甘い1LDK

北見 柊吾

甘い1LDK

 片手に持っていたオレンジジュースは甘ったるい香りを漂わせていた。


 ちょっと気持ち悪いほどの香りのなかで扉が開く音がした。いや、正確には、していたんだと思う。空耳のように聞き取れた感じだったけど、私の部屋に明らかに違う香りが混じってきた。

「友美ぃ〜? いる〜?」

 お風呂上がりの私はパスタを茹でながら、壁に掛かったカレンダーを確認してもうそんな時期かと我に返る。

「あ、友美いたいた、なに、パスタ? それ」

 いつものように大きな黒いバッグをかついできた隆が鍋をのぞきこむ。

「うん。今日来るって知らなかったから一人分だけど」

「えーっまじで? お菓子でもいいから食べられるものなんかないの?」

 幾つもの家庭教師のバイトを抱え込んでいる隆は大抵夕飯が家庭教師の家で貰うお菓子やケーキになる。それでも自分で自炊なんてする時間はないから一日一食、学食だけで耐えられなくなると私のところに泊まりに来る。

 隆は私の幼稚園からの幼馴染みだ。顔もいいし中学からずっと野球をやっている。高校生の時はプロ野球のスカウトの話すら何回もあったくらいだ。そのうえ勉強もちゃんとできる。高校の時の模試だと国立でも上の方の医学部のA判定を毎回バンバンと出していた。なんで彼女つくらないのって訊いてもいつも俺はひとりの女に囚われたくないとかうそぶいてなははと笑う。

 自分のパスタを皿によそうとホントは自分への御褒美として買ってあったショートケーキを隆の前に置く。

「お、シマリスの苺ショートじゃん。いいの? 食べて」

「どうせまた腹ぺこなんでしょ」

「なはは。さすがは友美、全部お見通しじゃん」

 そう言うと隆は手を合わせてケーキにフォークを入れる。

「それ甘過ぎない? 大丈夫?」

「うーん、頭使ってきた後だからこれくらいの方が良いかも」

「ならいいけど」

 隆は口に入れた分をまた飲み込んでうん美味いと呟いた。

「でもこれホント好きだよなぁお前。むっかしから甘いの好きだけど糖尿ならねぇの?」

 塩茹でのパスタを巻き付けながらなにそれと私はこたえる。

 隆はごく当たり前のように私の部屋に泊まるけれど、別に私達は付き合っているとかそういう関係にある訳でもなく、至って普通の幼馴染みだ。肉体関係を持ったこともない。にわかには信じ難いのかもしれないけれど、実際そうだった。

 食器を片付けてソファに深く座り込むと、既にノートパソコンを開いて自分の作業を始めていた隆が笑う。

「なに?」

「いや、お前また言ってたぞ。はぁああって」

「まじ? また言ってた? あ、でもそんな事よりさ、ちょっと聞いて聞いて。前に話した美紗って覚えてる?」

 私はこいつが好きだ。人としてもだし、恋愛感情もある。だからだろうか。いつもこいつが泊まりに来る時は余計な事までべらべら喋りすぎてしまう。ふと気付いたら、どうでもいい大学の後輩が両想いなのにどちらからも言い出せない、なんていうくだらない話をしていた。

 時計を見れば、もう二時を過ぎている。隆のレポートもいつの間にか別のものになっていた。話し疲れた私はクッションを抱えたままクリーム色の天井に目を向ける。

 隆はどう思っているんだろう。私に対しては言い出せてないだけなのだろうか。それはさすがに自信過剰が過ぎると思うけど、頭の中の別の誰かがそれを聞いてみろと言う。私の頭の中はいつの間にかそいつに全員が流されて、ふと聞いてみようと思っていた。

「あのさぁ?」

「うん、今度はどうした?」

「うぅん、たくさん話したから疲れちゃった、もう寝るね」

「ん」

 恥ずかしさもまじって急いで隆に背を向ける。

「......いつかさ」

「うん?」

「いつか、ちゃんと聞かせてくれよ」

 隆は何処まで見抜いていたんだろう。私はそんなことを考えられる余裕はなかった。ただ背を向けて頷くだけだった。

 急いで髪を束ねて寝室に駆け込む。やっぱり臆病な私には無理だ。もう一回、いつも通り忘れよう。

 布団の中にもぐり込んで強く目を瞑る。

 もう寝る。もう寝る。隆は幼馴染み。ずっと......

 隆は私の第一志望を誰よりも応援してくれたし、誰よりも手伝ってくれた。昔からそうだ。家が近かったこともあって両親が仲良かったからというのもあるけれど、私の事を一番理解してくれていたのはいつでも隆だった。私が小学校でいじめられた時は守ってくれたし、私が悪かった時はちゃんと私を叱ってくれた。わからないところは全部隆が教えてくれたし、お陰で第一志望にも合格できた。大学も隆はわざわざ私と同じ大学に来てくれた。これに関しては、ただ私を便利に使うためだけかもしれないが。

 そんな事を考えていたからか、うまく寝付けずに眼を開ける。隆を起こさないように音を立てずにベッドをから出る。

 ドアを開けると暗い中で隆がノートパソコンのキーボードを叩いていた。どうやらまだ寝ずにレポートを作っていたらしい。こんな時でもちゃんと部屋の電気を消しているあたり、隆らしくわたしに気を遣って電気代を節電してるつもりなんだろう。私に気付いた隆が首だけ振り返っておっ友美と声を上げる。

「ごめん、起きた?」

「うぅん、水飲みに来ただけ」

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しひと口飲む。ついでに甘ったるいオレンジジュースをコップに注ぐ。

「はい、お疲れ」

「おぉありがとう。飲んでいいの?」

「うん。ほら、頑張れよっ」

 最近は少し伸びてきた隆の短い頭を叩く。隆は何も変わらずになははと笑って、おうと答える。

 寝室のドアを開けた時少しだけ振り返る。それが分かっていたかのように隆は後ろ向きに片手を軽く上げる。私は今度こそちゃんと眠りの態勢に入る。

 そうだった。これでいいんだ。いつもと何も変わらない。今までだって、多分これからも。私はずっと隆が好きだし、これからも私達は友達でもなく恋人になることもなくただの幼馴染であり続ける。

 明日起きたら隆は机に突っ伏して寝ているだろう。また律儀にノートパソコンを畳んで。私はそれに毛布をかけて二人分の朝食を作るんだろう。

 そうだ。今度理沙達にまた隆のことを聞かれたら、はっきり答えてやろう。私はひとりの男に囚われないから。そう言ってなははって笑ってみるんだ。

 私は布団の中で目を瞑った。さっきから微かにきこえるキーボードを叩く音も眠気を誘うような軽いトーンのリズムに変わっていた。この後はちゃんと寝付けそうだ。コップの中でオレンジジュースはカランと揺れた。

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