ひげおじさん

もんきち

ひげおじさん


今日返ってきたテストがとても悪かった。

おまけに帰るときに水たまりで転んで、着ていた服も汚しちゃったし、転んだからけがもした。

僕の服が汚れて、僕がけがしただけならよかったけど、僕の近くを歩いていた人にも水しぶきが跳ねてしまった。

今日が特にってわけじゃないけど、いつもいつも僕がいると他の人にも迷惑をかけてしまう。

僕なんていない方がいいのかもしれない。

僕は、通学路のまんなかぐらいにある橋の上で、水面に映る僕の姿を見ながらそんなことを考えていた。

すると、風が吹いて水面が揺れた。

揺れがおさまった水の中の僕の後ろに、おじいさんの顔が見えた。

「うわああああ!!!」

僕は思わず悲鳴をあげた。

「すまんの。驚かせてしまったみたいだねぇ。」

おじいさんは、僕が心臓が飛び跳ねるほど驚いているなんてお構いなしに、けたけた笑った。

「おじいさんは誰?」

僕は聞いた。

「ただの通りすがりのおじいさんだよ」

「ところで君は、『自分がいらない』とか、『消えてしまいたい』とか考えていないかい?」

僕は驚いた。だって、僕が思っていたことをそっくりそのまま言い当てられたんだから。

「なんで分かったの?」

「君と同じような顔をしていた知り合いがいたからだよ。そうだ、その知り合いの話をしてあげよう。」

そういって、おじいさんは僕に話をしてくれました。ひげおじさんと呼ばれた人の話を。


ひげおじさんは、何をするにも自信が持てない人でした。子どもの頃から『自分なんて、消えていなくなればいいのに』が口癖でした。

勉強は出来ない、友達もいない、運動も出来ない。

何にも優れたところがない、そんなひげおじさんでしたが、ひげおじさんのお母さんは、決して怒らないで、褒めることしかしませんでした。そんなお母さんの存在のおかげでひげおじさんは、どんな悪いことがあっても笑っていられました。

笑っていることができたので、少しだけでしたが、友達も出来ました。

自分を変えるために、野球チームにも入りました。レギュラーにはなれなかったけれど、高校に入るまで、ずっと野球は続けました。中学の時は、ずっと大きな声を出していたことや、真面目に練習をしてきたことを認められて、野球部の副キャプテンになりました。これからも頑張っていける、そう思っていた矢先、一人でひげおじさんを育て続けてくれたお母さんが、亡くなりました。雨の日のことでした。

道路に飛び出してしまった少年をかばい車にひかれてしまったのです。

ひげおじさんが連絡を受け、病院に向かう頃には、もう既に息を引き取っていました。

そして、ひげおじさんは、おじいさんの家に引き取られることになりました。

ひげおじさんは、生きる希望を失い、ずっと続けていた野球もやめました。学校も休みがちになりました。

もういっそのこと、死んでしまおう。

ひげおじさんは紐を用意し、首をつろうとしました。でも、その時思ったのです。

僕が死んだら、おじいちゃんに迷惑がかかってしまう、と。

せめて、最後だけは人に迷惑をかけないようにしないと死んでも死にきれない!と。

まだ死ぬという勇気が出なくて逃げてしまっただけかもしれません。でも、そんなことはどうでも良かったのです。それが自分の生きる道を切り開いてくれたのですから。

『人に迷惑をかけてはいけない』ということは、ひげおじさんの原動力になりました。

先生に迷惑がかかるから、学校に出席しよう。

自分を引き取ってくれたおばあちゃんに迷惑がかかるから、家の手伝いをしよう。

近所の人に迷惑がかかるから、道路のゴミを拾おう。などなど。

そうこうしているうちに、いつのまにか自殺するという考えは、ひげおじさんの頭の中から姿を消していました。

そして、自分の愛した人と結婚をしました。子どもも生まれました。かわいい女の子でした。

ひげおじさんは、子どもと奥さんのためにせっせと働き、自分がいつ死んでもいいように、いくつもの保険に入ったりしました。子どもの頃からの日課と化していた道路のゴミ拾いも、死ぬまで続けました。

ひげおじさんの亡くなった日には、涙を流さなかった人がいないくらいに全ての街の人に感謝され、愛される人物になっていました。



「…ひげおじさんの娘は結婚して、男の子を生んだそうだよ。確か、小学4年生になるのかな。」

「ぼくと同い年だ!」

「おんなじ学校かもしれないよ」

おじいさんは、笑って目を細めた。

「僕も、ひげおじさんみたいになれるかな。みんなに迷惑をかけずにいられて、感謝される人になるかな?」

僕は、おじいさんに問いかけた。

「ねえ、おじいさ…」

太陽が沈みかけて、夜になろうとしていた。橋から見る夕陽が、とてもとても綺麗だった。

僕に話をしてくれていたおじいさんは、いつのまにか姿を消していた。回りを見渡しても、どこにもいなかった。


「ただいまー…」

「おかえりなさい!遅かったわね。どこか寄り道してたの?」

「違うよ、おじいさんと話してたの。」

おかあさんの顔が険しくなった。

「知らない人とこんな時間まで話してたの?危ないじゃない!」

「おじいさんが、ひげおじさんの話をしてくれたの。」

お母さんの怒りが薄まった気がした。

「ひげおじさん?…もしかして、あそこの橋の上でそのおじさんと出会った?ひげの生えていないおじいさんじゃなかった?」

お母さんは、いまさっきの橋を指差して言った。

「どうしてわかるの?」

「だって、おじいちゃんがあの橋から見える夕焼けがとても綺麗だから、孫に見せてあげたいって言ってたんだもの。」

僕は訳がわからなかった。

「おじいちゃん?どういうこと?」

お母さんは笑っていった。

「あなたのおじいちゃんが、『ひげおじさん』って呼ばれてたのよ。ひげおじさんは、あなたが生まれる前に死んじゃったあなたのおじいちゃんなの。」

「でっでも、僕ちゃんと話してたよ?足あったよ?」

「待ってて、写真見せてあげる。」

と言うと、お母さんは、晩ご飯の用意を投げ出して、押し入れの奥からアルバムを引っ張り出してきた。

「ほら!これがおじいちゃんよ」

お母さんの指差したその人は、確かに今さっき話していたおじいさんだった。

「ほんとだ…」

「きっと孫のあなたに会いに来たのね。」

「そっか…」


「でも、なんで髭おじさんなの?髭生えてないのに。」

僕は気になっていたことを聞いた。

「あーそのこと!ひげおじさんのひげは、ひげじゃないのよ。ひげなの。いやー、まさかお父さんがあなたに会いにくるとはね~」

僕は意味がわかってなかったのに、お母さんは勝手に納得してしまったので、僕は後で辞書で調べることにした。

意味の知らない言葉だったけど、きっと、僕のおじいちゃんにぴったりな言葉なんだろうなと思った。

おじいちゃんの写真が何故か僕に謝ってきている気がした。

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