おわり
「どーもー! 運送屋でーす!!」
執務室で積み重なった書類と睨めっこしていた僕は、軽快なノック音と共に扉の向こうから聞こえてきた声に顔を上げた。
――あれから一ヵ月。
相変わらずの領主仕事とバイト漬けの日々だが、前とは変わったことがいくつかある。
「おっはよー! にーちゃん! ルイーゼ! 柴!」
「うむ。お勤めご苦労じゃな、鳶」
「てめぇ呼び捨てにすんなっつってんだろサギ」
「サギじゃなくてトンビですぅー」
その最たるものは、屋敷に出入りする声が増えたこと。
賑やかさを増した日常に小さく笑みを零して、鳶、と呼びかける。
すると執務机までぱたぱたと駆け寄ってきた少年が、肩にかけた大きな鞄からいくつかの封筒を取り出した。
「ハイ! 今日のぶん!」
「はい確かに。毎日ありがとうございます、運送屋さん」
「へへー」
あの騒動の後、僕と鳶は一緒に被害者のもとを訪ねて回った。
騙し取られたお金が無事にそっくり戻ってきたので、その返金がてらの謝罪行脚である。
僕は旧印の管理が甘かった事を、鳶は結果として詐欺の片棒を担いだ事を。
それぞれ謝って頭を下げた僕らに、被害者の方々は「あらそうだったの」やら「それより茶でもどうだケビン」やらの温かい言葉を掛けてくれた。被害者はかなりご高齢の方ばかりで、僕を見ても怖がらないでくれる人が多いのは嬉しいのだが、僕ケビンじゃないです。
最後に行ったのは“領主の使い”の話を教えてくれたあのおばあさんのところで、彼女は「お友達と食べてねぇ」とアップルパイを丸ごと持たせてくれた。
ちなみに鳶は、事のあらましを全てシスターに明かしたらしい。
散々怒られたけれど、最後には抱きしめてもらったと気恥ずかしそうに教えてくれた。
鳶としても一連の騒動でさすがに思うところがあったようだ。孤児院にお金を入れたいのは山々だが、シスターに心配は掛けたくない、当面は常連さんからの依頼をこなす程度にしておく、と少し寂しげに事業縮小の報告に来た運送屋の少年に、そこで僕はある提案を持ちかけた。
それは僕――というか領主が出す手紙の配達をお願いできないか、というものだ。
「安心! 安全! 信頼! 領主様お抱え運送屋の鳶くんを、どうぞご贔屓にーってね!」
「……騒音、面倒、生意気の間違いだろ」
「言ったなー! 運送屋を怒らせると怖いよ! リンリンの試作コッペパンがどんどん部屋に届くようになるからね!」
「出前の嫌がらせかよ止めろ!!」
提案の結果は、見てのとおりである。
シスターも「領主さまのところなら」と快諾してくれたそうだ。
遠方へ送るものについては今まで通りの伝書鳩便だが、この街の中でやりとりする分は、ほとんどを鳶が担当してくれている。
ちなみにお給料については人件費として確保されている部分から出しているので問題ない。重ねて言うが足りないのはあくまで僕らの生活費だ。
「む? そうじゃ、手紙といえば」
書類の片づけをしていたルイーゼが、ふと思い出したようにエプロンのポケットから一通の封筒を取り出した。
「先刻、走り込みに出た折に元締めどもと出くわしてな。これをジャックにと頼まれたのを忘れておった」
「いつもの報告書だね。ありがとう」
「えー、どうせ昼にはオイラが回収に行ったのになー。……ていうかルイーゼ、朝からあっちのほうまで走ってんの? 夜も体鍛えてるって言ってなかった? どんだけやってんのさ」
「おい筋トレマニアのバトルジャンキーにうかつに話振るな。洗脳されるぞ」
「ふむ、鳶は鍛練に興味があるか。ならば共にやろうではないか。そうさの、まずは……」
「ひい!?」
逃げようとする鳶の襟首をガシリと掴んだルイーゼが、楽しそうに筋トレ論を語り始めるのを耳の端に聞きながら、僕は渡された封筒を開いた。
報告書、と書きなぐられたそれは、なんとあの大男がしたためたものである。
そこには賭場のリニューアルオープンに関する計画と、その進捗に関する報告が、ことのほかキッチリとした文面で綴られていた。
唯一訂正したい部分があるとすれば、宛て名に書かれた僕の肩書だろう。
「親分、は本気でシャレにならないから止めて下さいって言ってるんだけどなぁ……」
我ながら顔に似合いすぎていてあまりにも笑えない“親分”という呼称。
僕がどうしてあの大男からそんな呼ばれ方をしているのかというと……正直よく分からない。
元コックの彼の処遇について相談するために、騒動の後日、意を決して彼らの元を訪れたのだが、そのときには僕はもう親分になっていた。
何がどうしてこうなったのか、同じくなぜか“大兄貴”と呼ばれている柴と、“姐御”と呼ばれているルイーゼに問いただしてみたが、二人ともはぐらかすばかりで、結局今に至るまで謎のままだ。
「……まぁそれはさておき、順調みたいで良かった」
違法賭場の元締めであった彼らは今、あそこを正規の遊技場にすべく頑張っている。
うちの領地ではお金を直にやりとりする形の賭け事は認めていないので、代わりに遊技場の中でだけ使える疑似通貨を買ってもらい、その疑似通貨の枚数に応じて景品を渡す、というシステムにする予定だそうだ。
いわく「いずれこの店を遊戯の中心地にしてみせますぜ! んん? 待てよ……遊戯……ゲームの中心……センター……そうだ! ここをゲームセンターと名づけるぞ野郎ども!」「冴えてるアニキ!」「すげぇやアニキ!」「アニキー!」という感じらしい。
それにしても三人組はともかく、大男の態度の変わり様がいっそ怖いんだけど、ここまで来たらもう触れないでおこう。でも親分だけは本当にやめてほしい。
「と、ところでさぁ! オケラのおっちゃんって今どんな感じなの!?」
「まだ話の途中じゃぞ鳶」
「筋トレ論はまた今度聞くから! ねっ、どうなのにーちゃん!」
ルイーゼから逃れて僕の傍まで走ってきた鳶が、そう言いながら助けを求める目を向けてくる。
その必死さに苦笑しつつ、そうだなぁ、と昨日リンさんと話したときの記憶を探った。
「この間来た小包の差出人住所には“沼地”って書いてあったそうだけど、今はどこにいるんだろうなぁ」
「お父上が大層喜んでおると言っておったの。助手のおかげで自分でテント立てなくていいのめっちゃ便利、だそうじゃ」
「……あのオッサンどれだけ一人でテント立てたくねぇんだよって事と、オマエの流暢な再現に驚かされた」
「何、わらわとて本気を出せば今風の言葉遣いのひとつやふたつ」
一連の会話から分かるように、元コックのオケラさんは今この街にいない。
……というか、もしかするとこの領内にさえいないかもしれない。
彼を自警団に引き渡した後、いくつかの調査や、被害者の人達の意見をもとに処罰を決めたのだが、結果は予想通りだった。
科されたのは騙し取ったお金の返金のみで、賠償も無し。ベテラン自警団員による数時間のお説教の末に釈放された。ちなみに、そのとき立ち合いに行ったら死神にでも出くわしたみたいな顔で究極に怯えられた。
やりすぎたかなと思いつつも、あの様子ならしばらく悪さをすることもないだろう、と僕は彼の身柄をそのまま賭場……もとい遊技場に戻すつもりだったのだが。
「リンさんのお父さんと上手くやってるといいけど」
「アンタはまたそうやって……心配すんのは鳩までにしとけよ。
それに俺達はあの野郎の望み通り、一攫千金のヤマを持ち掛けてやったんだぜ? 逆に感謝してほしいくらいだろ。なぁ?」
「うむ。まったくじゃ」
それではぬるい、と言い出したのがこの二人だった。
あの手の人間は喉もと過ぎれば熱さを忘れて、何食わぬ顔で罪を重ねるものだと。
だからもっと遠方に飛ばしたほうがいい、海に流そう、山に繋ごう、と物騒なことばかり言う二人を宥めつつ、彼の処遇に悩んでいた僕に、意外なところから解決策が提示された。
“じゃあパパにお任せしたらいいヨ。前から助手欲しいって言ってたネ”
リンさんのお父さんは、最高のコッペパンを作る材料を求めて世界中を渡り歩いている。
それなら良いと言う二人の後押しもあり、僕としてもまぁ、流したり繋いだりよりはマシだろうかと、有り難くリンさんの提案を受けることにした。
彼が抱えている借金についてはお父さんや大男とも相談して、旅先で彼自身が獲得した食材については、売ったお金をそのまま彼の取り分として良いものとし、それを返済に充てることで合意となった。
リンさんのお父さんはよく高級食材なんかも送って来るから、確かに上手くやれば一攫千金も夢ではないだろう。
だが僕は忘れていた。
その高級食材の生息地と、いつも差出人住所に書かれている冗談みたいな地名の数々を。
「……いっそ、海に流してあげたほうが良かったかな……」
「えっ何いきなり。こわいんだけど」
遠い目で呟いた僕に、鳶がびくりと肩を震わせる。
とはいえ全ての手続きを終えて丁重に送り出してしまった今、もはや僕に出来るのは無事を祈ることだけだ。強く……どうか強く生きてください、オケラさん……。
僕がそっと手を組んだところで、部屋にノックの音が響く。
はい、と返事をすると、扉を開けて入ってきたニシキさんが「お食事の準備が整いました」といつも通りの見事な所作で、恭しく頭を下げた。
「あ、もうそんな時間でしたか。今行きます」
「オイラも食っべるー!」
「はぁ? お前 食って来てんだろ」
「いやー食べ盛りなもんで」
「うるせぇ。だいたいなぁ、急に来たヤツの分なんて、」
「ご用意致しております」
「あんのかよ!!」
鳶が来る時間は毎日まちまちで、今日はついさっき来たばかりなのに、一体いつ用意したのだろう。ニシキさんの謎は深まるばかりだ。
「やったー! ありがとーニシキさん!」
「くっそ、取り分が減る……」
鳶が上機嫌で部屋を飛び出していき、柴が渋々といった様子でその後に続く。
「ルイーゼも先に行ってていいよ。僕は机の上ちょっと片付けて行くから」
「あいわかった。ではそれまで、あの暴徒どもからジャックの朝食を守るとしよう」
ルイーゼも扉の向こうに姿を消せば、室内には僕とニシキさんが残される。
片づけをさりげなく手伝ってくれるニシキさんにお礼を言いつつ、領主印を引き出しにしまおうとしたところで、ふと脳裏に浮かんだ疑問があった。
「そういえば、何で父は旧印を取って置いたんでしょうか」
記念に取っておく領主もいるとは聞いたが、どう考えても父はそういうタイプではない。
「あれはジャック様のために残されたものでございますよ」
「え?」
予想外の返答に目を丸くした僕を見て、ニシキさんは懐かしげに目を細めた。
「まだお小さかった頃のジャック様が、この机で同じように執務をこなしておられたお父様に仰ったのです」
「な、何を」
「お仕事するおとうさんかっこいい、僕もやりたい、ハンコ押す――と」
「うわあああ!」
頭を抱えて机に突っ伏す。顔が熱い。幼少期の言動を淡々とリプレイされるのつらい。
「しかしご存知の通り、領主印とは大切なものです。ご子息といえど、おいそれと貸し与えるわけにはまいりません」
「……あの……まさか」
「その直後、先代は領主印の更新を申請致しました」
「ウソでしょう!?」
「誠にございます」
じゃあつまり、幼い僕に領主ごっこをさせてやるためだけに、手間のかかる更新をしたのか。あの父が。そんなまさか。
ニシキさんが冗談を言う人じゃないことは知っているが、自分の中にある父のイメージとどうしても噛み合わない。
しかもそれだと、もうひとつ疑問が出来てしまう。
「で、でも僕、もらった記憶ありませんよ?」
いくら小さかったとはいえ、あんな立派なものを貰ったら忘れないと思うのだが、そんな覚えはまったくない。
「それはそうでしょう。先代がお渡ししておりませんでしたので」
「何で!!」
もうワケが分からない。
「え、え? 僕にくれるための旧印だったんですよね?」
「左様にございます。しかし先代は、非常にシャイなお方でございました」
「シャイ」
「用意はしたものの、お渡しするきっかけが掴めなかったご様子で。最終的にはいつかご自分で見つけてくれればと、美術品倉庫におしまいになりました。
けれどぼっちゃま……いえ失礼、ジャック様は探検や宝探しといった遊びをなさるお子ではございませんでしたので、結局そのまま陽の目を見ることはなく」
それを二か月前のどさくさでオケラさんが持ち出したというわけだ。
旧印流出の謎が解けたが、しかし今はそんなことより、初めて知る父の一面の数々に言葉もなくぽかんと口を開けていた。
僕が知っている父はとても立派な人だった。
厳格で、冷静で、顔が怖くて、領主の中の領主みたいな人だと思っていた。
だから僕も早くそうならなくちゃって、ずっと必死で……。
「……ぶ、はっ」
喉の奥から込み上げた空気が、堪えきれずに零れる。
「ははっ、シャイって、あはは!」
どんどん込み上げてくる愉快さと妙な清々しさに、僕はそのまま涙が滲むほど笑い転げた。
止まらない笑いに息も絶え絶えになっていると、賑やかな声がまた部屋に戻ってくる。
「オイおせぇぞ。いつまで片付けてん……何してんだアンタ」
「うわ! どーしたのにーちゃん、ひきつけ!?」
「それはいかんな。わらわが滋養に良い獣の肝を用意しようぞ」
「待て! 止めろ!! 狩ってくんな!」
「なんじゃ? 心配せずとも遅れは取らぬぞ?」
「お前の心配は毛ほどにもしてねぇよ雌豹女! そう何度も二メートル超えの獲物を運び込まれてたまるかっつってんだ!」
「あー、前例あるんだ……」
「どうせなら解体まで終わらせてから持ってこいや! 丸ごとだと獣くせぇんだよ!」
「そういう問題!?」
「ふはっ、あはははは!」
「にーちゃん笑ってないで何とかして!? オイラじゃ収集つかないんだけどコレ!」
空っぽになるはずだった領主屋敷に響き渡るのは、僕の笑い声と、騒々しいほどの家族たちの声。
目じりを指でぬぐいながら、いつもと変わらない窓の向こうの空を見上げた。
――ヘタレな領主が治める街は、そんなこんなで、今日も平和なようです。
「ところで皆さま。お仕事に向かわれるなら、そろそろ朝食を召し上がって、準備をなされたほうが宜しいかと」
「……あっ」
その領主、ヘタレにつき。 ばけ @bakeratta
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