第3区 三階渡り廊下転落の件 2. 宇佐美卯月
-2000/9/26 PM18:32 大学付属病院-
なぜ、僕たち11人がこの時間に、ここにいるのか。
本来ならば、皆がそれぞれの部活の練習に出ているどころか、
部によってはすでに帰宅していてもおかしくない時間帯である。
先輩ならば、受験勉強に励んでいる時間である。
駅伝部はおろか、三年生を含む陸上部の全員、
そして吹奏楽部の大半がそこに立つなり座るなりしていた。
表情はみな深刻真剣である。
ウサに至っては半ば張り付いている。
ガラス窓の向こうには、医師と看護師の姿。
懸命に治療を行っている姿が見える。
看護師の一人は僕も面識がある。ウサの母親である。
その中央には、ベッドに横たわり、様々な管をつけられた、
包帯だらけの少女の姿がある。
生徒会会計につい数時間前に当選し、
今は部活の練習に出ているはずの、
真庭飛鳥こと、ニワトリである。
その日、九月二十六日は、陸上部の練習開始時間になっても、ゴクウやウサが練習に来なかった。
ゴクウは稽古が急きょ入ったのかもしれないと一瞬思ったが、一報くらい入れてほしいものである。そしてゴクウはまだしも、ウサはなんなのか。トイレだとしても長すぎる。
なお三年生の二人は、来週月曜に控えた三者面談前最後の実力テスト、その直前の平日なので、さすがに今日は地域の図書館で勉強する、と言っていた。
二人のことだから、裏で自主練もしているのだろう。誰かさんのおかげでどっちでも成果ださなくちゃだからね、とペガサス先輩が僕たちの肩をたたきながら茶化す。ネズミー先輩は「ありがとう」と小さく微笑んでいた。シーカ先輩とカメ先輩と合流して勉強するそうである。
そう思いながらも、ストレッチを終えて練習を開始しようとした午後五時ごろに、全校放送で、僕とリュウノスケが呼び出しを受けたのは練習開始直前である。
僕たち二人が職員室に向かうと、そこには担任の宍戸先生やタイガー、そして練習にいなかったウサやゴクウがいた。
ゴクウはひどく動揺した様子で、ウサの目は真っ赤。タイガーは苦虫をかみつぶしたような表情だ。ウサに至っては僕たちを見た瞬間リュウノスケに抱き着いてワンワン泣き出した。
リュウノスケがあやすが、彼女の眼の色からすると先ほどまでこのような調子だったようだ。タイガーやゴクウも別段驚く様子はない。それどころではないようだ。
ウサがここまで取り乱して、かつタイガーやゴクウがかかわる何か。
「まさか」と思い至る。
「ニワトリに、何かあったのですか」咄嗟に聞く。
僕の言葉に、先生は声色を抑えて告げる。
今日の午後4時20分ごろ、何者かによってニワトリが三階渡り廊下から突き落とされ、中庭で発見されたということ。
突き落とした犯人は不明だということ。
第一発見者の一人であるタイガーによって、直ちに通報がなされたということ。
大学付属病院に搬送された今も意識不明の重体ということ。命の別状等は不明。
吹奏楽部にはその旨がすでに伝えられ、つい先ほど学校にいた全員が練習を切り上げ、病院に向かったということである。
やがて職員室にはスプリンターを含むワンコたち陸上部員や、メグら駅伝部メンバーたちが次々と呼び出され、事実を伝えられる。全員が部活の練習着のままだ。
メグやオロチは絶句、ワンコはいったい誰が、と拳を握りしめる。
一年生スプリンターのクマやスズメも信じられないという表情だ。
若猪野の三人に至っては「根古野一族のしわざだ」と三人そろって声が漏れていた。
ウサは犯人が誰といいうのも頭にない様子であった。
そのまま別室に連れられ、帰宅の用意をするよう言われる。部室に戻って荷物をダッシュで取りに行き、一旦待機させられる。みな、無言であった。
どれくらいの時間が経っただろうか。宍戸先生が部屋に入ってくる。先生は、三年生の陸上部4人にも連絡するから、お前たちは一足先に附属病院へ行けと指示を出した。
リュウノスケを先頭に、練習着のまま自転車で六〇分のところにある附属病院に四十五分で急行する。急行する前に、自転車置き場に走ってきた宍戸先生曰く、現在は外科的な緊急手術が終わったとのことである。内臓関係は奇跡的に無事で、四肢の手術であったそうだ。
そしてそこにいたのは、集中治療室の窓にへばりつく吹奏楽部のメンバーたちと、緊急手術を終え、ガラス窓の向こう側にいる変わり果てた姿のニワトリであった。
トレードマークのポニーテールは解かれ、片目を含む頭の上半分には包帯がぐるぐる巻きにされている。口は管の出たマスクで覆われ、体中から管が出ている状態だ。おそらく、毛布の下の手足も包帯だらけなのだろう。
僕たちが到着してから間もなく、ひどく焦った様子の一組の夫婦がやってくる。ウサがトリちゃんのお母さん、と女性のほうに呼びかける。間違いなくニワトリの両親である。
父親と思しき男性のほうが「アスカは」と僕に詰め寄る。近くにいた吹奏楽部員の一人が「あちらです」とガラスのほうに誘導する。
その時、集中治療室内から一人の女性が出てくる。ウサの母親だ。
ニワトリの両親やウサが詰め寄る。「娘はどうなのですか」「トリちゃんだいじょうぶなの」と。
ウサの母はいう。
「意識はまだ戻っていません。命の別状は、幸いにもありませんでした」
「頭骨や、脳を含む中枢神経にも異常ないし損傷はありません」
三人の少しだけほっとする空気が伝わる。少なくとも最悪の最悪は免れたのだ。
「ですが、」
だが、ウサの母は続ける。
「関節部を含む両足および左手の複雑骨折が複数個所存在しており、機能回復まで含めた完治は、一年程度であると考えられます」
三人を含む、その場の全員が固まる。
中学時代すべてにおいて、吹奏楽部および、駅伝部での活躍が絶望的になったのだ。学業においても、左手を使えるようになるまでには相当の時間を要するようだった。
手だけならまだいいらしい。左足首の骨折具合が酷いようで、これが機能回復までの大きな障害となっているようであった。
不幸なことではあり、実際に血が凍るかと思ったが、そうであっても、どちらかといえば、正直ほっとした部分が大きい。何より、最大の幸運は、三階から落下したにもかかわらず、頭部および中枢神経系に損傷が全くなかったことである。重篤な後遺症を負わずに済んだのだ。
少なくとも、この事件でニワトリは死なずに済む。中庭がコンクリートでなく、硬いとはいえ土であったのも幸いしたのだろう。
ニワトリの命に別条がないことだけは確認できた。ここで、学校から病院に連絡が入ったようで、確認できたのならば速やかに自宅に戻るように指示を受けた。
両親の迎えのもとで、という条件が付いたが。おそらく、僕たちの中に犯人がいた場合、学校に何か細工をするという恐れもあったのだろう。
現場である三階の渡り廊下はすでに封鎖されたそうである。ウサの母親は、再び集中治療室へと戻っていった。吹奏楽部含め、見舞いの人々が次々と迎えを受け、病院から戻っていく。
メグの両親、すなわち僕にとっての伯父さんや伯母さんはちょうど県外出張していたため、僕の母親が、僕もろとも迎えに来てくれるとのことであった。
自転車はまたあとで取りに来るように、とのことである。しばらく登下校は徒歩である。リュウノスケの両親も仕事が空かない状況であったため、リュウノスケ・オロチの二人はオロチの父親に連れられて行った。
やがて中学生たちのうち、吹奏楽部、陸上部、駅伝部のメンバーが、僕、メグ、ウサ、タイガーの四人を除いてすべて去る。
ウサは母親の勤務が今日の夜終わる予定なので母親と一緒に帰宅すると言っており、すでに彼女の母親も了承している。タイガーは宍戸先生と一緒に帰宅するようで、ウサを除くメンバーの殿となっている。
ウサは若干落ち着いているものの、本当に最後の最後に去ることになるのもあってか、わが子を見つめるニワトリの両親同様、集中治療室のガラス窓から離れる様子はない。
タイガーは言葉がますます少なく、ウサたちとは対照的に集中治療室のほうをちらと見る程度で、基本的に無言でうつむいて壁に寄りかかっている。椅子に座る僕とメグは顔を見合わせるも、どうにもできない、そう理解する。
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