第20話 囮部隊疾る


「走れ!走れ!走れっ!!」


 地下迷宮の薄暗い通路を、ルビィはわき目も振らずに走っていた。他にはクロマと、討伐隊参加メンバーの中でも足の速い二名がともに全力疾走中である。夜目が利くクロマは汗ひとつもかいておらず、後ろを追走するメンバーの様子を見ながら速度を調整する余裕すらあるようだ。


 マイラのパーティからは斥候役もこなしているボウガン使いのリビエラ、マーティガンのパーティからは錠前外しの名人と名高い盗賊のチョップスティックがその機動力を買われ選ばれたのだが、背後に死を背負って迷宮を駆け回るなどという正気を疑われる任務中とあって、その表情にはまったくゆとりはなかった。


 もちろんそれはルビィも同じで、足の速さはさることながら、後ろを振り返るまでの余裕はない。むしろ振り返りたくなかった。彼らの背後からは大きなカボチャほどもある炎の塊が断続的に飛んできており、先頭を駆けながら背後までをも警戒するという離れ業をやってのけているクロマの警告に従い、右へ左へと回避しながらひたすら走り続けていた。


 まだ距離はある。だが決して油断は出来ない。必死に走る一行の背後にはキルギスホーン地下迷宮最大の脅威、魔導王のゴレムが迫っているのだ。


 鋼鉄の鎧をまとった悪魔の人形は巨体である分、その動きは緩慢にすら見える。しかしそれはそう見えるだけであって、人間の三倍近いサイズのゴレムの一歩は、やはり人間の三倍もの歩幅になるのだ。ゆっくり動いているように見える巨人が想像を超える速度で接近してくる様は、まさに悪夢と呼んで差し支えないだろう。


 遠雷のような地響きを伴う足音から察するに、ゴレムは一体ではあるまい。遠い暗闇の中を進んでくる巨体をルビィには数えることが出来なかったが、クロマはそれが4体であることを感知していた。ハンクの報告通りであれば全てのゴレムが自分達を追って来ていることになる。


「ここまでは作戦通り。みんなもう少し頑張って・・・右へステップ!」


 全員がクロマの指示に従って飛ぶ。そのすぐ脇に燃え盛る火球が着弾し、破片と火の粉が舞い上がった。リビエラ自慢の青みがかったブロンドが火勢に煽られ、毛先がちりちりと焦げている。その匂いに顔をしかめたボウガンの射手は宙に向って不満をぶちまけた。


「ちくしょう!あのブリキ野郎!絶対に許さない!」


「こいつはボーナスを弾んでもらわにゃ割りに合わんな・・・」


 チョップスティックは速力も落とさず懐に両手を突っ込み、いくつかの道具を取り出した。盗賊だけあって器用なもので、無造作にそれらを後方に投げ捨てる。


「ま、気休めだが多少の足止めにはなるだろう」


 盗賊自作の簡易トラップは魔法を使っておらず、機械式のからくりのみで構成されていて、ゴレムが纏う魔法防御のシールドの影響を受けない。遅延信管によって炸裂した奇妙な形の装置から強烈な粘液が網状に噴出し、ゴレムの足に絡みついた。


「おおお!」


 歩みを阻害されたゴレムから火球が連射される。しかもこれまでとは比べものにならない量で。


「ありゃ、怒らせちまったか?」


「余計なことしないでよ!あちち!」


 あちこちに落下する火の玉を避けながら、一行は駆け続けた。火勢は勢いを増したが、巨人達の速力は確かに幾らか鈍くなったようだ。一見、無謀としか思えぬ囮部隊の作戦は今のところ順調に進んでいた。



 少しばかり時を戻そう。


 地下迷宮に足を踏み入れた討伐部隊を迎えたのは、整然と並べられた無数の亡骸であった。迷宮に入っていた探索者達を蹂躙した魔導王のゴレムは、地獄門が彫刻された扉を越えて表層域に現れることはなく、再び地下深くへと去っていったらしい。


 命からがら逃げ延びてきた者の情報を元に救助に向った自警団の兵士達は、慎重に地獄門の中へと歩を進め、そこでゴレムの恐るべき実力を目の当たりにすることになった。


 自己修復機能を持つはずの壁や床はもちろん、天井までもが真っ黒な煤に覆われ焼け焦げてしまっていた。そこかしこに転がっている溶解した鋼の破片は、壁に設置されていた燭台の残骸や探索者の装備品の成れの果てであろう。辺りには有機物と無機物の焼けた臭いが混じり合った、何とも言えぬ異臭が立ち込めている。それはまさに無慈悲に踏みにじられ尽くした戦の跡そのものであった。


 門前都市の探索者らにとって死の危険は生活と隣り合わせになっていると言ってよい。また自警団の兵士も元は探索者や腕っぷし自慢の武芸者であったり、血生臭い光景など見慣れた者がほとんどである。そんな荒くれの戦士たちですら顔を背けたくなるような、陰惨な光景がそこにあった。運悪くその場に居合わせた新米の兵士なぞは焼け残った支柱の陰で昼に食った糧食と再び対面する始末だ。


 クリスタルの塔討伐戦のような伝説紛いの事件を除けば、天下泰平のこのご時世において周囲が焼き尽くされるような戦場が生み出されることなどあろうはずもない。その点を考慮すれば今この場で起きている惨状もまた、伝説の一場面と成り得るだろう。実際に死者二十八名、重軽傷者は五十余名を数え、犠牲者の数からしてもキルギスホーン史上最悪の日として記録されることとなったのである。


 命を拾えた負傷者は優先的に迷宮の外へと救出され、砦に出張った神官や医師によって治療を施された。しかしながら人手不足は否めず、こうして死者達は弔いもされぬまま、麻布に包まれ迷宮入り口付近に安置されていた。


 目を覆わんばかりの惨状の中でこそあったがまだ希望はあった。ハンクのパーティメンバーを含む数名が行方知れずのままとなっており、極めて楽観的な見方であろうが、まだ迷宮の奥に生存者がいる可能性は残されていた。討伐隊の面々はそれぞれの想いを胸に秘めつつそこを通り抜けて地獄門へと侵入し、当初の目的地である裏迷宮第四階層の大広間に本陣を設置した。




「そろそろ頃合い。大広間へ向かう」


 クロマのこの言葉を心待ちにしていた囮部隊の面々に生気が戻った。走りづめでいい加減、疲労が溜まっているであろう両脚に最後の力を込めて暗闇の中を疾走する。


「まったく、こんな役目は金輪際、御免被りたいぜ。なぁ坊主」


 チョップスティックは自分の隣りを走るルビィに笑いかけた。子守りは御免だぜ、と嘯いていたのもどこへやら、自分の全力疾走に遅れもせず並走してくる少年にどうやら一目置くことにしたらしい。


「そうですね・・・これで終わらせたいものです」


「後はあの、おっそろしい魔導士殿の仕上げ次第だなぁ」


 囮部隊はただ闇雲に走り回っていたわけではない。大広間で迎え撃つという作戦の準備の時間稼ぎとそこへの誘導が主目的であった。迷宮を徘徊する全てのゴレムを確実に誘導するため、足の速いメンバーが集められたのである。まさに命がけの釣り役というわけだ。


「あれが最後の曲がり角!」


 ゴレム共が追ってきていることを確認し、通路の角を曲がった一行は大広間へと駆け込んだ。レントの都にある闘技場ほどもあるだだっ広いスペースには―—何もなかった。待ち受ける討伐隊の本陣はおろかただ一人の人間の姿もなく、そこは伽藍洞の空間に過ぎなかった。


「あれだ!飛び込め!」


 大広間の入り口の反対側に、扉一枚分の出口がぽっかりと口を開いている。滑る足元を気にしながら囮部隊のメンバーは出口を目指し、残る力を振り絞って走った。


「ちょっ・・・やだ!」


 勢い余って足を滑らせたリビエラが盛大に転倒したと同時に、ゴレムが大広間に入ってきた。その周囲に無数の光る魔法陣が生み出される。どうやら広間ごと、ちっぽけな人間どもを焼き払うつもりのようだ。ルビィがリビエラに駆け寄り助け起こしたが、出口まではあと数メートルの距離がある。


「馬鹿!なんで置いてかないのよ!お人好しは長生きできないわよ!」


 白い息を吐きながら妙齢のボウガン使いは頬を赤らめた。無謀な少年に怒っているのか、照れているのか、どちらとも言えない微妙な表情を見せている。


「坊主!」


 出口にたどり着いたチョップスティックが叫んだ。彼の振るった鞭が完璧にルビィの腕を捉え、抱き合った二人をまとめて出口へと引きずる。その勢いたるや滝壺に落ちる水流のごとくであったが、引き手にグエンが加わっていたともなれば不思議はない。更にはルビィと抱き合っているリビエラに鬼の形相を向けており、平時に比べても倍の力が込められているであろうことが窺える。その時、大広間の室温が急激に上昇しはじめたが、間一髪で囮部隊の全員が出口に飛び込んだ。


「今だ!閉じろ!」


 号令と共に石塊が出口を塞ぐ。それは巨大な氷の塊であった。うさきち28号改の怪力で押し出された巨塊は完璧に出口を塞いだが、それは次の瞬間、とてつもない勢いで弾き返された。


 地響きと轟音。天地が逆様になったかのような凄まじい轟きと揺れが討伐隊を襲う。やがて辺りは濛々と立ち上る水蒸気と静寂に包まれた。


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