4.藤本彩里3
私は本当のことを告白するために筆を執っています。
私はあなたがどこまで知っているのかはわかりません。しかし、すべてをお話しようと思います。
どうやって話を切り出せばいいのかよく分からないので、とりあえずは出逢いから。私と健太さん、私達の出逢いは大学でした。私が大学に入学したての時、健太さんが私に一目惚れしたと誘ってくれたんです。それを聞いて、というのもあったのかな。私も一目惚れでした。結構、私の好みの顔だったので。少し懐かしいですね。あれから、長い年月が経ちましたから。二十年弱、早かったような遅かったような。
大学に通って、そのうちに健太さんと私は付き合うようになって、何度もデートを重ねるようになりました。その時にはまだ健太さんは優しい人だったんですよ。まぁ、いつも優しかったですけど。本当に、すごい人でした。優しくて誠実で。勉強もできて、スポーツ万能で。ネットで名前を検索したら出てくるかもしれませんね。いくつか賞なんかも貰って表彰されたりしてましたから。ドジなところもあったけどいい人なんですよ、語り尽くせないくらい。悪いところは裁縫ができないところと、飽きることが苦手なところ、ですかね。案外欠点ではないのかもしれません。別に惚気ではないですよ。
さて、こんなことを知りたいとはあなたも望んでいないと思います。付き合い始めて八年、私が二十七歳の時に私達は結婚したのです。この時も、健太さんからでしたね。というか、でないと結婚していなかったでしょう。私はこの結婚自体をずっと迷っていました。話自体は三年も前から進んでいたのですが。私がなかなか踏み切れなくて。最後まで悩んでいました。このまま結びの契りをかわしてもいいのかと。伝わらないですよね。遠い存在だったんですよね、健太さんて。私なんかとは違って、上の階級のような人だし......。一番大きな理由は、いい人過ぎる人の闇が深そうに見えたのです。健太さんはとてもいい人でした。私だけでなく、私の友達に対しても、大学でも会社でも。いい評判しか聞こえてこない。悪い噂といえば、いい人過ぎて怖いというものしかないのです。結婚するまでは、と決めていた私の貞操をもちゃんとまもってくれました。私の就職も、快く受け入れてくれたのです。私は決して、見ないように見ないようにと決心しました。親同士の挨拶も何もかも済ませ、友人達を集め、結婚式を開き。そして、夫婦となりました。
私はこの長い長い、まだ終わりが遠い手紙の冒頭で、すべてをお話しようと思っています、と書きました。ここから先は真にすべてをあなたにお伝えします。覚悟をして読んでください。
私達は夫婦になり、アパートを新しく借りて同棲をはじめました。それから、私の苦しみ耐える生活が始まりました。あれからのことは本当に地獄のようと思っています。付き合いの長い女友達が口を揃えて言った「絶対、相当酷い裏があるよ」という台詞を私はもっと重く受け止めるべきでした。私はそれまでやっていた事務員の仕事を退職させられ、暗いアパートの中で監禁されました。大切にしてきた貞操も火のついた蝋燭でグチャグチャに壊されました。あの優しい健太さんの俤はどこにもありません。手足を縛られたまま、連絡手段は総て遮断。ご飯だけを食べさせられ、それ以外は暴力と性暴力の日々。いまだに思い出すだけでも吐き気に襲われています。私は壊れる寸前だったと思います。けれど。その生活のなかで私はあなたをお腹に宿したことを確信したのです。当時の私はどれだけあの生活を続けていたかは分かりませんでした。その後確認したところによると、八ヶ月くらいでした。しかし、子どもをお腹に宿した私はこの子だけは産む、産んで幸せに生かせてやると決心したのです。今思うとその子からするとそれは迷惑なことかもしれません。あの人の子どもでもあります。でも、そんなことはどうでもよかった。私は私の希望を見出したのです。私は必死に逃げ出しました。手足を縛られたまま立ち上がるようにはなれていたので、なんとかそこから包丁で縄を切り、ひたすら逃げたのです。どこかは覚えていました。ふたりで選んだアパートですから。かといって、所持金もなく、ふらふらな身体を引きずってなんとか友達の家に匿ってもらって。すぐにあの人の捜索は始まりました。手は早かったです。顔も広いし、なにしろ外ではいい人なのですから。とても苦労しました。私の受けた被害も信用されなかったり、嘘つきと罵倒されたり。それでも私は子どもを産みました。結局は病院をまわされ帝王切開で。最初は小さくて保育器に入って。二千グラムを少し超えていたくらい。
そして、私はまた逃げ出しました。もう、追いかけられることに疲れたのです。名を変え住所を変え。戸籍も変えて。その後の迷惑なんかは考えられませんでした。多少は分かっていただけるのかな、この気苦労が。健太さんは実はそういう人でした。見た目や性格には騙されないということだけは身に沁みて覚えました。
あの時、あの雨の日はあなたに嘘をついてごめんなさい。健太さんという存在に気を持たせてしまって。あの時の嘘は、ずっと心のなかで引っかかっていました。私にはまだ覚悟がなかったのです。あなたに打ち明けるという覚悟が。あれから年月が経ち、あなたが高校生になったということで私からは覚悟を決め腹を括りました。
そしてもう二度と、探さないでください。私はこれ以上傷つくことができません。あなたにはとても申し訳ないのだけど。私には新たな家庭もできました。あなたは私の中では過去の遺物で、関わることで私は抉られたくもないのです。ライオンのメスもオスが死んで新しいオスと結ばれる時には前のオスとの子供を隠すのだとか。私に親になる資格も人を愛する資格もない。ないですね、自分でこの手紙を書いていて笑ってしまいます。でも、また人を愛し人の親になりました。形ばかりの反省を並べたところで、あなたが納得しないことくらい分かっています。行動に示せてないのですから。それでも。この手紙が私の贖罪です。私は耐えました。偲びました。もう良くないですか、楽になっても。好きな生活を、楽しい人生を歩いても。あなたに同意を得たいわけではありません。もう一度言います。それでも、私は疲れたのです。
真の親に期待を寄せていたとすればごめんなさい。そして、さようなら。
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