第6話 存在証明

「海に……?」


 突拍子もない彼女からの”お願い”に、僕は困惑する。それは、澄華から何かを頼まれるなんてことが、今までに一度もなかったからなのだが……


「そう、海よ。――青くて、広い海」

 いや、そんなことは分かってるよ。……そんなことを言うと怒りそうなので黙っておく。


「……なんで、なんだ?」



「行けなかったから、ではだめかしら?」


 ……そう笑う彼女。でも、その笑みにはどことなく悲しみを感じる。


 僕はそういうことか、と察する。それはたぶん、彼女の一部をこの世界にとどめている要因の一つであり、生きているうちにはできなかったことだろう。――だからこそ、一つの疑問が湧く。


「で、なんで僕なんだ? 幽霊だって言うなら、ふわふわと飛んで行くこともできるだろうに」

「……私たちみたいな存在は、どこまで行っても”一部”でしかないわ。だから不安定なの。でも、そんな私の――私たちの存在を――限りなく実在している状態に近づけるためには、あなたのような”能力”を持った存在がいれば可能になるの」

「話についていけないんだが」

「少し、難しすぎたかしら」

「ああ。……俺は人間だからね」

 ふ、と笑いながら応える。じゃあ、もう少し簡単な話からするわね――と彼女も笑みを返しながら、


「私は今、あなたの前にいて、あなたと話しているわよね?」

 ……いくら僕とはいえ、空気に喋りかけるようなことはしない。まあ、周りから見たら空気に話しかけている、頭のおかしい人なんだろうけど。


「それは、あなたにしかできないことよ」

「……まあ、そうだろうな。だって、僕にはそういうことができる”能力”があるから」

「ええ、そうよ。あなたは特別だわ。それはもう、人という枠組みを少し外れるほどに。――でも、あなたの能力は特別だった。まさか、そんなことがあっていいわけが、なんて思うほどにね」


 ……言っている意味が分からない。


「いい? あなたの能力は、ただただ私のような意思の強い残滓と話せるだけじゃないわ」

「――というと?」



「あなたは今、私を実体化させているわ」



 …………は?



「私たちのような存在は、強い意思を持つ代わりに縛られてしまうの。――私はこの、残滓としてここを漂っている状態ではこの街から出ることはできないのよ」

「自分の意思では、外に出れないと?」

「……そうよ。だって、そうじゃなければもうとっくに外に出ているもの」

 にこり、と笑う彼女。でも、目は笑っていない。

 ――すっと笑顔を消すと、真剣な目になる。


「でもね、その残滓を実体化できるとなると、話は違うの」

「そうなれば、私を縛るものはもっと実際問題の――まあ、平たく言えば金銭面とかなんだけど――とにかく、幽霊としての制約である、ある一定範囲から抜け出せない、というようなものはすべて無視できるわ」


 そこまで言うと、ふう、と一息を置いて続けた。



「……だから、あなたが必要なの」



 沈黙。

 彼女の言うことがあまりにも意味不明すぎるし、僕の信じていた世界の理からそれは大きく外れていた。……その理を超える能力を持つ人間が言うのもあれだけど。

 それでも僕は――いや、僕の能力が――人の役に立つのならば、僕という存在の一つの存在理由になるのではないか?

 人に忌み嫌われてきたこの能力が認められ、必要とされるならば――僕の存在が肯定されるのではないか――? そう、思った。


 ――だから、訊く。



「それは――が必要なのか、が必要なのか、どっちなんだ?」と――



 そして、彼女は答えた。


「…………その質問に、あなたが必要なんて綺麗事を言えるほど、私は良い人間じゃないわ。……だから、言うわ。あなたも、あなたのその能力も、どちらも必要よ、――と」



 ――じゃあ、今度は僕の番だ。




「わかった。、僕は手伝うよ」



 そうして、僕たちは海に行くことになった。



 *


「で、海と言ってもいろいろあるわけなんだが――」

「任せるわ」

「さっき言ってた金銭面の問題は――」

「任せるわ」


「……澄華はさっきから僕に任せっぱなしじゃないか? 少しは僕に貢献してくれたっていいでしょ!」

「仕方ないじゃない! この身体じゃ働けないし、そもそも実体に触れて動かすなんてことできないんだから!」


 ……ん?


「――じゃあ、今まで飲んでたラムネはなんなんだよ? その空き瓶がゴミ箱に入る時、確かに僕は音を聞いたはずなんだけど」


 うーん、と考えこむ澄華。真剣な目をする顔もいいが、やっぱりこう、ふんわり悩んでいる時のほうがいい顔をしている気がする。――なんて、横顔を見ながら邪なことを考えていると、こんなの仮説でしかないし、実証できても意味が無いんだけど――と前置きして言った。


「……たぶん、その能力のせいよ」

「やっぱり?」

「私の飲んでいるコレは、元はといえば私の残滓の一部を加工したものよ。それを実体化させる能力があれば、空き瓶もあなたの認識の中では実在したのでしょうね、たぶん」

「うわ、なんかこわい……」

「こっちのほうが怖いわよ! よく今まで平気に過ごしてこれたわね……」

「そう言われてもなぁ……僕にもそこらへんよくわかんないよ……」


 ……と、そんなこんなで僕たちは海に行く算段をして、別れた。(ほぼ僕の担当だが)

 ――決行は、明後日だ。

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