婚約破棄圧倒的回避術 後編

「皆の者、よく聞いてほしい! 彼女、メアリ・ディーヴァ侯爵令嬢は、今代における我が国の『聖なる舞姫』である!」


 全員が大きく目を見開き驚きを露にした。そして、なぜ国王が第一王子を叱責したか理解した。


 『聖なる舞姫』。それは王国の守護神に与えられる称号。


 彼女の神へ捧げる清らかなる舞いは、王国を魔物の脅威から守る結界を創造する力となる。大陸東部を統べるアルテシア王国が大国にのし上がることができたのは『聖なる舞姫』によって齎される絶対的な安全が後押ししていることは言うまでもない。



 圧倒的な魔力、穢れのない清廉な御心、類まれなる舞いの才。その全てが揃って初めて『聖なる舞姫』の選定資格を得ることができる。



 リリスは王立学園でメアリと出会ったことがなかった。それもそのはずで、メアリは学園に在籍こそしているが、学園には通っていなかったからである。

 先代の舞姫の結界の維持期限はあと数年。そんな中、舞姫の選定資格を有していたのはメアリだけだった。一日も早く『聖なる舞姫』の誕生が待ち望まれていたのである。


 メアリは学園に通っている場合ではなかった。幼い頃から舞いの訓練に明け暮れ、他に構っている暇などありはしない。

 王子とだって大して面識はないし、家族とだってなかなか会う時間はない。ましてや、嫉妬に狂いリリスにいじめを行う暇も余裕もあるはずがなかった。


 何より『聖なる舞姫』には生来からの『穢れのない清廉な御心』が必要なのだ。嫉妬の心に流されるような心の弱い人間が舞姫の座につくことなどできはしないのである。


 そして神に愛され世界に恩恵を振りまく『聖なる舞姫』を害することは、神への背信行為ともとれる所業だ。メアリを捕らえ貶めようとしたリリス達が国王の逆鱗に触れるのも無理はない。



 誰も、神の断罪など受けたくはないのだから――。


 ジェームズを含めた五人の子息達は青ざめた。特に信心深いバンの蒼白具合といったら失神寸前である。つまり彼らは国王の言葉通り、王国を危険に晒したのだから。


「う、嘘よ! 聖なる舞姫なんて知らない! そんな設定この世界にはなかったはずよ!」


「設定? お前は何を言っておるのだ? 『聖なる舞姫』はアルテシア建国以来ずっと存在する重職中の重職。知らぬ方がおかしいというものだ。それとジェームズ、お前、婚約破棄がどうのとか言っておったが、お前とメアリ嬢の間に婚約をしたなどという事実はない。なのに、なぜこのような茶番を起こした! 返答によっては廃嫡も心せよ!」


「……は? 私とメアリが婚約……していない?」


 ジェームズは国王とメアリを何度も見返した。国王は厳しい目つきで、メアリは不思議そうな顔をしてジェームズに首肯する。


「そなた、なぜメアリ嬢と婚約しているなどと勘違いしたのだ? 誰に言われた?」

「え? いや、だって、リリスが……」


「だって、ジェームズの婚約者、悪役令嬢の名前はメアリ・ディーヴァで間違いないもの! 婚約していないだなんてどうしてそんな嘘をつくのよ!」


「ジェームズ、儂らから婚約の話など一度たりともしていないのに、その王家とは無関係な娘の言葉を信じ込み、メアリ嬢と婚約しているなどと思い込んでいたのか?」


 国王は失望の視線を向けながら嘆息する。いつの間にここまで愚かになったのか――と。


「第一王子は廃嫡。希望通りその娘との婚約だけは認めてやろう。ただし、お前がガロード子爵家に婿入りするように。ガロード子爵、娘の不手際はそなたが責任を取れ」


 子爵は青ざめた表情で「畏まりました」と深々と頭を下げた。

 今頃子爵はこう思っているだろう。娘に一体何が起きたのだ――と。


「ち、父上!? 廃嫡など、どういうことですか! おやめください!」

「な、ななな、何よそれ! 私は王妃になるのよ! ジェームズが婿入りとかおかしいでしょ!」


 喚き散らすリリスとジェームズ。他四人は既に意気消沈し押し黙っている。

 国王は煩わしいと言わんばかりに手を振って兵士に促す。もう、嘆息が止まらない……。









「お待ちください!」

「メアリ嬢?」


 会場から締め出されようとしている六人を追うようにメアリが駆け寄った。


「リリスさん……」

「な、何よ! お前のせいで! お前のせいでえええええええ!」


 みっともなくメアリを罵倒するリリスに、かつての友人達は嫌悪よりも悲しみが増さった。かつて仲良くなったあの子は一体どこへ行ってしまったのか。一体なぜ?


「リリスさん、あなたは本当にリリスさんですか?」

「……は?」


 『聖なる舞姫』の言葉に観衆がざわつく。彼女は言外にこう告げているのだ。




『お前はリリスではない』




 その言葉はリリスの元友人達の心にストンとはまった。あれは……まさしくリリスではない。


「あなたの背後から黒い靄のようなものが見えます。それは怨念であり妄執だと、神は仰った」

「お、怨念……妄執? 何を言って――」

「だからリリスさん、私と踊ってくださいませ」


 メアリは手を差し出し兵士に目配せをする。心得たとばかりにリリスを解放し、自由になった彼女の手をメアリは優しく取った。


「わ、私は踊らな、きゃっ!」

「さあ、一緒に踊りましょう。神の舞いを……」


 メアリは楽師に向けて二コリを微笑む。すると楽師達は微笑み返し、優しい音色を響かせた。


「いやよ、私は踊りなんて!」

「大丈夫、私がリード致します」

「そういう問題じゃない、ととととっ!」


 メアリはリリスの手を引き彼女をダンスの渦中に誘い込む。リリスはそれに抵抗しようともがくが、類まれなる舞いの才を持つメアリの誘導に逆らうことなどできず、次第にその身のこなしは踊りの体を成していった。


「上手よ、リリスさん」

「わ、私は踊りたくなんて――」

「ふふふ、次はもう少しだけ速いわよ」

「なっ! ちょっと待っ――」


 全力で動かなければ振り回されて転んでしまう。リリスは必死にメアリのステップについて行く。本当はさっさと転んでダンスをやめてしまえばいいはずなのに、なぜかそうできなかった。

 もう三曲分くらいは踊っただろうか。いつの間にかリリスはメアリと美しい舞いを披露していた。彼女のリードに合わせて手を伸ばし、ターンで魅せ、寄り添い合う二人の乙女。


 メアリの相手が舞踏会を台無しにしたリリスだと分かっていても、全員がその美しい舞いに魅了されていた。


「あなたの名前を教えてください。リリスさん……ではないのでしょう?」

「私は――」

「私、あなたとお友達になりたいわ」

「わ、私と?」


「ええ、だって、こんなに素敵なダンスができるんですもの。あなたと仲良くなってもっと一緒に踊りたいわ」

「私と、ダンス……」

「ねえ、あなたの名前、教えてくださらない?」


 華やかなダンスを踊りながら、メアリは尋ねる。戸惑うリリスの前世の少女。


 前世において、彼女はずっと一人だった。大した能力もないくせに高飛車で、傲慢だった。都合の悪いことは全て他人のせいにしていた。

 美人でもない、頭もよくない、心根だってよくなかった。だから、ずっと一人だった……。

 誰かに認めてほしかった。自分が乙女ゲームの世界のヒロインに生まれ変わったのだと思った時、チャンスだと思った。


 彼らなら、攻略対象の彼らなら自分を認めてくれる。私を、好きになってくれる。


 だが、よく考えてみれば、彼らが好きになったのは前世の記憶を取り戻す前に自分。つまり、今この体の主導権を握っている自分ではないのだ。

 それは、本当に『私』を認めてもらえたことになるのだろうか……? 答えは決まっていた。


 ふと、メアリと視線が交差した。彼女がメアリ・ディーヴァ。ゲームの世界の悪役令嬢……。


(……違う。この子、『悪役令嬢』メアリ・ディーヴァじゃ……ない。ここは、乙女ゲームの世界では、ない……の?)


 リリスと向かい合って踊る少女は、名前こそゲームと同じだが、その容姿は全くの別物だった。ゲームのメアリ・ディーヴァは長い紫苑の髪と漆黒の瞳の少女。目元だってつり目で、今のようなたれ目の癒し系美人ではない。


 ハッと気が付きジェームズに目をやる。呆けたようにこちらを見つめるジェームズは金の髪と翡翠の瞳の青年……。


(ち、違う……ゲームのジェームズは金の髪と……紺碧の瞳の、青年……ここは、違うんだ)


 リリスはようやく気が付いた。ここがゲームの世界ではなく、現実の世界なのだと。

 彼女が前世で楽しんだ乙女ゲームの世界にいくらか酷似してはいるが、ここは紛れもない現実世界。NPCもいなければリセットだってできない。まして『悪役令嬢』などという役目を負った人間など初めから存在していないのだ。


「……私の名前、知りたいの?」

「ええ、わたくし、あなたの本当の名前を呼びたいわ」


「……か」

「――え?」


「私の名前……井ノ島ミチカよ」

「ミチカ、さん……わたくしの友達になってくださいませんか?」


「……私なの? リリスじゃなくて?」

「わたくし、リリスさんとはまだお会いしたことがないんです。わたくしはあなたと友達になりたいのですわ。いかが?」


「リリスじゃなくて……私と、友達……」

「もっと一緒に踊りましょう、ミチカさん。わたくしのことはどうぞミアとお呼びくださいな。親しい方からはそのように呼ばれていますの」


「……うんっ! 分かった……ミア!」


 メアリは、そして元友人達は瞠目した。そこにあったのは、紛れもなくかつて彼女が『リリス』であった頃に見せてくれた、喜びに満ち溢れた愛らしい彼女の笑顔だったから。


 瞬間、会場の床から眩い光が放たれた。今までメアリとリリスが踏んでいたステップの跡が眩しくも神秘的な光を放つ。

 メアリもまさかの事態の驚き、思わずステップを止めた。


「これは一体……ミ、ミチカさん!?」


 光のただ中にいたメアリとミチカ。光る足跡に目を取られ、ミチカに視線を戻すと、彼女の体から同じく光が発せられていた。


「ああ、何もかも洗い流されていく……ありがとう、ミア。私……」

「ま、まさか、このまま消えてしまうというのですか!? そんな、せっかくお友達になれたのに!」


 メアリには分かった。リリスの中でミチカの気配が薄れていく。ミチカが、消える……。


「ごめんね、ミア。私、あなたを陥れようとしたの。ジェームズ達にも謝りたいけど、もう無理みたい。悪いけど、代わりに伝えてくれない? ごめんなさいって」

「ミチカさん!」


「昔の『私』と友達になってくれてありがとう、ミア。よかったら今の『私』ともお友達になってくれると嬉しいな」


 その言葉を最後にミチカの気配は消え、リリスはその場に倒れ込んでしまった。会場を埋め尽くしていた光も消え去り、再び静寂が広がる。


「「「「リリス!」」」」


 それを破ったのはかつてのリリスの友人達だ。二人のそばに駆け寄り、何度もリリスの名を呼ぶ。


「……んん……あれ? ここは……?」

「リリス、大丈夫!?」


「え? まあ、ナタリーさん、一体どうしたんですか? それにここは……王城の舞踏会? 私、どうしてこんなところに……。確か、庭園で殿下とお話していたような……」


 リリスは前世の記憶が蘇っていた間の記憶を失っていた。なぜ舞踏会の場にいるのかも、なぜ友人達が『リリスが帰ってきた!』と泣いて喜んでいるのかも分からない。


「ありがとうございます、メアリ様! リリスを助けてくれて! 悪霊を追い払ってくれて!」

「……い、いえ」


 ミチカが消え、リリスは本来のリリスに戻った。これは喜ばしいことなのだろうが、メアリとしては寂しくも感じられた。

 彼女に貶められそうになったことは間違いではない。運よく助かっただけで、一歩間違えばどうなっていたか分からない。


 だが、結果的には助かったし、彼女は謝ってくれた。何より、彼女とのダンスは思いの外楽しかったのだ。もっと彼女と踊りたかった……メアリの心はそれでいっぱいだった。


(でも、仕方のないことなのね。あの輝き……きっとミチカさんの心が満たされた証拠なのだわ。今はリリスさんが元に戻ったことを喜ぶべきところよね)


「立てますかしら、リリスさん」


 メアリは笑みを浮かべてリリスに手を差し伸べた。友人達はリリスに抱き着くばかりで彼女は一向に立ち上がれなかったのだ。

 その手に気づいたリリスは、少々遠慮がちに右手を伸ばす。


「あ、ありがとうございます……ミアさん」


 メアリは瞠目した。リリスは呼んだ……ミアと。


(昔の私……今の私……友達になって……ああ、そういうことでしたのね、ミチカさん! あなたは、どこにも消えていない。あなたとリリスさんは……何も、違わないのね)


「リリス、この方はミア様なんて名前じゃなくて――」

「え? でも……」


 リリスも今そう言われて不思議に思った。目の前の少女とは初対面のはず。


(なのに、どうして彼女の名前をミアだなんて思ったのかしら……?)


 疑問に思い一瞬手を止めたが、メアリがその手を強引に引っ張り上げた。


「きゃっ!」


 思わず悲鳴をあげたリリスだったが、眼前に映る麗しい相貌に顔を赤らめ俯いてしまう。


「リリスさん、よかったら一曲、踊ってくださらない?」

「――え?」


 俯いていた顔がサッと上がる。慈愛に満ちた瞳が彼女を捉えて離さない。一瞬、息を呑んだ。


(きゅ、急に踊るだなんて……でも、なぜ? なぜだかとっても……)


「あ、あの……私で、よろしければ……」


 リリスは彼女と踊ってみたくてしょうがなかった。メアリに手を引かれ、会場に再び楽し気な旋律が鳴る。まるで一緒に踊った経験があるかのように息の合う二人に、周囲はまたしても魅了された。


「ねえ、リリスさん、わたくし達、お友達になりませんか?」

「えっ!? あの、私でよかったら、お願いしても……いいですか?」

「嬉しいわ! それじゃあ、心ゆくまで二人で踊りましょう」

「――っ! はい!」







 その後、『聖なる舞姫』メアリ・ディーヴァ侯爵令嬢の全面的な擁護により、リリス・ガロード子爵令嬢は、起こした事件の大きさにもかかわらず、子爵領にてしばしの謹慎という大変軽い罰を与えられるに留まった。


 それに伴い第一王子ジェームズの廃嫡も撤回され、王族から外されることはなかったが、怨霊とはいえ一介の女性に唆され王家の恥じをさらした事実は変わらないため王立学園を一時休学とし、王城にて謹慎、再教育を言い渡された。そして、外国に留学していた第二王子に暫定的に継承権第一位の座が以降した。今後、自分の方が未来の国王に相応しいと証明できない限り、第二王子が立太子することとなるだろう。


 公爵家長子クロムは継承権を一時剥奪。ジェームズ同様、誰よりも次期当主に相応しいと認めさせない限りその資格を得ることはできなくなった。実は次男との間の実力差が拮抗しているだけに認めさせるのはなかなか難しそうである。


 近衛騎士隊長次男マークスは学園卒業後の近衛騎士隊入隊資格を最低五年剥奪。卒業後の進路は王国軍一兵卒から始めることとなった。ついでに、卒業するまで学園での成績が常に十位以内でない限り、王国軍への入隊すら認めないと父親である近衛騎士隊長が公言したらしい。


 メアリの実弟にしてディーヴァ侯爵家の跡取り息子だったチャールズは、継承権こそ失わなかったものの、これから父である宰相による徹底した再教育が施されることとなる。

 彼の学園生活は灰色となるのは間違いないだろう。だが、それも仕方がない。なぜなら彼はメアリが『聖なる舞姫』であることを父親から聞かされていたのだから。


 リリスに傾倒するあまり、父親からの重大発言を聞き逃していたという凡ミス。そんな人間をこのまま栄えあるディーヴァ侯爵家の次期当主に据えることなどできはしない。

 宰相が意気込むのも無理のない話であった。ちなみに、息子の不祥事ごときで宰相の地位が揺らぐことはなかった。……チャールズの再教育が楽しみである。


 四人の中で最もつらい罰則を受けたのはおそらく教皇の子息バンであろう。神に仕える者が神に愛されし『聖なる舞姫』を貶めようとしたのである。

 教皇の怒りは留まることを知らず、危うく磔にされるところであった。枢機卿や国王、メアリのとりなしによってどうにか回避できたが、卒業後の司教となる道は完全に閉ざされた。

 エリートコースを脱線どころか逆走である。彼は卒業後、神父の最下位『助祭』から始める。

 そして教皇は教会全体に言い渡した。


「私の子だからと贔屓目で見ぬように。もしそのようなことがあれば、その者を厳しく罰する」


 もはやバンは一般の、平民の神父達と同じ条件で教皇を目指さなければならなくなった。現実的に考えれば、最早教皇への道は閉ざされたと言っても過言ではない。





 さて、六人の中で最も軽い罰で済んだリリスだが、事情を知った彼女がそれで自身を許せるかと言うとそんなわけもなく、謹慎終了後、彼女は王立学園を自主退学した。

 ジェームズ達はあの事件後もリリスへの好意を捨てきれず、復縁した友人達も必死に止めたのだがリリスはそれを押し切って学園を退学。その後、領地の教会にて修道女となった。

 己の過ちを悔い改め、王国の平和と安寧を祈り続ける毎日をリリスは過ごす……。







 この世界はかつてリリスの前世『ミチカ』がプレイしていた乙女ゲームの世界によく似た全くの異世界。だが、似ている部分も多々あるのは事実。


 例えば、ヒロインには圧倒的な魔力の資質があるところとか……。


 『聖なる舞姫』に選ばれるために必要なのは、圧倒的な魔力、穢れのない清廉な御心、そして類まれなる舞いの才。


 メアリと息の合ったダンスを踊ることのできるリリスに、舞いの才がないわけがなかった。







 アルテシア王国始まって以来、史上初の同時期における二人目の『聖なる舞姫』が誕生するのは……もう少し後のお話。














「踊りましょう、神への舞いを」

「ええ、あなたと一緒に……」

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