第17話 開幕前夜Ⅱ
焚き火のはぜる音と、魚の焼ける香ばしい匂いが食欲をそそる。
アネルとグエンが捕らえたオークニと呼ばれる白身の淡水魚は、淡白で油が少ないが味は良く、食用に向いている。獲物は他にも鱒や鯉の類が数匹。これを小枝を使って器用に内臓を抜き取り、同じく小枝を削って用意した串を打って焼くのだ。火加減は強火の遠火でじっくり、こんがりと時間をかける。
焼き上がるのを待ちかねたアネルが始終、口を挟んでいたが、普段は大人しいルビィがこの時ばかりは頑として譲らず、焼き串に伸ばされる彼女の手を叩き落として阻止するといった具合であった。
魚に限らず、食材を焼く時はあまり触ってはいけない。特に川魚は皮が貧弱なため、あまりいじくると身が崩れてしまう。そんな迷宮内にでもいるかのような真剣なルビィの表情を、グエンはにこにこしながら見守っていた。
串焼きの魚に充分、火が通った頃合いで野草採取を終えたカナンが戻ってきた。手篭にはネギに似た風味を持つノビルやカラシナ、山葵、キクイモまで入っている。薬草に通じるドルイドはまた、このような野生の食材にも詳しいらしい。
「ルビィ君に預ければ美味しく調理してくれるかと思ってね」
そうして小一時間ほどお預けを喰らった一行が、ようやく昼食にありついたのは中天の日差しが指し始めた午後早くのことであった。
食料調達を終えたルビィ達が街に戻ると、大通りを物々しい装備の兵士達が行きかい、まるで戦場さながらの騒ぎとなっていた。兵士達はどうやら商工会が手配した自警団の一隊のようだ。グエンがその中から顔見知りを見つけ、何の騒ぎか事情を問い質した。
「迷宮内に正体不明の怪物が現れ・・・探索中のパーティがいくつか全滅したようです。ハンク・グローブルのパーティも怪物に遭遇し潰走したとか・・・」
「なんだと!?」
にわかには信じ難い話であった。ハンクのことはグエンもよく知っている。彼はクリスタルの塔の古代竜討伐戦において兵団の一翼を指揮し、竜に与した魔獣の群れに一歩も引かぬ奮戦をしてみせた男であった。そのような猛者が率いるパーティが逃げ出したとなればそれはただ事ではあるまい。
「して、ハンクはどうしているのだ?」
「リーダーと数名は帰還したのですが、戻らぬ者も・・・ハンクさんは治療を受け、状況報告のため商工会にいるはずですが・・・」
「そうか・・・」
これから迷宮入り口の見張りにあたるという自警団の兵士達を見送り、グエンはパーティの面々に手早く指示を出した。
「わたしはこれから商工会へ向う。皆は荷物を宿に運んで待機してくれ。アビー、そちらの方は頼む」
「お、おう。レーベとクロマには何か伝えた方がいいか?」
「耳が早い二人のことだ。今頃はもう商工会にいることだろう」
そうして一行と別れ商工会に向ったグエンであったが、彼女の予想通り、レーベとクロマは既に商工会に到着していた。窓口の係員の案内で通された一室には、役員の大商人達や領主より派遣されている相談役といった商工会の中心メンバーが集まっている。その中央に腕や頭に包帯を巻いたハンクがおり、彼が迷宮で目にしたものについて報告中であった。
「あいつはヤバい。並みの防御陣なんぞ紙と同じだ。逃げるだけで精一杯だった」
苦虫を噛み潰したような顔で歴戦の戦士は吐き捨てるように言った。手塩に掛けたパーティが一瞬の内に壊滅に追い込まれたのである。その悔しさがいかつい男の表情に滲み出ていた。
「その言い草ではお主、その怪物を見知っているようだな。何者なのだ?」
相談役を務めているのは、ハウゼンという名の初老の男で、領主であるルーセット侯爵配下の騎士のひとりである。ハウゼンは年相応の落ち着いた声でハンクにそう尋ねた。
「そいつは俺よりも、そこの魔導師殿の方が詳しい」
室内の者達の視線が、黙って話を聞いていたレーベに注がれた。グエンのパーティメンバーは、他ならぬハンクの希望でこの場に召喚されていたのである。その理由は迷宮に現れた怪物について、彼女らの情報が必要であったということだろう。ハンクが発した次の言葉がそれを如実に物語る。
「ヤツが現れた。あのクリスタルの塔の一件で、俺達の兵を半数近く焼き払った・・・間違いない。あれは魔導王のゴレムだった」
魔導王のゴレム――その名は悪夢そのものとして中原に語り継がれている。魔導王が中原を平らげた彼の戦役の折に先陣を切ったゴレムの一団は、各国選り抜きの兵士で構成された討伐軍の精鋭ですら、まるで赤子でもあるかのように蹂躙しつくしたという。それはゴレムと呼ぶにはあまりにも強力で凶悪、そして最悪の存在であった。
通常、戦争に使用されるゴレムはいわば巨大な歩兵であって、それ以上の脅威とは成り得ない。所詮は術者に操られて行動するもので、魔法の使用も本体が実装する装備に依存した限定的なものであった。その点からして、魔導王のゴレムには大きな相違点がある。
どういう術式を用いたのか、その方法は現在に至っても解き明かされてはいないが、魔導王のゴレムは悪魔、もしくはその一部を本体の中心核として宿しており、その力を無尽蔵のごとく振るうことができた。悪魔とほぼ同等の能力を命無き鋼の身体に内包しているともなれば、それはまさに悪夢と呼ぶに相応しい存在である。
クリスタルの塔討伐戦においては、そのゴレムが一体、討伐軍を相手に猛威を振るった。恐らくは塔に隠されていたであろうゴレムを、古代竜がその魔力によって使役したものと推測されている。ゴレムはハンクの言葉通り、討伐軍の兵の約半数を強力な炎の魔法で焼き払ったのであった。
「あんた達がいなかったら、ヤツは倒せなかった。討伐軍は全滅しただろうよ。あのゴレムの事を何か知っているんだろう?」
ハンクは探るようにレーベの顔を覗き込んだ。彼女がゴレムを倒す攻略法を提示した当の本人だからである。常に冷静沈着な魔導師は表情一つ変えず、それでもグエンに一度視線を送ったが、女戦士はそれに沈黙をもって答えた。全てはレーベに一任するという意思表示であろう。
「今、私が提供できる情報はひとつだけ・・・」
レーベの言葉に室内の面々は息を飲んだ。
「翠玉の導師・・・その名はフェルネウス。魔導王の7人の弟子の一人。それがキルギスホーン地下迷宮の主の正体・・・そして彼は今もまだ生きています」
長い沈黙が周囲を支配した。その場にいた者達は、まるでその沈黙を破ることがタブーでもあるかのように身を硬くしている。破れば呪いが・・・魔導王の呪いを一身に受けるのではないか、という馬鹿げた恐怖が彼らの心を襲っていた。
そんな沈黙を破ったのは他でもない、今まさにここにいる英雄、グエン・セミラミス。伝説級の女戦士その人であった。
「我々は今この時をもって直ちに、キルギスホーン地下迷宮攻略及び、翠玉の導師フェルネウス討伐戦を開始する。約束しよう。わたしに敗北はない」
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