第23話 再会


 光源らしきものが見当たらないにも関わらず、通路はぼんやりとした明かりに満たされていた。その中に気配を殺し、周囲を警戒しながら進む二つの影がある。地上への帰還を目指すシロガネとシエラであったが、はやる気持ちとは裏腹にその歩みは遅かった。


 迷宮に潜む怪物共の気配は感じられないとはいえ、警戒を緩めるわけにもいかない。しかも二人揃って魔法には疎く、エイドキッド等が詰めてあったバックパックも最初の逃走劇の際に失ってしまっており、前進するにはまさに細心の注意が必要という状況なのだ。


「おかしいわね・・・」


 緊張続きの道行きにさすがに疲労の色を隠せないシエラが、そうつぶやいた。シロガネも先刻から感じる違和感があり、彼女の言葉を肯定した。


「ええ。さっきから薄気味悪い、まるで見たことのない場所ばかりでやす。どうにもこいつ、帰り道にたどり着けねぇようで・・・」


 逃走中はさておき、避難した安全地帯からここまではきっちりと通路の壁にマーキングをしながら進んできたシロガネである。記憶を辿り、逃げてきた道を戻ろうと試みてはいるのだが、それがどうしてもうまくいかなかった。まるで迷宮が生き物のように形を変え、ふたりを奥へ奥へと誘い込んでいるかのようだ。濃密で昏い迷宮の空気が肌に染み込み、ふたりから生気を奪ってゆく気までしてくる。


 シエラの頬から冷たい汗が滴り落ちた。汗の雫が床に落ち――そこに波紋が広がってゆく。硬質な筈の石組の床が生き物の皮膚のようにざわめき、彼女の両脚が膝まで床にめり込んだ。悲鳴に反応したシロガネは素早く短刀を鞘から引き抜いたが、こちらもシエラと同じく足を絡めとられ身動きもままならない。


「お嬢!」


 ふたりの足に絡みついているのは無数の腕であった。通路の床は土気色の肌の人間に埋め尽くされ、それが一個の生物であるかのように蠕動し、ふたりの身体を絡めとろうとしている。シエラは不気味で無遠慮な腕に全身を蹂躙され、羞恥に身を捩って叫んだが四肢の自由を奪われてしまってはどうにもならなかった。


「てめえら!その薄汚い手を放しやがれ!」


 シロガネも必死に短刀を振り回し、殺到する腕の束を矢鱈に切り刻み尽くした。しかしその手応え土塊でも切りつけたかのようで、血しぶきひとつ立つこともない。まさに多勢に無勢といった有様で、やがてシエラと同じく身体の自由を完全に奪われてしまった。


 よく見れば、その生気のない人間共の群れの顔の中には見知った者も多く、それらは全て迷宮で命を落とし還らなかった者達であった。未帰還者達の死霊とでもいうのか、澱んで濁った眼は何も映してはおらず、腐臭漂う口元にぽっかりと空いた暗闇から、単調な呪詛が繰り返し繰り返し垂れ流されている。


「ササゲヨ・・・ササゲヨ・・・オオイナルあるじニ、ソノたましいヲササゲヨ・・・」


 屍の群れに捕らえられたふたりは、蠕動する腐肉によって迷宮の奥へ奥へと運ばれ始めた。悪意に満ち満ちたその中枢へと誘われてしまえば、もはや帰還することはかなわぬであろう。


「ちくしょう・・・お嬢・・・シエラお嬢・・・」


 シロガネは己の無力を歯噛みして悔しがった。だが、今の彼にはどうすることもできない。そうして彼の意識が絶望の淵に落ちかけた瞬間、冷たい屍の山が爆散した。轟音をともなって打ち下ろされたのは、眩い銀色の輝きを放つ戦斧の刃であった。


「遅くなった!ふたりとも無事か!」


 ハンクが右へ左へとハルバートを振るう度、土塊共が塵となって消し飛んでゆく。刃に神官シルヴィスが『神の祝福』を施しており、それが呪われた不死者に対しては致命的なダメージとなるのだ。


 首を締め上げられ呼吸もままならなかったシエラは、解放されると息も絶え絶えに

 堅い地面へとへたり込んだ。せき込む彼女にハンクとシロガネが駆け寄る。


「・・・まだよ。見て・・・」


 シエラが二人の男の肩越しに周囲を見回し、警告を発した。屍の群れは床だけではなく、壁面や天井、迷宮の通路の至る所を埋め尽くしており、大きなうねりとなって探索者達へと押し寄せようとしている。


「灰は灰に。塵は塵に。土は土へと帰るべし。虚無より生まれし命なき者共、再び虚無へと帰さん。聖なるかな!聖なるかな!聖なるかな!」


 シルヴィスの詠唱によって暗闇に生じた小さな光の輪が、直視できぬほどの光を放った。それはあくまでも静かに大きく大きく広がってゆき、最後には通路の全てを輝きの中に飲み込む。やがて光が消失した後、残されたのは迷宮の暗闇と静けさ、そしてようやく再会を果たした人間達のみであった


「お頭!必ず来てくれると信じてやした!」


 男泣きにむせぶシロガネをスルーして、ハンクはシエラを抱き起した。


「ケガはないか?無事・・・なんだな?」


「心配かけました。あたしはこの通り、大丈夫よ」


 ここにきて初めて、ハンクの表情に安堵の色が浮かんだ。これまでの張りつめ切った緊張からようやく解放されたのであろう。弱音ひとつ吐かなかった屈強な男は低く呻くと、その場に膝を付いた。


「ちょっと、ハンク!あなたこそ大丈夫なの?」


 慌てたのはシエラとシロガネである。ハンクが負っていた傷は決して浅いものではなく、その身体を鋼の意思で支えてここまでたどり着いたのである。膝を折るのも無理はなかろう。


「ハンク殿、お仲間が無事でなによりだ。まずはふたりを連れて帰還なさるがよろしかろう」


 シロガネに肩を預けようやく抱き起されたハンクにグエンが声をかけた。


「しかし・・・翠玉の導師がまだ・・・」


「貴殿の目的は仲間を救うこと。なれば地上へ帰還しその目的を最後まで果たすべきだ。ここから先は我らの役目」


「そうか・・・では、そうさせていただくとしよう」


 ハンクもそこは手練れの探索者である。己の身体が限界に近いことはわかっており、この先、足手まといになるであろうことも目に見えていた。帰路に必要な装備を予備の雑嚢に分け、ハンクのパーティメンバーは撤収にかかった。


「無事に戻れよ。祝杯の主役はグエン殿、貴殿らなのだからな」


 念を押すように別れを告げ、ハンク達は地上へ向かう道へと去っていった。



 レーベはしばらく通路周辺を調べていたが、特に周囲に危険な気配は見受けられなかったようだ。最終目的地はもう間近らしく一行はここで一旦、休息を取ることにした。ルビィは手早く火を起こし、手分けして食事の準備をする。


「あれだけの死霊がいたということは相当な量の贄を集めていたようね」


「儀式もすでに佳境に入っているということか・・・」


 重々しい顔のパーティメンバー達であったが、ルビィとアネルには何のことやらさっぱりである。そんな表情の二人に、美しい魔導師が向き直った。


「今日はふたりにもちゃんと話さなきゃね。ここから先に進むかどうかはその話を聞いてから決めてもらって構わないわ」


 その瞳は遠く過ぎ去った日々に向けられるかのようで、そんなレーベの表情は少し物悲しく見える。


「それはずいぶんと昔の出来事・・・緋色の導師クリステラの七人の弟子、私の兄弟達の物語・・・」


 焚火の炎に揺れる影が急に伸びたように見えた。それは悠久の時の彼方、深い暗闇へと続いていた。


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伝説級女戦士の愛情表現がストレート過ぎて困っています 雨音深 @syun5150

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