第21話 探索者の宴
それは突如生じた水蒸気の奔流であった。圧倒的な破壊力を持った高圧の蒸気は巌のごとき氷の巨塊をいとも簡単に吹き飛ばし、粉々に打ち砕いた。
迷宮の通路は濃く熱い水蒸気に満たされ、シルヴィスが施した聖なる加護の防護の中にあっても尚、むせ返る程の湿気を感じさせる。吹き抜けた蒸気が巻き上げた床に堆積していた泥の臭いと相まって、そこはさながら熱帯雨林の真っ只中といった様相だ。
ただそれも強固な魔法障壁の中のことであって、たまさか周囲に居合わせた迷宮に棲まう小さな生き物などはまともに熱波に晒され、全身を沸騰させた哀れな亡骸となってそこいら中に転がっている。
水蒸気爆発――大量の水が瞬間的に高温に晒された場合、その体積が爆発的に増加し膨大な破壊力を生む。そんな現象がたった今、この迷宮の大広間で発生したのだ。
魔力を感知し、自己を攻撃する魔法に対して絶対的な防御を誇るゴレムへの策。それは大広間を大量の氷で満たし、ゴレム自身の超高温の魔法攻撃によって水蒸気爆発を誘発させるというものであった。大広間の内部は通路から出口への一部のスペースを除き、そのほとんどが大量の氷で満たされ、囮部隊を追跡してくるであろうゴレムを全てを凍てつかせた静寂とともに待ち受けていたのだ。
この策も、実のところ蛇姫の異名を持つマイラがあってこそのものである。水と氷の魔法に特化した彼女でなければ、これほどの大量の氷を生み出すことはとてもおぼつかなかったであろう。
ゴレムにわずかでも想像力をともなった知性があれば、結果は異なっていたかもしれない。周囲の変化に反応したり、危険を察知しそれに対処するという能力をこの操り人形は有してはいなかった。与えられた命令通り、目の前の敵を淡々とただひたすら非情に駆逐する。それだけがゴレムの行動原理であった。
「よし、ここからはいよいよ肉体労働だぞ!油断するなよ!」
ハンクがハルバートを振りかざし先陣を切った。突然の強力な爆発に晒されたとはいえ、ゴレムは驚異的な物理防御能力を誇る。討伐隊の誰もがこれで決着が付くはずがないと考えていた。それでは――あまりにも簡単過ぎるではないか。猛る戦意こもる切っ先はまだ揮われてはいないのだ。
先んじて広間になだれ込んだのは前衛を形成する戦士系のメンバーである。斧使いのハンク、巨大な両手剣を構えたグエン、騎士鎧に身を固めたハウゼン、マイラのパーティで前衛を務めるカイエンとセイゲルが矢じりの形に陣を構えた。
地に倒れ伏したゴレムが、壊れかけの石臼のように関節を軋ませながらゆっくりと身を起こした。身体を守っていた装甲がひしゃげ、そこかしこが剥がれ落ちている。むき出しになった胸部の中央部に巨大な宝石が光を脈動させていた。
「あれがコアだな。攻撃を集中させるんだ!」
ハウゼンが油断なく間を詰め、後衛に陣取る弓使い達へと指示を出すとほぼ同時に、銀色の軌跡を描いて矢が放たれた。それもただの矢ではない。弓匠が丹精込めて作り上げた、魔力を帯びた矢じりを備えたマジックミサイルである。
ゴレムの周囲に防御用の魔法陣が形成されたが、それは正常に機能していないようだ。神官とドルイドの行動阻害の魔法詠唱が、むき出しになったコアに直接働きかけその機能を低下させているのだ。矢が宝石へ次と打ち込まれ、そのたび光の明滅が激しくなる。どうやら有効打にはなっているらしい。
それでもゴレムは立ち上がり、その剛腕を振るった。金属と金属のぶつかり合う凄まじい轟音が響き渡り、火花が飛ぶ。グエンの大剣がゴレムの拳を打ち流し、あろうことか、彼女は真正面から鋼鉄の巨体に突きを打ち込んだ。
それは一見、無謀な攻撃にも見えた。だが見よ。膨大な質量を誇る鉄塊がよろめき、数歩後退したではないか。戦いの中、鍛え上げられた大剣によって繰り出された乾坤の一点打突。相手が魔導王のゴレムでなければ、その一撃のみで決着がついたであろう。ただ、彼女の剣を修繕したばかりの鍛冶師が見れば、頭を抱えたに違いない光景ではあるが。
「よし!行け!うさきち!」
「待て待て待て!」
勇み立ったアネルをハウゼンが押しとどめた。
「お主らはこの先に用があるのだろう?ここは我らが引き受ける。ハンクとグエン殿らは先に進むがよかろう」
ハウゼンの指摘は正しい。それこそがこの討伐戦の目的なのだ。たとえゴレムをここで打ち果たしたとしても、それでは根本的な解決とはなるまい。迷宮の主『翠玉の導師フェルネウス』を止めなければ、またぞろとんでもない怪物が召喚されることも有り得るのだ。また、ハンクの仲間もこれまで姿が確認できていない。生存しているとすれば、さらに下層に逃げ込んでいるのだろう。
「かたじけない。では我らは先を目指そう。必ず皆で祝杯を上げるぞ!必ずだ!」
グエンが剣を引き、皆にそう告げた。そうして駆け出した者達の後をゴレムの一体が追おうとしたのだが、巨体を支える鋼鉄の足がその足元を流れる水流に絡めとられた。
「連れないのう。主らの相手は妾らぞ。宴はまだ始まったばかりじゃ」
急速に冷やされた蒸気の奔流は今や大量の水となって天井の至る処より滴り落ち、迷宮の床面はさながら浅い川面のようであった。だが、その水の流れはやがて意志ある生き物のように蠢き、変遷してゆく。
「ここはいまだ妾の領域よ。逃ぐることかなわぬ」
ゴレムの足元に蟠った水流が逆巻き、それは首をもたげた。床面を流れる水は渦となってその一点へと集中してゆく。
「我が愛しき水の蛇よ。醜き鉄の人形をただの鉄屑にしてしまうがよい」
それは水流で象られた巨大な蛇であった。頭部に開いた両眼が炯々と光っている。
『蛇姫』マイラ―その異名はただの比喩で付けられたものではない。竜と同じく天使や悪魔よりも古く世界を支配した旧き神の眷属。邪なる蛇神に魅入られた邪教の巫女。それが彼女の正体であった。
「相変わらず怖い女だねぇ。なんでまたこの街に来た女衆はこうも恐ろしいのばっかりなのか」
ふらりと現れたのは『酔いどれ』マーティガンである。どうやら待機中、人目に付かぬところで一杯引っ掛けていたらしい。足取りは千鳥足でふら付いているのだが、それが舞でも踊っているかのように見える。
そうして振るわれた逆手に持った二刀が、闇の中から襲い掛かった土竜の首を切り飛ばした。
「ハウゼンの旦那。どうやら木偶・・・いや鉄偶人形の他にも色々集まって来やがりましたよ」
マーティガンの言葉通り、大広間の中には土竜をはじめとした迷宮の住人たちが続々と集まってきていた。いずれもその目が怒りに猛っている。理不尽ともいえるゴレムの蹂躙に住処を追われ狩り立てられていたのだから無理もあるまい。そしてその憎悪はいまやこの場にいる人間たちに向けられていた。
そんな状況下にあって尚、そこにいる探索者達の顔には絶望の色はなかった。それどころかその面にしぶとい笑みさえ張り付けている。
「これだけいれば祭りも出来るねぇ」
舞い踊る酔っ払いはその歩数と同じ数の首を狩り飛ばした。床を染める血流が蛇神の身体を赤く染めて抜いてゆき、それに応じるかのようにマイラが狂乱に身を捩る。
「宴じゃ!今宵は飽くまで血を注ごうぞ!獲物には事欠かぬわ!か、か、か・・・」
蛇が降りたか、マイラの哄笑はまさに蛇のそれである。
群がる怪物共の中に身を投じたのは二人だけではない。ハウゼンもまた血刀を縦横無尽に振り払い、宴を謳歌していた。その姿を自警団の兵士達が見たら我が目を疑ったであろう。それはもはや常の紳士然とした老騎士のものではなかった。飛び散る獲物の血に狂乱する肉食獣の凄まじい嗤いに唇を歪めて、ハウゼンは討伐隊の面々に叫んだ。
「皆の者!遅れは取るまいぞ!今宵を逃せばこのような機会、滅多に得られるものではあるまい!」
応える探索者共の表情も、ハウゼンのそれとさして違いはなかった。
太平楽のこの世。多くを望まねば戦の影に怯えることもなく平穏に生きてゆける世界。そこに至る過程や真実はどうあれ、多くの者が望むであろう平和な世界。
そんな世の中にあって死と隣り合わせの日々を選んだ者達――それが探索者なのだ。彼らの内にある渇望と狂気。それは迷宮深くの常闇の中で、血風舞う狂乱の宴として結実した。
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