第7症例 造花病

 最初はただ光が眩しいのだと思っていた。眩しくて眩しくて、それが目に刺さって、痛いのだと。ほんのりと、ちくちくと、次第に大きくなる痛みは、つきんつきんと、そして、ずきりずきりと痛む頃には既に異変は目に見える形へと変貌していた。


「ねぇ、それ、なに」


 恋人だった人がキスをする直前で私の肩をグイっと留めた。この頃にはもう四六時中頭痛がしていて、それも割れるような痛みで、頭が可笑しくなりそうな程に痛くて、痛くて、痛すぎて、だから、彼のそんな行動が理解できず、傷付き、そして苛立っていた。


「なにってなに」

「ほら、これ、左の目の中」

「目の中?」


 そういえば最近左側だけ瞼が重かったんだよなぁなんて他人事に思いながら、手鏡をごそごそと探し、取り出して覗き込む。そこにあるのはいつもと変わらない私の嫌いな顔のはずだった。が、それは呆気なく裏切られ、私は私の左目から、何かの「芽」が出ているのを知った。


「これは……間違いなく植物の芽、ですね」


 医師の残酷な宣言はすんなりと行われ、彼は哀れみながら気味の悪い女の目を見つめられずにいるようだった。だから私はそれまで真っ直ぐに切り揃えていて、お人形のようだねと良く褒められた艶やかな黒い前髪を、斜めに、切り落とした。少しでも左目が隠れるように。彼の目から隠せるように。

 彼は私の左目から目を背けたまま、キスをせがむ。私の右目だけを見詰めて、壊れ物のように触れて、そして、いつもならここで愛の言葉を囁いていたけれど、それが少しずつ減っていることに、私が気付いていることに気付かないまま、私を求めた。いや、違うか。私を求めたんじゃない。求められたのは、私の体だけだ。

 医師の処方する特別強い鎮痛剤を常時服用していないと、体は植物の成長という名の侵食によって迫害される痛みで立っていても座っていても悶え、息をするのも困難なほどだった。奇病に罹られた方にだけ特別に出しているとても強い痛み止めなので決して正常の方には渡さないでくださいね、との念押しが患者の心を殺す可能性については考慮されないことが悔しくてならない。そしてそれは「正常であるが故に」私を何処か異物として認識している彼もまた同じだった。


 その日、目覚めた時、分かった。もうこの左目は隠しきれない、と。太陽の光を求めていた。水分を求めていた。彼じゃなかった。私が欲しているのは。

 ありのままのわたしでいられることだ。


 彼に伝えた。もう前髪で隠れないほど植物は成長してしまったことを。

 彼は私の左側から明らかに目を逸らして、笑顔で放つ。それでも好きだよ、なんて。


 なし崩し的な関係は惰性で続いていく。彼と会う度、彼と触れ合う度、彼と寝る度に、心なしか緑は盛んになっていく。葉が増え、背が伸び、私の体を蝕んでいく。それはまるで私の心の暗い部分を栄養にしているみたいだった。不信感だとか、不安だとか、満たされない息苦しさだとか、そんなようなものを糧に生きているかもしれないそれは、最早私の分身のように思えた。蕾が、膨らみ始めていた。


 彼を街で見かけた。良く私と待ち合わせた噴水の前で彼は迷子みたいにきょろきょろと視線を泳がせていた。誰かを待つように時折首を伸ばし、画面に視線を落としてはくすりと笑う。あれは、なに。私の知らない顔だった。声をかけようか迷っているうちに、彼は待ち合わせの相手を呼び寄せる。それは、女の子、だった。右腕に、水色の花が咲いた、女の子。

 こんなの私らしくないと分かっていた。分かってはいたけれど、でも、無理だった。私は自分の愚かさを呪いながら自分の行動力に感謝した。後を、追う。彼と、その隣の女を、追う。美しい水色の花。それを労るように、普段右側を歩くはずの彼が、右腕を差し出して彼女の腕を組ませる。見つめ合っては微笑み合う二人。今にも愛し合いそうなほどに、熱烈な瞳で。周りまで溶かしてしまいそうなほどに、情熱的な夢のように。見なければ、よかったのに。ばかね。わたし。そんな風に自身で罵ってみたって、ぱっかりと口を開けた傷口が塞がる訳でもなく。私は何も言えず二人に背を向けて、来た道を戻るしかなかった。


 家に逃げ帰り、時計を見て、暦を見て、気付いたのは、目の中に芽を見つけたあの日から今日で一ヶ月が経つ、ということだった。それはつまり先生の宣告の中にあった、たった一つの希望が潰えたことを意味した。

「これから一ヶ月の間に、芽が落ちなければ花が咲きます、咲いてしまえば回復の見込みはないでしょう」


 連絡を断ち、外界との関わりを断ち、もうあとは花に侵されて命が尽きるのを待つだけだった。早く咲いてくれないかな、と毎日願った。鎮痛剤は最早意味をなさなくなっていた。朝が来て、夜が来て、朝が来るのをただひたすら呆然と待っていた中で、込み上げるのは憎しみだけ。あの、美しい水色の花への憎しみだけが今の私を支えていた。あれより美しい花を。あんなものに負けないくらいに美しい花を。いつか枯れてしまうようなものに惑わされないような美しい花を!!

 絶望的なまでに食欲も水分も必要としなくなったこの体は恐らくもうほとんど抜け殻なのだろうと思った。この花が私に成り代わる。私が美しい花になる。そう思えば悪い気はしなかった。早く咲いて、私の命。美しく、枯れない花を。

 そして願いは叶う。咲いたのは、造花だった。

 ある朝開いていた蕾が現実なのかと目を疑い、喜んだのも束の間、瞬時に感傷を引き戻されたのは何故か。その花はあまりにもおぞましく、明らかに造られた花だったから。つるつる、ざらざらした花弁。水気のない花。それは生きながらにして死んでいる。ああ、ならば間違いない。間違いなくこれは、「私」が咲いたのだ。息をしているだけの体に留まっているだけ。私は、ほんものに、なれなかった。

 ただただ笑いが口の端から零れていく。ふふふ、という小さなものが次第に大きくなり、それは涙を流すほどの大笑いへと変貌する。私は他人事のようにそれを眺めている。枯れる為に水分を垂れ流す体を憐れみながら、私は静かに旅立った。



奏。さんは『造花病』という深刻な病にかかっています。片目から造花が咲き、花咲き系の奇病への憎しみに溺れる病です。この症状は1ヶ月続きます。悪化すると徐々に水分を拒絶するようになります。


『花咲き病』

奏は右腕に水色の花が咲いてしまいました。余命は27ヶ月。黄色い花が左肩に咲いた病人に触れれば、6週間長く生きれます。

https://shindanmaker.com/561272

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奇病が齎すは幸福か不幸か。 空唄 結。 @kara_uta_musubi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ