2章_1



 アレクシスが同時に三匹の蛇に嚙まれたり、蛾の毒がけるや新たに群がられかけたり、そんなちんならぬさんをなんとか乗りえ森を抜け、市街地に辿たどり着いた。

 予定していた時間をかなりえていたが、アレクシスとパーシヴァルが「思ったより早く着いた」「生きて辿り着けて良かったですね」と話し合っているのだからモアネットは呆れるしかない。れる溜息は深いが、さすがに同時に三匹の蛇に嚙まれた時には助けに入り、毒蛾は厄介だと追い払ってとあわただしかったのだ、疲労も溜まるというもの。

 それになによりモアネットの疲労を募らせるのが、目の前のにぎやかな光景。

 王宮に近いこの市街地はごろから賑わいを見せており、日が落ちかけようとしている時間でも人の行き来は絶えない。酒を出す店がポツポツと明かりをともしだし、いのせいか普段より声量の大きい雑談が店の窓から聞こえてくる。その声にかれてか一人また一人と店へと吸い込まれ……と、まさに長閑のどかで活気のある市街地だ。

 そんな中、行きう一人がチラとこちらを見るや慌てて周囲に声を掛けた。次の瞬間に賑わっていた場が静まり返ってしまうのは、きっとていの王子が現れたからだろう。

 注がれる視線はひどく冷ややかで、自分に向けられてはいないと分かっていても気分が悪いとモアネットが兜の中でまゆひそめた。ささやき合うように聞こえてくる会話は、アレクシスへのとうが主で残りはさげすみである。

「アレクシス様ってば嫌われまくってますね。ざまぁみろ」

「モアネット、せめてもう少し言葉を選んでくれないかな」

「嫌われまくりでございますのね。ざまぁごらんあそばせ!」

「どこの言葉かな」

 分かりやすい暴言と共にモアネットが笑ってやれば、アレクシスが心地ごこち悪そうに溜息をつきパーシヴァルがギロリとにらみ付けてきた。パーシヴァルの眼光のするどさと言ったらなく、今まで以上のものを感じさせる。あるじへのかげぐちいらっているのかけいかいしているのか……。

 だがそんな彼は己の中のいきどおりをき出すように一度深く息を吐くと、「馬車の手配をしてくる」と話題を変えてしまった。

「馬車の中でとる食事も買っておきましょう。アレクシス王子、危ないので俺と共に居てください」

「この市街地が危ない、か……。モアネットはどうする?」

「ワインをお金にえてきます。お二人に同行して、こんなうすら寒い視線を浴び続けるなんてごめんですからね」

 いやみたっぷりに言い切り、それじゃ、と待ち合わせ場所を馬車の停留所に決め、モアネットがカシャンカシャンと小気味よいよろいの音をたてて歩き出した。

 そうして道の半ばまで進んでチラと背後を振り返れば、アレクシスとパーシヴァルが背を向けて歩き去っていくのが見えた。人々の冷ややかで気味の悪い視線がそれに合わせて動くのが分かる。

 その光景に、モアネットが兜の中で瞳を細めた。

 彼等の背中越しに見える市街地は、いつもの市街地と何一つ変わらない。行き交う人々、聞こえてくる賑やかな声、店先に並ぶ品々は相変わらずどれもりよく的だ。こんな重装有り様令嬢でなければかたぱしから見て回って一日をついやしただろう。

 変わらぬ市街地。いつも通り……だがアレクシスとパーシヴァルに注がれる視線だけは冷ややかで、それがモアネットにはみように薄ら寒く感じられた。






「あのアレクシス王子の護衛なんて、大変ですねぇ」

 会計の最中に言われた言葉に、パーシヴァルがわずかにけんしわを寄せた。アレクシス王子を店の外で待たせておいて良かった……そう思う反面、彼を外で待たせていたからこんな事を言われるのかとも思う。

 おまけに「王命ですか?」とねぎらうように言ってすのだ。これには平静を保てるわけがなく、うなるような低い声色で違うとはっきりと返した。

 彼を守ると決めたのは自分の意志だ、それは断言出来る。

 だけど今はもう、それぐらいしか断言出来ない。

「人を待たせている、早く包んでくれ」

 そうかすこわいろにはとげがこもるが、この雑然としたうまの群がる店の中では刺も意味が無いだろう。いくら反論し必死にうつたえたところで、彼等が考え直してくれることが無いのはこの一年でいくと思い知らされ、そしてとうに心が折れた。

 かかわらず話を広げず、すぐに店を出るに限る。そう自分に言い聞かせパーシヴァルがかみぶくろに入ったパンを受け取る。だが「あの子も可哀かわいそうに」という言葉につい反応してしまった。

「あの子とは、モアネットじようのことか?」

「そうですよ。あんなふうに姿をかくして、びんとしか言いようがない。見た目の悪さに左右されるんだから、名家の令嬢ってのも可哀想なもんですよ」

「見た目の悪さ……」

「お母様も妹もあんなに美しいのに。神様ってのはざんこくですね」

 まいでこうもしゆうの差をつけるなんて、そう同情の色をふくんだ声色でなげく店員に、パーシヴァルがカウンターに手をけ乗り出すようにめ寄った。

「彼女の顔を、モアネット嬢の姿を見たことがあるのか!?」

「え、か、顔? いやまさか、相手はアイディラ家のお嬢さんですよ。それにずっとしよ地にこもっていて、王都に来るやあのそうどうですから」

 パーシヴァルの勢いにあつとうされつつ、店員があわてて首を横に振って答える。

 いわく、モアネットの妹であるアイディラ家の次女エミリアは生まれた時から体が弱く、りようようのために姉妹は長く避暑地に籠っていたという。そして妹の体調も良くなり心配も無いと判断し王都にもどるが、その矢先にあの日をむかえた。

 モアネットが初対面のアレクシスにみにくいとののしられたのだ。

 その後すぐにモアネットは顔を隠し、姿を隠し、そして古城に引きこもり鉄の鎧をまとってしまった。

 つまり社交界どころか世間にもろくに顔を見せていない。実際にモアネットの姿を見たという者は少なく、おくもあやふやなのだ。

 そのうえエミリアがれるほどの美少女なのだから、周囲はよりせんめいに妹の美しさだけを記憶し、おぼろな姉のことなど忘れてしまう。

 そう訴える店員に、パーシヴァルが苛立ちを押し隠しながら「それなら」とたずねた。のうを全身鎧の姿がよぎる。だがそれだけだ、中にいる彼女の事は何一つ分からない。

「モアネット嬢を実際に見ていないのに、どうして彼女を醜いと言う」

「そりゃあれだけ容姿を隠してるんだから、よっぽどなんでしょう。それにアレクシス王子の言葉を受けてアイディラ家はすぐにこんやくしやを妹にえたじゃないですか。それほどってことですよ」

「見ていないのに」

「まぁでも、見た目は悪くとも彼女はやさしい子ですよ」

 パーシヴァルの苛立ちを察したか、すように結論付けて店員がりをわたしてくる。

 それを受け取りパーシヴァルが小さくためいきをつき、ふとカウンターの端に視線をやると「これももらおう」と小さな袋を手に取った。






 そんなやりとりがパン屋で行われているとはつゆ知らず、モアネットはみの店に行くためにと市街地を歩いていた。

 向けられる視線は重装令嬢のめずらしさからか、それともすでに不貞の王子と共に旅をすることを知られているからか。じやつかんあわれみを感じるあたり後者の可能性が高い。

 彼等の仲間だと思われたら嫌だな……と、そんなことを考えながら道を歩いていると、背後からトタタと小気味よくかろやかな足音が聞こえてきた。

 次いでひびく、

「モアネットお姉様!」

 という声にり返る。

 そこに居たのはのうこんかみうるわしい少女。はなやかなドレスが美しく、この市街地でひときわかがやいて見える。キラキラと、またたくような音が聞こえた気がした。

 そんな少女の姿に、モアネットがポツリと「エミリア」と妹の名前を口にした。



 エミリア・アイディラはアイディラ家の次女でありモアネットの妹である。

 紺の髪にすい色のひとみ、幼さとあどけなさを感じさせる愛らしい少女。じやてんしんらんまん、幼いころの病弱を乗り越えたがおは、過去を知る者にはより華やいで見える。エミリアにかなう令嬢等、どこを探したって見つかるまい。

 けんおうになろうと努めていたアレクシスと、彼に寄りなエミリア……。一年前まではだれもがお似合いだと二人をめ、二人の幸せな未来を思いえがいていた。

「エミリア、どうしてここに?」

「お姉様が居ると聞いて、慌てて来たんです。だんお姉様は朝に市街地に来てすぐに帰ってしまうでしょ。私いつもお会いできなくて……事前に教えてくだされば早く起きるんですが」

 とつぜんのこと過ぎて起きられない、それでもぼけまなこで市街地へとけつけては既にモアネットは帰ったと聞かされる……そうエミリアが切なげに告げる。そんなけなな妹の姿に、モアネットがかぶとの中でしようかべた。

 エミリアは優しい子だ。モアネットがおのれの顔を隠しても、自室に籠っても、それどころか全身を鎧で包んで古城に引きこもっても、彼女は変わらずしたってくれた。それどころか、一時はモアネットの心の傷をやそうと努めてくれていたのだ。

 幾度となく古城のとびらたたいてくれた。

 会えないならとつづられる手紙はどれも優しい言葉であふれていた。

 だがモアネットはそんな妹の優しさにこたえられず、一度たりとも扉を開けることも返事を出すことも出来ずにいたのだ。

 それを姉の負担になるだけととったのか、エミリアの来訪はじよじよひんを落としていき、そして今では手紙だけになってしまった。それさえもモアネットは返事を出せずに今に至る。

「エミリア、まだかしのくせは直らないの?」

「そうなんです。夜はおまじないをして、あれこれ考えて、おいのりして……そうしたら朝がとてもねむくて」

 ずかしそうに笑うエミリアに、モアネットが苦笑を浮かべた。「変わらないね」と告げれば、姉らしいその言葉がうれしかったのかなつかしさを感じたのか、エミリアが表情をほころばせる。

 愛らしい少女の、輝かんばかりの笑顔。かみかざりにあしらわれた細かな宝石がその輝きを増させ、上質のレースをふんだんに使ったドレスが彼女の動きに合わせて華やかにれる。聞けば今回のアレクシスの件でめいわくをかけたと、第二王子と両陛下が特別に仕立ててくれたのだという。

 異国から取り寄せた特別な布のドレスと、上質の宝石をれいにカットして飾った髪飾り。特別なパーティーのためにと取っておいたが、モアネットが市街地に居ると知ってすぐに用意させたのだという。

「市街地では少し浮いてるね」とモアネットが苦笑と共に告げれば「お姉様にお会いできる以上の特別なことはありません」と返されてしまった。

 その話も、纏う姿も、まさに『キラキラしたおひめ様』だ。なんてあざやかで愛らしい。

 そんなまばゆさにモアネットが兜の中で瞳を細め、そっと彼女のかたに手を添えた。レースに鉄の指がかる、その光景は異質にしか見えない。

「エミリア、会いに来てくれてありがとう。でも、もう行かなきゃ。しばらく留守にするから手紙はいらないよ」

「でもお姉様……」

 エミリアの声は切なげで、心から案じていることが分かる。

 じゆんすいな彼女は、姉がこんな姿重装令嬢になっても慕い、返事をせずともこまめに手紙をしてくれるのだ。季節の花がはくしされた上質の可愛かわいらしい便びんせん。一年前くらいからだろうか、金箔まであしらわれて便箋だけでも芸術品のようだった。

 古城で暮らすと決めた姉が望郷の念に駆られ苦しまぬよう家族のことはひかえ、それでいて昔を懐かしんでくれるように過去を綴り、そして重荷にならないよう前向きな別れの言葉でしめる。

 その手紙は、一度読めばどれだけ相手をおもって綴られたかが伝わってくる。……だからこそ、一度しか読まないのだが。

「お姉様、それならせめてこれを持っていってください……」

 そう告げてエミリアが己の首元に手を掛けた。

 次いでそっと外して手渡してくるのは真っ赤な石が飾られたネックレス。光を受けて輝く石は鮮やかで、角度によっては吸い込まれそうなほどにく、それでいてかたむければき通るようにせんさいに輝く。石を囲む飾りも細かく、そうしよく品にうといモアネットでも一目で高価と分かる。

 そもそも、王族の婚約者であるアイディラ家のエミリアが着けているのだ、そこいらで売っているアクセサリーとはけたが三つも四つもちがうはず。もちろんだが、昔二人で身に着けた玩具おもちやのアクセサリーなんて比べるようなものではない。

 きっと、このネックレスで一家族が一生をぜいたくに暮らせるだろう。そんなれいじようらしからぬことを考えつつマジマジとネックレスを見つめてしまうのは、古城暮らしか長かったせいか。思わずワインの売値との差を考えてしまう。

「どうかそれを、私の代わりと思って」

「エミリア、でもこんな高価なもの」

だいじようです。私にはもっと大事なものがありますから。だからどうかそのネックレスをお守り代わりに持っていてください。私ずっと、お姉様の無事を祈ってますから」

 そう告げてエミリアが服の上からむなもとを押さえる。そこに何かあるのだろうか。ネックレスを二つもとはごうなものだと思いつつ、モアネットが苦笑と共に肩をすくめた。

 おまじないだのお祈りだの、そういったものをエミリアは昔から信じていた。そして夢をいだいていた。元々体が弱かった彼女は、そういった夢のあるものにけいとうしがちだったのだ。

 そして必ずそんなお祈りとおまじないの先には『キラキラしたお姫様』が居る。己が魔女の家系であると知ってもなお『魔法使いになるんじゃなくて、魔法でお姫様になりたいのに』と不満気にうつたえ、そして子供じみた可愛いお祈りとおまじないを続けていたほどなのだ。

 お守りにキラキラした綺麗なネックレスとは、あの時から何一つ変わっていないではないか。

 そう笑みをこぼしながら話し、モアネットが礼を告げてネックレスをポシェットにしまった。

「ありがとうエミリア、大事にするよ」

「差し上げたんじゃありません。貸すだけです。だからちゃんと返してくださいね……」

 旅に出たまま行方ゆくえくらますとでも思ったのか、切なげに告げてくるエミリアにモアネットがりようしようの意を込めてうなずいた。

 元々この旅が終われば古城にもどってくるつもりだ。あれほど心地ごこちの良い場所はないし、魔術書も残っている。なによりロバートソンがいる。もちろん、このネックレスもきちんと返す。

 ……ただ、返しに行くかどうかはさだかではないが、頷くだけなのでうそにはならないだろう。

「それじゃ、私もう行くから」

「モアネットお姉様、どうかお気を付けて。出せるようでしたら、一言でも構いませんのでお手紙をくださいね」

 名残なごりしそうにすがってくるエミリアに対し、モアネットがあいまいに返事をにごして足早に立ち去った。ネックレスを返す約束は出来たが、手紙を書く約束は出来そうにない。

 エミリアがジッと見つめてくるのが背中越しに……それどころかよろいしに分かる。だから振り向けない。

 ポシェットが重く感じられる。とつじゆで包んだ自分のしようの悪さに目眩めまいがしそうだ。




 そんな自己けんさいなまれつつ、みの店の扉をくぐれば、店内に居た者達がこちらをちらと見るや声をひそめて話し出す。

 注目されるのは気分が悪く、モアネットはカウンターだけを向いてその上にワインを置いた。店主が奥から現れ、普段より多めのワインに訳知り顔でこちらを見てくる。

 いたわりと心配をい交ぜにしたその表情は、数年前に自国の第一王子を語っていたあの明るい表情とは真逆と言える。当時はあんなにほこらしげにじようぜつに話していたのに、そう兜の中でつぶやくが、だまされたといきどおる店主には火に油を注ぐだけだろう。

 それほどまでか……とモアネットがうすら寒さを覚えつつ金を受け取った。

「あんな事を言われて旅にまで連れ出されて、大変ですね」

 そうねぎらいの言葉を掛けられたが、モアネットは受け取った金を数えることに集中していて聞こえなかった……ふりをした。だがそんなモアネットの胸中に気付いてもいないのだろう、店主はまるで目の前にアレクシスが居るかのように文句を口にする。

「城で静かに暮らしていた貴女あなたを連れ出すなんて、うわさ通りのひどい性格だ」

「……いえ、別に。私はりんごくに用があるだけだから」

 あくまでモアネットの目的は隣国のじよを訪問し、その地にあるという魔力がまる場所を回る事。彼等の旅に付いてきているわけではない。

 そうモアネットがかぶとの中で呟くように訴えるも、店主はおのれの中にくアレクシスへの憤りをおさえるのに必死なのかろくに話を聞いていない。

「いくら幼いころの事とはいえ、あんな言葉、女の子に対して言っていいものじゃないですよね」

 ざんこくだと訴える店主の言葉に、モアネットが何かを言いかけ、ふいと兜を他所よそに向けた。何を言うべきか分からない。アレクシスをかばおうとはつゆほども思わないが、かといって「そうでしょ!」と店主に同意する気にもならない。

 むしろ今の店主の言葉こそ、鎧をつらぬいてモアネットの胸をえぐる。言葉ではあわれみ同情を寄せてくれているのに、それでも店主の言葉は救いの要素一つ無いのだ。

 いや、彼だけじゃない。救いの言葉なんて今まで一度たりとももらえなかった。

 それさえあれば……そうモアネットが兜の中でひとみを細めた。だが何を言ってもだと己に言い聞かせ、この会話を早く終わらせようとしまいの言葉を探す。

 あの言葉を聞かない内に。だがそんなモアネットの願いもむなしく、店主がためいきと共にゆっくりと口を開きかけた。

 みにくい。

 その言葉がモアネットののうをよぎる。だからこそ聞きたくないと兜の中で固く目を閉じ、

「モアネット嬢、大丈夫か?」

 と、呼ばれた声に瞳を開けて兜を上げた。

 目の前に居るのは不快をあらわに視線を向けてくる幼い王子……ではなく、金糸のかみの護衛あお色の瞳がうかがうようにこちらを見つめている。

「パーシヴァルさん、どうしてここに……?」

「貴女がまだ来ないから探しに来たんだ。じやをしてしまったか」

 話の最中に割って入ったことをびてはいるが、パーシヴァルの視線は厳しさを宿して店主へと向けられている。店主がそそくさと店の奥へと向かうのは、彼の眼光におくしたからだろう。

 それでも去りぎわに告げてくる「気を付けて」という声に、モアネットはとびらを出る間際に軽くギシと音をたててしやくを返した。彼の声にも、さきほどの話にも、皮肉も悪意の欠片かけらもないのだ。純粋に旅を案じてくれている。醜いとののしられた哀れな重装令嬢の旅を……。

「……あまり気にしない方が良い」

 とは、店を出て馬車の停留所に向かうパーシヴァルがポツリとらした言葉。

 いったいどういう意味かと問うようにモアネットが彼に視線をやれば、碧色の瞳はただ真っすぐ前に向けられている。こちらを向く様子はなさそうだ。……もちろん、窺うようにこちらに視線を向けてくる周囲を見ることもないだろう。

「貴女も色々と言われてきただろう」

「色々ですか。直近だとだれかさんにてつかいって言われましたね」

「俺は事実を言ったまでだ」

 モアネットがじようだんめかして「あれは傷ついた」と訴えれば、パーシヴァルがジロリとにらみ付けてきた。その表情に対してモアネットは兜の中で見えないと分かっても不敵に笑う。

 そうしてさっさと歩き出すのは、この話を終いにするためだ。

「……心配して損した」

 背後から聞こえてきたパーシヴァルの不満そうな声は、彼の言う通り気にしないでおく。



 そうして馬車の停留所へと向かえば、待っていたアレクシスがこちらを見つけて片手を上げた。彼のとなりには質の良い馬車が一台。

 ずいぶんと奮発したようだ、そう考えてモアネットが馬車へと近付いたしゆんかんとつじよ馬が暴れだした。高い声でいななき、前足で地をたたく。そのはくりよくに思わずモアネットがあと退ずさってしまう。

「……な、なんですか?」

「重そうだから乗せたくないんじゃないか?」

 さらっと言い切るパーシヴァルに、モアネットがレディの体重にれるなんてと彼を睨み付けた。もちろん彼の言う「重そう」が全身鎧のことを言っていると分かったからだ。

 だがこの鎧は軽量化の魔術を掛けており、重さは衣服と同じ程度。積めれば何でも運ばされる馬からしてみれば軽い方ではないか。そもそも、鎧が元の重量であれば馬車に積むどころかモアネットがまとって動くことすら出来ない。

 そう訴えればアレクシスとパーシヴァルが感心したかのような表情を見せ、暴れていた馬がフスンと一度鼻息で返した。なつとくしてくれたのかそれとも気が晴れたのか、ぎよしやなだめるようにその背中をでて危険がないかをかくにんする。

「申し訳ありません。馬が暴れたことで何か破損してないか点検をします。安全の確認がとれたら荷を積みますので」

 出発が少しおくれてしまうと申し訳なさそうに謝罪してくる馭者に、アレクシスとパーシヴァルが軽く頷いてこたえ、モアネットはといえば、

「不運な誰かさんがいる時点で安全も何もないんですけどね」

 と、馭者に向けて声をけると見せかけてアレクシスにいちげき放った。すきあらば彼をき下ろしていくスタンスである。

 そんなモアネットに対しアレクシスが切なげに溜息をつき、パーシヴァルがおもむろかばんから小さなふくろを取り出した。

「減らず口はこれでふさいでいてくれ」

 そう告げると共に目の前で袋をらされ、モアネットがギコッと音をたてて首をかしげた。

 可愛かわいいピンクの袋、白いシンプルなリボンで留められている。中には小さな砂糖められており、それをまさに騎士といったパーシヴァルが持っているのはり合いだ。

「何ですか、これ」

「菓子だ。貴女にやる」

「なんで?」

「……それは」

 むぐとパーシヴァルが言いよどむ。

 何かを言いたげなその表情。古城で荷造りをしていた時も彼は時折話し掛けては言い淀み、この表情をしていた。それでいて、しびれを切らして何かと問えばなんでも無いとはぐらかしてしまう。

 そんな彼と包みに入った菓子をこうに見やり、モアネットが最後に一度かぶとしに彼を見つめた。

「いりません」

 はっきりときよぜつの言葉を告げる。

「私は我がままを言って貴方あなた達に色々と買わせるつもりです。ですがそれはあくまで私の我が儘、私の悪意。貴方達から何かを貰うなんて冗談じゃない」

 そう早口でまくし立て、モアネットがさっさと馬車に乗り込んだ。

 心苦し気にこちらを見つめるアレクシスにも、無言で袋を鞄にしまうパーシヴァルにも、とうてい何も言ってやる気にはなれない。二人の姿は見ているだけで気分がり、溜息をつくと共に明後日あさつてな方向へと視線をがした。

 はなやかなドレスを纏ったエミリアの姿が脳裏をよぎる。まるでおひめ様といったエミリアと、この全身よろいが対面する姿はさぞやかいで哀れだっただろう。

 窺うようにかげからこちらを見つめてくる人達の視線がわずらわしい。

 ポシェットが重い。

 そうして馬車が走り出し、時には今後のことを話し合う。

 どことなく重苦しい空気を纏いながらも馬車に揺られ、だいに周囲も暗くなり、窓の外によいやみが広がり何も見るものがなくなった頃、交代でねむることにした。





 随分と昔のことを夢に見た。

 エミリアと二人、母のひざに頭を預けころがって甘えていた時のことだ。細くしなやかな母の指が髪をいてくれて、時に鼻先をくすぐってくる。微睡まどろむような心地ここちよさの中、エミリアと夢物語を語っていた。

 こんなドレスを着たい、あんな宝石のついたアクセサリーを着けたい……幼い子供の夢は無限で、きることもきることもなく母に話していた。

 なんてなつかしい。もうずっと前のおくだ。

 どうして今あの時のことを思い出すのだろうか……。

 どうして……。

 成人男性のかたい膝をまくらにし、たくましい手に兜を撫でられているこのじようきようで、いったいどうしてあのやわらかでかがやかしい記憶がよみがえってきたのだろうか。



「……パーシヴァルさん、眠いなら『二人共つかれてるだろうから先に』なんて言わずに真っ先に寝てください」

「モアネットじよう、すまない起こしてしまったか」

「良い夢見ちゃったのがまた腹立たしいくらいで……やめて! ポンポン叩かないで! この状況で寝かし付けられてたまるか!」

 まるで子供を寝かすようにやさしく叩いてくるパーシヴァルの手をはらい、モアネットがあわてて起き上がる。

 そうして改めて睨み付けるも、彼はいまだ柔らかく笑って、それどころかまるで「さぁこっちにおいで」と言わんばかりにおのれの膝を軽く叩いているではないか。とてもにくらしい。

 そのうえモアネットが応じないことに痺れを切らしたか、りよううでを広げてゆっくりとこちらに近付いてくる始末。これはまずい……とモアネットが後退るも、しよせんは馬車の中、逃げ場など無い。つまりいとも簡単に彼にきしめられてしまったのだ。

 鎧のおかげで苦しくも無ければきんちようも無い、当然だが胸が高鳴るようなことも無い。ただひたすらにうざったい。

「あぁもう、早く正気にもどってくださいよ」

「モアネット嬢、貴女あなたは優しくて良い子だ。俺達の旅に付いてきてくれてありがとう」

「その良い子のあんみんじやしないでください」

「眠れないのなら俺がもりうたを歌ってあげよう」

 パーシヴァルの提案に、モアネットが冗談じゃないと腕の中で暴れる。彼の膝枕と子守唄で眠りにつくなんて悪夢を見ることちがいなし、そもそも眠れる気がしない。

 だというのにモアネットの拒否に対し、パーシヴァルは一向に理解を示すことも無く「ありがとう」だの「貴女は優しい」だの言ってしてくる。果てには「貴女が居てくれて良かった」と兜を撫でてくるではないか。その表情とこわいろは随分とおだやかだが、モアネットにとっては寒気と不快しかさそわない。

 なんて煩わしいのだろうか。

 これはじゆで気を失わせるぐらいしてもばちは当たらないだろう。

 どうせあと数十分で見張りを交代するのだ、彼には少し早めに眠りについて頂こう。ひとの眠りを邪魔する方が悪い。

 そう考え、モアネットが彼の腕の中でじろぎしつつも羊皮紙とペンを手に取った。ここはいかりにきばねこえがいて、手痛い一撃をってやらねばなるまい。

 一瞬で目を覚まさせてやるとモアネットが兜の中でニヤリと笑い、ペンを羊皮紙に走らせようとし……、

「モアネット嬢、ごめんな」

 つぶやくようにささやかれたかすれた声に、出かけた言葉を飲み込んだ。

「モアネット嬢、ごめん。すまない。こんなことに貴女を巻き込んで……」

「……パーシヴァルさん」

「もう貴女しかたよる人がいないんだ。どうしようもない、わけが分からない……」

 だんぺん的に話すパーシヴァルの言葉は的を射ず、そのうえ顔ものぞけないぐらいに強く抱きしめてきた。苦しくはないが、それでも己の鎧を包む腕に相当力が入れられていることは分かる。そしてその腕がふるえていることも、かすかに伝わってくる。

「アレクシス王子がていなど働くわけがない。そんなことだれだって分かるはずなのに、どうしてみなあんなに簡単に信じてしまうんだ……」

「どうしてって、それは……」

 言い掛け、モアネットが口をつぐんだ。

 アレクシスはのろわれている。それは事実、呪符をもって確認した。呪いゆえに彼は不幸に見舞われ続け、そして彼に関する評価は地に落ちたのだ。

 続く失敗、晴らせぬうわさ、悪評が悪評を呼ぶ。一人また一人どころではない速さで臣下がはなれ、国民の心も冷え切っていった。今や市街地におもむけばかげぐちたたかれ、同行する者には同情の声が掛けられるほどだ。

 だからこそ思う。どうして周囲はこうもそろえたようにてのひら返しをしたのだろうか。

 かつてのアレクシスが良き王子でしたわれていたからこそ、あまりに早い掌返しはうすら寒さを感じさせる。

 とりわけ、彼が見舞われる不運が鹿げているほどに並外れたものだからなおの事。己の不注意どころではないじんな不幸に、本来であれば周囲はかんを覚え彼を助けようとするはずなのだ。はびこる噂だって、しんを決める確固たるしようが無いのだから信じる者と疑う者に分かれるのが当然なのに。

 だというのに、臣下も国民もすべての評価が一転した。右へならえで彼をさげすんだのだ。

 ……ゆいいつ、パーシヴァルだけを残して。彼だけが取り残された。

「両陛下さえもアレクシス王子を疑い蔑みだした。何を言っても信じてもらえない、俺がおかしいのかと思えてくる。まるで別の世界にほうり込まれた気分だ。誰を信じて良いのか分からない、誰もが敵に思えてならない。モアネット嬢、俺はこわくて堪らないんだ……」

「パーシヴァルさん……」

「貴女を古城から引きずり出して巻き込んだ。非道を許してくれとは言わない。全て終わったあかつきには俺を呪い殺してくれて良い。だからどうか、元に戻った世界で呪い殺してくれ……」

 そう抱きしめられたまま苦し気な声で告げられ、モアネットがどうしたものかと彼の腕の中でためいきをついた。

 彼の言わんとしていることは分かる。市街地で見たアレクシスに対する周囲の態度はあからさまを通り越し、なにかじんじようではないものを感じさせた。まるでアレクシスを囲む全ての人間が一晩にして入れわったかのようではないか。

 元々アレクシスにうらみがあったモアネットでさえ、これはおかしいと思えるほどなのだ。

 これも呪いか。だがどこまでが呪いなのか。



 誰が、誰を、いつから、どう、呪っていたのか。



「パーシヴァルさん、私の魔術では調べることは出来ません。とにかくりんごくの魔女に会いに行きましょう。私もかくにんしたいことがあるんです」

「モアネット嬢、すまない。こんな苦労をさせて、俺は…………」

「パーシヴァルさん?」

「…………」

 とつぜんだまり込んだパーシヴァルに違和感を覚え、モアネットがもぞと動いて彼の腕からのがれて顔を見上げた。

 先程まで泣きそうな声色でうつたえていたというのに、今のパーシヴァルはこれでもかと視線をそらし、おもむろに腕を離すとまるで夜風に当たるように窓辺に腕をけて外をながめ始めた。そのほおじやつかん引きつっている。

 そうして白々しい声で、

「今夜は月がれいだなぁ」

 と呟くのだ。ちなみに空は暗雲が立ち込めている。先程まで雨が降っていたのか、風もどこか湿しつを帯びている。いくら目をらしても月など欠片かけらも見えていない。

 そんなパーシヴァルの姿に、ようやく正気に戻ったかとモアネットが溜息をついた。

「突然切り替わるんですね」

「……十五分つと波が引くように冷静になる」

「『非道を許してくれとは言わない。全て終わった暁には俺を呪い殺してくれて良い』って言ってたのに」

「ぐっ、またも一字一句覚えたのか……!」

 なんて記憶力の良いてつかいだ! といまいまし気ににらみ付けてくるパーシヴァルに、モアネットがかぶとの中で舌を出した。もちろん鉄越しなので見えてはいないはずなのだが、舌を出したしゆんかんに彼がくやし気にうなりだした。相変わらずかんが良い。

 だがパーシヴァルも今のこの状況ではげんきゆうしたところでけつるだけなのが分かっているのだろう、睨み付けてはくるものの文句や暴言で返してくる気配は無い。自分の言動を覚えているだけに、その表情はなんとも心地ごこち悪そうだ。

 これは勝機!

 そうモアネットの脳内で開戦のかねが鳴りひびく。だんにくらしくねむい時はうざったいこの男に、いちげきらわす絶好の機会である。すきあらばアレクシスをき下ろすスタンスだが、それと同じくらい隙あらばパーシヴァルをけちょんけちょんにしたいのだ。

「パーシヴァルさん、私もう一度るんで寝かし付けてください」

「早く寝ろ」

ひざまくらしてください」

「絶対にするもんか。あと言っておくけど、兜けっこう重かったからな。軽量化の魔術を掛け直しておけ」

もりうたは?」

「誰が歌うか。今夜のことは全て忘れろ!」

 眠るアレクシスをづかってか声量をおさえつつもるパーシヴァルに、モアネットが兜の中でクツクツと笑った。パーシヴァルが憎らしそうにこちらを睨み付け、「さっさと寝てしまえ」とかたわらにあったクッションを投げつけてくる。その表情のなんと悔しそうなことか。

 彼の反応を十分に楽しんだ。これは良い夢が見られそうではないか。

 そう考えてモアネットは最後に一言、

「私はやさしくて良い子ですから、甘いおで忘れてあげますよ」

 と告げて、再び横になった。

 パーシヴァルがあお色の目をわずかに丸くし、次いで雑に頭をいた。居心地の悪そうな表情で窓の外を眺め、ポツリと呟かれた「ありがとう」の言葉は風に搔き消されそうなほど小さい。

 それを聞いてモアネットは兜の中で小さく息をき、ゆっくりとひとみを閉じた。色々と思考が回るが今はひとまず眠りにつこう、そう自分に言い聞かす。

 ……そうして眠りにつく直前、本当に最後に一言、

貴方あなたじやされたんで三十分延長で寝かしてください」

 と言っておくのも忘れない。

 ちなみに、パーシヴァルが交代だと起こしてきたのは、それから一時間後の事だった。


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