第2話 また会うために
次の日も、また次の日も、僕は図書館へと通う日々を送った。
もちろん、暑いのは(テレビが連日の猛暑と伝えていたからだが)分かっていたので、凍らせたお茶の入ったペットボトルを毎日一本ずつ持っていくことにしたし、大きめのタオルを持って家を出るようにしていた。
……それでも暑いのには変わりないのだけど。
そんな僕は、あの日会った彼女のことが心のどこかで気になっていたのか、あれから毎日といっていいほどのペースで帰り道に駄菓子屋へと寄ることにしていた。……もちろん十円玉を五枚持って。
それでも、あの日、あれ以降どうやっても会うことはできなかった。
というのも当然で、彼女とはただ「ラムネが好きなのか」という短い会話――それも会話と呼べるのかすら怪しい言葉を交わしただけで――僕は彼女について住所も、電話番号も、名前でさえも――とにかく何も知らなかったからだ。
……いきなり話しかけられ、いつの間にか帰ってしまったので名前を聞くタイミングを逃してしまったというのもあるだろうけど、彼女にまた会うという目標に対してそれは深刻すぎる問題だった。
それでもあの時間に通っていればいつか会えるのではないか――なんていう希望的観測――というよりも願望から、僕は駄菓子屋へ通う日々を続けていた。
もうそろそろ彼女と出会ってから一週間にもなるだろうか、という頃。もう、視えなかったことなどどうでもいい。とりあえず会って話したい――そんな気持ちで駄菓子屋の見える角を曲がった時、それが見えた。
はやる気持ちを抑え、軒下に自転車を停める。急いで財布を出し、ラムネを一本買って外に出る。
「ねえ」
そして僕は問いかけた。視線の先には、白のワンピースを着た女の子。……僕がずっと会いたかった彼女だった。
「ラムネ、好きなの?」
返事はない。ただ、人形のような彼女に話しかけるだけだ。
……人形のような、といったけれど実際に見てみるとそれがどういうことなのかよく分かるだろう。華奢な身体に白い肌、それでいて顔立ちは整っていて――喋らず、ラムネを飲まないのであれば人形と呼んで差し支えのないほど完成されている美しさ。
そんな彼女に、僕は話しかける。
――リボンが揺れて、瞳がこちらを向く。すべてが滑らかで、スローモーションのようなその動作に僕は見惚れる。そして、こちらを見上げた彼女は確かに、
「好きよ」と言った。
……それだけの言葉。それを引き出せただけ、一歩前進といったところだろうか。
でも、僕はこれだけの言葉じゃ満足できないし、しない。
なぜ、彼女から何も視えないのか――それを知るまでは関係を深め、聞き出さなければいけないからだ。でも、それを聞き出せるような間柄になるためのステップに進めるような、次の言葉を紡げずにいた。
そもそも、普通に話しかけるにはあまりにも親しさが足りなかったし、僕に女の子に気軽に話しかけられるようなコミュニケーション能力はなかった。
それに、相手は美少女と言って差し支えのない容姿で、正直にいって好みだった。というかドストライクだ。
どうやって話しかけるか、どうやって次の言葉を繋げるか悩んでいる僕をよそに、今度は彼女が話しかけてくる。
「横、座れば?」
少し遅れて、ああとかうんとか――とにかく何か短く答えて、隣りに座った。かわいい女の子を前にした僕は緊張なのかなんなのか下を向いてしまい、話しかけるタイミングを見失う。
そして、最悪ともいえる言葉を彼女から引き出してしまう。
「ねえ、……私のこと嫌いなの?」
そんなわけない、なんて言葉が喉まで出てくるけど、口に出せない。
「こないだもそう。あれから話しかけてこなかったし……」
沈黙。話しかけられなかったのは、ただ視えない相手にどうやって接すればいいか――ただただ言葉が見つからなかっただけなのだけど、それも言い出せない。
「ごめんね、ほぼ初対面だし言いにくいよね……」
その言葉と同時に、視界に映っていた白いものが揺れる。ああ、離れてしまうのだと思うと共に、自分がそうさせたのだという思いが緊張を上回る。
「待って」
かすれた声で引き止める。手に持ったラムネを飲むことすら忘れていて、喉はカラカラに乾いてしまっていた。それでも、ここで帰らせてはいけない――そんな思いで彼女の方を向き、続ける。
「ごめん、嫌いとか、そういうのじゃないんだ。ただ、話しかけにくくて……」
しばしの沈黙。でも、その言葉は届いたみたいで
「……よかった。嫌われてなくて」
と、彼女はゆっくりと座り直した。もちろん、こちらを向いて。そして目を見て、
「ねえ、よかったら名前を教えてくれない?」
と言った。全てが吸い込まれそうな黒い目。その目には逃れられないような魔力が込められていて。逃げることなど許されない――そんな気にさせられる。
「肇――藤田、肇」
「いい名前ね。――私はね、すみかっていうの。澄みきった空の澄に、華々しいの華っていう漢字で澄華よ」
ああ、と頭の中で漢字を浮かべる僕を覗きこむように見上げながら、彼女は
「よろしくね」
と笑った。その笑顔は忘れてはいけないものだと思わせるほど裏表のない、綺麗なものだった。
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