第4話 急転
「……気が、ついたの」
ただ静かに、彼女は訊いた。その声は――声だけでなく、その表情も震え、怯えているように見えた。
そのことが、どれだけ彼女にとって知られたくなかったのか。どれだけ彼女にとって重要な問題だったのか――その時の僕には何も分かっていなかった。
沈黙。
「……ねえ、なにか言ってよ」
もう一度、訊かれる。今にも泣き出しそうな顔をしながら。勇気を振り絞って。
「ああ、たぶん……」
短く応えるのが精一杯だった。僕は、その時の僕には、それに対してどう答えればよいのか――何が正解なのか、分からなかったのだ。
「そっか。やっぱり」
「でも、それがどうか――」
「どうかしてるの! 少なくとも私にとっては」
――気まずい空気が流れる。さっきまでのうるささが嘘のように、セミは鳴きやんでいた。
「…………ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「こっちこそ、ごめんなさい。最初から、あなたがそういうヒトだって分かってたのに」
そういう”ヒト”だって……?
「それはどういう……」
「驚かないで聞いてほしいの」
「――――私は、幽霊なの」
*
訳が、分からなかった。
もちろん、幽霊という言葉の意味は知っている。同時に、それが存在しない……ということも。
それでも、目の前の彼女――澄華は、自分のことを”幽霊”だと言った。
短いながらも、今までの付き合いからその手の冗談を言うような子じゃないというのは分かっていた。だからこそ、その言葉の真意を測りかねていた。
「ねえ……その、幽霊ってのは――」
「そのままの意味よ。私の肉体は、この世には存在していないわ」
「……でも、僕はそんな君と話している」
「それはそうよ。――だってあなたは”特別”なのだから」
こんな平凡な、よくいる高校生の僕のどこが特別だっていうのだろうか。――思い当たる節がないような顔をしていると、その答えは彼女から告げられた。
「あなた――藤田肇には、特別な能力があるわ」
――目を合わせた相手がなにを考えているのかがわかる能力。ずっと忌避していた、僕の”異能”とでも呼べる能力。
「ああ、確かに思い当たるものがある。でも、僕はそれが嫌いだし、それを使わないように努力してきた」
「そう、でしょうね。だって、その力は……」
「人の嫌な一面――影を見ることになるからな」
彼女の言葉を遮る。これだけは彼女には分からない。そう、思ったからだ。
「だから、あの時に視えなかったのか」
「あなたの”視える”というのが、その能力のことならばそういうことよ」
「でも、僕が駄菓子屋を見た時には、君がいた。それはおかしくないか?」
「そうね。あなたがそう思うなら、だけど」
「私はね、あなたを探していたの」
……幽霊が僕を探す? 冗談はよしてくれ。
幽霊に好かれるようなことは何もしていない。
「……なんていうのは嘘、とはいかないまでも、八割は嘘になってしまうわ。だって、あの時の私は見られるだなんて思っていなかったのだから」
「じゃあなんで――なんで君は僕に話しかけたんだ」
「それは――」
「……それは、見つけて欲しかったからよ」
再び、沈黙。
「――あなたは、その能力について少し誤解しているわ」
「……どういうふうに、だ」
「それは、生きている人間だけでなく、死んだ人間の魂をも見ることができるのよ」
「それはつまり――君のような”幽霊”でも視える、ということか?」
そんな質問に、そうね――と答えながら
「ただ、それは見つけてほしいと思っている魂しか見えない。そうじゃなければ、今頃あなたは信じられないような世界を見ているだろうから」
「じゃあ――なんで、君は……」
そんな言葉は、彼女によって遮られた。
「ごめんなさい」
なんで――という言葉が、口から出ない。そして、彼女の言葉は止まらない。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい。ずっとあなたのことを騙していて。最初、私を避けて隣りに座った時、もしかしてなんて思って」
「話しかけてみたら、私のことが見えているようで。その時すごく嬉しかったの」
「でも、帰るときに、あなたの名前も――住所も何も知らないことに気が付いたの。それに気がついた私は、なんて失敗をしたんだと本当に後悔したわ」
「それでも、あなたはずっとこの駄菓子屋に来てくれた。毎日毎日、あの日私と会った時間帯に。それを見て、私は本当に嬉しかった。こんな私のことを待ってくれる人がいたなんて、って」
「でも、その時、私はすごく悩んだ。だって、あなたは私のことを幽霊だなんて知らない。ただ、不思議な女の子としか思っていなかったのだから。だから、私は悩んだの。どうやってあなたに接すれば良いのかって」
「でも、私は腹をくくった。普通の女の子として接して、この夏を――夏が終わるまで君とこの時間を過ごすって。それが君を騙すことだったとしても」
「そうして、君との大切な時間は過ぎていった。最初はぎこちなかった関係も、今では軽口を叩けるような、そんな間柄にもなれた。でも、ずっと――ずっと君を騙していることには変わりがなかった」
「今日、こうやって嘘がばれてしまったのは、騙そうとした私への罰なのかもしれない。だから――」
「藤田肇さん、いままで騙してごめんなさい」
……そう言うと、彼女の目から涙が溢れた。
そして、その気持ちが言葉からひしひしと伝わってきた。だから――
何も言わず、僕は彼女を抱きしめた。ほんのりと、甘い香りがした。
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