第19話 はじまりの夜


 キルギスホーン郊外、地下迷宮入へ通じる一本道の入り口には以前より見張り台が設置されており、迷宮から這い出た怪物共が万が一にも街へ入り込まぬよう自警団の見廻り組が交代で警戒に当たっている。日頃は見張りが閑を持て余し同僚との賭け事に興じたり、居眠りをしたりとのんびりしたものであったが、その日の様相は一変していた。


 見張り台の周辺には迷宮と街を隔てるように急造の防御柵が張り巡らされ、これまた急ぎで編成された自警団の警備部隊が守備の陣を敷いている。


 辺りの林から切り出した丸太や、街から供出された建材で組み上げられた防御柵が、傭兵団を部隊単位で造作もなく焼き払うゴレムにどれだけ効果があるか、甚だ疑問ではあったが、それでもないよりはマシというものだろう。


 防御柵の内側、つまりは街側の陣地から幾筋もの煙がたなびいているのが見える。これは狩り出された兵士達への炊き出しや、商工会から手配された鍛冶師達が武具の修繕のために設置した簡易的な炉から立ち上っているものであった。


 その他にも商魂たくましい店主達があちらこちらに屋台を組み、出張営業を決め込んでいる。まるで街中の市場さながらに賑わっているあたりは、さすがは門前都市というべきところか。


 そんな騒ぎの最中、前線基地が出陣を控えた討伐隊のメンバー達は午後遅くには三々五々集まってきて、最後の準備を行っていた。


「ハンク。お主、迷宮で愛用の戦斧を失ったそうだな?」


 貴族という肩書きの華美さからはおよそかけ離れた、機能最優先の鎖帷子に身を固めているハウゼンが、いまだ傷痕生々しい戦士に声をかけた。


「これを使え。我が家の倉庫で埃を被っているよりは、お主のような手練れに揮われた方が武具の誉れというものだろう」


 それは意匠も見事な斧槍の業物であった。いずれ銘のある刀匠の作であろう。先端のパイクは鋭く、刃は分厚く重い。充分に手入れの行き届いた斧槍は、これから赴く戦いへの高揚に輝き、己が力を余すところなく発揮させてくれる戦士に握られることを今か今かと待ちわびているかのようだ。


「これは有難い。この借りは戦場にて必ずや返させていただく」


 戦斧を羽箒のごとく縦横無尽に操る剛の者は、更に大きく凶暴な斧槍でさえも使いこなして見せた。空を切り裂く轟音と共にハンクは二度、三度と斧槍を振るい、手ごたえを確かめる。


「その意気だ。命あらばまた、酒場でな」


 そう言い残してハウゼンは立ち去った。警備に当たる各部隊への指示と作戦の最終確認を行うためだ。入れ替わりにやってきたのは弓の匠ガランパイルであった。


「ほれ、弓兵の諸君。これはこの老いぼれからの差し入れじゃ。存分に働かれよ」


 老人が背負ってきた大きな矢筒には、先達てアビゲイルが使用した玉鋼の矢を始めとして、様々な形状の鏃を持つ矢がぎっしりと詰め込まれている。


「やれやれ、年寄りにはこの重さは応えるわい」


「いいのか、とっつぁん?こいつは金貨の袋がひとつやふたつじゃ済まないお宝揃いじゃないか?」


「なに、使わなきゃただの持ち腐れよ。まぁそうだな。帰ったら茶請けに土産話でも聞かせてくれ」


 そうして着々と準備が整えられてゆき、夕陽が見張り台の向こうに落ちかけた頃には討伐隊出陣を待つのみとなった。



 赤々と燃え盛るたくさんの篝火が迷宮へと続く道を照らしている。揺らめく炎の影の中を歩み、討伐隊は迷宮の入り口へと向った。隊は三つに分けられていて、第一陣はグエンのパーティにハウゼンとハンクが加わり、第二陣にマイラ、第三陣にマーティガンの各部隊が続く。


 後詰として自警団の兵士が控えているが、彼らは迷宮内部の要所要所に拠点を築く役割を担うことになっていた。これにより討伐隊は補給の心配なく、戦闘に専念できるわけだ。ルビィはその道すがら、昨夜の宴の後の出来事を思い返していた。


「ルビィ、お前は地上に残るのがいいと思う」


 口火を切ったのはグエンであった。ルビィを見つめる彼女の視線は真剣そのもので、いくらか思いつめているかのようにも見える。


「相手が悪くてな。今回ばかりはオレ達も、お前を守り切れるという保証がないのさ」


 言葉足らずの女戦士を補うアビゲイルの口調は、普段と変わらぬ砕けたものであったが、その底には張り詰め切った緊張が伺えた。そうした歴戦の探索者達の様子からもこれから戦うことになる相手が只者ではないと、ルビィにも容易に想像がついた。


「スローンの動向も心配ではあるけれど、目の前にある脅威の方が危険度が高いわ。それもとてつもなく、ね。元々、ルビィ君は探索者を目指していたわけではないでしょう?」


 レーベの指摘は確かに正しかった。ルビィは料理人として独り立ちするためにこの門前都市へやって来たのだ。成り行きで探索者の真似事をする羽目になってはいるが、それは本来の目標ではない。ましてやベテランの探索者でさえも恐れを為す様な相手に挑むなど、無謀極まりない行為とも思える。


 意外だったのは、そんなパーティメンバーの中に異を唱えるものがいたことだ。それは斥候のスペシャリスト、クロマであった。


「わたしはそうは思わない。わんこ・・・いや、ルビィの剣筋は正しく、長年の研鑽によって磨かれたもの。わん・・・ルビィのお師匠様はそれを意図して鍛えたと思う。わ、彼の剣はそこらの探索者よりずっと上。たぶん」


 そこかしこに本音の漏れ出ていて、子犬扱いの少年は微妙な表情を浮かべたが、クロマの見立ては確かであった。成り行きで始った彼の迷宮探索。そのこれまでの成果はおよそ駆け出しの探索者のそれとは言い難い。スローンの介入があったとはいえ、ほぼ単独で高位悪魔を降したともなれば、少年は既にいっぱしの探索者として評されて余りある実績なのだ。


「わたしは無理強いするつもりはない。行くか残るか、どちらを選ぶにしても、だ」


 その言葉とは裏腹に、歴戦の女戦士の表情は少し苦しげであった。ルビィの身を案じるグエンとしては、危険な迷宮の底へ彼を連れてゆくことを望んではいまい。それを口にしない彼女の心情を、その時のルビィには推し量ることができなかった。


「行きますよ、僕は」


 ルビィの返答は簡潔そのものである。彼の答えは随分前から決まっていた。


 道化師との戦いの闇の中、少年の心に直接響いたスローンからの問いかけ。


 ――君は迷宮に惹かれているのだろう?


 その質問の意味するもの。その問いへの答え。いずれもがわからないままだ。ルビィは自分の中に、何か理解不能な領域が存在しているような不快感すら感じている。


 では、答えはどこにあるのか?考えられる場所はひとつしかなかった。


「これを」


 迷いのない少年の瞳を確かめて、クロマは一振りの刀を手渡した。刀身がルビィの持つ小刀の倍ほどもある。螺鈿が象嵌された白鞘が美しく、柄や鍔もそれに合わせた拵となっていた。抜き身の刀身は凍りついたかのごとく怜悧で、雪の結晶のような輝きを纏っている。


「ルビィの筋なら両刀よりもこちらの方が合っていると思う。君の身体はそう鍛えられているから」


 クロマの言葉通り、両手持ちの刀は驚くほど少年の手に馴染み、身体が自然と動いた。それを振るうための膂力と体裁きは、本人の知らぬ間にその身体に深く染み付いていたのだ。


「その刀はわたしの大切な人から譲り受けた宝物。だから、あなたは生きて帰らなければ駄目。死んだらお仕置きが待っている」


 夕闇を歩く少年の手に力がこもる。その手にはクロマから与えられた刀があり、ルビィはその決意と共にしっかりと柄を握り締めていた。少年の眼前には黒い影がぽっかりと口を開けている。キルギスホーン地下迷宮の入り口はその日、いつにも増して深く濃く、そこに暗闇を湛えていた。



 同時刻――はるか東の地において、ひとりの老人が閉じていた両眼をそっと開いた。

 板張りの床にゆるりと座っている老人は銀の煙管から紫煙を燻らせ、降り始めた夜の帳へと煙を吹きかける。


「やはり、行くかえ。血は争えぬとは、まさにこの事かのう」


 遠くを見つめる老人の眼には、嬉しさと寂しさがない交ぜになった不思議な色が浮かんでいた。


「ダンナサマ、そろそろ灯りを入れますヨ」


 板間に入ってきた女が老人に声をかけた。


「おう、ちょうどいい。お前さん、そろそろ故郷が恋しくなったのではないかえ?ちょっと旅へと洒落込んで、お前さんの故郷の海でも見物に行こうじゃないか」


「あれ、うれしいよう」


 庭先に差し込んでいた最後の陽光が紫の空に消え、ついに夜が訪れる。








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