釣り針がデカい
香木羊
第1話
「後生だ拾ってくれよ、それがないと退屈で死んじまう」
ブァイオンと名乗った彼は釣り竿を指して言った。
黒地に緑色の線が螺旋を描いているデザインの竿と糸と針だけのシンプルな構造の釣り竿。
僕の足元で糸がモザイク模様を作っており、解くのはおろか邪魔にならないように持ち上げることすら労力を要しそうだ。
文房具屋の試し書きの紙みたいだ、と思った。
「なんだよ取ってくれないのかよ」
ブァイオンが唇を尖らせる。
返答しようと口を開くが適切な言葉が出てこない。
なにしろ僕の僅か十三年間の短い生涯の中でこのようなシチュエーションに遭遇したのは初めてだったからだ。
ここで誤解しないでほしいのは僕が釣り竿を拾う事に困惑しているからではない。確かに釣り竿を拾う事をお願いされる経験は無かったが、それに応えられないほど融通の利かない人間では僕は無い。
ひとえに僕が困惑していたのは彼が三日月に腰かけ、極めて至近距離の宇宙から僕に話しかけていたからだ。
奇を衒ったレトリックなどではなく、月はいつも通り平面的に夜空に浮かんでおり、ブァイオンは地上に立つ僕と同じ遠近感で月に腰かけていた。
ブァイオンの物腰はあまりに自然体で、その事実に困惑している僕が異端なのではなんて馬鹿げた考えが脳裏を過るほどだ。
「おい、何とか言えよ」
苛立ち混じりの問いかけにハッとする。
ただでさえ得体のしれない彼を怒らせたら何をされるか分からない。
もしかすると例の『失踪事件』も彼の仕業かもしれない。
できるだけ彼を刺激しないように……。
「どうぞ。」
釣り竿を拾い上げて、月に向かって差し出す。
相手を刺激しないように言葉はできるだけ簡潔に。
ブァイオンが手を伸ばすと、握っていた釣り竿はいつの間にか空高くに浮かびあがっていた。
意志を持つようにブァイオンの手に移動していく釣り竿を眺めながら、あまりに現実離れした出来事に頭が頭痛を用いて警鐘を上げているのを感じていた。
「彼とこれ以上関わりを持つのは危険だ。」
はっきりとそう判断した。
「別に危なくねえよ。」
声に出ていた。
「まあ助かったよ、界底に一度落ちた物って圧力が強くてなかなか取れないんだよ。底から離してくれるだけでも大助かりだ。」
「いったい何を言って」
「ああ、怖いのに無理に返事しなくても大丈夫。界抜の人間を見るのは初めてだろうし、これできっと最後だ。」
僕が疑問を投げかける間もなく彼は三日月の上に立ち上がると、月伝いに夜の暗幕を開けるようにしてより高い場所へと登っていった。
トプンと夜空が波打った気がした。
釣り針がデカい 香木羊 @kankiti
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