「でも……やっぱり、ケガしてるの見て、心配してほしかったんだ。だから学校だけは行ってた」

 嫌だけれど、暴力を受ける事で愛情が得られるのなら。そんな哀しい願いを胸に秘めて過ごす毎日は、どれ程心が擦り切れただろう。

 

 「けどさ……今日言われた。病院にはもっと大変な傷病者がいるんだ、って。そんな傷何ともない、仕事で忙しいんだから迷惑掛けるなって」

 結局、心配などしてくれない。愛してはもらえない。聖吾は哀しく笑った。

 死んだら泣いてはくれるだろうか。その呟きを風に乗せて歩き去った彼を、追う事は出来なかった。掛ける言葉も見付からなかった。少年にも、少女にも、その小さな肩に重苦を背負わされていた。

 微かな想いを頼りに、歩き出した望実は、太陽と同じ名を掲げるそこを訪ねる。

 扉を開くと、奥の厨房に立って作業していた彼女が、日溜まりのような笑顔で迎えてくれる。


 「久し振りだねー、望実ちゃん!」

 傍へ回ってきた彼女に促され、一緒に腰を下ろす。椅子を引いてくれた時に気付いたが、水仕事をしていた所為か袖が捲られあらわになった腕には、また幾つかの裂傷や絆創膏が残っていた。

 彼女はそれをごく自然な所作で袖を戻して隠す。


 「……ねぇナイーブさん、前に神様を信じてないって言ってたよね。あれ、私も同じだよ」

 神様は救いを与えてはくれない。どんなに請い願おうが、痛苦の矢を降らせる。

 望実は全てを吐露した。優との事。聖吾の懊悩おうのう。やまない、いじめ。あの日のように、彼女へ思いの丈をぶつけた。

 「自分達だけが苦しいんじゃないって分かってる。でも、こんなの嫌だよ! 私だって他の子みたいにクラスで楽しく過ごしたい! もう、どうしていいか分からないよ……」

 もう、疲れてしまった。

 最後に零れ落ちた言葉は、彼女のしじまを打ち破った。そしてその優しさが、そっと紡がれていく。


 「……望実ちゃん。ずっと、ずっと、よく頑張ったね。心がたくさん疲れたよね。今、私に話してくれた事、思い切ってお母さんにも話してみて」

 「……でも、お母さんは……」

 「助けてくれるよ。望実ちゃんのお母さんだもの。学校は社会性を学ぶ大切な場所だけど、それで望実ちゃんや、その紫原君がいなくなったりしたら、意味は無いんだよ。嫌だと声を上げて。それを逃げだと言う人もいるかもしれない。だけど、そんな理不尽に立ち向かう事を強さとか正しさとは言わない」

 力強い瞳だった。深淵に沈んだ傷だらけの心を引き上げるような。


 「いじめを受ける事が社会性を学ぶ事とイコールじゃない。大人だって、会社で不当な扱いをされたりしたら訴えたり、反論する。何より、命を落とす事より大切な事なんて無いんだよ」

 彼女の言葉は、重く、確かに、望実の心中に残った。それは確固たる指標。

 『何があろうと、望実ちゃんの味方だから』

 そう言ってくれた彼女に頷き、望実はその日、帰宅した母に全てを話した。閉じ込め、押し殺していた言えなかった苦悩。途中、溢れる涙をそのままに。もう、偽りも我慢もしなかった。

 全てを聞き終えた母はそんな娘を強く、強く抱き締めた。同様に涙で顔を濡らして。


 「ごめん、ごめんね! そんな事されてたのに、私が言えなくさせてたんだね……」

 初めて見た母の涙。胸が一層苦しくなる。

 「ちゃんと学校に行きなさいって言ったのは、お父さんが死んじゃって、私がお父さんの分も望実をしっかり育てなきゃと思って、躾のつもりだったの。最初は単に行きたくないんだと思ってたから。でも、そうじゃなかったんだね、酷い事されて望実なりに頑張って、迷ってた時に、私があんな事言ったから……」

 声を詰まらせる母に、望実は懸命に首を左右に振る。理解してくれて嬉しかった。母は母で、父の分の責務までも背負っていたのだ。そこに怨嗟えんさなど無かった。


 母はその夜、仕事を休み、ずっと傍にいた。娘まで亡くしてしまうところだったと、泣きながら漏らした母の呟きを、望実は一生忘れないと思った。

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ナイーブさんと秘密のキセキ 新島和 @redemption

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