第3区 三階渡り廊下転落の件 6. 真庭飛鳥③
9月28日、この日から登校許可は下りたものの、放課後の課外活動は翌日の金曜日まで禁止されていた。記録会の類はすでに生徒会選挙前に終わっていたのが幸いである。
ニワトリの机の上には、その日一日中、彼女愛用の、アルミ製のペンケースのほかには何もなかった。ペンケースに関しては、廊下の棚の上にあったのを、イノミが机の上に戻したそうである。
花を手向ける者はいない。当たり前である。彼女はまだ生きているのだから。
皆、一様にニワトリの一件に衝撃を受けていた。談笑しているようであっても何かが消えているようであったし、そもそも人と話している光景を、その日はさほど見かけなかった。
選挙で対立関係にあったイタチすらも、生徒が実際に何者かの襲撃を受けたことに関しては、かなりのショックを受けている様子だった。
まるであの選挙などなかったかのように、しきりにイノミや僕にニワトリの容態を訪ねていた。
リュウノスケによれば、隣のクラスの比企もとんでもなくショックを受けていたそうで、選挙の時の元気はどこかに飛んで行ってしまったようである。
後年聞くところによれば、このとき彼はニワトリに懸想していたようで、納得もいくところである。
そして残った最後の対抗馬・会長候補の根古野は、その日、欠席であった。
駅伝部メンバーも、相変わらず何かを落としたまま、その何かに気づかない、そんな表情であったし、僕自身も心と体が離れているような感覚であった。
同じクラスの女子の一人であるイノミは談笑しつつも陰があり、イノミと談笑するほかの女子も彼女ほどではないにしろ似たようなものであった。
もう一人であるオロチはいつもより一層凛とした空気を張り詰めた上で無言、本から目を離さなかった。ブックカバーをしていたので題材は不明であった。
イノブタは何かを考え込んでいるようであった。蹴球部を休部して以降、僕たち駅伝部派にしか絡んでいなかったが、今日はそれすらもなかった。
隣のクラスも、リュウノスケやメグの話を聞く限りでは同様であった。選挙の対抗馬やイノイチはもちろん、話しているリュウノスケにいつもの爽やかさはどこにもなく、メグもいつになく口元が真一文字であった。
駅伝部を代表して見舞いを買って出たウサに至っては、ここにわざわざ語るまでもない。
事件現場の渡り廊下は完全に封鎖され、警察官が絶えず立ち入りしているようであった。
これに伴い、三階渡り廊下およびそれにつながるドアは完全に立ち入り並びに開閉禁止となり、屋外の階段は、3階につながる部分が、板で閉ざされていた。
刑事のような人がいたので、捜査はどうなってますか、と聞く。
当然、けげんな表情をされるも、「駅伝部です」と横からリュウノスケが言えば、向こうも事情を察したのか答えてくれる。
「まだ進展はない。けれど、犯人は絶対見つけ出す」とそう言っていた。手がかりとしては、ニワトリの手に黒っぽい布切れのようなものがあったことを除けば、現在は無いようである。黒い布きれについてはすでに鑑識に回しているようだ。
14歳以上なら、軽くとも傷害、重ければ殺人未遂。場合によれば、検察に逆送致され、通常の裁判での起訴となる。
これだけならまだ良いほうであった。一部3年生・2年生を中心に、駅伝部の出場をやめさせようという動きが俄かに持ち上がった。
主導者は根古野兄のようで、ニワトリのような事件を起こすわけにはいかない、しばらく課外活動は自粛すべきだ、と昼休みに玄関で、腰を押さえつつ演説していた。
イタチやヒキも、このニワトリ転落事件のようなことが起こっている以上、駅伝部のみならず、放課後の活動全般に規制が必要では、と考えているようであった。賛同者は、それなりの数いるようであった。
僕個人がこれに対して持てる手はない。他の部活と異なり、夏と並ぶ大きな大会を控える陸上部としては、せめて秋の駅伝くらいは出場させてほしいところである。
そう陸上部部長・リュウノスケと、駅伝部部長・ペガサス先輩に訴えたところ、彼らは即座に動いてくれた。現部長であるリュウノスケは、彼自身はじめニワトリを除く十五名の署名を一気に集め、校長に嘆願状を提出し、ひとまず是非はともかく受理はされた。
ペガサス先輩は根古野兄の演説に真っ向から割り込んで、珍妙なニックネームを交えながら昼休み終了間際に単独抗議をしていたらしい。
戦果はお察しの通りからっきしであるが、衆目を集め、新たな問題提起を起こすことには成功したというのがペガサス先輩の主張である。
このほか僕たちの嘆願状に賛同する動きを求めてはみたものの、大半の部からは否定的な見方をされており、野球部でさえも中立的な立場であった。野球部を含む半分くらいからは、「せめてこの真犯人さえ明らかになれば」という意見も出た。
生徒会として動けるのも、正式に就任する10月以降になってしまう。せめて、真犯人を名指しで特定さえできれば、この状況を打破できる望みにはなるのだが。
部活もできなかったためそのまま帰宅し、トレーニングのため外に出ようとすると、父・宇志彦が珍しく早く帰ってきていた。
「根古野がらみで、何かあったか」
と振り向きざまに父が問いかけてくる。僕の表情を見て察したようで、
「明日、教育委員会を問い詰めに行く」
「何か知っているの!?」
「今はまだ、関わらないほうがいい」
そう首を振られる。そこでニワトリの件かと単刀直入に聞いてみると、
「それに関しては、今はわからない。だが、いずれ表に出る」
と、無関係でない旨の返事が来たものの、
「父さんが追っている案件は、義裕が追っているやつじゃない」
そう、僕の範囲外で何か起きていると暗に告げていた。これ以上は、お互いの領分を超えてしまうことになる、そういって父上は書庫に向かっていった。「根古野の件はどれも厄介だ」とつぶやいて。
父は教委に乗り込むといっていた。ひょっとすると、県政上層部あたりに切り込む気なのかもしれない。成程、これは僕が迂闊に関わってはいけない案件だ。仮に関わらざるを得ないとするなら、それこそ父上に何かあった場合くらいであろう。
ニワトリの一件以外でも、根古野一族がどこかでからんでいるようである。もしかすると根古野一族は、教育委員会の深部、さらには県政に一枚かんでいる可能性があるのではないだろうか。そんなことを漠然と考えていた。
そして夜7時ごろには、リュウノスケの電話でとんでもない情報が飛んできた。今回の事件の責任は「駅伝部」にあるという主張が、今日放課後の職員会議で出てきたらしいのだ。
おそらく情報源は、当事者である宍戸先生の甥・タイガーだ。発案者は不明。
両親ともに教師でありながら、自校職員室内部の政争にはあまり関心がなかったのもあって、漠然と、吹奏楽部顧問が、自らの責任回避のために、宍戸先生に責任をなすりつけようとしたのかな、などと考えていた。
生徒の安全のため、ということで教員がその主張をしたと考えるのが常識的なところではあるが、その時の僕はなぜかそう考えていた。
だが漠然とではあるが、僕の施行はその時なぜかここで止まらなかった。一旦は頭から消した「生徒と教員がグルでこの事件を引き起こした」場合が頭に浮かんだ。
あの時は駅伝部メンバーの疑いを晴らす意味であえて口にし、動いたものの、万が一の場合は彼女たち二人をまたしても疑わなければならなくなる。特にオロチは避けたい。ひとまず、リュウノスケに相談するべきだと思った。
とはいえ、教員の誰かがこの事件に一枚かんでいる可能性については、この段階で頭の片隅に再び置いて今後のことを進めていく必要があった。
だが悪い知らせばかりではなかった。
幸運にも、ニワトリは28日の午後21時ごろ、意識を取り戻したようだ。
記憶障害や言語障害等も見受けられないようである。
21時半ごろ、僕のところにもメグ経由でその旨連絡が回ってきた。
メグ自身相当安心しているようで、僕としても心の底からほっとした。
念のため彼女と一緒に、翌日放課後見舞いに行く約束をした。
だが、事件の犯人はまだ見つかっていないうえに、確たる証拠もない。
おまけに、「駅伝部」としての責任者として宍戸先生がどうなるかの処分がこれから下る。
事件を解決しようとしたところで、出場が結局かなわなければ、それは警察の領分である。つまり、相当な時間がかかる。
それが僕たちにとっての、大きな懸念事項であった。
結局、自らの中に生まれた「可能性」ないし「疑念」を彼女に伝えることは、その日はできなかった。
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