1章_3



「さて、それじゃアレクシス様の不運の呪いと、パーシヴァルさんの眠くなるとこうに走る呪いについてですが」

「モアネット嬢の呪われた画力と生み出される化け物についても話し合おうか」

「可愛いにゃんこ!」

 失礼な! とモアネットがわめけばパーシヴァルが応戦的に睨んでくる。そんな二人に対してアレクシスがあきれたと言わんばかりにためいきをつきつつ椅子に座ろうとし……そしてそのかすかなしんどうほうかいしてゆかくずおれた。

 場所は古城の一室……ではなく地下のワインセラー。これ以上床に穴を開けられたらたまったものではないとモアネットがうつたえ、ならばいっそ初めから地下で話をしようと考えて今に至る。

 この際、パーシヴァルが興味深そうにワインをながめ「これは」だの「この年代まで」と呟いているのは深くはげんきゆうするまい。モアネットがわざとらしくコホンとせきばらいをすると彼もはたと我に返り、あわてて席に着いた。

 それを見てモアネットがテーブルに書物を広げれば、アレクシスとパーシヴァルがいったい何かと覗き込んでくる。だがすぐさま二人の頭上にもんかぶのは、書物の一つとして彼等の読める文字で書かれていないからだ。いや、文字として認識できるかもさだかではない。

 まるでミミズがのたくったような不規則な線のれつを前に、王子として数ヵ国の言語を学んでいたであろうアレクシスさえも首をかしげている。

「モアネット、これはどこの国の文字?」

「これは魔女の文字。魔女だけが理解し使用する、魔女の血筋だけがあつかえる特別な文字です」

「君は読めるの?」

「読めるようになった、と言うべきですね」

 そう説明しながらモアネットが魔術書をめくる。

 魔女の家系にだけ伝わる魔女の文字。本来であれば親から子へとがれていくものなのだが、あいにくとアイディラ家はとうの昔にほうしてしまった。存命の親族に見せて回ったところで「なんだこのきたない線は」と言われるのがオチだろう。

 この魔術書もアイディラ家のしきの屋根裏にしまわれており、それをモアネットがこの古城に移り住む際にかたぱしから持ってきたのだ。

 ていねいほこりはらい、これ以上いためないようにとそっとページをめくり、一文字ずつ読み解いていった。その果てに魔術を扱えるようになったのだ。

 そうモアネットが話せば、再びアレクシスとパーシヴァルが書物を覗き込んできた。読めないと分かっていてもページをめくって眺めるあたり、けいかいより興味が勝ったのか。

「この本に呪いのことは書かれているのか?」

「それっぽいのはいくつか……。はいそこ『やっぱりこいつか』みたいな顔しない。アレクシス様も頭を下げない」

 犯人扱いしないでください、とモアネットが二人を咎める。

 ここまで協力して、そのうえしんしよくまで提供させられて犯人扱いなど気分が悪いどころではない。そうモアネットが訴えれば、二人はパッと表情を変え、それどころかあっさりと話題を魔術書に戻してしまった。

 その切りえの早さと言ったらなく、思わずモアネットが「茶番に付き合わせないでください」と兜の中で彼等を睨み付ける。

「魔女の魔術書に呪いが書いてあるってことは、やっぱり僕は魔女に呪われたのか。でもいったいだれに……」

「どの魔女かまではさすがに分かりません。アイディラ家は魔女の名を捨てましたが、世界にはまだ魔女の家系が幾つも残っています。その魔女のうらみを買ったか、もしくは誰かが魔女にたのんでのろわせたか……」

 どちらかだと言いかけ、モアネットが口をつぐんだ。

 話を聞くアレクシスがおだやかに笑っている。だがまゆじりは下がり、細められた深い茶色のひとみは切なげ。それでも口元は無理やりえがこうとしているのだ。溜息のようなか細さで「そうだね」と答える声は微かにかすれ、その様はなんとも言えず悲痛なものだ。

 居た堪れないとモアネットが頭をいた。鉄の指が兜をギリギリとこする。

 見ればパーシヴァルもまた苦し気な表情を浮かべてアレクシスへと視線をやり、何かを言いかけ、そしてもどかしそうに口元を引きめた。なぐさめたいが上手い言葉が出てこないのだろう。

 それをないとやむ彼の表情もまた見ていて痛々しいものがあり、モアネットが重苦しい空気の中で小さく溜息をついた。

 だが事実、アレクシスは呪われている。そして呪いを掛けた犯人が誰かは分からない。

 世にはいまだげんえきの魔女の家系が幾つもあり、独学の新米魔女であるモアネットが彼女達の術をさぐることは不可能に近い。

 それに魔術を探るにあたりへいがいが一つ、アレクシスの不運具合だ。

 病気やはするが数日で回復し、おおかみに追われたりと危険な目にもってはいるが、毎度ギリギリながらに助かっているという。椅子がこわれたりテーブルが壊れたりと巻き込まれているが、それだって負うのは軽傷だ。掠り傷は絶えないが、あくまで掠り傷である。

 命を落とすほどでも、こうしようを負うほどでもない。

 魔女の呪いにしては弱すぎる。

「呪いもじゆと同じ、掛けた者が遠ざかったり眠ったりすれば効きが弱まります。すぐれた魔女が遠くから呪っているのか、弱い魔女が近くで呪っているのか、もしくは探られまいと呪いのりよくおさえているのか、大事にはならないよう加減した呪いなのか……」

「昨夜コップを使って呪いを確認したが、同じように探ることは出来ないのか?」

 そう尋ねてくるパーシヴァルに、モアネットが無理だと首を横にった。ギッギッとかぶとが左右にれる様はさぞやシュールだろうが、今のアレクシスとパーシヴァルにはそれを気にするゆうはないようだ。

 二人共しんみようおもちでモアネットの話を聞き、そして視線を向けてくる。深い茶色の瞳とあお色の瞳。にらまれているわけでもないというのにつらぬかれるような息苦しさを覚え、モアネットが顔をそむけると共に魔術書をめくって彼等の視線をおのれからテーブルへとゆうどうした。

 鉄の兜は表情も溜息もかくしてくれる……。ただほおを流れるあせだけはぬぐうことが出来ず、とつに手っこうれてもカチンと鉄のぶつかる音だけが聞こえてきた。

 なんて不便なのだろうか。だが今はそれをなげいている場合ではないと、そう自分に言い聞かせて手元の書物をめくった。

「私には呪いを探ることは出来ませんが、隣国にいる魔女なら出来ると思います。アイディラ家とちがって代々続いている魔女の血筋、魔術も呪いも私とは比べものにならないはず」

 じゆつ書のとなりに地図を広げ、おおよその位置を鉄の指でトントンとたたく。

 国境を示す線の上。行って帰って、馬車を使えば半月ほどだろうか。国境の森をけて谷を進み……と険しい道もあるだろうが、それでも行けないこともない道程みちのりだ。

 予想外の近さにかりがあると知り、アレクシスとパーシヴァルの表情にわずかながらあんの色が浮かぶ。

 だがそんな二人に対し、モアネットは魔術書を読みながら「ですが」とおんな前置きをした。

「魔女は気まぐれです。誰が相手だろうと、どんな用事だろうと、気分が乗らないと協力しません。そもそも姿を現さないかもしれない」

「そういうものなのか? たとえば王族の命令でも?」

「元々魔女というのは人でありながら一線を画した存在だったようです。だからたとえ王族が相手だろうと気分だい、それでいてぞんざいに扱われれば敵意をもって返す。どこの国でも、気分屋な魔女の扱いには苦労していたみたいです」

「なるほど。俺達が行っても協力どころか会えるかすら分からないのか……」

 どうしたものかとアレクシスとパーシヴァルが顔を見合わせる。

 そんな二人をよそに、モアネットは魔術書をパラパラとめくりながら、

「魔女同士はそうでもないみたいですね」

 とつぶやいた。

 ……うっかりと、呟いてしまった。

「……魔女同士は?」

「えぇ、つうの人が相手だとたとえ王族といえど気分次第ですが、魔女の頼み事だと聞くみたいです。魔女は気まぐれとは言うけど、横のつながりは大事にするんですね」

 意外ですね、とモアネットが己の発言に気付かずに話を進める。もちろん、アレクシスとパーシヴァルの瞳がジッと己をえていることにも気付かずに。

 それどころか、魔術書を片手に、

「魔女が来たら、おもてなししないのは何より失礼なんですって」

 と魔女のマナーを二人に教えてしまう。

 とんだうっかりである。もはやかつと言えるだろう。

 てんじようっていたロバートソンとファッショナブルな友達もこの事態に気付き、まるでモアネットに危機を知らせるようにツツと糸を辿たどって下りてきた。それどころか糸を揺らして訴えているのだが、モアネットはそんな彼等の警告にも気付かずに魔術書を読んでいる。

「……モアネットじよう貴女あなたも魔女だよな?」

「そうですね。アイディラ家は魔女の文字も忘れた家系ですが、私は文字も読めるし呪符も使えるわけですし。魔女仲間が来たらちゃんとかんげい……しな……きゃ……」

 己の発言の終わりあたりからいやな予感を感じ──ようやくである──、モアネットのじよじよに消えかかっていく。

 それと同時にモアネットの脳内をめるのは「私の鹿……」という迂闊な己へのとうである。なにせアレクシスとパーシヴァルがジッとこちらを見つめているのだ。

 その視線は瞳の色こそ違えど、どちらも言わんとしていることは同じ。だからこそ圧がすごい。ぐいぐいとプレッシャーがかってくる。

 思わずモアネットがギゴゴと兜を鳴らしてそっぽを向き、鉄の手っ甲でそっと彼等の前へと地図を押しやった。

 そうして、

「……どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ。お土産みやげは結構ですので」

 という言葉は、兜の中ではんきようしてなんとも白々しい。

「モアネット、頼む! 僕達といつしよに来てくれ!」

「嫌ですよめんどうくさい! ここまで調べてさしあげたんだから十分じゃないですか!」

「モアネット嬢、俺達だけで魔女のもとへ向かっても会えない可能性があるんだろう!? その間に王子の呪いが悪化したら!」

「知りませんよ! 言っておきますけど、私呪ってはいませんけど許してるわけでもないんですからね!」

 わめくようにきよをし、モアネットがふいとそっぽを向いた。

 声をあららげたせいで自分の声が兜の中で反響してうるさいが、今はそれを気にしている場合ではない。

 これ以上話を聞く気はない、むしろこれ以上いるならこっちから呪ってやる。そうおどすように呪符を手にすれば、意図を察したのか二人がぐっと言葉を飲み込んだ。

 外に出るなんてめんだ。それも国をえるなんてじようだんじゃない。もとよりこんな古城にこもるようになった原因のいつたんはアレクシスにあるのだ、そんな彼を助けてやる道理はない。

 むしろ狼に食い殺されるのを助けてやり、しんしよくを提供までしてやったのだから感謝して欲しいくらいである。こんな事なら、あの時とびらを開けずに見捨てていればよかった。

 そう考え、モアネットが再度拒絶の言葉を口にしようとし……兜の中で息をんだ。

 アレクシスが深く頭を下げている。

 顔も見えないほどに深く。茶色のかみが真下に向かい、苦しいであろう体勢のまま、固まってしまったかのように頭を下げ続けている。

 王族が。第一王子が。かつてこんやくを結んだ相手とはいえただの貴族の令嬢に頭を下げているのだ。それも深く、情けないと思えるほどに深く。

 隣にいるパーシヴァルが己のあるじの姿に心苦しげに瞳を細め……そしてならうように彼もまた頭を下げた。二人の男が頭を下げる光景は、見ていて気分の良いものではない。

「モアネット、頼む……君だけがたよりなんだ。絶対に無理はさせない、君の言うことはすべて聞くとちかう。呪いを解かなくても良い、もしも解かれたら君が呪ってくれても構わない」

「アレクシス様……」

だれうらまれてるのか、僕は何をしてしまったのか、それを知りたいんだ。謝れるなら謝りたい、つぐなえるなら償いたい。自己満足だと分かってる、モアネットにめいわくをかけるのならほんまつてんとうだ。それでも……」

 知りたいんだ。

 そうポツリとらされたアレクシスの言葉を聞き、モアネットはしばらく彼を見つめていた。

 かつて聞いた少年の声がのうをよぎる。まだ声変わりが起こる前だったのだろうか、あの時の彼の声は今より高かった気がする。

 元より、モアネットはアレクシスに対してそこまでうずくような恨みはいだいていない。少なくとも今は、というべきかもしれないが、それでも彼に対する感情はうすれている。

 確かにモアネットが全身よろいまとい古城に引きこもる切っ掛けになったのは、あの日のアレクシスの言葉だ。だがそれが今日に至るまでのゆいいつの原因かと聞かれれば、鉄でおおわれた兜を横に振るだろう。「それも原因の一つだけど」と、そう答えざるを得ない。

 そもそもほつたんは彼の言葉だとしても、当時の彼は自分と同様に幼かった。

 いくら王族の身分でえいきよう力があるとはいえ、幼い少年の一言にその後の人生の責任を押し付ける気はない。

 己のあやまちに気付いた彼が、誠心誠意謝罪の姿勢を見せ続けてくれたからなおの事。

 むしろモアネットの心に深く傷を負わせたのは、彼の『みにくい』という言葉ではなく、それによる周囲の対応である。誰もなぐさめてくれることなく、どこが醜いのかも教えてくれなかった。それどころか翌朝にはモアネットはアレクシスの婚約者から外され、その座に妹がいたのだ。

 異論をはさむ間もなく、あっと言う間に足元がくずれていくきよう。アレクシスの言葉を切っ掛けに別世界にほうり込まれてしまったような恐怖さえ抱き、全身鎧を纏って古城にげ込んだ。

 何が醜いのか、どう醜いのか、周囲が慰めの言葉を掛けてくれないほどに醜いのか……鏡を見つめても分からず、自分のしんがんすら信じられなくなる。そうして今に至るのだ。

 これら全てをアレクシスのせいだとは言わない。だが彼が発端をになっているのも事実である。

 なんともぜつみようなところだ。いっそ全てを彼のせいだと決めつけ、のろってしまうほどににくみ恨んでしまえれば楽なのかもしれない。

 そんなことを考え、モアネットがせいだいためいきをついた。

「宿は必ず一番良い部屋にしてください」

「……モアネット?」

「最上級のルームサービス付きで。それにげんが悪くなったら帰るかもしれないし、呪いの理由によっては相手に加担して悪化させるかもしれません」

 そう言い切り、モアネットが「それでも良いなら」と付け足した。

 ほかの魔女には興味があった。話が出来ればきっと楽しいにちがいないし、代々伝わる家系の魔女なら色々と教えてくれるだろう。それにりんごくには魔力がまる場所が幾つかあると本で読んだことがある、観光するのも悪くない。もしかしたら隣国の魔女が案内をしてくれるかもしれない。

「元々隣国の魔女には会いに行きたいと思っていたし、魔力が溜まる土地にも興味があった。これはあくまで、私の観光です。貴方あなた達の旅なんて知ったことじゃない」

 モアネットがそっぽを向きながら告げるも、言葉の真意が分かっていないのかアレクシスとパーシヴァルは不思議そうな表情をかべるだけだ。

 だがそんな二人の視線に対してモアネットはくわしく説明してやる気にはなれず、相変わらず他所を向いたままで兜の中でねるようにくちびるとがらせた。

 道中はこれでもかと彼等に我がままを言ってやろう。一番良い部屋に特上のルームサービス、もちろん行く先々で高級料理を食べて欲しい物を買わせる。

 快適な古城の生活から引きずり出されるのだ、ぜいたくざんまいする権利はある。彼等のさい事情など知るものか。

 じよは気まぐれで気分屋、そのおそろしさを彼等に分からせてやろう。時には無様な不運を笑って、時には呪いを悪化させると脅してその反応を楽しんで、恩着せがましく旅をまんきつしてやれば良い。きっと最高の気分だ。

 だからこれは、彼等のためなんかじゃない……。

 そう自分に言い聞かせ、そして最後に、

「どうしてもって言うなら、私が隣国の魔女に会いに行くのに付いてきてもいいですよ」

 と告げれば、アレクシスとパーシヴァルが目を丸くし……そしてあんを交えた泣きそうなみを浮かべた。





 日が暮れない内に森をけ、市街地で調達を済ませて馬車を拾う。そのまま馬車の中で一晩過ごせば、明日の夕刻には宿のある街に着くだろう……と、地図を片手にパーシヴァルが話す。

 それに対してモアネットが待ったをかけた。市街地と彼の言う街、その二つを地図上で見てもそうたいしてはなれていないように見える。歩くならばまだしも馬車で移動となれば一晩を過ごす必要もないだろう。市街地の宿でいつぱくし、早朝出掛けても十分に間に合うはずだ。

 そううつたえるも、パーシヴァルが地図を片手に盛大に溜息をつき、そしてひとみせて首を横に振った。

「モアネットじよう、この旅をつうの旅と思わない方が良い」

「……どういうことですか?」

「ここ一年、アレクシス王子が馬車に乗ると車輪は外れ扉がっ飛び馬が暴れだす」

 そう語るパーシヴァルの言葉に、モアネットが瞳を細めた。

 次いでアレクシスを見れば、彼はモアネットの視線に対し数度うなずいて返し、その果てに顔を上げるのがつらいのかうなれてしまった。ただよろうかんと言ったらなく、どうやら彼の不運の呪いは馬車でも逃げ切れないものらしい。

 だからこそ今日の内に出発したいのだという。そのうえアレクシスが小さく「市街地の宿は……」と深刻なこわいろつぶやくのだから、これにはモアネットも鎧の中でかたすくめてギッという音でりようしようの返事とした。





 そうして荷造りを始めて今に至る。

 ずっと一人でこの古城で過ごしていたのだ。自室なんてものは無いに等しく、元々のおおざつな性格もあってかあっちこっちに物が置いてある。

 えに、羊皮紙にペンに魔術書……と、それらを歩き回りながら集めて、必要かいなかを判断してトランクにめていく。ここで不要と判断したものをきちんとしまえば良いのだが、根が雑なためにまた適当な場所に置きっぱなしにしてしまう。もしも次の荷造りがあればまた苦労するだろう。……次の荷造りなんて無いに越したことはないのだが。

 そんなおもしろい事など何一つないモアネットの荷造りに、どういうわけかパーシヴァルが終始後を付いてきていた。

 時には「それは何だ」とのぞき込んだり、時には重いものを持つのを手伝ってくれたり。かと思えば無言でジッと見つめてくる時もある。そうしてモアネットが部屋を移動すれば、彼もまた付いてくるのだ。

 いったい何がしたいのか。疑って見張っているのだろうかと彼を見上げれば、げんな表情で魔術書をめくってけんしわを寄せていた。──ちなみにアレクシスはを直している。まぁ、さきほどトンカチでおのれの指を打ってうめいていたので直せるかどうかは定かではないのだが──

「パーシヴァルさんも椅子を直してください。それか、ワインセラーから何本か高く売れそうなものを選んできてください」

「売るのか?」

「私の資金です。私がごうゆうするために」

「分かってる。貴女あなたの金まであてにはしない」

 きっぱりと言い切るパーシヴァルに、モアネットはさして返事もせずトランクへと視線をもどした。

 そうして荷造りを再開するのは、盛り上がる話題も無ければかんだんする気も起きないからだ。ワインセラーからワインを選んできてくれれば良いと思っただけで、彼にその気がないのならわざわざたのむほどでもない。かといって無下に追いはらうのもやましい事があるみたいなのでけておく。

 つまり『どうぞご勝手に』ということだ。現状、モアネットの関心は彼よりトランクにある。

 そんな荷造りの中、ふと本の合間から出てきた画用紙にモアネットが小さく声をあげた。

 クレヨンでえがいた絵。並ぶように描かれている二人の女の子は、線もゆがんで色もはみ出てお世辞にも上手うまいとは言えない。まさに子供が描いた絵だ。

 それを見てモアネットが兜の中で瞳を細めた。……なんてなつかしい。

「モアネット嬢、それは?」

「幼いころに妹と描いた絵です。懐かしいな」

「妹……」

 パーシヴァルがわずかにその名前を口にしかけ、そして声に出さずにとどめた。きっとモアネットのことを……王子のこんやくしやという座を妹にとって代わられた姉の事をづかってくれたのだろう。だが気遣って言葉を飲み込んだものの次の行動が見つからないのか、「えぇっと」だの「その」だのと的を射ないことを口にし、もどかしそうに雑に頭をきだした。

 その不器用な気遣いが面白く、モアネットが兜の中でしようを浮かべる。

 それと同時にまぶたの裏に浮かぶのは幼い少女の姿。可愛かわいらしい妹、幼い頃は体が弱く共にしよ地で過ごしていた。何もないはんべつそうで、二人でずっと絵を描いて夢を語っていたのだ。

 おと画用紙とクレヨン、そして玩具おもちやの宝石がついたアクセサリー。それがまいすべてで、かざってお茶会の真似まねごとをしたり美しいドレスを描き合っていた。

『キラキラしたおひめ様になりたい』

 そう語り合っていた日の事がのうをよぎる。

 ……そしてよぎったその光景を搔き消すように画用紙を折りたたんだ。もちろんトランクには入れない。再び本にはさんで、元あった机の上に戻す。

「パーシヴァルさん、見てるだけなら手伝ってください」

「モアネット嬢……」

「早く出発したいんでしょ。それかこうに走らないように、今のうちに寝ておいてください」

 パーシヴァルの言葉にかぶさるようにモアネットが告げれば、意図を察したのか彼が小さく息をいた。

 どうやら言葉の裏にふくんだ「これ以上れてくれるな」という訴えに気付いてくれたようで、モアネットがかぶとの中でかすかに安堵する。……そして、

「奇行って言うな」

 ととがめてきたパーシヴァルの言葉には、気付いていたかと兜の中で舌を出した。

「奇行を奇行と言って何が悪いんですか」

「昨夜は少し寝ぼけただけだ」

「『モアネット嬢、貴女はなんて良い子なんだ。本当に可愛くて愛らしいにゃんこだ、貴女は絵が上手い』」

「やめろ、一字一句再現するな!」

 昨夜の彼の発言を再現してやれば、パーシヴァルがあわてて制止してくる。

 どうやら己の奇行がずかしいのだろう、その表情にはあせりさえ見え、モアネットがしてやったりと兜の中で笑む。

 そうして少し気が晴れたと荷造りを再開し、手にしていた部屋着を広げた。

 シンプルながらむなもとのリボンが可愛らしいオフホワイトのワンピース。ラフな心地ごこちが気に入っており、これは持って行こうと丸めてトランクのすみに詰めた。

「今のは何だ?」とは、そのしゆんかんけられた言葉。見ればパーシヴァルがおどろいたと言わんばかりの表情でこちらを見ている。

「何だって、何がですか?」

「今のワンピースだ」

「私の部屋着ですよ。いやだな、ジロジロ見ないでください」

 デリカシーの無い方だ、とモアネットが咎める。

 それに対してパーシヴァルはいまだぜんとし、「モアネット嬢が?」とらすように呟いた。信じられないものを見たとでも言いたげな表情と声色に、モアネットの中で不満がつのる。

 荷造りをして、可愛い部屋着をトランクに詰めただけだ。だというのに何故なぜここまで驚かれなければならないのか。

「失礼ですね。部屋でくらい好きなものを着たっていいでしょう」

「いや、だって……入らなくないか?」

「なんですか、太ってるって言いたいんですか?」

「そうじゃなくて、うでとか、肩とか、頭だって入らないだろう……」

 そう話すパーシヴァルの表情にはこんわくの色が見え、しきりに「破れないのか」だの「どうやって着るんだ」だのとたずねてくる。その声にも表情にも冷やかしやさげすみの色は無く、じゆんすいに、心の底から疑問をいだいていると言いたげだ。

 そんなパーシヴァルの様子に、モアネットはいったい何を言われているのかさっぱり分からずギゴッと音をたてて首をかしげた。

 どうやっても何も、こんなシンプルなワンピースの着方など説明せずとも分かるだろう。

 頭からすっぽりと被り、手を出して終わりだ。もちろん全身にまとうこのよろいいで。

 ……この鎧を、脱いで。

「……一人の時は脱ぎますからね?」

「脱ぐ?」

「中に人が入ってますからね? 鎧が本体じゃありませんよ」

 あくまで鎧はちやくだつするものだと話せば、パーシヴァルがしばらくキョトンとし……、

「よし、ワインを選んでくる」

 と、そそくさと足早に去っていった。なんとも白々しいてつ退たいではないか。

 その背中を見つめるモアネットの視線はひどく冷ややかだったが、あいにくと兜しなのでパーシヴァルには届かなかっただろう。……いや、立ち去る背中が何とも言えない情けなさを漂わせていたので、何かしら感じ取っていたかもしれないけれど。

「……そういえば、あの人なんで荷造りに付いて回ってきてたんだろ」

 ギゴッと音をたてて首を傾げ、それでも再び荷造りへと取り掛かった。


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