第22話 その理由


「すっかり迷っちゃったわね・・・ここは何層あたりなのかしら」

 

 疲労に表情を曇らせながらも、その女の横顔にはまだ諦めの色はなかった。絶望的な状況を切り抜け、まだこうして命を長らえているのだ。最後の一瞬までは希望を捨てないという決意がその瞳にありありと浮かんでいる。


「なんせマーキングすらする余裕がなかったですからね。逃げるので精いっぱい」


 連れ立っているのは革鎧に身を固めた若い男で、名はシロガネという。ハンクのパーティで斥候役を務めるレンジャーであり、魔導王のゴレムと遭遇した際にいち早く脅威の接近を感知したのが彼であった。


「あたしのお守りなんて貧乏くじ引かせちゃったわね。ごめんなさい」


「何をおっしゃいます!」


 シロガネは心底心外であるといった表情で声を荒げた。


「お嬢の身に何かあったら、あっしもお頭も先代に合わせる顔がありやせん。お嬢はこのシロガネが一命を賭しても必ず無事に地上へ帰してみせやす!」


 いささか芝居がかった物言いではあったが、シロガネの言葉には真摯な思いがありありと滲み出ていた。先代――今は亡き、女の実父に並々ならぬ恩があり、それを返すまでは死んでも死に切れぬとまで思い詰めているのである。

 

 彼とハンクは王都の貧民窟の出身であり、幼い時より親も身を寄せるよすべもなく明日をも知れぬ毎日を盗みによって生き抜いていた。兄貴分のハンクと共に刑吏に捕らえられた時、ふたりの身元を引き取り命を救ったのがその捕縛劇にたまたま立ち会った探索者、他ならぬ先代その人であった。


『なに、たまさか立ち会ったのが何かの縁というものよ。子供のうちに世の中の何もかも知らず咎人になってゆくのを哀れに思っただけのことだ。拾った命をどう使うかはこれからのお前達次第だよ』


 そんな人柄に薫陶を受け、彼らは先代の元で探索者となった。堅気とは言い難い身分ではあったけれども、ちっぽけな盗人ではなくなった二人は今やベテランの域に達する手練者として身を立てることができている。その恩人の忘れ形見、一人娘であるシエラを命懸けで守り抜こうという思いに嘘偽りがあるわけがなかった。


「ま、お嬢もこれに懲りて探索業もほどほどにしてくれるとありがたいんでやすが・・・」


「そうはいかないわよ。あたしはお父様のお墨付きで探索者になったんだからね。お前もそれはよく知ってるでしょう?」


「ははあ・・・まったく先代もよくよく物好きと言おうか・・・」


 シエラもまた幼き頃から父親に迷宮探索に連れまわされ、今やいっぱしの探索者となっている。腕前も確かでそこに異論を挟む余地はなかった。なにせ病床の先代の最後の遺言で『あれはもう血筋よ。やめろといっても聞く耳も持たぬだろう。よくよく面倒をみてやってくれ』などと言い残されてしまったものだ。その辺りを踏まえてはみても、やはりシロガネに取っては毎日がハラハラし通しなのである。


「でも困ったわね。これからどうしたものかしら・・・」


 ゴレムとの遭遇戦でパーティとはぐれてしまった後、シロガネの先導でなんとか安全地帯と思しき場所に逃げ込むことができた。しかし現状を考えると帰還は困難とも思える。ゴレムの脅威もさることながら、そもそも迷宮深層の魔物は強力で、ふたりでの突破は難しいだろう。


「それなんですがね。ちょっと様子が変わったようで」


「どういうこと?」


 シロガネは辺りの気配を探るように目を閉じた。彼の索敵術は達人の域に達している。音、空気の流れ、臭い、様々な情報から正確に状況を把握することが可能だ。


「少し前から当たりの気配がどんどん消えていってます。どうやらバケモノ共はみんな上層に向かっているようで」


 目を開いたシロガネの顔にしぶとい笑顔が浮かんだ。


「救援が来たんでやしょう。おかしらは絶対にあっしらを助けに来やすから」




 ちょうど同じ頃、はるか東の地でひとりの老人が池のほとりを歩いていた。その歩みは軽く、老体であることを感じさせない。この先の小高い丘まで散歩するのが老人の毎日の日課であった。


 老人がしばらく歩を進めると、池の淵で少年が釣り糸を垂れているのに出会った。村に住む少年で、彼の使っている釣り竿も老人が与えたものだ。


「おう、カイではないか。精がでるのう」


「あ、シショー。こんにちは!」


 少年は遊びで釣りをしているわけではないことを老人はよく知っていた。池の数か所にも仕掛けを沈め、漁の合間に釣りをしているのであろう。そうして家計の一助になっているのだ。そうした漁の方法を少年に手ほどきしたのが他ならぬルビィであった。


「どうじゃ、父君は職にありつけたようか?」


「うーん、どうもあんまりカンバしくないみたいだ」


「・・・お前は難しい言葉を知っているのう」


 少年の父親は王都で兵役に就いていたのだが、数年前に軍の規模縮小の煽りを受けて職を失い、生まれ故郷のこの村へと帰ってきた。老人の見立てでは剣の筋もよく性格も実直なのだが、なにせこのご時世である。思うように仕事にあり付けず、妻と子と親子三人で細々と暮らしていた。


「ほれ、これをとっておきなさい。小遣いをやろう」


 老人は懐から取り出した小粒金をカイに与えようとしたが、少年はそれを固辞した。


「理由もなく施しは受けてはいけないと父が言っていた」


「ふむ、それは立派な心掛けじゃが安心せい。ちゃんと理由はあるわい。お前さんはあの丘の石碑を掃除したり草むしりをしてくれておるじゃろう。その褒美じゃよ」


 そうか、それなら、と少年は小粒金を受け取った。純金の粒であったから家族三人ひと月は食べてゆけるだろう。


「丘の片づけはルビィの兄貴に頼まれたんだ。大事なことだからって」


「そうか、そうか。それはありがたいことじゃ。それとな、他にもお前さん方一家にに頼みたい仕事があるのじゃ」


「仕事?」


 ここに来て老人の言葉が少し澱んだ。どうやら少し照れているらしい。


「お前さんも知っての通り、儂は先達て新たに妻を娶った」


「うん。お祝いの時に見た。若くてきれいな花嫁さんだったね!」


 老人の厳めしい顔に微妙な表情が浮かんだ。心なしか頬も少し紅くなっている。


「おシショー様もあの年でようやりなさるって父が言ってた」


「あやつめ、言いよるわ・・・それでな、その嫁を連れてちと、旅に出ようと思うておる。その間、儂の家の世話を頼みたいのじゃ。人のおらぬ家はすぐに傷んでしまうからの」


「しんこんりょこうってやつだね!」 


「・・・お前さんは色々な言葉を知っておるのう」


 そうして細々としたことを相談するために後で少年の家に訪問すると告げ、老人は少年と別れた。


 

 心地よい風が吹く小高い丘の上に小さな石碑があった。そこには何も刻まれてはいない。それは正確には石碑ではなく、墓であった。果てしなく続く草原を望み、見上げれば蒼天が広がる丘の上にその墓はあった。


「さて、儂は行くよ。お前さんの忘れ形見に会うのが今から楽しみじゃ。儂の不肖の弟子もどうなることやら・・・」


 墓の周りはカイが世話しているだけあって、綺麗に整えられている。老人は墓に相対するように腰を降ろし、竹の水筒に入れてきた酒を飲んでいた。杯はふたつ。それを今は亡き盟友と酌み交わす。


「お前さんの娘は、継いだその名『伝説級』に恥じぬ戦士に育っているようじゃ。後は儂が見届けるとしよう」


 老人が見上げた空は雲ひとつなく、どこまでも澄み渡っていた。







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