5.藤本彩里4
「さぁて......」
私は呟いて、今これからのことを考えるという行為を再開した。ハンドルを切って交差点を左折する。
どこで時間を潰そう。勢いよく家を出てきたけれど、時間を潰すあても何も無かった。パーキングに入るか、ファミレスに入るか。なんとなく、今この状況で食べ物にお金を使う気はなければ、お腹もまだすいてない。
......選択肢はひとつか。私は右折のランプを灯して対向車を確認した。
立体駐車場に車を入れてやっとひと息つく。
こんな時、喫煙者だったら。こういう状況に身を置くとふと思ってしまう。学生の頃には憧れがあった煙草。大学生の時に一箱だけ買って、味と煙が私には合わなくてそれ以来吸ってない。あぁ、由紀にもやめてって言われたんだっけ。また、ここでも由紀だ。我ながら笑ってしまう。私の生活の大半は由紀に白く優しく覆い包まれている。そういえば、あの時残っていたはずの煙草とライターはどうしたんだっけ。至極どうでもいい考え事に私は脳内の交通経路を変えていく。駐車場は車も少なく閑散としていた。考えることがないと過去をまた思い出してしまいそうで怖かった。それが嫌で、次は声に出して歌ってみる。懐かしい歌が自然と喉の奥から流れてきた。私の十八番。昔から歌うことは好きだった。歌はお金がなくても楽しめる。孤児院にいた私にとっては、唯一と言っていい心を安らかにできる方法だった。深く暗いバラードに乗る言葉は今の私の体の芯に残った。
人目を気にせず、大声で。一応車内だし、そもそもフロア自体に車も数台で、人は誰もいないようだった。車の外で風が唸った。
あの子が泣きじゃくって電話してくるなら......どれくらいかかるんだろう。まだまだ私は由紀のすべてを知っているわけじゃない。それでも、少なくとも二時か三時かそれくらいだろうか。寝ておくべきかな。夜勤にも慣れている私にはこの時間はまだまだ起きていられるけれど、ただ一人で待つのはやっぱり寂しさがわきあがる。寝ておこう。そうすれば、時間がその魔法で状況を変えている気がした。
三時二分前。助手席でスマホがゆっくりと震えた。着信だ。画面で点滅する由紀の文字。心のなかで三秒をきっかり数えて電話に出る。画面の向こうでは由紀が泣きじゃくっていた。左手が反射的にエンジンを掛ける。
「それで、どこ? 今どこにいるの?」
私の声が知らずに上ずるのはまだ由紀が好きだからなんだろう。嫌いになろうと努力しても、無理なものは無理なのかもしれない。必死に声を低く保ちながら場所を聞き出す。どうやら、何処にいるかよく分かっていないらしい。あぁ、それが方向音痴か。自問自答して笑ってしまう。
立体駐車場を走り降りた車は既に由紀の元へ向かっている。時間はおまけに私の頭の中に音楽を流したまま去っていってくれたらしい。
帰ろうか。
そう思えた。
私も、由紀も。
人を愛する、ということ。
愛してる、ということ。
ふと喉を震わせた言葉は、呟きにしては大きすぎた。親の遺伝とか境遇とか、そんなことで片付けるつもりはないけれど。それでも色々とそのせいで苦労してきたこともまた事実は事実で。そうして、親のせいにして親を恨んでしまえば、楽になれるかもしれないという深緑色の幻想が脳内を巡る。なんでもいいか。考えを吐き捨てる。なにも私が同性を好きになってしまったことまで親のせいにするつもりはない。私が私だからこそだ。だからこそ、どうしようもない矛先をうまく誰にも向けることができずに、自分で足に刺してしまう。痛みは皮膚を抜けて骨の髄まで響き渡る。私が謝ったらいいのかな。
あのね。別れてほしいの。
重要な話があると私が切り出して言い放った言葉。寝て覚めてもその言葉ははっきりと覚えているし、その言葉に嘘はない。
お互いに駄目になっていく気がしたから。理由は案外単純で、まとめればこれに尽きる。
付き合い始めてから、さらには同棲をはじめてから由紀はいつもだらけている。料理とか洗濯はしてくれるのだけど、片付けや掃除は基本できているところを見たことがない。私も片付けが得意な方ではないけれど由紀と過ごすうちに仕事の忙しさにかまけて、やらなくなっている。これじゃ駄目だ。私なりに色々と取り組んでみたつもりではいたけれど、どれも「私と由紀の堕落生活改善計画」は効果がなかったようだ。
寝起きのせいでどうしようもなく浮かびおこる欠伸を必死に押し戻していく。フロントガラスを撫でる雨と同じように、ワイパーが私の心の視界も前が見えるようにしてくれたらいいのに。
やけに目に付く少し低いあの位置にかすかに輝く星は何番星なんだろう。輝く星たちに包まれて、小さな星がふたつ寄り添うように弱々しくも光を放っていた。あんな暗い星に目が行くのは、私が弱いから、なのだろうか。
由紀と会ってどう言えばいいか、どう話せばいいかは分からない。
とりあえずは車を走らせる。
まだ、私にはうまい答えがまとまらない。
それでも、私はまだ明けない夜の中を走っていく。
ほろ酔いcendrillon 北見 柊吾 @dollar-cat
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