週末に終末を。
落花
週末に終末を。
週末に終末を。
――
「一週間後に、世界が終わるんだって」
なんの変哲もない公園に、私と彼はいた。
夕暮れどきの空はいつもより少しだけ赤くて、もしかしたら本当に終わるのかもしれないと感じさせた。
だから私は、そっか、とだけ返した。
このまま彼といて、こうして死ねるのなら、それも悪くはない。
「――……世界は終末を、迎えるのです」
電源をつけた途端、今にも死にそうな顔をした学者は私に向かってそう言った。
緊急ニュース速報、と銘打たれた番組は、今やどのチャンネルにしても流れていた。
ピ、
「世界は
ピ
終末を
ピ。
迎えるのです」
【地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ】
【われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう】
‐6‐
騒々しさで目が覚める。バイクの悲しげな唸り声が、いつまでも近所中に鳴り響いていた。
月曜日だ。いつもなら憂鬱な日ではあるが、今日はどこかスッキリとした気持ちになっている。
「あと、6日」
言葉にすると、背筋に寒気が走る。本当に、本当に私は死んでしまうのかもしれないと。
枕もとの携帯が震えて、ショートメッセージが表示される。〈今日学校行く?〉
確かに行く義理はない。死んでしまうなら、もう内申点を気にする必要もないのだから。だから私は〈行かない〉とだけ返事をして、その携帯をポケットに突っ込んだ。
階段を下りる。いつもなら働きに出ている時間なのに、父と母はゆっくりと朝食を取っていた。
「どうしたの?」
「もう、会社は辞めたんだ」
そう、とだけ返して。私は弟を探した。家族の誰より目立つ明るい金髪は、今は私の視界に入らなかった。
「出て行ったよ、好きなことをすると言っていた」
やっぱり私は、そう、とだけ返した。
弟は支配者になろうとしたんだ。
私はただそう思って、朝食に手を伸ばした。
テレビは昨日と同じように、ずっとニュース速報を流していた。襲撃されたスーパーマーケットのがらんとした商品棚は、なんだか美しさすら、感じさせた。
「そんなことしても、無駄だろうに」
「ええ、そうね、あなた」
父と母は、そう言っていた。視線はどこか中空を見つめていて、一点を凝視したまま、動かない。
あぁ、ふたりもまた、壊れかけているのだ。
ぶーっ、ぶーっ。小さく携帯が震えて、メッセージが届く。彼からだ。〈明日、遊ぼうか〉
少し躊躇って、〈行く〉と返事をする。
待ち合わせ場所は、近所の駅だった。どこにいくのだろうと、少し、心が躍る。
【水は生き物の群れが、群がるようになれ。また鳥は地の上、天の大空を飛べ】
‐5‐
私が駅に着いたのは、待ち合わせの十分前だった。どんよりとした空気が漂っているような、そんな曇天。
私の心もまた、同じようにどんよりとしていた。
「おはよう、早いね」
彼は私の肩を叩いて、声を掛けた。ふ、と体が軽くなる。口の端が緩んで、自然に笑顔が漏れた。そして、並んで歩き出す。
「おはよう、遅いよ」
改札口を抜けながら、軽口を叩く。駅のホームに下りると、平日にも関わらず沢山の人がいた。
皆、濁った目をしている。口を開け、空を見ている。
ぼうっ、と。ただ、ぼうっ、と。曇り空の向こうに見えるかもしれない、輝いた大空を。
「みんな、死んだような瞳をしている」
「ううん、もう死んでいるようなものよ」
その時だ、ごうごうと電車の唸り声が、レールを、大気を、体を震わせながら近づいてくる。
背筋に悪寒が走る。いやな予感が頭をよぎり、やがてその予感は現実に変わった。
あぁ、そして私は聞いた。聞いてしまった。
「そうだ、鳥になるんだ、鳥に!」
声がしたと思った瞬間、私の隣に居たスーツ姿の男性はもう既に空を駆けていた。
四肢を大きく広げたグレーのカラスは、電車の音に負けないくらいの声で啼き、そして血の雨が空を舞った。電車は、止まらなかった。
「ここから離れようか」
彼は静かにそう言った。私はなにも言い返せなくて、しかたなく、頷いた。頬に生暖かい朱が伝う。
無言のまま彼はそっと私の手を取って、来た道を戻りだす。私の頬をちらと見ると、そっとそれを拭い去った。
舞い上がっていた私の心は、今や地に墜ちた鳥のような不自由さを感じて、苦しかった。
ぽたり、ぽた、ぽた。雨が降り始めている。雨粒が頬に当たるのを感じて、そっと空を見上げた。
一羽の烏が、大きく翼を広げて舞っている。天を、大空を、自由に、美しく、しなやかに。
「生まれ変わるなら、鳥になりたいな」
私は見上げたまま、そう漏らした。先を行く彼は振り返って、両手を翼のように広げて、口を開く。
「僕はまた、ヒトになるよ。そして――……」
そして。彼はそこで口をつぐんで、踵を返した。私は気になって、彼に尋ねる。そして?と。
彼は恥ずかしそうに、また今度、と呟いた。
私はまた、不自由だと感じた。今度は空を失った鳥のように。
彼の心は、私に向いているのだろうか。
私の心は、どこを向いているのだろうか。
不自由だ。この世界は、今、不自由だ。だから誰も彼もが自由を目指して、飛び立とうとしている。
そうだ。彼は口にした。
「今夜、また会おう。深夜零時に、公園で」
なにをするの?私は不自由なまま尋ねる。
「ないしょ」
……不自由だ。どうしようもなく。でも、楽しみ。私はそうして、再び翼と空を手に入れたのだ。
今度は月夜を滑る、夜鷹として。
【光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ】
【大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた】
‐4‐
夜の公園。暗幕がだらんと大空を覆い尽くして、強く輝くオリオンが、私の瞳に映っていた。
三日月は鋭さを増して、私の頬を照らしていく。
その明るさが汚れた心を溶かすようで、私は目を逸らした。彼もまた、同じようにしていた。
「怖いと思うかい」
「あなたは?」
質問を質問で返すのは良くない。そうは思ったけれど、私にはどうしても聞きたいことがあった。
「あなたは、生まれ変わったらどうするの?」
「あなたは、あなたは」
「生まれ変わっても、私のそばにいるの?」
不安が奔流となって私の口から零れていく。どうして彼は恐れないのだろうか。いや、はたして彼は感情を抱いているのだろうか。それすらわからない。
彼がなにを考えているのか、わからないのだ。
考えてみて欲しい。あと一週間しかない私たちの、地球の、終わりを。なぜ彼は私と過ごすのだろう。
好きだから。好きだから。
不安になってしまう。揺れ動く心が、高鳴る鼓動が、思わず言葉となって零れ落ちてしまうかもしれない。
オリオンが私と彼とを見守る中で私は、不思議と落ち着き始めていた。
「生まれ変わるかどうかも分からない」
「死の向こう側にあるものがなんなのか」
「それでも僕は」
月は冷たく笑っていた。
彼は小さく呟いた。
「月が綺麗だ」
「ねぇ君は、君は。死ぬのが怖いかい」
「僕は怖くない。君が居るから。君が居るから」
‐3‐
【地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ】
世界はゆっくりとだが、確実に崩壊を迎え始めていた。交通は麻痺し、はじめ起きていた混乱も、いまや収束を迎えていた。
人々は誰もが甘んじて死を受け止めていた。街中はゴミで溢れ、商店は襲撃されてそのままだった。交番に人の姿はなく、火事が起きながらもサイレンが鳴ることはない。略奪と暴行。
木々が枯れ、植物がみな荒らされて命を絶つころ。飽食の時代とまで言われた世界で、餓死が起き始めた。
‐2‐
【水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ】
【かわいたほうを陸とし、水のあるほうを海とする】
打ち寄せられた波が、砂を攫っていく。私はただ一人、もう随分と長い間、その様子を見ていた。
人は居ない。正確に言えば、生きている人は、だが。腐臭に慣れきってしまった鼻は、もう麻痺してしまっているのだろう。
骸の山。
死人の血が砂を汚していく。カインとアベルのように。
私はただひたすらに恐ろしかった。死ぬ。死ぬのだ。天命が迫っている。宣告されている。死神は鎌を携えて、その鋭い刃はいまや私の首元にあるのだ。
〈明日、学校で〉
ポケットの中でショートメッセージの通知が響き、彼のそっけない言葉が届く。少し躊躇って、〈行く〉と返事をする。
そうして私は腰を上げた。
‐1‐
夕暮れだった。燃えるようなオレンジが視界を塞ぐ。屋上から見える景色は、昔とちっとも変わらない。
「壊れてるんだ、みんな。見えないだけで、壊れてる」
そう言った彼の目は濁っていた。きっと、見えないだけで、私もそうだろう。
もうどうせ、死んでしまうのだ。彼は小さく呟いて、私に尋ねた。
「ねぇ、もう一度聞こう」
「死ぬのは怖いかい」
「いいえ、ちっとも」
「だって、あなたと一緒に死ねるのでしょう」
だから私は答えた。いいえ、と。
「大好き」
だから私は告白した。
「僕もだよ」
そしてこの瞬間、私はこの最低最悪な世界で、最高に幸せな女になった。
「私たちは、きっと最後の人間」
「まるで、アダムとイヴのようだね」
「罪を犯した」
「咎を背負った」
「楽園を追われ」
「やがて死ぬのね」
「うん、きっとそうだ」
「見える? 空が少しずつ赤く染まるのが」
「神様ならなんて言うのかな」
「多分ね、僕は聖書を読んだことがあるから、わかるよ」
「へぇ、なら、神様はなんて言うの」
【光あれ】
‐0‐
こうして天と地と、その万象とが消滅した。世界は7日にその生命を終えた。世界は安息を迎えたのだ。
人一人居ない荒れた地表。たった一羽の鳩が、腐敗したオリーブを食んでいた。
もう、なにもない。
週末に終末を。 落花 @selgame
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