1章_4





「しばらく家を空けるから、留守をよろしくねロバートソン」

 そうモアネットがロバートソンに告げれば、てんじようから糸を垂らして視界の高さに止まっていた蜘蛛くもがカサッと動いた。

 その姿はまるで「俺に任せろ!」と言っているかのようではないか。そんな友情がまた別れの悲しみを増させるが、この古城を彼が守ってくれると考えれば胸にあんく。

 なにより、帰りを待ってくれる人──蜘蛛──が居るというのは何ともはげみになる。

「森で迷った人が入ってくると思うけど『蜘蛛は殺さないで』って注意書きをしておいたよ。でもあんまり人の前に出ないようにしてね」

 約束だよ、とロバートソンに告げる。

 モアネットがどれだけ友情を感じていようが、彼は蜘蛛だ。ふっくらとしたおなかに長い八本の足、全体に短い毛がびっしりと生えていて、インパクトは十分すぎるほどにある。だれだって悲鳴をあげ、勝手に危機感を覚えるだろう。

 とりわけロバートソンのとなりにいるファッショナブルな友達は見るからに毒がありそうで、まれる前にと退治にかかる人は少なくないはずだ。追い払うならまだ良いが、つぶそうとしてくる可能性だってある。

 注意書きをしたが不安は残る。だからこそ気を付けてくれと念を押すようにうつたえれば、天井から垂れていたロバートソンがツイと糸をらした。

 りようしようの意味だ。こうやって意思を返してくれるところもまた友情を感じさせ、別れを悲しくさせる。

 だが出発せねばならない。

 そう決意し、モアネットがとびらに手を掛けた。

 ギィと音をたてて扉を押し開き、最後に一度名残なごりしそうにり返り、

「じゃぁねロバートソン、めす蜘蛛とのこうはくれぐれも気を付けてね……」

 と声を掛けるのは、旅を終えて帰ってきたらロバートソンが食べられていた……なんて悲劇をけるためである。

 げにおそろしきは野生の蜘蛛の世界。





「ロバートソンの友達が雌だったら?」

 というアレクシスの質問に、モアネットがその可能性はないと首を横に振った。

 静かな森の中、カシャンカシャンというモアネットが歩く音に、ギコッギコッと首を振る音が重なる。自分が発する音ながらなんともさわがしい。

「異性を連れ込まないようロバートソンと約束したんです」

「健全だね」

「目の前でしよくとかされたらつらすぎるし」

「……あぁ、蜘蛛だもんね」

 なるほどとうなずくアレクシスに、モアネットもまた頷いて返す。

 ロバートソンは友達だ。ゆいいつの友達ともいえる。

 だが蜘蛛なのは事実で、雌と交尾をすれば捕食される可能性もある。悪い雌蜘蛛にだまされなきゃ良いけど……そうモアネットが心配そうに古城を振り返れば、じよじよに木々の奥へと姿を消していく古城の姿に早くもきようしゆうの念におそわれてしまう。

 そんなモアネットの姿に、無理に連れ出してしまったことに罪悪感を覚えたのだろうアレクシスが謝罪の言葉を口にしてきた。ごめんね、とつぶやかれる声にモアネットがかたすくめる。

 彼の隣に立つパーシヴァルは言葉にこそしないが、出発の時点で何も言わずワインとトランクを持って歩き出した。彼なりの感謝かびか、不器用ながらに誠意を見せようとしているのだろう。

 いっそ首輪でもつけて引きずってくれた方が割り切れたかもしれない、そんなことを考えつつ、モアネットがポシェットから羊皮紙を一枚取り出してペンでサラサラとねこえがいた。

 もちろんけものけだ。ちょっとだけ猫をワイルドな顔つきにしてみる。これならほかの獣は寄ってこれまい。

「森をけたらひとまず獣除けは終わりにしますよ」

 羊皮紙が無くなっちゃう、そうぼやきつつモアネットがポシェットをのぞく。

 古城にあった羊皮紙をありったけ持ってきたが限りはあるし、そもそもモアネットがあつかえるじゆつは永続的なものではない。効果が切れればじゆただ可愛かわいい猫が描かれた紙になってしまう。

 古城で生活し古城でしようがいを終える気でいたモアネットにとって、永続的な獣除けの魔術など不要だったのだ。あの古城に掛けた獣除けだって効果が切れれば掛け直していたし、持続性の強い魔術といえばこの鎧の軽量化か。

 それだってたまに切れて、一人古城の中で鎧の重みに負けてたおれることがある。──そういう場合、鎧の重さに負けて地にせったまま助けを呼んで、けつけてくれたロバートソンに作り置きの呪符を取ってきてもらう。あぁなんてらしい友情か──

 とにかく、モアネットの呪符にはりよくも枚数も限りがあるのだ。

「ずっとのろいをはじいていたら相手に気付かれるかもしれないし、常に呪い除けしてるわけにはいきません。なんだかんだ言って今日まで生き延びてるんだから、多少の不運はまんしてください。たとえば、今アレクシス様の腕に嚙みついてるへびとか。毒が無いなら我慢です」

「分かった。地味に痛いけど我慢するよ」

「王子、そういうのはつうに振りはらってください」

だいじようだパーシヴァル。この蛇は毒が無いから、嚙まれてもただひたすら痛いだけだ」

「いや毒があるか無いかの話ではなく」

 アレクシスの腕から蛇を払い落とし、パーシヴァルがためいきをつく。

 そんな彼と、嚙まれた腕をさするアレクシスをながめ、モアネットがふとある事を思い出した。──そのしゆんかんまたもいつぴきの蛇がアレクシスの腕に嚙みついたが、この際だから気にするまい。毒も無かったし、アレクシスもえる姿勢を見せている──

「獣除けはあくまで獣だけです。毒のある虫には効果が無いので気を付けてください」

「モアネットじよう、ここいらに毒のある虫は出るのか?」

「前にまっていった旅の人が、毒のあるがいるって言ってました。まぁでも、今は出る時期じゃないし大丈夫だと思いますけど」

「……モアネット嬢、もしかしてそれは大きくてピンク色の蛾か?」

「えぇ、そうです」

「羽が分厚くて、ふかふかして、しよつかくが黄色い……」

「そうです。パーシヴァルさん、見たことあるんですか?」

「今、どこからともなく飛んできて王子の肩に……」

 ろうかんいっぱいに話すパーシヴァルに、モアネットがまさかと思いながらもアレクシスへと視線を向けた。次いで息をんだのは、彼の両の肩にふかふかしたピンクの蛾が一匹ずつ乗っているからである。言わずもがな、くだんの毒蛾だ。

 次の瞬間アレクシスが前面へとごうかいに倒れ、彼のうでに嚙みついていた蛇がピャッとげていった。パーシヴァルがあわてて彼を支え、半ばさけぶように名前を呼ぶ。これにはモアネットもさすがに不安がつのり、駆け寄ると共にアレクシスの顔を覗き込んだ。

「アレクシス様、大丈夫ですか?」

 モアネットがパーシヴァルにならうように名前を呼べば、宙を見ていた彼のひとみがゆっくりとこちらをとらえた。深い茶色の瞳が今はどことなくぼんやりとしている。意識がもうろうとしているのだろうか。

 これはまずいとモアネットが慌ててポシェットに手を掛けた。毒消しの魔術は知らないが、それでも何かしら術はあるはず……と、かつて読んだ書物のおくを脳内で引っり返す。

 だがそんなモアネットに対し、アレクシスがわずかにうめいたのち「大丈夫だよ」となだめる言葉を口にした。そのこわいろはとうてい大丈夫というものではなく、ぼんやりとした表情と苦し気にけんに寄せられたしわから気丈夫に振るおうとしていることが分かる。

「でも、アレクシス様……」

「大丈夫、これぐらいの毒なら一週間に一度はかってたから」

「そんなこと……け、結構なひんですね」

 モアネットが思わず返せば、アレクシスがぼんやりとした表情ながらに頷いて返してきた。「もう慣れたよ」という言葉は聞きようによっては心配させまいとしているがいを感じさせるが、今は達観の色の方が強い。それどころか、この毒なら一時間ぐらいで抜けると冷静に判断し始めた。

「パーシヴァルも心配し過ぎだよ。りんぷん系の毒なら大丈夫だっていつも言ってるじゃないか」

「毒は毒です。というか、俺まで慣れたらもう終わりですよ……」

 あきれとなげきを交えつつパーシヴァルがアレクシスの手当てをする。その姿は言い得ぬあいしゆうただよわせているが、毒に倒れた主人があっけらかんとしているのだから嘆くのも仕方あるまい。

 これはどちらに同情すべきか……とモアネットが二人をこうに見やる。普通であれば毒におかされたアレクシスを案じて彼の不運を哀れむべきだが、今の彼は達観し過ぎて同情より呆れがまさってしまう。かといってパーシヴァルをあわれむのもしやくだし……。

 そこまで考え、モアネットがはたとわれに返った。

 何をなやむことがある。そもそも自分は彼等をきらっているのだから、たとえ毒に倒れようと心配する必要はない。それなのに慌てて駆け寄ってしまって、果てには魔術まで使おうとした。

 これではまるで心配しているみたいじゃないか。かんちがいされたら困る!

「問題ないなら、さっさと行きましょう」

「……モアネット嬢?」

「アレクシス様が歩けないならパーシヴァルさんが背負ってください。こんなところでひっくり返ってたらじやだし、時間のですよ」

 ふんとモアネットがそっぽを向く。その際にひびいたギッという鉄がこすれる威勢のいい音は、きよぜつの演出に一役買ってくれただろうか。

 そうして歩き出せば、背後でアレクシスとパーシヴァルがしようかべた気がした。それがまたモアネットにとって癪でしかなく、足元を通りかかった蛇に「んでやれ」と小声で訴えた。





「虫の毒は長く続くのが難点だね。その点、嚙まれる瞬間は痛いけどちゆうるいの方がまだマシかな。でも一番やつかいなのは魚だよ、体内から毒が回る感覚はなんとも言えない」

「ソムリエですか」

 そう話しながら森の中を歩く。

 といってもいまだ毒蛾のしびれに冒されているアレクシスは歩くことが出来ず、パーシヴァルにかつがれている。おのれの荷物とアレクシスの荷物、そのうえモアネットの荷物……とすべてを持つことになったパーシヴァルは中々大変そうだが、モアネットはそっぽを向いて協力を拒否しておいた。

 もっとも、大変そうではあるがパーシヴァルの歩みがおそくなることはなく、それどころかあせ一つかいていない。さすがは護衛である。モアネットとしては「少しくらいつらそうにすればいいのに」という気分なのだが。

 だがいかにパーシヴァルが平然としていても背負われている身としては気をつかうのだろう、アレクシスがじやつかん痺れが治りかけた身でゆっくりとパーシヴァルの顔を覗き込んだ。

「パーシヴァルごめん、重いよね」

「いえ、お気になさらず。痺れが残っているとはいえ大事無いようで何よりです」

「大事無いってさ。蛇君、いっちょ一回嚙んでおやりよ」

 ほら、とモアネットがあおれば、それを聞いた蛇がピョンと飛びかかってアレクシスの腕に嚙みついた。

 なんとも言えない情けない悲鳴があがり、パーシヴァルが慌てて蛇を追い払おうとアレクシスごとり回しだす。それが治りかけた痺れを再発させるのかアレクシスがさらに悲鳴をあげ……と、目の前で繰り広げられる無様としか言いようがない光景に、モアネットがかぶとの中でクツクツと笑った。





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