僕と後輩と深夜2時

アスノウズキ

僕と後輩と深夜2時


「思うに、そういう適当さが先輩の良くないとこなんスよ」


 深夜2時。

 ボロアパートのカビ臭い部屋に、後輩のため息が低く染み渡った。

 部屋の気温は高く、湿度は破滅的だ。一台きりの扇風機に夜通し首を振り続ける刑罰を強いる事でようやく人権を保証される半蒸し風呂の中とあっては、いくら温厚な僕と言えども生意気な後輩を咎めずには居れない。


「僕のどこが適当だっていうんだ。言ってみろ後輩。追い出すぞ」

「どこっつーか、まあ今まさに説明した通り生活態度っスよね。ゴミ出しの曜日くらい覚えてください」

「ちょっと間違えただけだってば」

「先週も間違えてたじゃないっスか。先輩がゴミ捨て損なうせいで部屋が狭くなって気温が上がってんスよ。あたしが熱中症になったら先輩のせいっスからね」

「まあ部屋が狭くなってるのは呼んだ覚えのない後輩が居るせいもあるんだけどね」

「呼ばれてもないのに寂しい先輩の家を訪ねて部屋の掃除までしてあげてんスから、むしろ感謝すべきっス」

「必要な物まで捨てちゃうから、あんまり素直にお礼は言えないんだよねえ」

「素直になった方がいいっスよ。もし感謝するなら、特別に這いつくばって自分の足をなめる権利を与えるっス」

「死んでもするかそんなもん」


 聞こえるのはカタカタとノーパソのキーボードを叩く音。あとは、僕の勉強机で後輩が紙にペンを走らせる音。

 僕が書いてるのは小説で、後輩が書いているのは漫画だ。

 どちらも書けども書けどもビックリするほど日の目を見ない。無限の可能性を秘めた白紙をインクの染みた雑紙に変える錬金術のよう。


「あーあ……この紙も尾田栄一郎先生の所に行けばワンピースになれたのに……ごめんね……」

「そういうこと言うなよ。悲しくなるだろ」


 今夜の後輩は深夜のテンションが悪いキマり方をしたらしい。つられてダウナーな気分になる前に、僕は今書き上げた分の原稿を保存した。


「ところで後輩」

「なんです先輩」

「僕の小説、面白いと思う?」

「あたしの漫画を面白いって言ってくれたら思うっス」

「あのさあ〜キミの漫画ぁ〜ちょ〜面白いよ〜?」

「ありがと〜先輩の小説もぉ〜ちょ〜面白いっスよぉ〜?」

「あははは!」

「うふふふ!」


 二人同時のタイミングでおえーっとエアゲロ。互いに互いの書いたものを褒め合うなんて、気味が悪いったらありゃしない。


「先輩の小説は自分の世界に入りすぎでわけわかんねえッス。ほぼ詩集」

「君の漫画だって似たようなもんでしょ。読み切りなのに設定全部説明しようとするからほぼ説明ゼリフじゃん。テンポ最悪」

「バトルの決着の付け方が雑すぎっス。結局気合いと根性で勝てるなら、戦闘開始の時に説明した能力相性は何だったんスか」

「絶望的な相性差を気合いで覆すのが熱いんでしょ!?」

「だから、気合いで勝ったら相性関係ないでしょ」

「君の漫画だって、ラブコメなのになんかキャラ薄いよね。君男の人と話した事ある?」

「鏡見ろハゲ。先輩こそ、ヒロインがまんま欲望の投影って感じでキモいっス。生の女の子と話した事あります?」

「鏡見ろ芋女」

「童貞」

「リアルもこっち」


 互いに互いの痛いところを息つく間もなく刺しあって、やがて息切れしながら突っ伏した。

 とにかく暑い。首振りを続ける扇風機の動きも、いよいよ哀れに見えてきた。


「こないだのもキツかったっスよ。今時あんなめだかボックスのパクリみたいなの書きますかねフツー」

「そう、それだよ!」


 カッ! と目を見開いて、寝そべったまま、後輩を指差す。

 後輩は突然の大声にビクっと肩を震わせて、気味の悪いものを見るような目で僕を見下ろしている。知ったことか。


「どれっスか」

「君が前に僕の書いた小説をパクリ呼ばわりした時だよ!」

「あのヒロイン完全に安心院さんでしたよね」

「マジ傷付くからやめてね? ……で、そん時思ったの! 今更アイディア搾ってなんかやろうとしても、大抵誰かのパクリになっちゃうわけ!」

「誰かっつーか間違いなく西尾維新のパクリだったっスけど……それで、なにかいい案でも?」

「エロ小説!」

「は?」

「エロ小説なら! 西尾維新のパクリって言われないでしょ!? 何故なら西尾維新はエロ小説書いてない!」

「ええ……」


 後輩の視線が、気味の悪い物を見るそれから哀れな物を見るそれに変わった。だけど僕は別に気にしない。


「いや〜盲点だったよね。卵を立てたガリレオみたいな気分」

「いや知らないし卵立てたのはコロンブスっスけど、なんスか。なんでそんなにテンション高いんスか」

「知らね! 深夜だからじゃね!?」

「苦情来ますよ、マジで」


 僕たちの間には、暗黙の掟が有る。

 それは、求められれば相手の書いた創作物を必ず精読し、感想を伝える事。

 先のやり取りのように、僕たちが互いの作品に異常に詳しいのはこのためだ。精読し、全力でコキおろし、半泣きで反論する。

 それが僕たちの創作のスタイルである故に、今回もまた例外は無く――


「嫌っス」

「なんでさ!」

「絶っ対に! いや!」

「なんで!?」

「や、なんで私が先輩のエロ小説読まなきゃいけないんスか!」

「忌憚なき意見が欲しいんだよ!」

「現時点で忌憚しかねーよバカ!」


 自分の作品を読んで客観的に読んでくれる人間というのは創作屋志望にとっては得難い宝なのだ。それはこんなちんちくりんがそうであったとしても例外ではない。

 だからなんとしても、こいつには僕のエロ小説を読んでもらう。


「大体そんなん見せるとかマジで自分のことどうしたいんスか……」

「僕はただ僕の作品を、或いは僕が僕の作品でどうにかなりたいんだよ」

「なんスかそれ」

「就活したくないんだよぉ……専業作家になって左団扇の生活を送りたいんだよぉ」

「ふざけてんスか」

「怒んないでよお。頼むよ、今度ラーメン奢るから、ね!?」


 こうして頼めば後輩は大概折れてくれることを、賢い僕は理解していた。

 なんだかんだで、僕らの間にはより良い創作を続けるもの同士の崇高なシンパシーが――


「餃子もつけていいなら、読んでもいいっス」


 ――いやただの食欲だなこれ。


「もちろん。なんならチャーハンもつけていいよ」

「そんなに食べたら太っちゃうっス」

「もうちょっと肉つけた方がいいよ。そっちの方がモテるかもよ。多分。マニアとかに」

「他人事かよ」


 僕が差し出したノートPCを、後輩は舌打ちしながら受け取った。

 そわそわしながら、僕のめくるめく官能文書に目を落としていく。


「<『待って先輩。私もう子供じゃないの、花も恥じらう乙女になったのよ!』『バカ言っちゃいけないぜ子猫ちゃん。君に火遊びはまだ早い』なんたる紳士的態度か、子女の純粋な思いを踏み躙らぬ先輩はあからさまに紳士なのだ!>」


 死んだ魚のような目で、後輩は黙々と音読していく


「<『私いつまでも子猫じゃないわ!』そう言って服を脱ぎ捨てる後輩! そう、蛹が蝶へ変態を遂げるように、子猫もまた妖艶な女豹へと変貌する『火傷しても知らないぜ』おお見よ! 衣服を脱ぎ去った先輩の裸身は、さながら宗教画に描かれる勇壮なる神々のウォリアーめいて雄大!>」


 首振り刑罰を続けながら呻く扇風機が、彼女の読み上げる言葉を拒むかのように見えたのは、多分きっと僕の気のせいなのだろう。後輩は続けた。


「……<『いやあやめて先輩! 私のにゃんにゃん【コンプラ】が先輩の【コンプラ】に【コンプラ】されちゃうう』『もう止まらないぜ子猫ちゃん』草木も眠るウシミツアワー。荘厳なるアパルトマンは、壮絶なイクサの開始点と……」


 そこまで読んで、後輩はおもむろに立ち上がると、僕の頭を全力でぶっ叩いた。


「このハゲーーーッ!!」

「痛え!?」

「ちーがーうーだーろー!?」

「な、なにが!?」

「真面目にやれっ!」


 耳まで真っ赤になった後輩の渾身の一撃が僕のこめかみをヒット。ぐらり。視界が傾ぐ。

 現在時刻を無視した後輩の怒号が、深夜に響き渡る。


「なにが【コンプラ】だ! ちゃんと書け!」

「だ、だって恥ずかしかったんだもん……」

「だもんじゃねえよこのハゲーーッ!!」


 耳がキンキンする。ああ、こりゃ家賃上がるな。


「だ、大体! なんで先輩と後輩なんスか! 先輩あれっスか、実はじ、自分のことそういう目で見てたんスか!? そういうアレっすか!?」

「それはないわ」

「う、な、無いんかい!」


 テンションが空回りした後輩が、勢い余って古典的なズッコケスタイルを披露する。

 後輩は怒りを燻らせたまま、ブツブツと呪詛を吐き続けている。


「……まあそうかあったらあんなん書けねえよなああそうかよそうかよクソッ」

「え、なに後輩ちゃん?」

「なんでもねぇーよハゲ」

「酷い言われよう」


 深夜2時。

 草木も眠る丑三つ時に、少しばかり騒ぎすぎた。急速に襲ってきた疲労感に、自然と声のトーンも低くなる。


「ところでさあ、どうなの? 感想は?」

「0点」

「えー」

「当たり前でしょ、あんな馬鹿みたいなの。パロディ小説にしたって寒すぎッス」

「イケると思ったんだけどなあ」

「もっと自分のセンス疑った方がいいっスよ」


 まあいいだろう。

 少なくとも読まれはした。きっとあのエロ小説も成仏したさ。つぎはきっと、もっと上手くやるでしょう。


「つーか先輩、いまさらっスけどこの状況なんかおかしいと思わないっスか?」

「え、なにが?」

「だから、若い男女が……あー……私ってそんなナシっスかね」

「いや、アリじゃない?」

「へっ」


 聞こえるのは扇風機の音。窓の外から紛れ込む車の足音。僅かに跳ねた、後輩の息遣い。


「だって小説読んで感想も言ってくれんだよ? 最高っしょ! アリアリのアリだよ!」

「そういう……」


 ため息をついて、頭を掻きむしって、僕の顔をみて、またため息。


「……もういいっス。なんかもう、これからも先輩のしょーもない小説読み続けんのかと思ってきたら泣けてきたっス」

「ふふん、泣いておきたまえよ。それは感動の前借りというものさ」

「はあ……」


 僕と後輩の深夜2時は、こうして今日も更けていくのだった。

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