうを歩き、アレクシスとパーシヴァルがまっている部屋の前で立ち止まる。

 ポシェットから一枚呪符を取り出してり付ければ、足音で気が付いたのかゆっくりと扉が開かれた。

「モアネットじよう、どうした?」

 と声をひそめてたずねてくるのはパーシヴァル。金のかみが濡れており、寝間着からのぞはだがまだ水滴を残しているあたり今しがた入浴を終えたのだろう。彼が出てきたことでいつしゆん身構えたモアネットだったが、それを察したパーシヴァルがすかさず「今は眠くない」と答えてきた。

のろい除けのおかげか、久しぶりに水じゃなくてお湯を浴びた」

「そうですか」

「お湯って温かかったんだな」

 常にアレクシスの近くに居てその不運のとばっちりを受けているのだろう、パーシヴァルの声はずいぶんとしみじみとしている。ここに理由を知らぬ第三者が居れば「こいつは何を言っているんだ」とでも思っただろうが、理由を知っているモアネットにはただひたすらに同情しかかない。

「それで、何か用があって来たのか?」

「どうしたって、別に……」

 別に何でもないです、とモアネットがギッとかぶとを鳴らしてそっぽを向く。

 だがその態度は逆に「何か理由があって来た」と言っているようなものなのだろう、パーシヴァルが不思議そうに首をかしげる。

 その瞬間彼の髪を伝ってすいてきがポタリと一滴落ちたが、あいにくと今のモアネットにはそれに気付くことも、ましてや髪を乾かすように言ってやるゆうもない。

「……よく私が来たって気付きましたね」

 ごくみみ、と心の中で付け足しておくのは、呪符を貼り終えれば扉をノックすることもせずさっさと帰るつもりだったからだ。出てこられるのは非常に気まずい。

 だがそれを言えばパーシヴァルにあやしまれそうな気がして、あくまでさり気無い話題を振るように言えば、彼は深く溜息をつくと共にかたすくめた。疲労とぎやくい交ぜになったような表情に、そっぽを向いていたモアネットがどうしたのかと彼をうかがう。

「足音には特にびんかんになった」

「足音ですか」

「……一年前からな」

 何があったかは言わずただ時期だけをつぶやくように話すパーシヴァルに、モアネットが兜の中で「あぁ」とあいづちを打った。はたして彼に聞こえたのかいなか、どちらにせよパーシヴァルにはその先を話す気はないのだろう、あお色のひとみが溜息と共に細められる。

 きっとこの一年間、さいな足音にさえ身構えけいかいして過ごしていたのだろう。表情がそううつたえているように見えてならない。

 なにせアレクシスの不運はじんじようではない。

 だれかがじん的に仕向けている、それも人の域をえた力で仕掛けている。つまり、それほどまでにアレクシスに悪意をいだいている者がいるということだ。

 そんな相手なのだから、直接手をくださないという保証はない。

 不運にわれ危機におちいりながらも命を落とすことの無いアレクシスにしびれを切らし、自らの手でと考えみを……なんて可能性だってあり得るのだ。もしくは、ていの王子に国を任せられるかと『英雄国民』が立ち上がるか。

 パーシヴァルはきっとそれを案じ、足音一つにも警戒して一年を過ごしてきたのだろう。

 王子を守るのは護衛の仕事だ。だけどいったい誰からまもればいいのか。分からない以上すべてを疑い警戒するしかない。

 はたしてこわいのは魔女の呪いか、呪いを掛ける魔女か、悪意を抱くいつぱん人か。

 そんなことを考え、モアネットが肩を竦めた。

「確かに、アレクシス様はどくたかられてもどくへびまれても死なないし、水を浴びても風邪をひかないけど、さすがにレンガでなぐられれば死にますからね」

「さらっとおそろしいことを……」

 ぶつそうだとパーシヴァルがにらみ付けてくる。その瞳は先程の疲労から一転して発言を責める色合いが強く、モアネットが兜の中で舌を出した。

「だって事実ですし」と訴えれば「モアネット嬢はレンガで殴っても死ななそうだな」と皮肉が返ってくる。

「失礼ですね、魔女だって造りは同じ人間なんです。レンガで殴られれば死にますよ」

「そりゃ中の人はそうだろうな」

「……ん? 中の人?」

「ところで、そもそもモアネット嬢はどうして来たんだ?」

 話を再び改めてくるパーシヴァルに、彼の『中の人』発言に引っ掛かりを覚えていたモアネットがそれでもげんきゆうはせず扉に視線をやった。

 そこに何かあると察したのか、パーシヴァルが扉から半身を乗り出すようにして視線を向け……「これは」と呟いた。言わずもがな、扉に貼られているじゆを見つけたからだ。

 可愛かわいらしいねこが丸まってぐっすりねむっている姿をえがいた呪符。その可愛らしさといったら、手を伸ばしてでて寄り添って眠りたくなるほどだ。

 それを見たパーシヴァルがしばらく瞳を細め、よく観察し、時にはちょっと首を傾げて角度を変えてながめ……そしてそつちよくに「これは何だ」と尋ねてきた。

「……可愛いにゃんこです」

「それは分かった。いや、いくら見たところでどこらへんが猫なのかは分からないんだが、一応分かった。で、何の呪符だ?」

「…………ぐっすり眠る可愛いにゃんこの呪符です」

「いやだから、何の効果があるんだ?」

 絵ではなく効果が知りたいと訴えるパーシヴァルに、モアネットがチラと呪符をいちべつした。

 そうしてポツリと呟いたのは「教えません」という一言。我ながら情けないと思える声が兜の中で聞こえてくる。

「教えないって……」

「良い効果の呪符かもしれないし、もしかしたら呪いけを無効化してさらに不運を招く呪符かもしれません。もっと怖い呪符かも」

「いったい何がしたい?」

「羊皮紙を新調したからためし書きをしただけです。悪い呪符かもしれませんし、いやならがしてください」

 まくし立てるように説明し、返事も聞かずに「それじゃ」ときびすを返してモアネットが部屋から去っていく。

 その際パーシヴァルに呼ばれた気もしたが、それはカシャンカシャンとひびく足音で聞こえないふりをした。立ち止まればきっと彼は説明を求めるだろう。だからこそげるように立ち去るのだ。

 そうして廊下を曲がりパーシヴァルから見えなくなってしばらく。曲がり角に身を寄せていたモアネットがそっと窺うように角から顔を覗かせた。

 シンと静まった廊下には誰の姿もない。もちろんパーシヴァルの姿もない。きっとモアネットが立ち去った後に部屋にもどったのだろう。

 そしてとびらには……呪符が一枚。

 どうやら剝がさずにおくらしい。それがなんだかモアネットをむずがゆいような気分にさせ、思わず雑に頭をいた。もっとも、いかに心地ごこちの悪さから頭を搔こうともよろいまとった重装令嬢、ゴリゴリと鉄の指で兜を搔くだけだ。

 あいにくとそれではこのむず痒さは晴れず、もう部屋に帰ろうとモアネットが静まった廊下を歩き出した。ほんの少しゆっくりと歩くのは、カシャンカシャンと響くこの足音をひかえるためだ。

じよは気まぐれだし、インクの試し書きをしたかったし……」

 そう誰にというわけでもなく言い訳をしながら自室に戻る。

 なんて落ち着かない、居心地が悪い。

 良い夢が見られるように……なんて、そんながらでもないことしなければよかった。

 そう自分に言い聞かせ、部屋に戻るや全身鎧をいでベッドにもぐりこんだ。










続きは本編でお楽しみください。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

重装令嬢モアネット/さき 角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ