第18話 開幕前夜Ⅲ


 その後、商工会での会合は時を移さずして終了した。既に話し合いに時間を割けるような段階ではなく、目前に差し迫っている危機に対する迅速な行動が求められている。


 新たな犠牲者を出さぬ措置として当面の間、迷宮は閉鎖。その見張りに自警団が配置されることになり、相談役のハウゼンは自警団の増援を手配するため、本国へ急使を飛ばした。


「しかし、このご時勢だ。どれだけの兵力が集められるか、正直なところ期待はできんよ」


 初老の騎士はそう嘆いてみせたが、顔付きは一層、引き締まっている。何しろ彼自身こそが『このご時勢』を剣術修行に明け暮れて過ごして来たという変わった御仁であった。だからこそ生家が代々ルーセット侯に仕えてきた名門でありながら、出世なぞという俗事には程遠くといった具合で、こうして門前都市の相談役という閑職に甘んじている。


 もっとも本人は暇をみては自警団の兵士に剣の手解きをしたり、お忍びで迷宮探索に出かけたりという日常に不満もなく、むしろ楽しんでいるようである。そうした人物であることをよく知る商工会の面々も、相談役自らがグエンの討伐隊に参加を表明したことに口を挟みはしなかった。


 また、手傷を負ったハンクも討伐隊への参加を強く希望しており、これに異を唱える者もない。なにしろ彼がリーダーを務めるパーティのメンバーが数人、未帰還のままなのである。


「あいつらが逃げ損なったのは俺の落ち度だ。どうあっても俺はもう一度、あそこへ行かなきゃならん」


 そう言う古参の戦士の決意を覆せる者はそうはいまい。


 そうしてグエンと討伐隊の参加者達は出陣の準備を整えるため、話し合いの場を拠点である『暁のカモメ亭』へと移す事になった。




 事態が風雲急を告げる中、討伐隊の作戦本部扱いとなった『暁のカモメ亭』の厨房もなかば戦争状態に突入した。準備中であった糧食の総仕上げを一気に行わなければならなくなったことに加えて、何よりもまず集結した討伐隊の夕の宴も準備しなければならなかったからである。


 亭主や従業員達、ルビィはもちろんのこと、手の空いているパーティメンバーも狩り出され文字通り総出で取り掛かったのだが、意外な活躍を見せたのは素行に難ありの代表各であるアビゲイルであった。


 料理の心得のあるカナンは別格としても、アビゲイルがなかなかの腕前で鴨を捌き、調理してみせたため、居合わせた調理場の面々を大いに驚かせることになったのだ。


「なんだよ。俺だって自分で狩った獲物くらい調理できるぞ。お前みたいに凝った味付けなんかは無理だけどさ」


 ぽかんと目を丸くしているルビィに仏頂面を見せたアビゲイルであったが、どうやら内心は満更でもないらしい。少しばかり頬が紅いのは、人目を盗んでこっそり飲んだ葡萄酒のせいだけではないだろう。そうした伏兵の支援もあってか、作戦会議がおおよそ終るといった頃までには準備を整えられる目星がついた。


 宿の従業員が不思議そうな顔でルビィに問いかけたのは、そうして調理場がひと段落ついた時のことである。


「お前さんはいつまで迷宮探索なんて続ける気なんだい?その様子ならそんな危ない真似しなくても、こっちの道で食っていけるだろうに」


「えっと・・・」


 ルビィはすぐに返答ができなかった。同じ質問を以前にもされたような気がする。その場を曖昧に笑ってお茶を濁したルビィであったが、自問する間もなく宴が始まろうとしていた。


 酒場に集合した討伐隊にはキルギスホーンに滞在する有力なパーティが更に二組参加し、その総勢は20名を超える。魔導王のゴレム相手にはいささか戦力不足ではあったが、迷宮の様な閉ざされた環境下では致し方あるまい。頭数を揃えたとしても、狭い迷宮で身動きが取れなければ意味がないのだ。出陣は明日の夕刻となったが、これは後詰の役割を果たす第二陣の編成準備に合わせての配慮である。そうして会議は決着し、出陣に際して英気を養うべく、いよいよ宴が始まった。


 酒場のテーブルには鴨のローストや茹でた腸詰肉、ウナギのマトロートといった料理の他に、おかみ特製のキッシュ、鱒の燻製等が所狭しと供されている。葡萄酒や冷やしたエールが行き渡った所で、総指揮官に任ぜられたハウゼンが乾杯の音頭を取るべく、なみなみとエールを満たしたジョッキ片手に立ち上がった。


「形式上とはいえ、私が指揮官である。皆、私に従ってもらうぞ」


 いかめしい顔で討伐隊ひとりひとりの顔を見回した後、初老の騎士の面相は探索者のそれに変わった。


「最初の命令だ。存分に喰って飲んでくれ。今夜は私の奢りだ」


 砕けた指揮官の宣言と高らかな歓声――ハウゼンが満場一致で指揮官に選ばれた理由はもはや語るまでもあるまい。彼は貴族に名を連ねてこそいるがその実は芯からの剣士であり、その場に居並ぶ探索者共の同類なのである。


「このウナギは実に美味いな。これはお主が作ったと聞いたが本当かや?」


 やや西方訛りのある声がルビィを呼び止めた。声の主は魔導師のマイラである。彼女はリーダーとして総勢7名のパーティを率いており、探索者の中でもかなりの有名人であった。どうやら今日の収穫物であるウナギを葡萄酒で煮込んだ料理がいたく気に入ったらしい。


「これは・・・なんじゃろう?ほんのり葡萄酒にはない甘みがあるのう」


「ああ、それは仕上げにクロスグリのリキュールを加えてます。ちょうどいいアクセントになってるでしょう?」


 マイラが再びウナギを口に運び、満足げに微笑む。


「うむ、実にいい。いいのう。これは美味じゃ」


 訛りが示す通り、西方出身である彼女の浅黒い肌と相まって、その笑みは妖艶ですらあった。そんな蠱惑的な美しさを持つ魔導師は滑らかな指先でルビィの顎を捉え、初心な少年の顔を自分の胸元へ引き寄せる。


「お主、妾のパーティの来ぬかえ?腕もよいし可愛い顔をしておる。厚遇するぞよ?」


「えっ、ちょっと待って・・・」


 そんな成り行きを見逃がせるはずもなく、グエンが慌てて二人の間に割って入った。


「だめだ!だめだ!だめだ!ルビィ!この女は男の精気を食い尽くす『蛇姫』というふたつ名を持つんだぞ!近寄ってはいかん!」


「へ、蛇・・・ですか・・・?」


『蛇姫』マイラがからからと笑った。


「これは愉快じゃ。噂は本当じゃったのう。あの男嫌いで通ったグエン殿が、なんとまぁ・・・」


 妖艶な魔導師は心底、可笑しいといった具合で笑っている。実際、頬を膨らましたグエンの姿など彼女は初めて目にしたのだ。不機嫌丸出しの屈強な女戦士が少年をしっかと捕まえて離さないでいる様子は、微笑ましいやら何やらで、これまでのグエンのイメージからは想像もつかなかっただろう。


「・・・いや、すまぬ。グエン殿が料理人の男の子に夢中になっていると聞いたのでつい、からかってしまったのじゃ。いや、すまぬ、すまぬ」


 そこへふらりと近寄ってきた者がいた。これもリーダー各の戦士である。相当に飲んでいるらしく足取りも怪しい。


「おう、ずいぶんと楽しそうじゃないか!俺も混ぜてくれ」


 その酔いっぷりを見かねて、ハンクが男の肩を支えた。


「マーティガン、お前、飲みすぎじゃないのか?明日は出陣だぞ」


「なにを言いやがる。明日は何人生き残れるか、わかったもんじゃないんだからよ。飲めるうちに飲んどかなきゃ・・・ほら、ハンクのおっさんも飲め、飲め」


 男は手にしたチェリーブランデーの瓶をハンクに押し付け、豪快に笑った。腕は確かだがいつも酔っ払っている――『酔いどれ』マーティガンはルビィの頭をくしゃくしゃと撫で付け、今度はテーブルにあった葡萄酒を瓶のまま呷る。


「マーティガン殿の言うとおりじゃ。明日をも知れぬは探索者の定めというものよ。出陣の前だからこそ、飲まねばなるまい」


 マイラも先刻からかなり杯を重ねているのだが、こちらは全く酔っているようには見えない。南方渡りのアルコールの強い葡萄酒をまるで水でもあるかのように飲み干して見せ、周囲の歓声を誘った。


 そうして出立の宴は深夜遅くまで続き、やがてキルギスホーンの一番長い一日が終わりを迎えたのである。だがそれは、更なる戦いの幕開けに過ぎなかった。



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